Sunday, 14 December 2025

チョコレートのパンドーロ

 イタリアから届いたパネットーネとパンドーロを少しずつ消費している。きのうはついにBaudiのチョコレートクリーム入りパンドーロを切った。付属の粉砂糖が、カカオパウダー入りで茶色かったのはびっくりした。

切り分けて食べる。
「わああ」とか「おおお」とか歓声があがる。
幸せだよなあ12月は。
とても美味しかった。チョコレート好きにはたまらない製品。

いっぽうで子がつくったレゴ。
1年生のときにハマっていたskibidi toiletによく似ている。


後ろ姿。

いつもながら設計図なしによくできるよなあと感心する。

いつも日曜朝は水泳に行っているが、きょうは雨が降っているのでまあ休んでもいいかと思っている。

そういえばきのうは合気道に行ったのだが起きたのが5時45分であやうく遅刻するところだった。5時の目覚ましが聞こえなかったらしい。珍しいこともあるものだ。飛び起きて、顔を洗って、家を出た。めちゃくちゃ寒かったけど合気道にいくとすぐに汗をかく。

Wednesday, 10 December 2025

強さとは

火曜。休みをとったのだが、同僚に回さなければいけないメールが一件あったのでメールをチェックしたら、それ以外に腹の立つメールがきていた。みなければよかった、とつくづく後悔した。見なければ済む話なのに、メールボックスを開けてしまったがためにいやな気持ちになる。遅れてもいいし迷惑をかけてもいいので、メールは勤務時間中に見るべきなのだ。たとえいやなメールを受け取ったときでも、周りに同僚がいる職場という環境であれば共感してくれる人もたくさんいるのでダメージが少なくて済む。(そういう面において同僚にはおおいに助けてもらっている。)

メールがなかった時代はどうだったのかなと考えてみるに、それはそれで不都合なこともたくさんあったのだろうと思う。いいとこ取りはできない、というのが結論だろうか。それにしても、メールはろくなことがない。コミュニケーションは面と向かってやるのが一番なのである。最初から「メールを見ない、返さない人」になってしまったほうが楽だと思う。

仕事、仕事、と言ってももう40過ぎたということは、仕事人生の半分は終わっているわけだ。働き方というか自分の在り方を強く持っていないと簡単にブレるし、まわりまわって大変なことになると思う。わがままを突き通すわけでも我慢し続けるわけでもない、ちょうどいい「在り方」がどこかにあるはずで、こういう場合はロールモデル、お手本があると良い。そうなると自動的に女性には女性のお手本が必要となる。男女関係ないだろう、と思うかもしれない。男性から学べるところは、ある。働き方を見ていて「ああ、指示はこういうふうに出すのか」とか感心することがある。しかしそれはあくまでも「部分的に」なのだ。女には女のモデルが必要だ、というのは、出産と育児を経るというのはもう並大抵のことではないので、これをこなしながら働いているかどうかは大きい。

すごいなこの人、と思える先輩がいても「はて、この人のご飯は誰が作ってるんだろうな。洗濯は誰がしているんだろうな。子の宿題は誰がみているんだろうな」ということが気になる。必ず誰かが裏でその人の分の働きをしている。歴史上の偉大な人物でも、きっとその背景にはご飯作ったり洗濯したりしている人がいた。自分でやってる可能性ももちろんあるけど。

だから、これらを家族に依頼するにしてもそのこと、つまり「そういう仕事が家に存在すること」をじゅうぶん把握していて、うまく回せるだけの人間関係を家族と築けている人なのかどうか、が見習いたいと思うかどうかを決める。

「結局、どこに行っても人間関係」なのである。周りが見えていたとしても気にし過ぎてすべてが遠慮に変わってしまって遠ざかる人もいる。この辺は、最初の話に戻って、やっぱり自分の軸がないといけない。強さとは周りを押し退ける力や自分を押し通す力ではない。合気道の先生がよく言う話で、かつて高倉健氏と話したときに「強さとは、なんでしょうか」と高倉氏はたずねたという。強さとは。なんだろうか。ときどき考える。先生は「自分に勝つこと」とおっしゃっていた。言われてなるほどと思うが、その答えは与えてもらうものではなく自分で日々を生きながら見つけていくものだと思う。

Tuesday, 9 December 2025

イタリアから届いたプレゼント


きのうでいったん仕事が一区切りついた。きょうは働いてもよかったのだが年休も残っているので思い切って休むことにした。めまいの始まる前の、振り返った瞬間に周りがズドンと落ちるような感覚が、ここ2週間のあいだに、たまに起こることがあるので、ぼちぼち休んだほうがよさそうだなと思った。

イタリアからクリスマスの荷物が届いた。巨大な箱が二つ。子供が1人は入りそうな大きさだ。開けてみると…パネットーネとパンドーロが!合わせてなんと10個も!そのほか、トローネやらヌテラの一番大きいやつやら、たくさんの美味しいものが入っていた。ありがたい。今我が家には、送られてきたものを積み重ねたタワーができている。

朝、東に向かって座っているのだが、朝焼けがどんどん右側に移動していってついに視界からは見えなくなった。少し体を移動させると見える。

この時期は、短い時間だけど部屋に入り込んでくる太陽を、部屋のなかのものが反射しているのがきれい。部屋がオレンジ色になる。真横から差し込んでくるかのような、オレンジ色の朝日。しかし長くは続かず、きょうも数分で消えてしまった。そのあいだに撮った一枚。まるで夕焼けだ。

子もそろそろ学校が終わりに近づいている。よく頑張っていると思う。きょうは授業参観。ちらっと見にいってみるつもり。3年生ともなると人間関係にもいろいろあるようで、聞いていて「ほう…」と考えさせられることも多い。成長しているということ。

週末にレゴで「ぼくノートパソコン作れるよ」と言い始めた。そしてあっという間にできた。なるほどよくできている!




 

Thursday, 4 December 2025

揚げ物から考える異文化理解

 スローターハウス・ファイヴを読み終わってから、本棚にあったアリス・マンローの"Dear Life"を一話だけ読んだ。続けて読もうと思ったけど図書館で予約したカズオ・イシグロの"Remains of the Day"が早速借りられたので、こちらを優先して読むことにした。洋書、ペーパーバックは図書館にあるとも限らないがカズオ・イシグロ級だと、ある。所有していないものを読むのは今までなかったけど、これでもいけそうだと思った。

しかし困ったことに文字が小さい。電子書籍のほうが良いのかもしれない。文字が小さくて読めないのではなく、読む気になるかどうかという問題である。

そして英語が!難しい!!一文が長い!語り手が英国の執事なのでそれはもう丁寧で回りくどい表現が続く。北米英語を読んだあとなので、正直なところ面食らってしまう。それでもきょうで3日目、なんとか読み続けている。きょうは同じ箇所を3回も4回も読んで、いつの間にか1時間くらい経っていた。物語は最初、入り込むまでが大変なので、もう少しすれば楽に読めるようになるのではないかと期待している。

おととい、半休をとったので時間があった。子と2人での夕飯。

冷凍庫にある豚肉を焼こうと思っていた。子が肉をみて「カツ丼?」というので、ああ、そうか揚げることもできるな…と思い立った。先日ハンバーグを作るために開けたばかりのパン粉もある。フライを作ってみるか、と思った。そういえば図書館で借りていた栗原はるみさんの「わたしのいつものごはん」があるので参照してみた。料理のレシピはネットで見るよりも本のほうが断然いい。

揚げられるものが何かあるか、探ってみたら冷凍のエビが大量にあった。全部解凍することにした。それからかぼちゃも。揚げたてが当然おいしいので、片っ端から2人で食べていった。たったまま食べながら

「おいしいね」

「揚げたらなんでもおいしいよね」

「鉛筆だっておいしいんだよ」

「えっ、ほんとうに?」

というような会話をした。「はれときどきぶた」を思い出す。メインのとんかつを揚げる頃にはもうお互いに油を受け付けなくなっていて、おひらきになった。立ったまま食べる夕飯となった。

さて翌日。

小さなトンカツが3つ残っていて、帰ってきてからわたしがパクッと食べたら当然、子も「ぼくも」と言って食べる。これを見て黙っちゃいないのがイタリア人。「揚げ物は2日連続で食べない」という。「残っているんだから一口くらいいいでしょうに」と言うとさらに怒る。

面倒だなあ、と思っていたところ、ちょうど電話をしていたイタリアのおばあちゃんと我が子との会話。

「パパが揚げ物を食べちゃダメっていうんだ」

「揚げ物は2日続けて食べたらダメなのよ」

「でも一切れだからいいんじゃないの」

「一切れでも連続は連続でしょ」

なるほど、これはパパ1人の意見ではない、ということがここで証明された。

夕飯はエビとあさりのリングイネだったが、それを食べ終わったあとに最後のカツ一切れを子が食べた。これをにらむイタリア人。わたしは口を挟まないことにした。

これが異文化理解というものなのだろうか。きっとそうだろう。放っておけばトンカツは消化され、忘れられる。

それにしても、だ。イタリアにおけるこういったまじないのような迷信のようなルールはたいへん厄介である。この、揚げ物は一例なのだが、気候、服装、食べ物などなどに生活、もはや人生関するルールが数えきれないほどある。どこにも書かれていないのにみんな知っているルール。「食べたあと2時間は水に浸からない」は代表例かもしれない。

もう少しおおらかでもいいだろうに、と思う反面、これがイタリアをイタリアたらしめている、ひいてはこの世界で「魅力的な人々、地域、文化」として見られるゆえんなのかもしれない、と思う。意固地なまでにゆずらない「らしさ」。

気候や食べ物と書いたが、もっというと人間関係においてもこの「ルール」があり、長い歳月をかけて培われた生き方のスキルが、あの土地で育つと身に付くのだろう。

しかし揚げ物くらいね、いいじゃんね。やれやれ。

Tuesday, 2 December 2025

自動的にマフィン

12月になった。11月に、12月の話をするときはまだずいぶん先のような気がしていたのに気づくと12月が「来週」になって、「今日から」になった。冬休みまであと少し。11月はゴールを目の前にして息切れしそうな人たちが多いと思う。なんとか11月を乗り切りましたよ、みなさん!あとは、やることを整理して、風邪ひかないようによく寝て過ごすだけです。 

いつもと変わらず朝は5時に起きている。ここ1ヶ月くらい、起きてすぐにマフィンを焼いている。もはや自動的に手が動く。もはや材料も分量も頭に入ってしまった。きのうも、作らなくてもよかったかもしれないけど、ま、やるかと思って作り始めた。紅茶ができるのを待つ時間は7分間と決めているのだが、なんとその間に材料を混ぜ切ってしまった。実質5分だった。我ながら早い。

マフィンはケーキよりもメリットが多い。常温保存で良いし切らなくて良い。材料はある程度適当でも失敗はまずない。作るときもボウルひとつでいい。道具は泡立て器とゴムべらがあればできる。朝ごはんに、おやつに、家族がパクパク食べる。置いておいたら1日でなくなる。きょうは、昨日のが1つ残っていたので作らないでおいた。

マフィンの写真がないのは、毎日作っていてもはや特別ではなくなったから。



Friday, 28 November 2025

Slaughterhouse-Five 読み終わった

 今朝、カート・ヴォネガットの"Slaughterhouse-Five"を読んでしまった。買ったのは2年前で、当時、読もうと試みても全然頭に入ってこなかったので放置していたものだった。しかし今回はスッと入っていけた。初めて読む作家はその書き方に慣れるまでの時間も必要だ。今回読めたのは、「カズオ・イシグロを読んだ」という事実があるからだ。英文を読むことに慣れ、長編小説に物おじしなくなった。自信がついたのだ。夏休みから連続してカズオ・イシグロを3作と、How to Pronounce Knifeを読んだことで、また別の世界ができた。「これが読めるということは、これも怖くないはず」と思える。優れた作家の優れたインプットがあるというのは素晴らしいことで、こうやって朝、洋書を読む習慣が身についたことがありがたいと思う。

さて、スローターハウス・ファイヴは、簡単にいうと戦争の話。ドレスデン爆撃について。これだけ聞くとだいぶ重そうな雰囲気があるが、全くそうならない。なぜかというと、登場人物がタイムスリップをするから。笑えるほどに場面も時代も変わる。ずっと戦争の話を読んでいたらそれは暗くなるだろうけど、この小説は違うのだ。文も短く、回りくどくない。あっさりした感じが最初から最後まである。

ドレスデン爆撃について、聞いたことはあったのだがよく知らなかった。あらためてウィキペディアで調べたり読んだりした。これをアメリカ人の視点から書かれているところが面白い。

アメリカ英語の小説を読むのはもしかしたらカーヴァー以来?で興味深かった。知らない単語がたくさんあって、どうしようかと思った。普段オンラインの辞書を使っていて、家に紙の辞書がない。そして電子機器を開かずにペーパーバックを読むという状況を自分で作っている。つまりここでパソコンやi padを開くとおそらく読むことをやめてしまう。電子機器の魅惑に紙は簡単に負けてしまうということを経験上よく知っている。さてどうするか。結局、電子辞書を使うことにした。昔の電子辞書で、もう出番はないのではと思っていたけど、ついに電池を入れ替えた。そうすると、やっぱり使いやすい。この10日間くらいで大活躍している。電池の消耗だけが気になるが仕方ないだろう。

次に何を読もうかと考えているが、まずは棚にあるものを片付けたほうがよさそう。そのいっぽうで、カズオ・イシグロをもう1冊読みたいとも思っている。

Wednesday, 26 November 2025

フリマ、咳で病院

24日。3連休の最後の日はフリーマーケットに行くことにした。代々木公園と国際フォーラムどちらにしようかと思ったが、なんとなく代々木公園にした。かつて(と言っても10年以上前)毎週のようにフリマに繰り出していた時期がある。何も買わなくても楽しかった。

十数年たった今、子を連れていった。出不精な子だが、ここ最近は、うまく運べば一緒に出かけるようになった…気がする。車酔いもしなくなってきた。成長している。

代々木公園はとても綺麗だった。紅葉が見頃な上に、朝早いせいか人も少
ない。よく整備されている。それこそ20代後半はしょっちゅうきていたなあと思い出す。寝そべって本を読んでそのまま眠ったことが何度もあった。

フリマは大規模だった。私のほしいものをじっくり見ることはできず、子のためのガンダムのフィギュアを買うにいたった。言われた値で買ってはいけない。値切ってなんぼ。千円と言われたが、ほかのものも加えて千円で交渉成功した。

わたしがほしいものが見れなかったわけではなく、当時よりもものを減らすことに熱心なため、そんな簡単に買わない、というのもある。

NHKのほうに歩いて、渋谷から帰ることにした。たくさんの店の、11時の開店を待つ人たちで街はあふれていた。知らない店がたくさんあって、かつての渋谷とは変わっていることを感じた。そして久しぶりにスクランブル交差点を渡った。れっきとした観光地である。

25日、火曜日。

朝、マフィンを焼いている間に本を読んでいる。カート・ヴォネガットのスローターハウス・ファイヴはあと少しで読み終わる。さほど期待していなかったのに結構面白い。文は短い。知らない単語は多い。ついに観念して、電子辞書に電池を入れた。

曇り空で寒々しい朝だった。が、ふと顔を上げると、すごい赤が見えた。一瞬目を疑った。これは空の色なのか?と。あわててカメラを持って外に出た。そのあとも秒刻みに色が変わっていった。この朝焼けが見れたのはほんの5分間くらいだったと思う。そのあとは、あっという間に曇り空に変わり、雨まで降り始めた。

3日も休むとそろそろ仕事に行ってもいいかなという気になってくる。家以外での活動が必要だと思うようになる。ここ2日間くらいまた咳で眠れない夜が続いたので、これはいい加減に病院へ行こう、と24日夜に決心した。「もう治っただろう」と思ってから結局3週間くらい経つので、1ヶ月は咳をし続けていることになる。

仕事をさっさと片付けて早退し、3時から病院へ。この病院には咳だけで何回お世話になっているだろうか。レントゲンもとったが以上なし。吸入と、去痰剤と、抗生物質を出してもらった。おかげで夜は、途中で起きずに眠れた。もっと早く行くべきだった。

チョコレートのパンドーロ

 イタリアから届いたパネットーネとパンドーロを少しずつ消費している。きのうはついにBaudiのチョコレートクリーム入りパンドーロを切った。付属の粉砂糖が、カカオパウダー入りで茶色かったのはびっくりした。 切り分けて食べる。 「わああ」とか「おおお」とか歓声があがる。 幸せだよなあ...