Thursday 11 April 2024

ありがとうとカルボナーラ


 新学期スタート。

子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの何にもかえがたいなと思う。

焦らず職場を出て、堂々と5時過ぎに帰ってきて、夕飯は作ってもらえる。ありがたいです、本当に。1日に何度も「ありがとう」を言っている。お互い言ってるけど私は本当に「頭が上がらない」立場だと思うので、心がけて言っている。

きのうは久しぶりにカルボナーラでした。太るんじゃないかとかあんまりそういう心配はない。「本当の」カルボナーラはクリームを使わず、一般にイメージされるよりもっとずっと軽い。そりゃ食べ過ぎは太るだろうけど。はー、おいしかったよ。


Monday 8 April 2024

週末、面白かったことの記録

 面白いと思ったことをいくつか記録。

1) 土曜の公園でEさんとの会話

Eさんは英国にルーツを持つ方で、保育園のときから知り合い。母語は日本語じゃないけど日本人のパートナーと、東京で2人の子育てをしている。わからないことばとか、日本独特の文化とかあるだろうに、偉いなあと感心している。久しぶりに公園でばったり会ったので話した。ちなみに彼女は歌手。コロナ明けたのもあって、最近は十三カ国を回るコンサート・ツアーに行ってきたらしい。イギリスにも行けたらしくて、それはよかったですねと話した。物価も、大変とは言うものの、まあそこまでではない、と。ほう、そうですか。アメリカはやばいですよね?ときくと、表情が一瞬で変わって、出た言葉は

"Horrible."

でした。空港でミネラルウォーターを買おうとしたら700円だった、と。ちょっと待った、水が700円?いやー、狂っている… 2015年にニューヨークに行ったとき、あらゆるものを見てこれは高すぎるなと思っていたんだけどそこからさらに苦しくなっている様子。水700円は無理。だからと言って日本から持っていけるものというわけでもないし。いやはや。

2) おふろで我が子との会話

文脈は忘れたんだけど、子に私が何かたずねたら

「いや、よりによって違う」

ん??どうやら「人によって」を「よりによって」と言い間違えたらしい。かわいい。かわいすぎる。

3) 土曜の朝の合気道にて

これは面白い話というわけではないけど、Yさんが顔に大きな絆創膏というかガーゼをしていて、どうしたのか聞いたら前日に自転車で転んだらしい。自転車は無事だったけど、メガネが顔に刺さったと。ひぇえええ… 目じゃなくてよかったです…

4) スーパーのペットボトル回収機にて

これも面白い話というわけではないけど。

数ヶ月前に設置されたこの機械、ボトルを入れても機械が受け付けてくれないときが多い。きのうもまたそうで、ピー、と音がして戻ってくる。ああもういやになっちゃうなと諦めようとしたとき、後ろからおじさんが「ここをこうすると良いみたいですよ」とかいろいろ教えてくれた。そして成功した。めんどくさい系の人かと思いきやただの親切だった。ありがたかった。

5) 土曜の公園にて その2

近所のAさん。7歳の娘と2歳の息子がいる。この2歳の息子がわんぱくで、公園を裸足で走り回っていた。眺めながら「わんぱくですね」と言うと、大変すぎてもう参ってしまう、とのこと。「男の子は全然違いますね」と言われて、そうですよねと答えた。「もしこの子が先に生まれてたら2人目を産もうとは思いませんでした」と。そうかもしれない。世の中、一人っ子の数の比較なんてあるのだろうか。もしかしたら男の子のほうが多いのでは?うちもそうだけど。

曰く、1人目の女の子で「大変だ」と感じたことさえなかった、らしい。よく聞く話だ。私の親も言っていた。友人も言っていた。言えば言うことは聞く、と。ところがどっこい、男はそうはいかない。男と女でこんなにわけてしまうのもどうかとは思うが、この時点から全然違うのだ。ちなみにこの2歳の息子さん、去年すでに一度骨折しているらしい。この年齢で骨折ですか…と驚いた。

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ほかにも面白いことがあった気がするけど忘れました。すぐに記録しないと忘れる。

ところでこうやって書いてみてわかるけど、記録したくなるレベルの面白いことって、人と関わるところから出てくる。「面白い話をきいたなあ」って、1人では不可能なわけで。

Friday 5 April 2024

東京に戻って風邪気味

 3日に東京に帰った。その夜、のどが変な感じがして、あれっと思った。かゆいような感じ。何かアレルギーのあるものを食べたのか?と思ったけど花粉以外でアレルギーはないはず。まあいっかと思って寝たら夜中にのどがいたい。喉と鼻の間の左奥、みたいな感じ。乾燥してるのかーと思ったけどいや外は雨っぽいね…。ティッシュ必要だなと思いながら仕事に行ったらやっぱり変な咳が出る。鼻水も出る。そしてこの咳の、のどの奥の音は数日前に、母が咳をしていたときの音と同じ。父も「のどが変」と言っていた。きっとうつったのだろう。熱があるほどではないが、すっきりしない。元気が出ない、というわけでもない。とにかくすっきりしない。旅の疲れもあったと思う。早く寝ることにした。(といっても毎日9時に寝ているけど。)

3月も鼻水、その後の咳が続いて、あれはなんだったんだろうと思う。鼻水からはじまったので花粉症と思っていたらどうも違う感じになってきて結局咳として3月末まで残った。治ったかと思ったら今これである。調子のよかったのは帰省している間の1週間だけだったということか。

具合が悪くなったときはメモしておく。パターンが分かれば防ぎようもあるかもしれないから。

東京に帰ってから天気が冴えない。曇り空で、なんだか寒々しい。桜が咲いてはいるものの、どうもパッとしない。

とはいえ日常には戻れるもので、やっぱり基盤をこちらに置いているのだな私は、と思う。20年以上東京に住んでいると、人のつながりがこちらを軸にできている。ホッとするかどうかは別として、動きやすさはある。

唯一気になっているのはここ1週間、同じ屋根の下にいた姪っ子である。とくに1歳半のほう。周りをトコトコ歩いていたのが日常だったので、いなくなるとこれは大きな欠乏である。あの高い声を聞きたい。今どうしているのだろうと思う。この三日で、姪の動画を何回も見ている。まだ、ことばが出てくる直前という状態なのだが今度会った時にしゃべれるようになっているのだろうかと思うとこれもまた切ない。

Monday 1 April 2024

4月になった

実家のひな壇。博物館かと思うような大掛かりな雛人形だ。姪がこの人形の表情をひとつひとつ真似するのが面白い。芸達者な姪。
ひな壇はちょうどおととい片づけられ、今は兜に取って代わった。

ようやく春らしい天気になったなと思ったら4月である。あまりにも寒々しい3月だった。2月はそれほど寒くないなと思っていたのだが3月になってからの寒さが長すぎた。フリースも、セーターも全然片づけられなかった。今回もダウンコートを着てきている。

東京に戻る日が近づいている。

つばめが飛んでいるのをみて「あ、もう飛び始めた」と弟が言っていた。東京にいて、つばめの飛ぶ時期を考えたことさえなかった。

きのうは暑くも寒くもなかったので、わらびをとりに山へ行ってみた。ここ数年のなかでは久しぶりに「当たり」だった。収穫ゼロで帰ってくることが何年も続いていたのに今回は少しだけだけど、採れた。

ゆったりとした時間が流れている。用はなくても庭に出て、山と空を見上げる。鳥のさえずりと、遠くで車の走る音が聞こえる。

菜の花の黄色と、チューリップのピンクと、そのほかの花々の鮮やかな色が目に入ってくる。日差しが少し強くなってきた。

きょうから4月。嵐の前の静けさ、なのかもしれない。

さてパンでも焼こうかな。

Friday 29 March 2024

いっさいはんは最強

 1歳半。

めいは1歳半である。26日から帰省していて、弟の一家と一緒に過ごしている。姪が2人。ひとつ屋根のしたに8人がいる状態。たいへん賑やかでいつもどこかから泣き声やわめき声が聞こえている。こどもの声は高くていい。なかでも1歳半の姪は、もうどこを切り取っても、おもしろくて、たいへんで、かわいい。

・Yesは「ん」、Noは「え〜」

・使える語彙は限られているがこちらの言葉はほぼ理解する

・特定の人間にしか抱っこさせない

・「おいし」「あけて」「あぷ→スプーン」「すぷ→スープ」「ぱんぱん→パン」

・気に入らないとおもちゃも食べ物も投げたり押し戻したりする

・他人が食べているものを食べたいので食事は中断する。飽きて中断、再開の繰り返しなので第4次ぐらいまで食事が続く。

妹が生まれたばかりで親を独り占めできず、我慢を強いられることが多い。健気にがんばっているのだ。わたしに完全に心を許してはいないが笑顔を向けてくれるのと、朝起きておじぎをしてくれる。「ども〜」という感じ。

みていて何かに似ていると思ったら、サザエさんに出てくるイクラちゃんだ。語彙が限られているけどYes /Noがわかるので意思疎通ができる。イクラちゃんは1歳半だったのかもしれない、と思った。

1歳半か…と言いながらもう一つ思い出したのは「いっさいはん」という絵本です。みなさん知ってますか。1歳半の子に「あるある」なことをまとめた絵本だが、子というより親向けの本。自分の子が1歳半をとっくにすぎた今、その本の存在さえ忘れていた。1歳半は、最強。

もう、なにもかも、すべてがかけがえなくて、もはや「一瞬」と言ってもいい貴重な時間。文字通り、かけがえがない。あと1ヶ月もしたら姪はずいぶんといろんなことが変わっているはず。そう考えると、こちらもぼーっとしちゃおれんなという気にさえなる。

抱っこしてあげたいんだけどちっとも近寄ってくれない。おいで、と言うとにやにやしながら「え〜」と言う。泣かれなくなっただけマシか。

Wednesday 20 March 2024

万年筆、外出

なくなったと思っていた万年筆が職場の引き出しから出てきた。一本千円のものなので、なくなってもあきらめはつくのだが少し気になっていたのは事実だった。中のインクは空っぽだが一体何色を入れていたのかさえ判然としない状況だった。家に連れて帰って洗うことにした。

 翌朝の万年筆カートリッジ。

朝日を浴びているものは万年筆であれ食べ物であれ、ハッとするくらい美しい。ああこの瞬間を切り取りたい、と思ってその時やっていることの手を止めてカメラをとりに走るくらい。目で見たまんまを画像に残すにはどうしたらいいだろうと思って絞りや露出をいじってみるがまあこれが限界かなと。

万年筆をあらったりインクをかえたりするのは、余裕のあるときに限られている。手も汚れるし、水も使うし。手も汚れるし、水も使うし。

ここ最近風がひどい。花粉もひどい。きのうから鼻声になってしまった。風邪をひいたのではなく花粉症で鼻水がとまらないせいだ。薬は効いていない気がする。

花粉やら疲れやら諸々の原因があるのだろう、相変わらず朝すっきり起きられない。きのうの朝起きた時は、目覚ましで起きたのだがまさかそれが朝だとは思わなかった。覚醒に近づいてない、深く眠っている時間だったように思う。きょうは目覚ましを15分くらい遅らせていたのだがそれでいったん起きたあとやはり眠ってしまい、6時前に起きた。私にしては遅い。

コロナがあけてからのこの1年、あまり外出したいと思わなくなった。本を読んだり運動をしたり料理をしたりして、9時に寝たいと思う。9時にふわーっと眠ることの魅力が何よりも強い気がする。そして朝早く起きたい。夜明け前の空を見ることを欠かしたくないので、寝る時間も遅くしたくない。そしてアルコールに何も魅力を感じない。無駄に腹を膨らませているだけだと思う。もちろんたまには飲むけどちょっとでいい。じゅうぶんだ。英語圏ではこういう人に"Get a life!"というんだろう。もう少し暖かくなったら外出したいと思うかもしれない。今のところは"This is my life."というのが最適な回答だ。

Tuesday 19 March 2024

連日で稽古、シナモンロール

花粉がひどい。今年はいつもと比べて症状が軽いなんて思っていたのは間違いだった。鼻水と無縁だな〜なんて思っていたのに。花粉の時期があとにずれているだけだ。いつまでも寒いのできっとその影響があると思う。 

きのうはローションティシューを持ち歩いた。合気道の仲間によると「油分が含まれている」らしいので鼻の下が痛くならずに済む。

合気道といえば、土日連続で稽古に行った。土曜の朝に初めて行った時ほど「あれ、これるんですね?」など声をかけられることはなかったが、自分にとってはこれはとても珍しいことである。つまり二日連続で稽古に行くということが。実に7年ぶり?とにかく子供が生まれてからは初めてだと思う。

土曜に行くようになって1ヶ月半。週末は1回で十分だと思っていて、土曜に「やるべきこと」が済んでしまえば日曜はフリー、としていた。それでも日曜稽古に行かないうっすらとした罪悪感のようなものもあり、かわりに水泳に行っていた。

それがこの日曜は「行きたい」と思ったのだ。自分のなかでの変化だと思う。無理にでも行っていた時期のことを考えると「お、すごいな」と、客観的に、思う。

その結果日曜夜の疲れはひどいものだった。脚が痛い。身体中痛い。遠足で10km以上歩いたときみたいな感じ。こんなに身体を使うものなのだなとあらためて思った。しかし不思議なほどに筋肉痛がない。翌朝も、今朝も、全然痛くない。

日曜に焼いたシナモンロール。見た目も味も豪華にするにはバターと砂糖を惜しんではいけない、んだけどちょうど良いバランスを見つけられるのが家庭で作ることの良さです。自分にとってちょうど良いように自分で調節する。ちょうど夕飯の時間に焼けたので、子供と食べながらもう夕飯これでいいねなんて言った。焼きたては全然重くなくて、しゅるしゅると口に入っていく。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...