Sunday, 6 September 2026

こどもたちとプール

土曜だったけど出勤だった。朝はちょうど雨があがりかけたので合気道に行った。調子を取り戻すためにだんだんと再開させている。やっぱり気持ちがよかった。それから仕事に行って、夕方帰るとお隣さんが、うちの子といっしょに6時ごろからプールに行くことになっていると教えてくれた。どうやら日中に行われた取り決めらしい。一瞬迷ったけどわたしも行くことにした。私が行かなくても、お隣さんが連れて行くので保護者の人数としては問題ないということだったが、なんであれ泳ぎたいと思った。さらに近所の子もやってきて、全部で7人でプールへ。子供たちどうしで遊んでいる姿は、それはもう楽しそうで、本当によかったなあと思った。何がよかったかというと、近くに友達が住んでいて。子は誰といるときよりも友達といるときが楽しそうで、本当にありがたいと思う。7時ごろ外に出たら夜風が気持ちよかった。プール最高ですよね〜と言いながら帰る。シルバーウィークなんか予定ありますか、と言われて、特にないと答えると、近くのお祭りがあるのでよかったら、ぜひ、とのことだった。

きょうは雨。これから出勤。

Thursday, 3 September 2026

日常に戻る、とアイデンティティ・クライシス

 韓国から帰ってしばらく経つが、すぐに東京の生活には慣れてきた。職場も1ヶ月以上ぶりに行ったが、15分もあれば戻った。この夏、あっちこっちに滞在したのもあってようやくホームグラウンドに戻ってきた気持ちになる。わたしの日常が東京にある、というのをあらためて実感している。

韓国から帰る便のなかで、とても不思議な気持ちになった。自分は一体何者なのか、どこに所属するものなのか、など、アイデンティティ・クライシスに陥った。ただしこれはいい意味でのアイデンティティ・クライシスである。どこからも切り離されたような気がした。今までの世界とは全く別の場所のように見えた。4月に起きた京都の小学生の事件を聞いた時にちょっと似ている。自分がわからなくなる感じ。言葉で表すのがとても難しい。こうなったのは韓国滞在があまりに意義のあるものだったためだと思う。家族から1週間離れて、しかも職場の仲間ではない、全く初対面の人たちと1週間を海外で過ごしたため。

この経験があって本当に良かったと思う。

仕事を再開して、夜の眠りがいっきに深くなったし寝つきもよくなった。やっぱり労働はいいなと思う。きょうは合気道の稽古に行かなかった。じょじょに再開させることにする。

Tuesday, 25 August 2026

変わったのは何か。ソウルにて。

実家から戻ったかと思えばすぐに移動して今は韓国にいる。仕事でいるので好きな場所に行く時間はあまりない。それでも充実度の高い滞在をしている。

羽田からの便は、本当にあっという間で、1時間40分で到着した。国際線らしさを味わうためにもう少し飛んでくれてもよいなと思えるくらいだった。

久しぶりの韓国。最後に行ったのがいつのことだったか考えたけど、確実に10年以上前。当時も、最後に行ってから10年近く経っていたので、10年に1回の訪問ということか。それもあって、行くたびに変貌の仕方に驚かされる。今回は自由に行動できていないのでまだなんともわからないけど、外国っぽさがなくなってしまったなあ、というのが1番感じるところ。不便さがない。日本の延長のような感じがする。2002年に初めて韓国に行った時の「わぁ!」という感動に比べると、さほど心が揺り動かされなくなってしまっている。

簡単に考えられる理由が二つある:

1) 世界が変わった

2) 私が変わった

まず1)について。これは韓国に限らずどこに行っても当てはまるだろう。グローバル化により、場所がかわっても同じものや情報が手に入るようになった。言語の壁も、文化の壁も、もちろんあるけど、以前ほどの障害ではなくなった。いろんなことがスムーズに動く。日本に電話するのにプリペイドカードを買ったりインターネットの使える場所を探して10分でいくら、とかお金を払っていた頃とはわけが違う。そして買いたいものは、日本にいても買えてしまう。

便利なのだ。だけどその便利さが、異国っぽさを薄くしてしまう。

そして2)について。10代、20代の時に見る外国の景色、いや、感じる空気は、さきほど感動と書いたが、それどころではなくて「衝撃」に近い。振り返った今だからこそそう言える。あれは衝撃だったのだ、と。考え方、ものの見方が柔軟で、国内にいたとしてもまだ体験していないことが多い。海外に対する憧れは、それはもう強烈なものがあり、本やテレビでちらっと見た、いつか行きたいと思っていた場所が目の前に現れたときの感動は筆舌に尽くし難い。

この1と2が、ちょうど相まって、最初の渡航から何十年か経った今ではさほどの感動がなくなってしまっている。情報に手が届かなかったころのハングリー精神とでも言おうか、そういうのは薄くなった。仕方ないしあたり前だと思う。それに私は南米や中東地域、中央アジアなど行ったことのない場所がたくさんあるので、初めての場所に行ったらまったく違う感想が出てくるのかもしれない。

Thursday, 20 August 2026

A Pale View of the Hills

カズオ・イシグロのA Pale View of the Hillsを読み終えた。1週間もかからずに読んでしまった。長編はいい。短編もいいけど長編を読むとその世界に入り込めるので良い。長崎に行った直後に読めたのがよかった。平和記念像や路面電車が出てくるので、行った直後の今読むといろいろと想像がしやすかった。時代は違うけど。

カズオ・イシグロならではの「あとからじわじわ」くる感じがなんとも言えない。「あれってつまりそういうことだったのか」が、読んだあと、しばらくしてからわかる。というか気づく。

1982年に書かれたものらしい。5歳のときに日本から英国へ渡った著者の人生が表れている。その経験のない、ほかの人だったら書けないだろう。

帰省中に読書が捗ってよかった。

Tuesday, 18 August 2026

Great British Bake Off 名作回

帰省するとテレビがあるので、予期せぬ出会いがある。

何気なくチャンネルを回していたらGreat British Bake Offの第6回、決勝戦だった。個人的にも世の中的にも、第6回は最も人気の回である。名作と言われている。2015年なのでもう10年以上前になる。私は数年前にAmazonプライムで見た。一度見ていても、これは見なければと思った。その時と同じく、やはり勝者ナディアのコメントには涙が出た。

I'm never gonna put boundaries on myself ever again. I'm never gonna say I can't do it. I'm never gonna say 'maybe'. I'm never gonna say, 'I don't think I can.' I can and I will. (もう二度と自分自身に限界を設けない。できないと言わない。 「たぶん」と言わない。「できないと思う」と言わない。そうできるし、そうする。)

ナディアだけでなく、ほかの出場者もかなり印象的だった。わたしはイアンには注目していた。この人おかしいんじゃないのかとさえ思った。それほどのこだわり、レベルの高さだった。

今はAmazonプライムでGreat British Bake Offの別の回を見ている。ここを去るまでに最後まで見られるかは分からない。見ているとパンやお菓子が作りたくなってくるし歴史を学びたくなる。暑い季節が終わったら焼き菓子が楽しくなる。秋が来るまでもう少しの辛抱だ。

Sunday, 16 August 2026

涼しいままで終わると良い

快適な涼しさが続いている。日中には気温が上がるが、それでも、逃げなければいけないほどの暑さではない。8月のはじめに40度くらいあったが、あれがピークで、そのあとは夜もエアコンなしで寝られる。このまま夏が終わればいいと思う。きょうは少し曇っている。雨が降るらしい。

カズオ・イシグロの"Pale View of the Hills"を半分くらい読んでしまった。すらすら読める。難しい単語や読み直す必要のある箇所がない。

8月が半分終わった。お盆の最終日は、親戚が集まって賑やかに過ごした。暑すぎなくて助かった。もうすぐ東京に戻る。やり残したことがないか、思い出したように考える。


Friday, 14 August 2026

"A Manual for Cleaning Women" Lucia Berlin と名前の区別

A Manual for Cleaning Womenを先日読み終えた。長くかかった。春からずっと読んでいたと思う。言い訳のようだが、平日の朝稽古に参加することが増えたので、朝読書する時間が減った。毎日読まないとなかなか定着しない。そして朝から暑い。さらに、短編なので次が特に気にならないので手が伸びない…と、そんなこんなで夏休みまでかかってしまった。図書館でペーパーバックを借りて読んでいたがいったん返却し、もともと買っていた電子書籍のほうで続きを読んだ。

自伝に近いのではないかと思う。いや、自伝か?舞台は米国で、馴染みのない環境なので想像しながら読んだ。岸本佐知子による翻訳もあったが原典のほうを読んだ。これは女にしか書けないし、翻訳したいと思う人も女だろうなと思った。女性の抱える痛みがありありと伝わってくる。川上未映子が絶賛するのもわかる。

ひとつひとつの文が短く、もはや詩に近いところがあった。会話もたくさん出てくる。英語は簡単なほうだと思う。文法を気にしていては読めないな、というくらい、文法のルールが当てはまらない箇所だらけだ。しかし感覚で読んでいても「あれ、今のなにが起きたの」というところもある。

そう思ってしまう原因のひとつに、人名で混乱させられる、ということが挙げられるかもしれない。よくありそうなアメリカ人の名前が3つも4つも出てくるともはや誰が誰だったかわからなくなる。洋画を見ている日本人が、登場人物の白人を区別できなくなるのと同じようなものです。「あれ、この人さっき死ななかったっけ?」とか「娘と思ったら奥さん?」とか。典型的だ。どうしようもないな、とほほと思う。メモでもとりながら読めば違うのかもしれないけど。

というわけで久しぶりに、きちっとした文章からなる、長編を読みたいと思ったので電子書籍でKazuo IshiguroのPale View of Hillsを買った。タイミングの良いことに、長崎の話なので、読むなら今だ!と思った。きょう1章読んだけど、日本人女性の名前が4つ出てきた。わたしはこれらの区別をつけながら読めるけど、慣れない読者は「日本人の名前区別つかない」と思っているのかもしれない。

こどもたちとプール

土曜だったけど出勤だった。朝はちょうど雨があがりかけたので合気道に行った。調子を取り戻すためにだんだんと再開させている。やっぱり気持ちがよかった。それから仕事に行って、夕方帰るとお隣さんが、うちの子といっしょに6時ごろからプールに行くことになっていると教えてくれた。どうやら日中に...