Tuesday, 19 September 2023

敬老の日に見たすごいスイマーの話

きのう、久しぶりにプールへ。といっても、この夏は子を連れて毎日のように行っていたが、自分ががっつり泳ぐことはほぼなかった。そういう意味での「久しぶり」である。

祝日なので9時に開く。開館を待ち構えていたように泳ぎ始めた。「ぜえぜえ」いうくらいに泳いで、時計を見ると、なんとまだ5分しか経っていないではないか。たったの5分。こんなにがんばって、たったの5分。体力と筋力が落ちているのがわかる。体力といっても、水泳の体力。久しぶりに泳ぐとこうなるのだ。

天気が良く、まだまだ暑く、祝日、というのもあり朝9時でも人は多かった。どんどん人が入って来る。

一方通行で25m泳ぎきる人たちのためのコースが2レーン設置されているのだが、そこで、すごい人を見た。いや、すごいといっても「泳ぎの上手な人」に過ぎない。女性だった。高校生か中学生だろうと思った。無駄のない泳ぎでスイスイと他を追い抜いていく。見ていて気持ちのいいくらいに早く、しかし邪魔にはならない泳ぎ方だった(時々、およぎは上手だけどすごく邪魔な泳ぎ方をする人がいる。いつぶつかってもおかしくないくらいに危なくもある)。水泳をやってる人だろうなと思った。水泳選手が、ウォームアップ時や練習時に身につけるような水着(脚の部分が覆われてないタイプ)を着ている。メーカーは、arenaのものだったと思う。とにかく見とれてしまうような泳ぎだった。

しばらくして、「水泳をやっている(た)人」らしく、ある程度泳いでから、ビート板を使って脚だけで進みはじめた。クールダウン中だろう。これがまた、いわゆるバタ足(それとも両足そろっていたかもしれない)なのだが、ものすごい勢いで進むのだ。キックだけなのに。うしろから見ていて爽快感がある。

その時だった。「あれ?」と思った。その女性は顔をあげて、ゴーグルをとった状態でダウンをしていた。すれ違うときにふと顔を見てみたら、あきらかに中学生ではない。高校生でもない。驚いた。大人だ。「何歳ぐらいだろう??」と、疑問がわいた。20代?30代?水上でも水中でも見る限り、贅肉というものはゼロ、しかもたるんだところも一つもない体型の持ち主だった。完全に10代だとばかり思い込んでいた。ある意味、裏切られたような衝撃をうけた。

そのあと、どうも気になるなあと思いながら更衣室にいると、その女性があとから入って来た。中学生くらいの女性と一緒にいる。この人もさっきプールにいた。「きょうどれくらい泳いだの」「えーっとね」とか、話をしながら着替えている。

なんと、これはもしかして母娘なのではないか。驚いた。もしかしたら姉妹だったのかもしれないがそれにしては歳が離れ過ぎている気がした。ちょっと尋ねてみようかとさえ思ったがやめておいた。

世の中にはいろんな人がいるなあと思った。常に身体を動かして筋力をつけておくと、ああいう年の取り方もできるんだなあと感心した。あの身体だったら、おそらく毎日を快適に過ごせるのではないだろうか。朝10時、いい刺激を受けて、プールをあとにした。

Sunday, 3 September 2023

『イルタ・スキャンダル』を見た

心にポッカリ穴が空いたようだ。毎回のことである。
気に入っていた韓国ドラマを見終わったらこうなるのである。

『イルタ・スキャンダル』というドラマを見終えた。全部で16話。春ごろに見始めて、その後、見終わっていなかった。忙しくてドラマをみる時間がなかった。長期休みに見初めて、その後、日々のなかで優先順位が下がっていく。(実際、毎回こうで、一つ見始めると継続してみることができない。「愛の不時着」も「梨泰院クラス」もそうだった。)

夏休み前半は実家にいて、そこでしか見られないアマゾンプライムにある「ブリティッシュ・ベイクオフ」を集中して見た。それから東京に戻ってきて、そこそこ時間に余裕があり、イルタ・スキャンダルの続きを見始めたわけだ。

ただのラブコメかと思っていたら、これが、とんでもない面白さだった。後半からたたみかけるように面白くなる。ネタバレはしません。本気でおすすめする。メッセージもかなり強く出ている。いろんな角度から、面白い。笑えるし泣けるし、「ウヨンウ弁護士」以来の大ヒット。というかウヨンウの次に見たのがイルタだけど。

さて、ここで大きなテーマがひとつ:

「韓国ドラマはなぜこんなにおもしろいのか?」

これを考えずにはいられない。私は日本のドラマを見ない。テレビがないのも理由の一つだが、それ以前にあまり興味が持てないというのもある。

なぜか?

それはたぶん私が日本人だからで、日本人の日常生活がだいたい想像できるから。つまり日本人がだいたいどんな感じが知っている上で演技をみるとやはり演技にしか見えない

…からかなあ?と思っている。

これが本当にそうなのかどうかは全然確証が持てません。日本のドラマ見てみたら面白いと思うのかもしれない。ただ、テレビもなく、見る機会がないのと、ドラマは相当ハマらないと自分のなかで優先順位が低いままだ。テレビドラマの製作をしている友人もいるのでせめてその作品は見たいと思いながらも結局見れず。申し訳なさもある。

韓国のドラマは、日常を知らないのもあって韓国がどんな感じなのか、興味がある。となりの国の、背格好の似た人々がどのようにして感情を表現し、物語を創作していくのか見てみたいと思う。何を問題とし、何に怒り、何に喜びを見出すのか、興味がある。

そしてなによりも、設定にしろ役者にしろ、放っている魅力が強烈なのである。強烈すぎて放っておけないのである。最終回が近づいてくると見るのが惜しくなってくる。「もうこの人たちに会えないのか…」と、出演者にお別れするのが悲しくなってくる。カラフルな出演者たち。もっと見たいのだ。実際、今回もぜんぶで16話中、15話までみてそのあとを見るのを躊躇った。(それでも当然見るわけだけど。)日本人の役者はかくも印象的だろうか。これまた日本のドラマを知らない私が語れないだろうけど。

というわけでさっき16話を見終えて、ぽっかり心に穴が空いたような、そんな気持ちです。はあー。続きの世界があったらみんな幸せに暮らしてほしいなと真に願う。見終わっちゃったよ〜。いかなることにも終わりは来るんですよねやっぱり。また何か夢中になれるドラマを見つけよう。

Sunday, 27 August 2023

始業式は金曜日

 昨夜。カレンダーを見ながら、我が家のイタリア人F:

F「学校の初日は金曜なの?」

私「そうだよ」

F「その次が土日で休みってこと?」

私「そう」

F「ハ!(笑いながら)月曜からにすればいいのに」

私「だって9月1日が始まりだから」

F「そうだろうけど」

私「じゃあイタリアは何日開始なの」

F「州によって違う」

私「どうやって知らされるの」

F「忘れたけど、決まってはいる」

私「たとえばラツィオ州は何日なの」

F「9月のはじめだけど何日なのかはいつも違う」

私「なんで」

F「その日が金曜にあたるんだったら、翌日が土日だからたいていの人はバカンスがまだ続いていて結局来ないから、金曜にしない。月曜だったら土日から続いて休むから、月曜でもない。」

私「じゃあ火、水、木のどれか、しかないじゃん」

F(肩をすくめて)「みんなが来ない日より来そうな日に設定したほうがいいじゃん」

ここまで黙って聞いていた息子が一言:

「ダメだねえ!イタリア人は!」

会話はこのように笑って終了する。こういった、唖然とするような異文化体験?が我が家では行われることがある。土日から連続しない、夏休み明けの初日。日本でこの柔軟さはあり得ない。想像もできない。根本的な「違い」を感じる。私は、「イタリア人はダメだ」とは思わない。日本もそれくらいやってみれば良いと思う、が、この9月1日という「節目」または「けじめ」が日本人の精神?にどれだけ大事な要素であるかを考えると、それはまたそれだよねと思う。違うのだ、単純に。この違いを面白いと思う。

ところでイタリアには始業式というものがない。夏休みは6月から8月までの3ヶ月間。そして日々の授業は午前中で終わる場合が多い。塾は一般的でない。あったとしても日本の塾を想像すると全然違う。学校の試験は筆記に加えて口頭試験。筆記:口頭が5:5で成績をつけ、あわせて6/10を下ると留年する。留年は珍しくない。

私の知る限りの知識で、こんなに違う。今はそうじゃないよ、というのもあるかもしれない。この違いは本当に興味深い。

Sunday, 20 August 2023

『ミッション:インポッシブル デッドレコニングPART ONE』みてきた

 久しぶりのブログ。これは書かないわけにはいかないので。最後の投稿からきょうまで、この間あったことすべてをすっ飛ばして書く。

ミッション・インポッシブルを観てきた。普段なかなか映画を見る時間もとれないし映画館に行く時間もないんだけど、これだけは映画館で見ることにしている。自分にとっての優先度がとても高い。

すごかったです!今回のも、期待を上回る完成度でした。映画すごいというかトムクルーズがすごい。この人じゃないとこの映画はできないわけです。最初に見たのが96年、ということは私は小学生だった。96年に見たときはVHSだったよ。巻き戻して「今のどういうこと?」と父になんども聞いたのを覚えている。

そこから30年ぐらいずっと同じ映画を撮り続けている。そして毎回、前回作を超えるおもしろさ。人生でそんなことってあるかな?ずっと見続けているわけだけど、そのうちに映画自体の面白さを超えて「トム・クルーズすげえ」が増す。トムに脱帽、感心、尊敬。ほか、言い尽くせませんがこの人ただもんではないということが、作品ごとに増していく。

今回みどころの一つとなっている、崖からバイクでジャンプするシーン、あれ本当にやってるらしい。と言っても、スタントじゃなくて本当にトムがやってるということはもはや疑わなくなってきたけど。

家に帰ってから、メイキング映像を見てみて唖然とした。これに至るまでの過程がすごい。500回のスカイダイビング、13000回のバイクジャンプ。何度も何度も練習を重ねる。そして飛び降りる角度、綿密に計算し尽くされている。風向き、天候にも影響をうける。いよいよ本番、飛んで大成功するのだがこのあとトムは「もう少しバイクをにぎってる時間を長くできると思う」と言ってさらに飛ぶのだ。信じられない。「きょうすでにトム6回飛んでます」というインストラクターのコメントが入る。完璧主義などという言葉では形容できない。

このバイク飛行?がすごすぎて、ほかのアクションが普通に見えてしまう…ということがミッションインポッシブルにおけるトムクルーズの場合は起きてしまう。たとえば最初の砂漠のシーン、馬で駆け抜けていくわけだがあれももちろんトムがこなしている。また、スピード・フライングも普通に見えてくる。一見、パラグライダーで降りているだけのように見えるが、これ実際はすごく危なくて技術が必要なことらしい。トムならやって当然だとこちらは思っているのでもはや当然のようにみてしまう。あとから訓練の様子をメイキングでみたら、大変な苦労がありました

オリエント急行のシーンも最高でした。あの角度、構成、考えた人、ほんとにすごいと思う。と言っても考えた人はきっとトムかな。ご存じだろうけどトム・クルーズは映画の製作自体に関わっている。そして極限まで、挑戦するのです。はあ、すごい…。

前半でローマが出てきたのは個人的にはとても嬉しかった。石畳とか、交通量の多さとか、unrulyさとか(一般的な)運転の荒さを思い出しながら見ていました。あの街で撮影ができたのか。

ローマで行われたプレミアの様子をYoutubeで見てみたら、トムのコメントが出てきてほとほと感心させられました。どこまでも謙虚で、観客を楽しませる映画づくりに情熱を注いでいる。

先日読んだニューヨーク・タイムズによると最近トムはあまりインタビューに答えていないらしい。そしてどこに住んでるかとか、謎がたくさんあるらしい。私生活が気になったり、たぶんまあいろいろあるんだろうけど、映画が人生であり、人生が映画なのだ。言葉より行動で示している、この姿がすべてなんだと思う。できあがった作品がすべてを語っている。

先日、弟と話していたら「見た人が言ってたけど、前回作までのあらすじをわかっていないと難しいって」と言っていた。確かにそうだろう。私はずっと見ているから特に困難を感じない。それでもわかっているのは「なんとなく」です。見ながら「なんでそうなるんだっけ」とか「何言ってるんだろう」ということは、ある。それでもあんまり考えないことにしている。これまでの作品を見たことがなくてこれからいきなりデッド・レコニングを見るという人は、「あまり深く考えない方がいい」ということだけアドバイスしたい。考えすぎると楽しめなくなるので。

ちなみに毎回テーマが時代に即していて、今回のもだいぶ良かった。なんてったってAIの脅威がテーマなので。監督が「映画を作っているあいだにリアルな問題になってきた」みたいなことを言っていて、ほんとだなあと感心した。見ると世界、またはものごとを大きな枠でとらえる練習になるんではないかなと思う。

Friday, 4 August 2023

体調を崩した

 風邪をひいた。いつもと同じパターンだ。つまり、学期末に体調を崩す。林間学校と保護者面談があったので、それまでは乗り切ろうと気を張っていたのだと思う。炎天下を自転車でよく行き来したと思う。保護者面談は5日間続いた。エアコンのきいた室内で長い時間、話し続けているうちに、鼻水が出てくるようになった。家ではなるべくよく寝るように心がけた。それでも、数日間、頭がふらふらする感覚があったので、これはいわゆる「じわじわ熱中症」だろうなと思っていた。疲れで身体が弱っていたところへの夏風邪である。きのう午後、最後の用件が一つあったのでそこまで力を振り絞って、家に帰ってからは横になった。鼻水がとまらない。夕飯にピッツァを作ってもらってだいぶ元気になった。通常はこどもに読み聞かせをするところだが、きのうはあきらめて寝た。

今朝はだいぶマシになっているようには思う。それにしても毎度みごとに同じパターンだなと思う。学期中に気を張っていて、実家に帰るときに体調が崩れる。そうなんです、今日から実家に帰るのです。飛行機にのる。コロナを経て、(なのか、年のせいなのか、いっしょにいる我が子が車酔いするせいなのか、)飛行機が苦手になってきた。前まで、あんなに大したことなかったのになあ。さて、ゴミを捨てに行って、着替えて、出かける準備をせねば。

Monday, 31 July 2023

もっと泳げるようになっている

 なんと、7月が終わるなんて。早い。

子の水泳について。

22~24日まで、私が引率で不在だったのだが、戻ってきたら子が発熱していた。なんてこったいと思いながら寝せる。そのあともなんだかまる1週間、不調の日が続いたのでプールには行かないでおいた。

それで、金曜には学校の水泳講習があり、体調はなんだか回復していたようだったので連れて行った。それから土曜、日曜と連続で区のプールへ行った。

水に入ると、足をバタバタさせながら、自由泳法ではあるが前に進んでいる。息継ぎはしていない。それでもだいぶ前に進んでいるのだ。驚いた。こんなに泳げるのか!私がたっていると、股の間をくぐっていった。こんなことができるということは誰かに習ったのか、と思ったがそうでもないらしい。

考えてみれば、1ヶ月前と全然違う。「顔をつけれるんだね」と喜んでいたのは、今年の夏の話なのだ。それが、こんなに進歩しているとは。

いろいろな指示はいらないなあと思った。水に慣れさせるのが大事。そして水につけてさえおけば、動き方もどんどん変わってくる。自然なことなのだろう。

プールが終わった後の、夕方の風がとにかく気持ちいい。こんなに暑い夏だけど、プール後の夕方だけは涼しくて快適。濡れた髪で、自転車にのる。

たまに、プールに行った日は夕飯をハンバーガーにしてしまう。なにも作らず、3人でフライドポテトとハンバーガーとナゲットを食べて終わる。こういう日もあっていいと思う。子は無我夢中でモスのテリヤキバーガーにかぶりついていた。

Thursday, 6 July 2023

習いごとについて思うこと

 先日、子の保育園時代の友達が公園に集まるという機会があった。保護者と話していたところ「スイミング行きたくないって言ってて…。」と、自分の子について言っている人がいた。その人は自分の子をかれこれ1年以上(だと思う)が、スイミングスクールに通わせている。毎週日曜、2時半ぐらいから。

ここまできくと、なんの変哲もない、普通の会話だ。どこにでもあることだと思う。習い事に行っている、子供は行きたがらない、という。いつものパターン。

それから少し私は考えていた。「行きたがらない」という事実を初めて知った、ということもある。喜んで行っているものだと思っていた。それが、行きたがらない、と…

おそらく通い初めとは違うのだろう。小1の今は保育園の時よりも意思がはっきりしている。ほかに興味のあることも出てくる。行きたくなくなるのは当然の流れかもしれない。

我が子はなにひとつ習い事をしていない。特に興味はないらしい。本人が言い出すまでは特に私からすすめることはしないでおこうと思っている。

最近、すごい頻度で区営プールに行きたがることについては以前も書いた。本人はお風呂がわりだと思っているところもあるが、しょっちゅう行っているおかげで潜っている時間が長くなり、少し前に進んだり足を動かしたりするようになった。

ふと、スイミングに通いたくないけど通っている子と、スイミングじゃないけど水に入りたくて毎日プールに行くうちの子を比べてみた。実際に泳げるようになる時期や程度はあまり変わりないのではないか。想像にすぎないがそんな気もする。

信頼できる同僚のうちの1人と話した。本人は60過ぎで、成人した娘が3人。「娘さんはなにか習い事していましたか」と聞くと、しばらく考えて「うーん、何もしてなかったね」と。近所のこどもたちとひたすらよく遊んでいた、と。そして中学高校になってから急にジャグリングに興味を持ったり、地域の劇団に入ったりしていた、と。やっぱり。

習い事について、させたほうがいいのだろうかと去年あたりから少し考えることがあったが最近は迷いが減った気がする。好きなようにすればいいと思う。私自身、嫌だったピアノに通わされてさらに嫌になった経験がある。ああいうおもいは、する必要がない。そもそも、嫌で何かやってもたいして伸びないし身につかない。家でレゴをしたり近所の子たちと仮面ライダーごっこをしているこの時間こそがかけがえのないものなのだと思う。

習い事、その人に合うならいいし楽しんでいるならそれでいい。我が子のように「いやだ」「別にいい」「うちにいたい」と言う子をむりやりひっぱりだすことはない。

それに、そもそもどこかに連れて行けるような、親の余裕がない。日曜の2時半?絶対的に家でごろごろタイムでしょう。

敬老の日に見たすごいスイマーの話

きのう、久しぶりにプールへ。といっても、この夏は子を連れて毎日のように行っていたが、自分ががっつり泳ぐことはほぼなかった。そういう意味での「久しぶり」である。 祝日なので9時に開く。開館を待ち構えていたように泳ぎ始めた。「ぜえぜえ」いうくらいに泳いで、時計を見ると、なんとまだ5分...