Sunday, 9 August 2026

海水浴を比べる

 きょうだい家族と両親で海に行った。1時間半、車を運転してこんな良いところに着くとは素晴らしい環境だと思う。「これが東京だったら」と思わずにはいられないのは、どこに行っても同じだ。それは東京がひどいとか恵まれていないとかそういうことではなくて、人はだいたい自分の知っている環境と比較をするものだから。それがイタリアだろうが広島だろうがふるさとだろうが、自分の日常と比べたがる。そして嘆き、羨ましがる。いつも「ここじゃないどこか」を求める。自然なことだと思う。大学のときに先輩が「比較によって成り立つことってあると思うんだよね」というようなことを言っていた。比較は悪ではなく、という文脈だったと思う。気がつくと旅に出ている、そういう人だった。

海はとても穏やかで、人が少なく、水が澄んでいた。入場にお金を払う必要もなかった。近年の、自分にとっての海水浴といえばイタリアだ。日本で海水浴に行った記憶ははるか遠い昔、小学生くらいだ。というわけでやはり、イタリアと比べずにはいられない。人が少ないので比べるほどでもないのかもしれない。

なによりも、肌を出している人がいない、という点がまず気づくところ。みんな、もちろん水着は着ているのだろうが、いわゆる「水着」の格好をしている人がいない。男女ともに上半身を覆っている。ラッシュガードや、Tシャツを着ている。それが理にかなっていると思うので、私も真似してみた。日焼けして痛い思いをするのは自分なのだ。

そして成人女性で泳いでいる人はほぼいない。水にはとうてい入りそうになく、砂浜で待っている人が多い。イタリアで海に行っていなかったら私もきっとそうだったかもしれない。水や砂が嫌だというよりは、日焼けと水着に抵抗があるのだと思う。気持ちはよくわかる。

ただ、いったん水のなかに入ると、日焼けはさほど気にならなくなるものだ。これは経験でわかる。日焼け止めもどうせ流れ落ちて海水の汚染につながる。

日焼け止めを塗って水の外で暑い思いをして待つよりは、いっそのこと水のなかで自分を自由にしてあげたほうが、自分にとっては良いし、楽になる。なによりも暑い夏につめたい海水は気持ちがいいものだ。

これが海のそばで育った人たちだとまたいろいろと事情が異なってくるのかもしれない。そして首都圏の人たちが行きそうな海でもまた違うだろう。文化の違いは面白い。

こんなにいい場所だが、宿泊先では海外からの観光客はほとんど見当たらなかった。海辺では誰もみなかった。海外からはまだ発掘されていないということだろう。

海のほうに歩きながら子と話した。

「イタリアがなつかしくなるね」

「そうね」

Friday, 7 August 2026

畳で昼寝、81年

 あっという間に8月も1週間過ぎた。2日に東京を出て、広島に行き、今は帰省している。姪たちとにぎやかで楽しい毎日を過ごす。2日と3日は凄まじい暑さで、40度を超えたそうだが、昨日あたりから涼しい。それでも37度らしいが、風があるのでだいぶ涼しく感じる。エアコンなしで過ごせる。台風の影響だろう。

『夏帆』を読みながら畳で昼寝してしまった。畳でごろごろするのは気持ちがいい。この本はすでに読んではいたが、本として出版されたものをあらためて読んでみたかった。するすると読みすすめる。話を知っているせいもあるだろうけど、ほかの作品と比べてとくに読みやすい気がする。

広島に行ったあとなので、きのうの平和記念式典は興味深く見ることができた。いつもはそれほど熱心に見ることはない。先日歩いたばかりの土地がテレビに映っているので、距離感や雰囲気がわかる。81年が経った。「50年も経ったんだよ」と言っていたのをよく覚えていて、当時小学生だったわけだが、「それはたいへんなことだ」と思った。当然ながら時は経つ。

Sunday, 2 August 2026

旅立つ前日

ブログというものは開かれた媒体なので誰が読んでいてもおかしくない。誰にも読まれたくないけど文章を書きたいのなら日記をかけば良い。しかしわたしの場合、それだと読み手が一体だれなのか、と思ってしまう。自分も読み返さないのであれば書かなくても良い。SNSだと誰が読むかがはっきりわかる上、反応を期待してしまうため、書く内容が限られる。ある程度の緊張感を持っていたいのでブログは良い。それでも大勢に読まれるとちょっと戸惑う。いっそ何も書かなければ良いのだがそれも困る。書く場、アウトプットの場は持っていたいのである。

子の友人たちがきのううちにきた。3人来て、部屋がいっぱいになった。いっしょにゲームをやっている。タイマーをかけて、休憩を入れながら、夢中になってゲームをしている。見ているのはお互いの顔よりも画面だが、まあ、これはこれでいいのだ。昔と遊び方が違う、と思うのは事実だが、昔と今は違うので昔の遊び方をここで強制しようとは思わない。この暑いのに外に出すわけにもいかないし。休憩になるとみんなでレゴをはじめる。ごっこ遊びは永遠だなと思う。

別れ際、ずっとバイバーイと言い続けていた。たいそう満足をしているようだった。大事なのは友達なのだ。ゲーム自体でもあるが、友達。夏休みが始まって、友達に飢えている。夏休みでも会えることは会えるけど、学校の、いつもの友達にいつもの教室で会いたいのだと思う。学校の勉強は好きじゃなくても学校という環境が好きなのだ、と、この子を見ている限りでわたしが思うこと。

きょうから東京を離れる。満足できる前日でよかった。

Friday, 31 July 2026

7月さいごの日

いつの間にか7月さいごの日になってしまった。全然ブログを書かないままでした。書くことがなかったわけでもないのだが。

夏休み前の仕事がおわって、本当に夏休みになった。長い夏休みなのにイタリアに行かない。2年連続で行ったが、今年は断念した。円安だしまあそんなもんかなと思っていたけどやっぱり行きたい。何をしたいわけでもないけど行きたいなあ。7月末が近づくとどうも切なくなってきた。ほかにも夏休みらしい計画はいくつもある。旅もする。海外にも行く。

それでもやっぱりイタリアには行きたかった。羽田に向かって、国際線ターミナルに行って、飛行機で飛び立ちたかった。機内でいくつも映画を見たかった。けだるいローマの空気を吸いたかった。夏のローマ。家にいるあいだもずっと「ああ、イタリア行きたい」と言っている。来年こそはきっと。絶対。

イタリア好きの若い同僚がいる。今年もイタリアに行くと言っていた。たった1週間だし、ピーク時だけど、ボーナスはぜんぶそれに使う、と。こういう人が少ないと思う。もっといていいのだけどあまり出会わない。ボーナスを貯めておくうちに年をとる。いつか行きたいと思っていた場所にはいけなくなる。海外に行くと聞くたびに「いいなあ」と、まるで自分はやりたくてもできないことのように言う人がいる。「英語がしゃべれなくて」とか「お金がなくて」とか「時間がなくて」と言う。本当にお金がない場合は無理だろうけど。たいていは行かない自分への言い訳にすぎないので、こういう人たちにかける言葉がない。ましてや時間なんて皆平等にあるのだ。人類皆に、平等にある。たいていがなんとなく職場に行って効率の悪い働き方をしている。そして断る勇気がない。私は働きはじめてからずっと3週間、あるいは1ヶ月休む。誰かに迷惑をかけているのか、というと、そういうのは気にしない。さらに言うとわたしがいるかいないかなんて気にしている人が一体何人いるだろう?

Sunday, 5 July 2026

これはもしかして跳び受け身、と夏帆

先週6月最後の合気道にて。小手返しの受けをとっていたら先生がきて「とべそうですね」と言う。跳び受け身ができるんじゃないか、ということ。跳び受け身の練習となると、怖くてできない。どうやったらそんなことができるのか、もはや謎だった。2年前には首をひねってたいへんだった。それからもっと怖くなった。それでもいつかきっとできるだろう、と思いながらここまでの時間が経っている。

ここで、跳び受け身単独の稽古をとばして、実際に技の稽古のときにやってみたらできるんじゃないの、と言われたわけだ。正直なところ、一体どこでどうやって跳んだらああいうふうになるのか見当もつかなかったのだが、言われてみるとちょっとやってみるかという感じになった。それでもう一回お願いしたら、「あ、たぶんこれ?」という感覚がわかった。まだまだ形になっていないけど、回れた。ほかの人にとっては大したことないはずだけど、これは私にとってものすごく大きなことだった。記念日にすべきかな、とさえ思った。続けて10年以上たって、はじめて、あ、ここでこうやるのか、というのを体感した。もちろん相手による。背の高さや柔らかさによって受け身の取りやすさも変わる。

焦らなくても、だんだんできるようになることがあるのだ。一生無理かと思っていたことが、できるようになった。いや、まだ「できる」とはいかないが、ひとつ大きな関門を突破したと思っている。ここからまだまだ伸びそうな気がする。

小さい頃できなかったらそれで終わり、ではない。この年になったからこそ、ここまで生きてきたからこそできるようになったことがある。年をとるということはいいことなのだ。できなかったことが、できるようになる。こんなに単純で喜ばしいことはない。

きのうの稽古では、跳び受け身単独の稽古があった。以前だったら「できないんです」と言って逃げ腰になっていたところだが、今回は「よし」と思えた。以前のような恐怖心はなくなってきた。焦らずに頑張ろうと思う。
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仕事もだんだんと休み前の片付け期間に入ってきていた。先日は、新幹線の切符を買いに行った。インターネットで予約するのがたいへん煩わしく、ええいいっそのこと行ってしまえと思った。周りは年配の方だらけだったが…。窓口はすばらしい。てきぱきとこなしてくれるし相談にも乗ってくれる。やっぱりコミュニケーションが大事だと思う。

だんだんと夏休みの予定もかたまってきた。すいすい動けるように、身の回りの片付けとメンテナンスをしたい。
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村上春樹の『夏帆』が発売になった。と言っても雑誌でこの3年?2年?にわたって公開されていたのでわたしはすでに全部読んでいる。別に買う必要ないし…と思ってはいるのだが、うーん、やっぱり本になったものを手に取りたい気もする。本棚にスペースはない。それでも村上さんのためなら、あるのだ。スペースは作れる。

Saturday, 27 June 2026

雨、これは、同窓会ではなく

金曜の夜は友達に会うことになっていた。今週の優先順位一位はそれだった。金曜の夜を欠かすことがないように、あらゆることを整えておいた。

雨が降っていたけど遠くもないので大して困りもせず、財布と鍵と傘を持って出かけた。化粧もしない。帰ったらすぐ寝るから、というのもある。が、そもそも化粧して会いたい友達ではないのだ。18歳で知り合ったこの人たちに、もはや自分を飾ったり大きく見せたりする必要がまったくない。探り合う必要もない。見栄を張る必要もない。

久しぶりに会うはずなのに久しぶりな感じがしない。7人あつまった。「何年ぶりだっけね」と言いながらも、「この前」の延長のように会話をする。近況もだいぶ変わっていたり、変わっていなかったり。健康と子育てが話題にあがるようになったあたりが、昔と違うところだろうか。この年になると、それはもう、「人生いろいろ」である。あっという間に時間が過ぎて、別れた。

夢のように楽しかった。帰り際、こんなに楽しいのはなんでだろうかと考えた。性格のよさ、賢さ、遠慮のなさ…

ふと、過去より「いま」についての話が多いことに気づいた。一緒に過ごした時間は、それはもう濃密な数年間で、過去のことを話そうと思えばいくらでも出てくる。それでも話題の中心は「いま」で、さらにこれから「〜しよう」とつながっていく。「あのころはよかった」と寂しくなることはない。その点で決して「同窓会」ではなく、未来が楽しみになる集まりなのだ。そして、日々に勢いがつき、ポジティブになれる。別れたあとも「たとえば彼らだったらこの場できっとこうやるだろう」と想像をする。

かけがえのない仲間を得たものである。

帰りの電車に乗ろうとしたら地震の、あの音がした。地震です、地震です、と誰かのスマホから響く。プラットフォームのスピーカーなど、上から吊り下がっているものが揺れている。電車が止まってしまった。歩こうかと思ったけど、待った。しばらくして動いた。遠くじゃなくてよかったと思った。

Thursday, 25 June 2026

健康診断後

 きのうは水曜日。仕事を休もうと思えば休める日だったけど結局行った。やることはある、一応。結局、行ってよかったと思う。それでも、週1日くらいは図書館に行ったりお菓子を焼いたりする時間があるといいなと思う。ゆで卵のストックがなくなったり、冷凍の玄米がなくなったりするのを、1日の休みで解消できるので。今週はそれでも、土曜日に仕事がないし、明日は友人に会うことになっているので持っているエネルギーはそちらへ向ける。

きょうは合気道にいかない。雨が降っているし、火曜にがんばったし、土曜も行くつもりだから。週2くらいで落ち着いている。

今週月曜にあった健康診断のときに、お腹周りを計測する人が「ん??」と言いながら「ちょっといいですか」と2回目を測った。去年より8cmも数字が少ないらしい。測る位置が違うのかもしれないけど、実際に細くなっている可能性はある。腹に手を当てると筋肉があるのがわかる。そしてここ最近はミレーナの影響で急に太る(そしてスーッと戻る)あのサイクルがほとんどない。去年測った時はそうだったのかもしれない。

合気道のおかげで体の芯のほうに筋肉ができている。こうなるまでにだいぶ時間がかかっている。10年以上。腰や背中にあざができなくなるまでに、10年。続けるとぜったいにいいことがある。

健康診断で昨年、肝臓の数字がよくなかったということがあるので今年はちょっと気にしながら過ごした。といってもサプリメントを飲まない、というだけ。去年はサプリメントをやめたら数値は回復したから。ほかはあまり変わっていない。

月曜の健康診断が終わったらなんだか気持ちがゆるんだ気がする。健康診断なんて全然気にしていなかったのに。

海水浴を比べる

 きょうだい家族と両親で海に行った。1時間半、車を運転してこんな良いところに着くとは素晴らしい環境だと思う。「これが東京だったら」と思わずにはいられないのは、どこに行っても同じだ。それは東京がひどいとか恵まれていないとかそういうことではなくて、人はだいたい自分の知っている環境と比...