sozoro uta
そぞろうた since 2008
Sunday, 16 August 2026
涼しいままで終わると良い
Friday, 14 August 2026
"A Manual for Cleaning Women" Lucia Berlin と名前の区別
A Manual for Cleaning Womenを先日読み終えた。長くかかった。春からずっと読んでいたと思う。言い訳のようだが、平日の朝稽古に参加することが増えたので、朝読書する時間が減った。毎日読まないとなかなか定着しない。そして朝から暑い。さらに、短編なので次が特に気にならないので手が伸びない…と、そんなこんなで夏休みまでかかってしまった。図書館でペーパーバックを借りて読んでいたがいったん返却し、もともと買っていた電子書籍のほうで続きを読んだ。
自伝に近いのではないかと思う。いや、自伝か?舞台は米国で、馴染みのない環境なので想像しながら読んだ。岸本佐知子による翻訳もあったが原典のほうを読んだ。これは女にしか書けないし、翻訳したいと思う人も女だろうなと思った。女性の抱える痛みがありありと伝わってくる。川上未映子が絶賛するのもわかる。
ひとつひとつの文が短く、もはや詩に近いところがあった。会話もたくさん出てくる。英語は簡単なほうだと思う。文法を気にしていては読めないな、というくらい、文法のルールが当てはまらない箇所だらけだ。しかし感覚で読んでいても「あれ、今のなにが起きたの」というところもある。
そう思ってしまう原因のひとつに、人名で混乱させられる、ということが挙げられるかもしれない。よくありそうなアメリカ人の名前が3つも4つも出てくるともはや誰が誰だったかわからなくなる。洋画を見ている日本人が、登場人物の白人を区別できなくなるのと同じようなものです。「あれ、この人さっき死ななかったっけ?」とか「娘と思ったら奥さん?」とか。典型的だ。どうしようもないな、とほほと思う。メモでもとりながら読めば違うのかもしれないけど。
というわけで久しぶりに、きちっとした文章からなる、長編を読みたいと思ったので電子書籍でKazuo IshiguroのPale View of Hillsを買った。タイミングの良いことに、長崎の話なので、読むなら今だ!と思った。きょう1章読んだけど、日本人女性の名前が4つ出てきた。わたしはこれらの区別をつけながら読めるけど、慣れない読者は「日本人の名前区別つかない」と思っているのかもしれない。
Thursday, 13 August 2026
日帰りで長崎
長崎に行った。行ってみた。今まで行こうとさえしていなかったのだ。今年はイタリアに行ってないというのもあり、夏休みにお金を使うのが惜しくない。イタリアに行く一人分の航空券を考えると、日帰り旅行の経験をこの値段で買うのは惜しむに値しない。そして、今月は広島にも行ったので、その勢いで長崎にも行こうというわけだ。せっかく8月に日本にいるんだったら、これは貴重な時間なのではないかと思った。
最後に行ったのはいつだっただろう、と考えたが、おそらく小学生の頃。となると30年は経過している。もはや街の様子も覚えていないし、色々なものが変わっているだろう。連れて行ってもらうのではなく自分の足で巡ってみたい。
10時ごろ駅に着いた。新しくてきれいで大きい。こんな駅になっていたとは。昔を知らないけど。観光案内所で地図をもらった。今回訪ねるべき場所は優先順位をつけて決めていた。暑い中で無駄に歩きたくもないから。
駅前から路面電車に乗って、原爆資料館へ。路面電車は広島同様、小さい。そしてわかりやすい。あっちに行くか、こっちに行くか、の二択。ここでもパスモが使えた。よかった。特に指示はなかったけど入る時と降りる時、どちらもタッチをした。広島より接触が良い。
| 駅前。路面電車に乗るには駅を出てちょっと歩いて歩道橋みたいなのを上って降りる必要がある。駅に乗り入れている広島はやっぱり便利だと思う。 |
すぐに資料館へ着いた。いきなり坂が現れて、ああそうか、そういう街なんだよなと思った。がんばっての上る。
広島と同じく200円の入館料。以前を覚えていないけど、資料館は新しくなったらしい。入り口からは螺旋状に降りていく。NYのグッゲンハイム美術館のよう。どうせ広島ほどの規模はないだろうと思っていたけど、展示はとてもわかりやすかった。広島ほど混んでいない。原爆の影響を、熱線、爆風、放射線の3種類にわけて展示してあったのが、頭に入ってきやすかった。
特に、今まで、爆風についてはあまり考えていなかったことに気づいた。これは爆風で変形した仏鐘。ほかに、同じ方向に薙ぎ倒された木々や、吹っ飛ばされた壁の写真を見て、どれだけ強い風だったんだろうと想像した。犠牲者の写真は広島よりも生々しい。これは以前にもそう記憶していた。
展示後半では日本が戦争に向かうまでがよくわかるようになっていて、これは広島と違うと思った。2分くらいのビデオを選んで見られるようになっていた。できることなら全部見たかった。
いかに日本が愚かなことをしたかがよくわかる。だからと言って原爆を正当化はできない。見ながら「う〜ん」と、うなってしまう。記憶が薄れていくのは仕方ないことかもしれないけど起きたことから目を背けてはいけない。
世間の悲惨なニュースについて、知らない方が良い、または考えないほうが良いものもある。こどもが犠牲になる事件などはそう。気持ちがふさぐ。しかし原爆の事実は、向き合っておくべきだと思う。わたしが生まれた時代は偶然の、原爆のあとの時間。長い歴史の、おおきな流れのなかの、この時間に生まれ落ちている。その「おおきな流れ」を汲んで生きるべき。
なんだかんだで1時間半くらい展示を見て、外に出た。平和公園までどう歩けばいいかなと思って受付の人に聞いたら地図をくれた。
とりあえずお昼を食べることにした。ちゃんぽんが名物だけど、担々麺を食べた。有名なお店らしく、かなりの人が待っていたが、それほどの待ち時間はなく入れた。子は皿うどんを食べた。うどんではなくてパリパリ焼きそばだが、正式名称は皿うどん。
朝が25度くらいの涼しさだったが、昼間は気温が上がった。これは参った。公園まで歩いた。平和祈念像のところは式典の片付けがまだ終わっていなかったようだった。暑すぎるせいか人が全然いない。一応観光地だろうけど平日だしこんなもんかなと思った。
それから表示に従って歩いてみたら浦上天主堂が丘から見えたので思い切って歩くことにした。
教会、キリスト教と原爆が結びつくというのは、長崎ならでは、である。信仰っていうのは強いもんだよなと思う。ものが壊れても人の心は壊れない。中のステンドグラスが綺麗だった。
そこからさらにどうしようかと思ったけど、山王神社まで歩いた。これが医学部通りを歩いたのだが、普通の道な上に日陰がなかった。暑い。表示によれば1.1km。小さな日傘の下に身を寄せ合って、がんばって歩いた。
大学病院付近で道がわからなくなった。花屋さんに聞いたら親切に教えてくれた。あとから父にそのことを話したら「修学旅行の生徒たちに慣れているから優しい」そうだ。なるほど。
有名な一本足の鳥居とクスノキは、住宅のなかにあって、道も細いし、わかりにくい。それでも表示があるので歩ける。りっぱなクスノキだった。
この時、暑さと疲れはピークに達していて、子はもはや、視界に入るものが頭に入っていたのか怪しい。顔が真っ赤になっていた。
途中、セブンイレブンというオアシスに立ち寄り、アイスクリームを買って食べた。浦上駅前から路面電車に乗り、長崎駅へ。シンプルなルートだ。
駅でおみやげを買って帰った。福砂屋に行ったら、カステラではなくオランダケーキというものがあったので、これは食べてみたいと思った。
今回歩いたエリアは、地図では北のほう。南はまったく行っていない。眼鏡橋も中華街も出島も南にある。長崎が外国とやりとりをしていた歴史に興味があるため、今度はもう少し勉強をして、そちらのエリアに行ってみたいと思う。
Sunday, 9 August 2026
海水浴を比べる
きょうだい家族と両親で海に行った。1時間半、車を運転してこんな良いところに着くとは素晴らしい環境だと思う。「これが東京だったら」と思わずにはいられないのは、どこに行っても同じだ。それは東京がひどいとか恵まれていないとかそういうことではなくて、人はだいたい自分の知っている環境と比較をするものだから。それがイタリアだろうが広島だろうがふるさとだろうが、自分の日常と比べたがる。そして嘆き、羨ましがる。いつも「ここじゃないどこか」を求める。自然なことだと思う。大学のときに先輩が「比較によって成り立つことってあると思うんだよね」というようなことを言っていた。比較は悪ではなく、という文脈だったと思う。気がつくと旅に出ている、そういう人だった。
海はとても穏やかで、人が少なく、水が澄んでいた。入場にお金を払う必要もなかった。近年の、自分にとっての海水浴といえばイタリアだ。日本で海水浴に行った記憶ははるか遠い昔、小学生くらいだ。というわけでやはり、イタリアと比べずにはいられない。人が少ないので比べるほどでもないのかもしれない。
なによりも、肌を出している人がいない、という点がまず気づくところ。みんな、もちろん水着は着ているのだろうが、いわゆる「水着」の格好をしている人がいない。男女ともに上半身を覆っている。ラッシュガードや、Tシャツを着ている。それが理にかなっていると思うので、私も真似してみた。日焼けして痛い思いをするのは自分なのだ。
そして成人女性で泳いでいる人はほぼいない。水にはとうてい入りそうになく、砂浜で待っている人が多い。イタリアで海に行っていなかったら私もきっとそうだったかもしれない。水や砂が嫌だというよりは、日焼けと水着に抵抗があるのだと思う。気持ちはよくわかる。
ただ、いったん水のなかに入ると、日焼けはさほど気にならなくなるものだ。これは経験でわかる。日焼け止めもどうせ流れ落ちて海水の汚染につながる。
日焼け止めを塗って水の外で暑い思いをして待つよりは、いっそのこと水のなかで自分を自由にしてあげたほうが、自分にとっては良いし、楽になる。なによりも暑い夏につめたい海水は気持ちがいいものだ。
これが海のそばで育った人たちだとまたいろいろと事情が異なってくるのかもしれない。そして首都圏の人たちが行きそうな海でもまた違うだろう。文化の違いは面白い。
こんなにいい場所だが、宿泊先では海外からの観光客はほとんど見当たらなかった。海辺では誰もみなかった。海外からはまだ発掘されていないということだろう。
海のほうに歩きながら子と話した。
「イタリアがなつかしくなるね」
「そうね」
Friday, 7 August 2026
畳で昼寝、81年
あっという間に8月も1週間過ぎた。2日に東京を出て、広島に行き、今は帰省している。姪たちとにぎやかで楽しい毎日を過ごす。2日と3日は凄まじい暑さで、40度を超えたそうだが、昨日あたりから涼しい。それでも37度らしいが、風があるのでだいぶ涼しく感じる。エアコンなしで過ごせる。台風の影響だろう。
『夏帆』を読みながら畳で昼寝してしまった。畳でごろごろするのは気持ちがいい。この本はすでに読んではいたが、本として出版されたものをあらためて読んでみたかった。するすると読みすすめる。話を知っているせいもあるだろうけど、ほかの作品と比べてとくに読みやすい気がする。
広島に行ったあとなので、きのうの平和記念式典は興味深く見ることができた。いつもはそれほど熱心に見ることはない。先日歩いたばかりの土地がテレビに映っているので、距離感や雰囲気がわかる。81年が経った。「50年も経ったんだよ」と言っていたのをよく覚えていて、当時小学生だったわけだが、「それはたいへんなことだ」と思った。当然ながら時は経つ。
Sunday, 2 August 2026
旅立つ前日
ブログというものは開かれた媒体なので誰が読んでいてもおかしくない。誰にも読まれたくないけど文章を書きたいのなら日記をかけば良い。しかしわたしの場合、それだと読み手が一体だれなのか、と思ってしまう。自分も読み返さないのであれば書かなくても良い。SNSだと誰が読むかがはっきりわかる上、反応を期待してしまうため、書く内容が限られる。ある程度の緊張感を持っていたいのでブログは良い。それでも大勢に読まれるとちょっと戸惑う。いっそ何も書かなければ良いのだがそれも困る。書く場、アウトプットの場は持っていたいのである。
子の友人たちがきのううちにきた。3人来て、部屋がいっぱいになった。いっしょにゲームをやっている。タイマーをかけて、休憩を入れながら、夢中になってゲームをしている。見ているのはお互いの顔よりも画面だが、まあ、これはこれでいいのだ。昔と遊び方が違う、と思うのは事実だが、昔と今は違うので昔の遊び方をここで強制しようとは思わない。この暑いのに外に出すわけにもいかないし。休憩になるとみんなでレゴをはじめる。ごっこ遊びは永遠だなと思う。
別れ際、ずっとバイバーイと言い続けていた。たいそう満足をしているようだった。大事なのは友達なのだ。ゲーム自体でもあるが、友達。夏休みが始まって、友達に飢えている。夏休みでも会えることは会えるけど、学校の、いつもの友達にいつもの教室で会いたいのだと思う。学校の勉強は好きじゃなくても学校という環境が好きなのだ、と、この子を見ている限りでわたしが思うこと。
きょうから東京を離れる。満足できる前日でよかった。
Friday, 31 July 2026
7月さいごの日
いつの間にか7月さいごの日になってしまった。全然ブログを書かないままでした。書くことがなかったわけでもないのだが。
夏休み前の仕事がおわって、本当に夏休みになった。長い夏休みなのにイタリアに行かない。2年連続で行ったが、今年は断念した。円安だしまあそんなもんかなと思っていたけどやっぱり行きたい。何をしたいわけでもないけど行きたいなあ。7月末が近づくとどうも切なくなってきた。ほかにも夏休みらしい計画はいくつもある。旅もする。海外にも行く。
それでもやっぱりイタリアには行きたかった。羽田に向かって、国際線ターミナルに行って、飛行機で飛び立ちたかった。機内でいくつも映画を見たかった。けだるいローマの空気を吸いたかった。夏のローマ。家にいるあいだもずっと「ああ、イタリア行きたい」と言っている。来年こそはきっと。絶対。
イタリア好きの若い同僚がいる。今年もイタリアに行くと言っていた。たった1週間だし、ピーク時だけど、ボーナスはぜんぶそれに使う、と。こういう人が少ないと思う。もっといていいのだけどあまり出会わない。ボーナスを貯めておくうちに年をとる。いつか行きたいと思っていた場所にはいけなくなる。海外に行くと聞くたびに「いいなあ」と、まるで自分はやりたくてもできないことのように言う人がいる。「英語がしゃべれなくて」とか「お金がなくて」とか「時間がなくて」と言う。本当にお金がない場合は無理だろうけど。たいていは行かない自分への言い訳にすぎないので、こういう人たちにかける言葉がない。ましてや時間なんて皆平等にあるのだ。人類皆に、平等にある。たいていがなんとなく職場に行って効率の悪い働き方をしている。そして断る勇気がない。私は働きはじめてからずっと3週間、あるいは1ヶ月休む。誰かに迷惑をかけているのか、というと、そういうのは気にしない。さらに言うとわたしがいるかいないかなんて気にしている人が一体何人いるだろう?
涼しいままで終わると良い
快適な涼しさが続いている。日中には気温が上がるが、それでも、逃げなければいけないほどの暑さではない。8月のはじめに40度くらいあったが、あれがピークで、そのあとは夜もエアコンなしで寝られる。このまま夏が終わればいいと思う。きょうは少し曇っている。雨が降るらしい。 カズオ・イシグロ...
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きょうは代休。お昼を食べにでかけたら記録に値する興味深い出来事があった。赤ちゃん連れの多いオーガニックカフェ。昼はビュッフェ形式。私が案内されたのは一番奥の席。両隣にはすでに客がいて食事をしていた。二組とも、女の赤ちゃんを連れた母娘ペア。つまり、女3世代ということ。平日の客のな...
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みてきました。雨だし、平日休みだし、いましかない!と思った。やっと行けた。子の友達がこのまえ見に行ってて、遊びにきたときに感想をどんどんしゃべろうとするので、それを聞くより先に見に行ったほうがいいなと思った。 正直なところ前作のほうが「すげー」だった。が、今回の目標は今までの話...
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肌の話の次は、海です。 月曜に行くはずが、前日の夜が遅かったせいで起きたのが遅く、では明日こそ、という話だったはずが、案の定この日(13日火曜)も男たちは10時ごろ起きてきた。(ちなみに私は毎日6時〜7時には起きています。)諦めそうになっていたので、遅くても行こうと私は言った。と...