Thursday 30 April 2020

バイリンガル日記

こどもメモ。

とにかく英語に興味があるらしい。最近「マンマ、英語しゃべって」と言われることがあまりにも多く、当然ながら何をしゃべれば良いかわからない状況でそれを言われるのでとりあえず
"What do you want me to say?"  (なんて言ってほしいの?)
と答えている。

我が家はイタリア語と日本語のバイリンガル環境なので、この2つに関して我が子はとにかく上手に使い分ける。住んでいるのが日本なので日本語のほうが強い。保育園で過ごす時間が長く、友達や先生とは当然日本語で意思疎通している。

が、保育園休園以来、イタリア語の流暢さが増してきたことに気づいた。それはそうだろう、日中の日本語インプット量がだいぶ減ったのだから。

これは細かい話だが、「ジェルンディオ」と言う動詞の形がある。「〜しながら」とか「〜しつつ」とか言いたいときに使える動詞の形。(英語にもある。分詞構文と呼ばれる。)ふと気づくとこどもがこの形を使うようになっていた。"Mangiando, vediamo il video." (食べながらビデオ観よう)とか。私のイタリア語学習歴を考えてみると、この形を使えるようになったのはだいぶ後だったのではないかと思う。

*******************

で、英語に興味がある。上に書いたとおりイタリア語と日本語の環境なので特に英語を使う機会はないのだが、聞いている音楽やYoutubeの動画に使われている言葉には英語がたくさんある。意識的に聞かせているわけではなくてももはや避けられないのだなと思う。

「〜〜て、なんて言うの」と聞かれることも多く、簡単なフレーズなら英訳できるがこれが結構長かったりするので「えーと、ちょっとまって」と戸惑うこともしばしば。適当にごまかしてはいけないと思いながらも勝手に短縮して訳することもある。

そうやって、ほぼ放っておいた状態だったが、これが結構できるようになってきた、というか文法が組み立てられはじめたので驚きだ。"Mom, bus is coming!"と言う。語彙も結構増えてきた。きのう二人で散歩していると、"Look, mommy, bicycle!"と言う。「おお、すげーな」と思いながら"Yes, it's a bicycle."と答えると次はTruck, motoecycleも出てきた。モーターサイクル言えるのか…。

*******************

"No"の言い方、発音の仕方については本人のなかできちんと区別ができているらしい。イタリア語だと「ノ」だが英語だと「ノゥ」だ、と。確かにその通りだがそこまで意識しているとは、こどもの耳はなんと素直に聞き取れるのだろうと関心した。

*******************

きのう、遠山顕の英会話楽習を聞いていたときのこと:
こども「このひと、日本語もしゃべるの?」
私「そうなんだよね、どっちも同じくらい上手にしゃべるんだよ。」
こども「なんでイタリア語はしゃべらないの?」
私「うーん、ふたつ言葉をしゃべる人がみんなイタリア語をしゃべるとは限らないんだよねえ。●●はしゃべれるけどね」

こう答えながら、あらためて、この子はバイリンガルなんだよなと実感した。

*******************

今のところ、他の子に比べると確かにこの点は劣っているとか優れているとか、思うことはある。保育園に行ってそういう様子を見ると比べざるをえない。「え、この子はこんなことができるのにうちの子はまだなのか」と。でもその点についてはとりあえず放っておくことにして、我が子のもつ特別なところを大事にしてあげようと思う。これまた強制するわけではなく。本人の興味関心はもはや親がどうにかできる部分ではない。個人として、その個性はとっくの昔にスタートを切っている。その関心の進む方向へ、見守りながらもいいタイミングで関わっていけると良い。

そういえばきょうで3歳8ヶ月。この、可愛くて仕方ない3歳もだんだん終わろうとしている。

Saturday 25 April 2020

コロナ後、本当に変われるのか

「これはいつの時代の話だっけ」

と、時々ふと、我に返ったように思うことがある。そして「何月何日、何曜日で、何をしているはずの時間なんだっけ」と。「あれ。」と。平日なのに仕事に行ってない。学校もやってない。保育園もやってない。そして天気は最高にいい。公園で空を見上げて「そろそろお昼だな」なんて思う。紛れもなくそれは2020年の4月24日、金曜日の午前11時40分ごろなのだが。非現実的なこの状態にだんだんと慣れ始めた気がする。学校が閉まるときいた最初、今度子どもたちがくるのはいつだろうなと思ってその2秒後に何も検討がつかないことにやはり日現実感を覚えた。あれからもう2ヶ月近くが経とうとしている。

2ヶ月。

いつもだったら、何をしていただろう。2ヶ月あればたくさんの、色々なことが進行する。しかもこの新緑の輝く、いい季節。やる気に満ち溢れた季節。それらを一切やらない状態でこうやって時間だけが過ぎていく。時間だけが過ぎていくんだけど、一応のところ生活が回っている。いつもやっていたあれやこれやの事柄はもともとやらなくてもよかったことなのか?人々に「忙しい」と言わせている多くのことは、もともとやらなくても良いことがほとんどなのかもしれない。

たとえば全員集まっての2時間以上にわたる会議。これがまったくなくなった。みんな日々「必要ない」と言いながらもこれを行わない勇気は誰にもなかった。今回コロナによってむりやり、会議の形式は変わることを余儀なくされた。これで問題ない。

コロナ後について誰もが語り出す最近。今までと同じ世界を取り戻したいとは思わない。誰だってそうなのではないか。価値観はこの数ヶ月で大きく変わった。しかし本当にコロナ後私たちは変わっていけるのだろうか。私は思う。終わったら終わったで、このことを忘れてしまいそうな気がする、と。もちろん小さな変化はあるだろう。仕事や教育でよりオンライン化が進む、とか。ただ、今抱えているこの、日々のモヤモヤした気持ちや「社会は今後こうあるべき」という考えや、「何をやってるんだあいつらは」という政治家に対する怒りは収束したら「あの時は大変だったね」の一言でまとめられてしまいそうな気がする。

それも仕方ないことなのかもしれない。コロナ後、2時間超の会議をダラダラと続けている職場の様子はやはり簡単に想像できてしまう。私たちは何を目指していくべきなのだろう。

Thursday 23 April 2020

おおかみは犬からきた

天気が良いかと思うと小雨が降ったり寒かったり、という日々が続いている。午前中は公園のベンチで本を読んだ。だいぶたくさん読んだ。

午後、子どもと一緒にまたクッキーを作ることにした。この前思うようにやらせてあげられなかったのもあるしそもそもとても美味しかったので。小麦粉をふって、生地を広げているとき、急にこどもが「おおかみは、犬からきてるんだよ」と言った。びっくりして、「え?誰から教えてもらったの?なんで知ってるの?」と言いながら、そういえばだいぶ前にそういう会話を大人同士でしていたかもしれない、と思い出した。「もしかしてあれ覚えてたの?すごいなあ〜」と頭をなでるとニヤ〜っと得意そうに、かつ照れながらうなずいた。

こういうことがよくある。タイミングを狙ったかのように、びっくりするようなことを言う。「え、そんな言葉知ってるの?」とか「すごいねえ〜」とか私が言うのを最初から明らかに期待して言っているので褒められるとこれが本当に嬉しそうな顔をする。

本当にすごいと思ったことは忘れないようにと思ってすぐに記録をするようにしている。と言っても紙ではなくこうやってブログやフェイスブックに書く。さもないとあっという間に忘れてしまうから。

さて、クッキーの続き。

生地を練って、ラップにくるもうとしていると、
子 「なんでそうしてるの」
私 「えーと」
子 「あまーくしてるの?」
私 「うーん、砂糖はもう入れてるからねえ」
子 (生地を指差して)「これ、えんぶん?」
私 「いや、塩分じゃないよ」

何気ない会話がおもしろい。

ところできょうはどんな形でも良いから好きにやらせてあげようと思った。人間型のクッキーを作った。子供が型抜きをして、自分で天板に並べていく。もうボロボロである。「はい、ここに寝せてあげて」と言うと、置いてあげた人型クッキーたちに顔を近づけて「ここに寝てね〜 オーブンができたら、ぼくが食べてあげるから」とゆっくりはっきりしゃべっている。かわいすぎて悶絶。なんて貴重な時期なんだろうなあ。

きょうはなぜかロシア語のplaymobilを見ながら "スパスィーバ vuol dire grazie in Russo! (スパスィーバ、はロシア語でありがとうの意味なんだって!)"とイタリア語で叫んでいる。

Wednesday 22 April 2020

おさんぽのおとも

きのう。朝から3時ごろまで、子供と二人で過ごした。パパが出かけるとなると子は泣きわめくことも多いのだが、きのうは出かけるときに「"Buon lavoro!"って言うんだよ」と伝えたらとても明るく「ブォン・ラヴォーロ、パパ!!」と言って送り出していた。それから前向きになったのか、私が「お買い物に行こう」と誘うとてくてく歩いてついてきた。

これはとても珍しいことで、普段だったら歩きたがらない。自転車かベビーカーを使いたがる。都会で育てているので自分の脚で歩く量と自然に触れ合う時間が圧倒的に少ないことを常々懸念している私は、ここ最近なるべく歩かせるように誘導していた。雨あがりの土曜と月曜に3人で歩いたことが良かったのかもしれない。昨日は何も抵抗しなかった。

買うものをリストに書いた。「にんじん ヨーグルト ひじき」。それから「ケーキ屋さんに、ポイントカードの後づけに行きたいんだよね」とつぶやいていたのを聞き取って覚えていたらしく「それと、ケーキ屋さんでしょ」と子供が言ったのでおおすごいなと思った。

歩いていると案の定「おしっこ」と言うので、ドラッグストアでトイレを借りて、そこからケーキ屋に行った。きょうは買わないんだよ、と言うと納得してすぐに店を出た。なんていい子なの〜、と感動していたら駅前で「セブンイレブンのサンドイッチ」と小さくつぶやいている。あまりにいい子だったのでご褒美に買って、いつものベンチで食べることにした。かわいさに負けた。

それからスーパーへ。近くに保育園があるので、行ってみたけど、庭に出ている園児は3人くらいだった。今は基本的に休園中で、ライフラインに関わる職業等の家庭のみ保育をすることになっている。入り口で園長先生に会った。庭をみながら「○○くん、いるかなあ」とつぶやいている。「お休みだとおもうよ」と言うと「うーん、たぶん、お部屋にいるかもしれない」と言う。そりゃ気になるだろう。みんなに会いたいだろう。こんなに長く、元気なのに保育園に行かないなんて今までで初めてのことだ。

保育園前で交通整備をしている工事現場のおじさんに久しぶりに会った。「はい、これお散歩のおともにね」と言って、たくさんお菓子をくれた。

それからスーパーへ。今日は逃げ回ることもなく一緒に歩いた。「マンマ、だいすきだよー」と言いながら手をつないで歩く。なんて可愛いんだろうなあ。

家に帰って、お菓子食べたいと泣きわめいたものの、こちらも断固として「後から」と譲らなかったので、諦めた様子だった。

そのあと一緒にクッキーを作った。私はこういうの、思い切ってやらせることができない。汚れるとか散らかるとか、そっちが気になってしまうし、やりかたが違うと結構イライラして結局自分がやってしまう。なんだかんだで焼けたけど。

夕方ちょっと面白いことがあった。お風呂に入れる前に子供を抱えて「かわいい人」を歌っていた。歌詞はこんな感じ:

かわいいひと
かわいいひと
ぼくの ぼくの ことも ことも
かんがえておくれ〜

それを聞いてこどもが「きょうあのおじさん、おとも、って言ってたねえ」と言った。最初はなんのことかちっともわからず、おじさん?とも?と何度か聞き返していたら、ようやくわかった。確かに「これ、お散歩のおともね」と言ってお菓子を渡してくれたのだ。歌の「僕の ことも」の部分でそれを思い出したらしい。そして「おともってどういう意味」と言うので、お散歩するとき一緒に持ち歩いて、ってことだよと教えた。こういうとき「えー、あれ覚えてたのー?すごいなあ」と言われるのがことさらに嬉しいらしく、得意げにニコニコしていた。かわいい。

Sunday 19 April 2020

やることリストに加えたこと

天気が良い。よかった。昨日は起きてすぐに雨だったのでがっかりしたけど。

在宅指示が出てから一週間と少しが経つ。ちょっとだけど慣れてきた。こどもの通う保育園は休園となった。もうどこにも逃げられない。腹をくくって3人で過ごすしかない。

こどもにイライラすることがある。当然だと思う。特に二人でいる時。イライラしない時には信じられないくらいに冷たい態度を子供に対してとっていることがある。自分でよくわかる。こどもに何の悪気もないのに、だ。機嫌が悪いのはこどもにもよく伝わっているので、そういう時はしばらくすると私の手を握ってきて「マンマ、だいすきだよ」と言う。それを聞いてああしまった、悪かった、と反省する。

朝起きて、きょう1日やることをリストにしている。しばらく前に休校が決まってとりあえず出勤しなければいけなかった時もだらだらしないようにと思って朝起きてからリストを作っていた。ただ、それは職場でやることリスト。在宅が決まってからはそのリストを作るのをあきらめていたのだが、家でやることリストも作ることにした。朝6時。まぶしい朝陽の中で、ずっしりした万年筆を手にする。いらなくなったリングノートがあるのでそこに一つずつ書いていく。縦書き。きのうできなかったことはきょうに引き継ぐ。できたら赤いマジックでチェックをつけて行く。

そしてきょうはリストの最後に「こどもに優しくする」と付け加えた。さて、がんばろう。

Friday 17 April 2020

在宅の友、ブレイブボードと初級者の気持ち

「在宅指示が出るらしい」と聞いてから一週間が経つ。平日なのに職場に行かなくなって一週間である。仕事を初めてからずっと、当たり前だけどこんなことはなかった。週末ではないのに、家にいる。私の在宅指示とほぼ同時に保育園からは自粛のお願いがきた。ということは、3人で家にいるのだ。朝も、昼も、夜も。そしてお出かけしない。電車も乗らない。これまでとはまったく違った生活が始まってしまった。

先週金曜のストレスはすごかった。頭が爆発するかと思うくらいだった。実際に頭が痛くなったような気がする。いつも家にいない人間が家にいると、居場所がないような気がする。どこに身を置いたらいいか分からない。こんなことなら実家に残って入ればよかった、と思った。実際、緊急事態宣言があと数日早かったらそれも可能だっただろう。

金曜の朝は散歩さえしなかったと思う。ずっと腹を立てたような感じだった。それから午後、いつも行ったことのない公園へ3人で行った。家のすぐ近くの小さな公園。子供達とその親が何人かいた。親のうちの一人がスケボーに乗っていた。あの、くねくねしながら前に進むタイプのやつ。実家にいるときに、父親と車のなかからみて「あれはどうやって進んでいるんだろう」と話していたのを思い出した。しばらく見ていたのだが、気になったので「それ、難しいですか」と聞いたら「乗ってみますか?」と言われた。その女性の手を借りて、上に立とうとしたが無理だった。そんなに突然できるわけない。「スノボとかやってた人ならすぐできるみたいですけどね」と言っていた。曰く、子供が6歳の誕生日に買ってあげた、と。こどもも楽しいだろうけど大人のほうが、運動不足の解消にいい感じだ、と。なるほど。興味がわいてきた。

ちょうど楽天のお買い物マラソン中だったこともあって、ネットで検索してみた。あれってなんていうんだろう、と思った。品名を知らない。とりあえず「くねくね スケボー」と入れてみたら、出てきた。「ブレイブボード」というらしい。ほかにもキャスターボードという名前もある。どれを買うべきか分からなかったのでしばらく調査していたら「リップスティック デラックス ミニ」を買えばよいのではという結論に至った。「ミニ」なので子供用だ。子供は今のところ、乗りそうにない。私が乗るのだ。

待望のブレイブボードは火曜日の昼届いた。こどもと一緒に「わーい」と言いながら箱から出して、とりあえず公園に向かった。しかし、だ。始め方がわからない。とりあえず壁で支えて立ってみても、そのつぎに何をすればよいかわからない。「先生がほしい」と思った。なんのガイドもないと、初級者は困るのだ。「がんばれ」って言われても…という感じである。語学であれスポーツであれ、初級者の気持ちになってみるのは大事なことだなと思った。

その日はそれで終わり。翌朝、初級者のための動画を5分間見てみた。それからいてもたってもいられなくなり、マンションの玄関ロビーへ下りていった。動画で見たとおりに、15分くらい集中してやっているうちに「あ、今できた」と思った。ひねりながら前に進んだのだ。これは楽しい。

天気の良い日だったので午前中3人で公園へ行った。ブレイブボードを持って。集中して練習をした。子供の世話は任せっきりである。一度、派手に転んだ。

「できるようになる」というのは何とも表現しがたい喜びがある。この純粋な嬉しさ。人に披露したくなるしもっと上手くなりたいと思う。そうか、学校で何かを習うときもこんな気持ちなのかもしれないなと思った。

どうせ在宅だったら何か一つチャレンジングなことをやりたい、達成したい、ついでに運動不足解消したい、と思った結果のブレイブボード購入。これは正解だった。運動不足という面でいうとこれはものすごい効果があると思う。走っているわけでもないのに汗をかくほど。そして何より体幹が鍛えられる。下手にトレーニングするより、楽しみながらやるほうが良い。そしてランニングとか球技みたいに広いスペースが必要なわけではない。退屈でどうしようもないという人、おすすめです!

Tuesday 14 April 2020

雨の月曜にベビーカーを押して消防署まで行く

月曜。雨。在宅勤務。保育園自粛。

これらが重なった。どうやって1日を送ろうかと前日から懸念してはいたが金土日とずっと家にいたのでなんとなく慣れてきた感じはある。朝、睡眠不足が重なっていた我が子は8時近くまで寝ていた。まあいい。私も一人の時間が持てる。

午前中「ちょっと玄関まで行ってみよう」と言ったら、「エルモとカバさんと消防署いく」ということになった。参った。実は前日、消防署からの帰り、ベビーカーを押して家まで帰る、ということをやり遂げたのだが、その時に「こんどはエルモとカバさん乗せてあげようね」という話になっていたのだった。エルモとカバさんというのは、ぬいぐるみ2体のこと。でも雨なんだよね、と思ったけど、実行してみることにした。

私と散歩すると言ってもちっとも動こうとしないのに昨日に限って(しかも雨の日なのに)やたらやる気である。普段は嫌がる真っ黄色のレインコートを羽織った。長靴が無いけどまあいっか、ということで外へ。「じゃあ、ベビーカー押すってことは、どうやって傘さすの?」ときくと「え、マンマ」と答える。参った。中から見て思っていたよりもずっとひどい雨だ。

大きな傘と小さなビニール傘を、こどもがぬれないように、そしてベビーカー内のエルモたちがぬれないように、さしながら歩いた。歩きにくい。もはやカニ歩きになっている。

消防署は近いはずだが、ずいぶん遠く感じた。横殴りの雨。「もう帰ろうか」と何度か尋ねたが「ううん」という。あと少しというところで「私がベビーカー押そうか」というと「うんいいよ」とあっさり答えた。さすがに辛かったらしい。

消防署では、2台の救急車が中身を総入れ替えしている最中だった。きのうとは別の救急隊員にたくさん話を聞いてもらって、さらに質問をうけてもらって、子供は満足そうだった。「なんでたくさん救急隊員いるの」「なんであそこにベッドあるの」などなど。

帰りはさらに雨が強まっていた。ベビーカーは私が押すことにして、それぞれに傘をさして歩くというだいぶチャレンジングなことをやった。本当はベビーカーに乗りたかったらしいがもはやずぶ濡れなので乗せるわけにはいかなかった。子は、そもそも傘をさして歩き慣れていない上にこの大雨となると、厳しいものがある。子はだいぶゆっくり歩いていて、「はい、がんばろう」「あとすこしだよ」と言いながら歩いたが、寒いのなんのって。私もだんだん口数が減ってきた。足元は川のように水が流れていて、普通の靴を履いたこどもの足はもうずぶ濡れである。

なんとか家へ着いた。「おー、よくがんばったねえ。エルモとカバさんも嬉しいって。」とぐっしょり濡れたぬいぐるみを持って私が言うと、こどもはぬいぐるみに顔を近づけて「エルモ、かばさん、たのしかった?あれが救急車って言うんだよ」とキラキラした目で話しかけた。胸がつまるような、涙が込み上げるような感じがした。なんてかわいいんだろうな。こういうの忘れないでおこう、と思った。

家に入って、全部着替えて、髪を乾かし、お昼を食べることにした。こないだの残りのカレー。

風邪気味だったのを悪化させた気もするが一大イベントはこうして終了した。1日の終わりにもこのことを語り合った。たぶん「時間が経って思い出すと泣きそうになるイベント」の一つになった。

Monday 13 April 2020

「話せてよかったです」

とにかく毎日職場に行って、やることきめてリズムを作るぞ!と意気込んだ翌日、在宅勤務の指示が出た。そうか、そりゃそうだよな。職場に来る必要なんかないわけだから。職場に来るなとは言われていないがやはり「原則在宅」である。当たり前だ。それと同時に保育園も「家に親がいられる場合は家で保育を」という指示がきた。これが10日金曜日。いや、実質その前からそんな感じだ。言われていることは特に変わったわけではない。というのも緊急事態宣言が出て1日目、水曜に保育園に連れて行ったときは結構普通に子供達がいて「あ、よかった」と安心した。ところがその翌日、木曜に行ったら様子が様変わりしていて、子供達の声がしない。土曜保育か?というくらいに少なかった。「こ、これは…」と思った。預けてはいけないのだ、と感じた。それでもその日は出勤したのだが、翌日から在宅になったので金曜はさすがに自粛した。

そして土曜の朝。公園に連れて行くとAちゃん家族がいた。Aちゃんは保育園の友達。親同士、「保育園どうしてらっしゃいますか」という話になる。当然。「親が家にいられる時は、って書いてあったけど子供がいて家で仕事なんてできませんよね」「自粛って言っても一体どの程度自粛なんでしょうかね」と言われて「そうだよな」と思った。自粛というのは控えるということなのでどの程度なのかは本人の解釈に任されているところがある。登園禁止とか休園という処置ではないのだ。たぶん区としては「禁止とまでは言わないけど、どうか察してくれ、保育士だって大変なんだし、なるべく来ないでくれ、もしお互いにうつったらそれこそ大変ですよ」というのが本当のところなのだろう。やわらかい、やさしい書き方で、本音を察してくれることを期待している。そして実際、察して登園しないあたり、おお、日本人だよなと思う。「登園禁止!」って言われてないのに。これが非常事態宣言1日目と2日目の差。「給食は食べさせたいですよね」とか「これが1ヶ月以上続くのはしんどいですね」とかしばらく話した後、Aちゃんは帰ることに。Aちゃんの親が「ああ、でも、話せてよかったです」と言った。「私もです」と言った。

翌日、日曜の朝。買うものもなかったけどとりあえず入って結局出た店の前にBちゃんの親がいた。Bちゃんも保育園の友達。「ああ!」「お元気ですか」「どうしてるんですか最近」とお互いに言い合ってちょっと話した。Bちゃんは3人きょうだい。6歳、3歳、1歳。旦那はテレワークだそうで、家のなかのカオスっぷりは説明されなくても想像ができた。「一週間いるんです、家に。3人とも。3食つくってます」と言う。親も入れると5人だろう。自転車のカゴには前後とも食料品がいっぱい入っている。あふれそうだ。これは冗談じゃない大変さだ、と思った。旦那が家で働くということはその部屋に3人は近づけられないわけだから、これまた難しい。そして公園に行くことも控えているそうで、家の前で遊んでいると、そこに子供たちが寄って来るそうだ。そして、みんなで遊んでくれるのでそれに助かっている、と。「うちなんて一人でもこんなに大変なのに」と私が言うと「逆に3人のほうが遊び相手になってくれるからいいかもしれません」と言う。なるほどそうかもしれない。一人っ子だと親が遊び相手になってあげるしかない。現状、そうである。Bちゃんの親は、自分が家にいられるので「当然、保育園に行かせられる条件がない」と言っていた。行かせようかなどうしようかな、ではなくて、こういうお知らせが出ているんだから行かせられるわけがない、という感じ。しばらく話して、「ではお元気で」と別れようとしたとき、Bちゃんの親が「なんか、話せてよかったです」と言った。「私もです」と言った。

てくてく歩きながら「あれ、このセリフどっかで聞いたな」と思った。そうだ、昨日Aちゃん親が言ってた。みんな同じなんだ。慣れない状況に戸惑っている。これ一体いつまで続くのか、と思いながらとりあえずご飯作り続けているし、こどもは保育園の友達に飢えている。普通の日々がいつ再開できるのか、誰も知らない。そんなときに同じような境遇の人に会うとホッとするわけだ。

それにしても、その辺を歩いているだけで、日々の不安な気持ちをシェアできるような相手に会えるんだな私は。これは子供がいるからなのだ。大人だけで暮らしていると、こういう出会いはないだろう。おかげさまでだいぶコミュニティというか知り合いが増えたものだ、と思った。

さてきょうは雨。どうやって1日を乗り切ろうかとすでに気持ちがめげそうになっている。

Tuesday 7 April 2020

どうやって心の安定を保つのか?

ここ3日間くらい連続で変な夢、怖い夢を見ている。起きたときにげっそり疲れている。9時、遅くても10時ごろには就寝しているので睡眠時間はむしろ長いはず。なのにぐっすり眠れた感じがしない。不安の表れなのだろう。

昨日から今朝にかけて大きなストレスとイライラを感じている。新型コロナウイルスが始まった頃は、普段どおりの日々を元気に過ごせると思っていた。しかしさすがにこれが長く続き、普段通りにいかなくなってきた気がする。変わらないと思っていた社会活動もさすがに徐々に制限されるようになってきたし行ってる場合ではなくなってきた。区のプールが閉まり、ついに図書館も閉まってしまった。そして緊急事態宣言が出る。

こういう時にどうやって精神的な安定を保つのか?

無意識のうちにこの疑問が頭に浮かぶし、答えを求めている。答えは簡単で、普段どおりのことを普段どおりにやること。と言っても、できないこともたくさんある。先に書いたとおりプールで泳げないし図書館にも行けない。それでも、だ。できることはある。

・毎日同じ時間に起きて、同じ時間に寝る
・食べる時間もだいたい毎日同じ
・朝は同じ時間に陽の光を浴びる
・掃除・洗濯・ゴミ捨て、日々の家事をこなす

そして;

・仕事に行く

仕事に行きたくない気もするが、家にいると気が滅入るので平日は短時間でもなるべく職場に行く。そして自転車で往復することはいい気分転換と運動になる。職場は、人は少ないもののコロナの危険性はあるので動き回ったりドアノブとかレバーとかあちこち触ったりしない。テレワークの指示はない。もしかしたら、このあと出るかもしれないけど。

リズムを崩してはいけない。朝は必ずやってくるし、1日に与えられた時間が24時間であるという事実は変わりない。

Monday 6 April 2020

東京に戻った

昨日、郷里から東京へ戻った。搭乗したのは20〜30人くらいだったと思う。少ない。それでも人がこれだけ集まっているのを見たのは10日ぶりだったのでちょっと緊張した。うつされてはいけないし、うつしてはいけない。こどもとのフライトは何回目だろう。もはや数えられなくなったけどこんな奇妙な飛行はなかなか無い。何と言っても大好きな「りんごジュース」が無いのだから。(ANAは現在機内サービスを全て中止している。毛布や飲み物のサービスが無いどころか機内誌さえ置いていない。目の前のカゴ(?)は緊急時の案内のみ。行きの便で「機内販売の冊子を見たいんですが」と言ったら機内販売も全て停止しているらしい。びっくり。)

東京に着いて、到着ゲートの自動ドアから出たときに「あれ、ここでいいんだっけ?」と一瞬思った。というのもあまりにも人がいなかったから。視界に入るのが2、3人だ。間違った、と思って後ろを振り返るとやはり「到着」と書いてある。間違ってない。

次のバスが12:25と言われたのだがそれまでに50分もある。これはもうタクシーにしたほうがいいと思ったのだが、今待っている間にごはんを食べてしまえばいい、と思った。コンビニにおにぎりでも買いに行こう、としたけどうどん屋が目に入ったのでそこでうどんを食べることにした。

こうやって会話をしていても、周りに誰もいないので奇妙で仕方ない。地方の、利用者の少ない空港でもこんなに静まり返ることはない。自分たちの会話を誰かに聞かれているような感じがした。そうか、空港ってBGMとか無かったんだっけ、と今更気づいた。

バスのチケットを買うにも、売り手とのやりとりがゆっくりになる。ほかに誰もいないので急ぐ必要もないし急がされることもない。

うどん屋は、言うまでも無いが、空いていた。と言ってもいることはいる。テーブルごとに2人くらいいる感じ。ただ、受け取って自分が進んでいく方式のうどん屋なので、売り手、作り手側がかなり緊張感を持って対応しているのが分かった。天ぷらは、自分でとるのではなくて、あちらに頼んで渡してもらう形。

バスで渋谷へ。高速道路から見下ろした東京の街はまるでディストピア(暗黒郷)だった。SF映画などで見るシーン。核戦争が起きたあとの、世界の終わり、みたいな感じ。曇り空の下、渋谷に着いてからはますますそんな感じがした。灰色の世界。こんな東京を見る日が現実になろうとは。

渋谷に着いてからタクシーに乗ることにした。行き先を告げるととてもハキハキと、そしてゆっくりと、いい対応をしてくれる。降りたあとに「いやはや、東京は大変ですね」と言ったら運転手さんが「そうなんです」と、ほとほと疲れ果てた顔で、しかし笑顔で返してくれた。

ここまでで、ひとつ気づいたこと:
サービス業はじめ働く人たちが丁寧で優しい。対応する相手が少ないので、余裕があるためではないかと思う。もちろんいつも丁寧で優しいとは思うが、昨日は特に目立ってそれらに気づいた。バスのチケット売り場、うどん屋、バス運転手、タクシー運転手。それとも、「大変な世の中だからみんな助け合っていきましょう」精神の表れなのか。

家に着いたら、いつもは(実家と比較しての)その狭さにうんざりするのだが昨日はシェルターに入ったかのようにホッとした。とりあえずsafe、という感じ。

とにかく東京に戻ってきてしまった。家族揃ってコロナに突っ込んでいる。

Wednesday 1 April 2020

発熱したけど検査ができず困った件について

前回の投稿からの続きになる。メモとしても書いておくことに意義はあるかと。そしてコロナウイルスのよく分からない状況のなか誰かの情報になればと思って書く。

右頬の腫れ問題が解決したその翌日3月29日、発熱した。その夜何度か起きて、ぐっすり眠れず、おかしいなと思った。起床時間はいつものように6時過ぎ。すっきりしないので庭に出て、ラジオ体操をしたのが6時半。それから体のあちこちが痛いような、ゾクゾクするような感じがして、ダウン。こどもの世話をしつつ横になったりしていたが、立ち上がるのもだんだんつらくなってきた。子どもが心配している。「なんでマンマの手あつくないの」と言う。たいてい手があったかいはずだがその時は本当に、ずっとつめたかった。ヒートテックもフリースもジャンパーも来ているのに寒い。「熱があるんじゃないの」と家族から言われながら、子どもの世話を弟に任せ、横になったらそのまま2時間3時間眠った。それから熱を測ったら38度。モコモコ着こんでいるからだろうと思ってちょっと起き上がって測ったら37度台。いずれにせよ熱はある。これはコロナウイルス来たな、と思った。やっぱり東京から連れてきてしまった。両親は初老なのに。東京にとどまっておくべきだった。これで私はニュースに出るのだ。そんなことを考えているうちに弟が昼食をつくって持ってきてくれた。ありがたい。少し起きている間熱はずっと37度台だったと思う。午後もう一度寝た。夕方には熱が下がっていた。37.1℃。とりあえず丸一日隔離した状態で過ごした。食欲はある。咳はない。少しお腹が緩いけど下痢ではない。前日に歯医者からもらった抗生物質とビオフェルミンを飲み続けていて、たぶんそのせいではないかと思う。

東京に戻る日を4月2日としていたが3日の会議に出るためだったので、3日の会議を休んでここに5日の日曜までいることにした。管理職や同僚に連絡をして、航空券を変更する。ちなみにこの1か月くらい国内線航空券はキャンセルも変更も無料。久しぶりにゴロゴロしながら「おしゃれイズム」で冨永愛を見て、11時前に寝る。少し身体が痛いような感じもした。子どもに触れることができないのが一番つらかった。子どもは祖父母といっしょに寝ることになった。

翌朝。3月30日、月曜日。7時過ぎに目覚める。体温36.3℃。下がった。頭もすっきりしていて元気そのものである。が、丸一日、隔離して過ごす。テレビ見たりネット見たり。ひたすらゴロゴロ。その後も熱は上がらない。何度測っても36℃と35℃の間を行ったり来たり。

さて、コロナウイルスの検査について、である。本題はここからと言っていいかもしれない。発熱当日は日曜だったため、電話をかけても翌日またかけなおすように言われた。30日(月)朝、帰国者・接触者センターに電話をかけてみた。「新型コロナウイルスに感染している可能性は低い」「一般の医療機関を受診してください」と言われた。つまり普通の風邪として受診してくれということなのだろう。医療機関で検査はできるのかと聞いたら「検査基準を満たしていないからたぶんできない」と言われた。「お医者さんに、保健所に連絡するようにと言われると思うんですけど、保健所からは『医療機関にかかるよう言われた』と言ってください」と言われた。なんじゃそりゃ。たらいまわしか。要するにやれることが何もないのだ。現在、元気ということは検査するに値しないのである。そもそも帰国者・接触者センターに電話する人の条件というのが「37.5℃以上の熱が4日続いている」人のみになっている。その日はよくわからなかったのでとりあえず電話をきった。

翌日3月31日。もう大丈夫なんじゃないのか、ということで子どもを抱っこしたり家族と一緒にごはんを食べたりした。散歩もした。桜も見た。もっとも、外には全く人がいないので家のなかにいるよりも迷惑をかけないのだが。

そしてきょう、4月1日。やっぱりどうにかして検査してもらったほうがいいんじゃないの、という気がしてきた。ウイルスを持っている可能性は大いにある。先日のニュースでは、成田と羽田で帰国して検査して感染が確認された20人のうち、18人は無症状患者とあった。ということは、だ。この検査基準では陽性の人たちを物凄い割合で見逃していることになる。妖精じゃない、陽性だ。検査すればわかるのだからもう一回聞いてみよう。

先日と同じ、帰国者・接触者センター(つまり保健所)に電話をした。前回よりも長く話したが結局は同じことだった。保健所で「医療機関受診してください」となった場合の手続きはこんな感じだ:
医療機関を受診
→疑いがあればレントゲンで肺炎かどうか調べたりする
→医療機関から保健所に「この人検査すべき」の連絡
→保健所で検査

しかし私の場合は熱もなく、咳もなく、元気である。おそらく病院に行っても何をしようもない。念のためと思って病院にも電話してみた。日曜に熱があったこと、東京から来ていること、などを説明する。病院としては以下のようなことを言っていた。

・この病院で検査はできない
・熱のある人は院内に入れないことになっている
・熱のある人には解熱剤を渡す
・けど熱がないのなら診察する点も特にない
・保健所に聞いてみてください


ここでやっぱり最初の疑問に戻る:

「無症状で感染してたら…?」


ここで止まってしまう。この後の行先がない。行き止まり。要するに無症状の場合にできることは何もないのだ。ゼロ。濃厚接触者と帰国者を除いて、「怪しいから検査」「不安だから検査」という人を受け入れる場所は今のところこの国には存在しない。だったら私の家族はどうなるのだろう。二日間隔離して過ごしたとは言え、同じ家にいるのである。マスクしたり別のトイレとかタオルとか使っているというだけで本当に防げているのかわからない。私が一日の発熱で済んだだけで、このあと両親は病に伏すのかもしれない。来週東京にもどったら無症状のうちに私はいろいろな人にウイルスをまき散らすのかもしれない。検査すれば済むことなのに、できない。もちろん検査が100パーセント確実ではないとか、重傷者を優先すべきだとかはわかる。だけどもし今ほかを感染させているのだとしたら私はもっときちんと自主隔離するだろう。そしてこういう人たちが世の中にたくさんいるとしたらやっぱり怖い。おそらくただの風邪だったのだろう、とは思うけどそれは思っているだけで何の証明もない。

そもそも検査について知らなかった、ということも気づいた。保険適用、ということはお金がかかるってことなのだろうか。検査は保健所で受けるって言ってたけど受けられる医療機関は本当にないのだろうか。医者によっては「無症状だけど、そして濃厚接触者でも帰国者でもないけど検査してみましょうか」という人もいるかもしれない。確かきのう厚生労働省のウェブサイトで人が殺到するから、受けられる病院名は公開していないと読んだ気がするけど、どこに行けばどうやって受けられるんだろう。どういう手順になっているのだろう。たぶん世の中には私みたいな「これって動いちゃっていいんだろうか」みたいな人たちがたくさんいる。疑いのある人がむやみやたらと医療機関に足を運ばないことが大事、というのは分かる。そうだったら、そして今のこの状況だったらむしろ家でもできる検査キットみたいなのがないと感染者は増える一方なんじゃないのか。第一、「37.5℃の熱が4日続く」まで待てるわけないだろうよ。「これってコロナウイルスかな」と思いながら4日間も過ごせと?

自分が発熱して初めて直面した「困った」について書いてみた。このまま何もないことを「祈る」のみである。祈るとか言っている場合じゃないんだけどね。

歯の3月が終わった

気が付いたら3月は2件しか投稿していなかった。書き始めると何を書いたらいいか収拾がつかなくなりそうだったというのもあるし、疲れていたというのもある。単純に書く気になれなかったというのもある。

とりあえず2020年3月を振り返る。キーワードは「歯」と「コロナ」だ。後者について書き始めると長いのでそれはまた別の投稿にする。3月は、そう、歯が大変だった。

順を追ってみていくと始まりは1月だった。私は歯科にしょっちゅう行って歯のクリーニングをしている。大きな問題はなかったのだが1月のある日クリーニングに行くと右奥がしみる。前からしみてはいたものの、やっぱりしみる。もっとしみる。何の影響か、と聞くと親不知だという。抜かなきゃとわかっちゃいたけど抜いていなかった右奥親不知、最後の一本。それがどうやら近所の歯にも影響を与え始めている。2年くらい前に紹介状を書いてもらって左奥を抜いたのは東京女子医大。再診の電話をかけても一向につながらないのでこの2年近く、行くのをあきらめていた。勇気を振り絞ってかけても「ツー、ツー」という音しかしなかったのだ。ここでやはりもう一度かけてみるか、と今年2月思い立った。やっぱりかからない。初診にかけてみるか、と思ったがこれもまたかからない。やっぱな、大病院はそうだよな、と思いながらウェブサイトにあった「大代表」というところにかけたらすぐにつながった。予約専用電話ではないのだけど、と言いながらも予約をとってくれた。決戦は3月9日と決まった。

前回の受診から時間が経過しすぎているのでまた初診扱いですと言われた。そのためにまた紹介状が要る。いずれにせよいつもの歯科にクリーニングに行く予定になっていた。2月26日、いつもの歯科でクリーニング。今度は右上の虫歯が怪しいということでレントゲン。ここ数年「怪しいけどまあいいでしょう」で見逃してもらっていた右上4番5番の虫歯についにメスが入ることに。予約取り直してきてくださいと言われる。改めまして3月2日。仕事がこの日から休校になりやることなし。だけど休みをとって歯医者へ。麻酔してドリルして詰め物して治療終了。その時はそんなに痛いと思わなかったんだけどその後1週間くらいは治療したところの周辺の歯茎がものすごく弱い感じ。歯磨きをするとすぐに血が出る。なじむまでに時間がかかるのだろう、と思っているところであっという間に1週間が過ぎ、決戦の日、3月9日がやってくる。

(この日が近づくにつれて自分のイライラが増えていくのに気づいていた。花粉症ですっきりしないのもあったと思うけどやたらと当たり散らしたり怒ったりしていた。怖くて不安だったのだと思う。)

ちなみに右下の親不知がどういう状態だったかをここで説明すると、だいぶ斜めに生えている上に、ほぼすべて歯肉がかぶさっていて、ほんのちょっとだけ表面が外に出ている状態。歯はまっすぐにしか抜けないので、切開後、歯を割って抜くしかないと聞いてずっと恐怖を抱えていた。

3月9日。東京女子医大へ。10時予約の口腔外科。コロナウイルス対策で病院の入口に入る前から臨戦態勢のスタッフたちが入ろうとする人たちを止めて熱はないかとかマスク持ってるかとか尋ねている。無理もない。

レントゲンも撮って手術開始。「チクっとしますよ~」と言われて麻酔。顎のほうまで麻酔が入って行くのがわかった。結構奥のほうまで効いている。ここで切開が始まるのだ!と気合を入れた瞬間、ドリルの音が聞こえた。「あれ?もう切ったってことか?」と思っているうちに、ドリルは進んだ。焦げ臭いようなにおいがした。「ちょっと押されるような感じしますよ~」と言われた。そうそう、「引っ張られるような感じ」じゃなくて逆の「押されるような感じ」なのだ。助手が私の顔というか頭のほうを押さえて、医師が歯を引っこ抜く。抜歯はあっという間に終わった。10分かからなかった。終わった瞬間「え?もう終わったんですか?」と医師に聞いた。医師曰く、「15分に一回抜いているからねえ」。プロはさすがだよなあ。二日分の抗生物質と痛み止めを飲んで過ごす。

翌日。右頬がポコッと腫れている。消毒しにいつもの歯科へ。「腫れているんですけどこんなもんですか」と聞くと「そんなもんですよ」と答えられる。

一週間後。いつもの歯科にて抜糸。ちなみに糸も歯も、抜くときはどちらも「ばっし」になるから歯医者さんはこういうとき「糸を抜く」と言う。日本語面白い。

気にせずそのまま過ごして一週間。実家に帰省する日が近づいてきた。念のため来週一回来てください、と言われていたのでもう一度消毒に行こうとは思っていた。が、それより懸念すべき事項が出てきた。頬がまだ腫れているのだ。抜歯翌日よりは腫れがひいている。それでもまだ顔の形が左右で違う。

3月25日、いつもの歯科へ。消毒したあと「まだ腫れているんですけど」と言うと症状を見てくれて「こうけつしているね~」と言われた。こうけつ?いろいろな漢字が頭に浮かぶ。公欠?纐纈さんという知人もいたなあそういえば。そしてどうやら「硬結」だろうということが分かった。抗生物質と痛み止めをもらって帰る。

3月26日、郷里へ。顔の形はもしかしてこのままなんじゃないかと思うとどうも不安になってくる。元気で過ごしているのだから考えるのはやめよう、とも思う。

27日朝、まだ腫れている。どうしたもんか、と言いながら、朝から東京女子医科やいつもの歯科に相談の電話をかける。とりあえず予約とったりする。

28日朝。どうもすっきりしないので家族が行っている歯科に行ってみることに。土曜午前ならあいている。「まあセカンドオピニオン的な感じでね」とそこで治すことは期待せずに行った。院長に見てもらうと「膿がたまっている」と言われた。「切って出すしかない」と言われたので、またあの大きな病院に行ってそれをしてもらうのか、と思っていたら「ここでもできますけどやりますか」と聞かれて「はいお願いします」と即答。早速麻酔をして、ちゃりっと切ってもらって、薬を出してもらって終了。なんだ、こんな簡単なことだったとは。どうやら抜歯後に入り込んだ食べ物から化膿していたらしい。それにしてもまさかここで治すことになるとは思ってもみなかった。歯医者を出たときには顔の形がだいぶもとに戻っていた。

それから4日経った今、腫れもなく快適に過ごしている。

[まとめ]
・麻酔…3回
・ドリル…2回
・切開…2回
・飲んだ抗生物質…数えられない
・かかった歯科…3件
・歯科に行った回数…6回

[コメント]
・親しらずは抜く意味がよく分からない時でも早く抜いたほうがいい
・医療機関であれ人であれいろんな人に相談することは重要
・口内の問題は、直接命に関わることはなくてもストレスを引き起こす

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...