Monday 6 April 2020

東京に戻った

昨日、郷里から東京へ戻った。搭乗したのは20〜30人くらいだったと思う。少ない。それでも人がこれだけ集まっているのを見たのは10日ぶりだったのでちょっと緊張した。うつされてはいけないし、うつしてはいけない。こどもとのフライトは何回目だろう。もはや数えられなくなったけどこんな奇妙な飛行はなかなか無い。何と言っても大好きな「りんごジュース」が無いのだから。(ANAは現在機内サービスを全て中止している。毛布や飲み物のサービスが無いどころか機内誌さえ置いていない。目の前のカゴ(?)は緊急時の案内のみ。行きの便で「機内販売の冊子を見たいんですが」と言ったら機内販売も全て停止しているらしい。びっくり。)

東京に着いて、到着ゲートの自動ドアから出たときに「あれ、ここでいいんだっけ?」と一瞬思った。というのもあまりにも人がいなかったから。視界に入るのが2、3人だ。間違った、と思って後ろを振り返るとやはり「到着」と書いてある。間違ってない。

次のバスが12:25と言われたのだがそれまでに50分もある。これはもうタクシーにしたほうがいいと思ったのだが、今待っている間にごはんを食べてしまえばいい、と思った。コンビニにおにぎりでも買いに行こう、としたけどうどん屋が目に入ったのでそこでうどんを食べることにした。

こうやって会話をしていても、周りに誰もいないので奇妙で仕方ない。地方の、利用者の少ない空港でもこんなに静まり返ることはない。自分たちの会話を誰かに聞かれているような感じがした。そうか、空港ってBGMとか無かったんだっけ、と今更気づいた。

バスのチケットを買うにも、売り手とのやりとりがゆっくりになる。ほかに誰もいないので急ぐ必要もないし急がされることもない。

うどん屋は、言うまでも無いが、空いていた。と言ってもいることはいる。テーブルごとに2人くらいいる感じ。ただ、受け取って自分が進んでいく方式のうどん屋なので、売り手、作り手側がかなり緊張感を持って対応しているのが分かった。天ぷらは、自分でとるのではなくて、あちらに頼んで渡してもらう形。

バスで渋谷へ。高速道路から見下ろした東京の街はまるでディストピア(暗黒郷)だった。SF映画などで見るシーン。核戦争が起きたあとの、世界の終わり、みたいな感じ。曇り空の下、渋谷に着いてからはますますそんな感じがした。灰色の世界。こんな東京を見る日が現実になろうとは。

渋谷に着いてからタクシーに乗ることにした。行き先を告げるととてもハキハキと、そしてゆっくりと、いい対応をしてくれる。降りたあとに「いやはや、東京は大変ですね」と言ったら運転手さんが「そうなんです」と、ほとほと疲れ果てた顔で、しかし笑顔で返してくれた。

ここまでで、ひとつ気づいたこと:
サービス業はじめ働く人たちが丁寧で優しい。対応する相手が少ないので、余裕があるためではないかと思う。もちろんいつも丁寧で優しいとは思うが、昨日は特に目立ってそれらに気づいた。バスのチケット売り場、うどん屋、バス運転手、タクシー運転手。それとも、「大変な世の中だからみんな助け合っていきましょう」精神の表れなのか。

家に着いたら、いつもは(実家と比較しての)その狭さにうんざりするのだが昨日はシェルターに入ったかのようにホッとした。とりあえずsafe、という感じ。

とにかく東京に戻ってきてしまった。家族揃ってコロナに突っ込んでいる。

首が回復してきた

合気道で首を痛めて1週間。痛みに加えて吐き気とめまいのようなものが2日くらいは続いた。日を追うごとに痛みが消えてきた。 合気道はやめておきなさい、と言われるとやりたくなるというのが世の常(?)。不思議なもので、普段は「きょうはまあいかなくてもいいかな」とか誰も聞かない言い訳をつら...