Monday 24 February 2020

新型コロナウイルスへの対応 イタリアの迅速さ

ついにイタリアで新型コロナウイルスの感染が拡がり始めた。初期の「3人」が現れた直後に中国からの便を即出入り禁止にしたと聞いたが、イタリアらしいなと思った。しかし今回は3人どころではない。クルーズ船を別にすると感染者の数は日本と同じような感じ。死者も出た。

ところが、である。まったく同じでないのはその対策だ。ローマ在住の上野さんによるブログ「ローマより愛をこめて」によれば、昨日の時点で以下のことが決定されている↓(以下コピペ)


感染者の多いロンバルディア州とヴェネト州では、すべての学校(保育園から大学まで)が休校、すべての美術博物館も休館、あらゆる(私的公的にかかわらず)イベントも中止となり、なんと、あの有名なヴェネツィアのカーニヴァルもなくなりました!ミラノのドゥオーモも、最新情報が届くまで、とりあえず2月25日まで閉鎖され、ロンバルディア州内のすべての教会でミサは中止となります。また、18時以降の娯楽に関しては、レストラン以外は、パブやディスコも閉鎖となります。ヴェネツィアも、教会のミサは3月1日まで休止されます。
ピエモンテ州は、明日(2月24日)より1週間、すべての学校の休校措置、アルト・アディジェ州も、すべての学校が3月2日まで休校。フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州は、3月1日まですべての学校の休校とイベントの中止。エミリア・ロマーニャ州は、3月1日まで保育園から大学まですべての学校が休校とイベントの中止。
2月23日よりイタリア全土の各学校の修学旅行や遠足は、イタリア文科省から禁止命令が出ています。
その他、リグーリア州の大学の授業の中止、ラツィオ州で2月25日に予定されていた医学部試験の延期。また、カンパニア州のイスキア島では、ロンバルディア州やヴェネト州、中国から来る人の入港を禁止。トスカーナ州は、中国やロンバルディア州、ヴェネト州など、感染者の多い地域から戻ってきた人は当局に通知の義務を課しました。


早い。対策が早いのである。人々の健康を何よりも優先するイタリア人らしい。仕事とか経済とかはもっとそのずっとあとに来る。そしてパニックになりやすいイタリア人らしくもある。ふわふわしている日本人とはだいぶ違うのです。(ちなみに我が家のイタリア人は「対応が大げさすぎる」と言っているけど。)

「イタリア人はルーズ」とか
「イタリア人はのんびりしている」とか
「日本人はまじめで働き者」とか
よく言うけど、本当だろうか。

「のんびり」はすべての場合に当てはまるわけではない。のんびりすべき時とそうじゃない時がわかっている人たちだ。少なくともこういうときにイタリアはぼけーっとしてない。

まじめで働き者の日本人。検査もせずクルーズ船を降りた厚生省役人が何人もいるらしい。「検査して陽性だとわかると現場が回らなくなるので検査したくなかった」というコメントを目にした。本物の思考停止状態である。

いったい「まじめで働き者」とはどういう状態のことを言うのか。

…と書き始めると長くなるのでこの辺でとめておこう。

Saturday 15 February 2020

レオナルドとミケランジェロと

1月からちょっと日々に余裕がある。時間があるときは図書館に行って、家では買えない大きな画集を引っ張り出して眺めている。ラファエッロ、レオナルド、ミケランジェロが主。あっという間に時間が過ぎる。

子ども向けの西洋美術の本をひとつ借りている。レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロ。こどもと一緒に見てみようと思って、開いてみると結構真剣に見るのだ、これが。そして出てくる質問が純粋かつ面白い。

レオナルドの受胎告知を見ながら
子「なにしてるの?」
私「これはねー、赤ちゃんができましたよあなたは、て言ってるね。見て、うしろに羽があるね」
子「誰?」
私「これは天使。羽があるから」
子「この人たちイタリア語しゃべるの?」
私「そうねえ、イタリアで描かれたからね、そうかもしれない」

次のページ、「キリストの洗礼」。ヴェロッキオが描き始めて、レオナルドが左側の天使を完成させたという絵。

子「この人たち誰」
私「うーん、天使かな。頭にこんなのついてるから」
子「天使じゃないよ。羽がないから」
私「ああ、そうねえ」

そして、レオナルドが残りを描いたのをみて、その上手さにヴェロッキオはびっくりしたんだよ、という話をしたら「ヴェロッキオは…」という何か質問がきたんだけど、なんだったか忘れてしまった。言いにくそうに、でもがんばって「ヴェロッキオ」と言う姿が可愛かった。ほら、こうやってこどものセリフはあっという間に忘れてしまう。メモしておかないと。

どの絵だったか忘れたけど、見ながら
「これ見たい?」
というと「うん」
と言う。

いっしょにイタリアで本物を見る日が来るのを楽しみにしている。

Monday 10 February 2020

旅に出たくなる空気

春が近づいている。春休みも近づいている。寒いながらも日差しがあったかい、この空気はどうしても「旅熱」を掻き立てる。気持ちはまず成田空港へ向かう。

学生が旅行するのは毎年2月。自分たちの試験が終わって、大学入試が行われる間は大学は休みになる。オフシーズンなので航空券も安いし行った先で混んでいることもない。学生が終わり仕事を始めてからは、3月末から4月の短い期間を使って旅をした。

19歳の2月は初めてアメリカに行った。翌年は台湾。その次は留学中。その翌年はイタリア。それからしばらくイタリア。震災の年はベトナムとカンボジア。その翌年はフィリピン、その翌年はニューヨーク…

と、ここまできて、子供ができた。子供が生まれたらそんなにひょいひょい外に行けなくなるなんて考えてもみなかった。だって子供ができることがまさにゴールといってもいいくらいだったから。その先のことはみじんも考えなかった。

あまり海外に行きたいという気持ちのない人だったら特に何も感じないのかもしれないが、休みごと(春と夏の2回)に海外に行っていた私にすれば「こんなに行けなくなるとは」という感じ。その差に参ってしまうくらい。だいぶ遠ざかっている。だいぶ。そしてむずむずしている。そうか、若いうちに旅をしておくべきというのはこういうことだったのだな、といま初めてわかった気がする。それでもイタリアに2回は行ったけど。

次に行くとしたら、と楽しく想像してみると、行き先はまずラオスとミャンマーかな。長いこと行きたくても行けてない。次に行くときはこどもと一緒かなあ。うーん、少し先が長すぎるな…仕方ないけど。

Sunday 9 February 2020

糖尿病と認知症

先日仕事で「東京都医学総合研究所」を訪問する機会を得た。私が聞いた話は2つ。糖尿病による神経症と、認知症の話。実験室にも入れてもらって現在進行中の研究を実際に見せてもらった。理系の話はサッパリ、という人でもこれならよくわかる。だって病気の話だから。誰にでも関係しうる話題。

糖尿病の仕組みは高校時代の生物で聞いてはいたものの実際自分に関係ないとなるとほぼ忘れてしまっていた。あらためて説明してもらって、ははあなるほど、やっぱり食事と運動は大事なのだ、と感じた。研究者の方がやたらと言っていたのは「子どもたちがスナック菓子を食べながらゲームをするというのはよくない」ということ。それ以外にも例はあるだろうに、イラストつきで不思議とその例を繰り返していた。若い世代にも糖尿病は珍しい病気ではなくなってきているのだろう。

ショウジョウバエを使って糖尿病の研究をする女性がいた。「これが、ショウジョウバエの脳をスライスしたものです」とプレパラートを見せてもらった。インクのしみとも言えないほど小さな点が並んでいる。驚いた。「スライス、って言ってもどうやってスライスするんですか」と訊いたら「きゅうりの薄切りと同じですね」とにっこり。参った。

認知症の話もかなりおもしろかった。まず、認知症には色々な種類があるということをしらなかった。ALSも含まれるとは。認知症は脳にあるタンパク質の「つまり」が原因らしい。そのタンパク質の種類によって認知症の種類も異なる。それと同じ状態にした細胞が培養されている。培養細胞に化合物をふりかけて、その固まったタンパク質が消えるかどうかがこれからの実験らしい。培養細胞も顕微鏡で見せてもらった。

それにしても研究とはなんと時間と根気とお金のかかる作業だろう。すでに述べたタンパク質についての研究が行われていたのが2002年のことだ、と言っていた。この人たちも、施設も、資金と援助がなかったら終わりなのだ、ということをあらためて感じた。

ところで研究者というとどんな人を思い浮かべますか。白衣?ここであった人たちは極めてリラックスした格好をしていた。パーカーとサンダル、とか。ボーダーのシャツとか。こっちもリラックスできた。研究内容と服装は関係ない。いいですよね、そういうの。

Wednesday 5 February 2020

シャキーラ、Jロペス、坂本龍一

今更だけど朝からシャキーラとジェニファー・ロペスのスーパーボウルでのハーフタイム・ショーを全部見てちょっと涙目になってしまった。なぜかと聞かれるとわからないんだけどあの力強さに圧倒されてしまったと思われる。

昨日ちらっと目にした新聞記事で、坂本龍一が「音楽の力」について語っていた。彼はその言葉を嫌っているそうだ。

以下引用

 日本社会ではとりわけ近年、メディアなどが「音楽の力」という言葉を万能薬のように使う傾向がある。「災害後にそういう言葉、よく聞かれますよね。テレビで目にすると、大変不愉快。音楽に限らずスポーツもそう。プレーする側、例えば、子どもたちが『勇気を与えたい』とか言うじゃない? そんな恥ずべきことを、少年たちが言っている。大人が言うからまねをしているわけで。僕は悲しい」 音楽の感動というのは「基本的に個人個人の誤解」だとも語る。「感動するかしないかは、勝手なこと。ある時にある音楽と出会って気持ちが和んでも、同じ曲を別の時に聞いて気持ちが動かないことはある。音楽に何か力があるのではない。音楽を作る側がそういう力を及ぼしてやろうと思って作るのは、言語道断でおこがましい」

引用終わり。
なるほど。こういう安易な言葉は、安易に出来上がっていくのだと思った。

今朝、ハーフタイムショーを見て心が動いたのは、あれはなんだったのだろうな。あらためて考えている。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...