Wednesday, 29 December 2021

何が当たり前か

 Duolingoでフランス語を学び始めてきょうで272日目。少しずつ力がついてきたのが分かる。といっても猛特訓をしているわけではなく、一日たったの5分くらいだ。それでも、272日間、毎日やっていれば、自然と馴染んでくるものだ。継続は力なり。

もうひとつ、この数か月間継続してきたことがある。英単語テストを受験すること。私の同僚が、英単語の問題を日々配信し続けていた。週に1回のときもあれば毎日のときもあった。生徒向けだったがそれに登録させてもらい、日々とりくんだ。全問正解できたことはない。25点満点のテストでだいたい20点前後。

Duolingoも単語テストも、朝取り組んだ。起きて一番最初にやること。どちらも10分以内で済ませる。どんなに忙しくても朝の10分が確保できないような忙しさではない。

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「おなかがすいた」状態を意識して作ろうとしている。お腹に何も入らない状態が最低12時間くらい必要だと思う。おそらく、「少し飢餓」ぐらいの状態が人間にはちょうど良いのではないか。

一日三食が人間に必要だというのはいったい誰がいつ決めたことなのか。なんとなく、現代に至ってそう落ち着いているが、昔はそうではなかったはず。たとえば「毎日体を洗う」ことは常識のように言われているが最初はそうではなかったはず。髪の毛を洗う回数なんかもそう。

いつかの時点でなんとなくそうなってきただけのことだ。そしてそれが地域によって異なる、となると、常識とか当たり前っていったい何だろうなと思う。

我が家のイタリア人は「毎食米を食べるのは偏りがありすぎる」という。だけど彼らにとって「毎食パンを食べる」のは偏りのあることにはならない。逆に、毎食米を食べて生きている人にとって、イタリア人の食は「毎食パンなんて偏っている」と感じられるだろう。

結局偏っているのは考え方なのである。偶然生まれ落ちたその地での生活習慣や文化にからめとられているだけだ。問題は自分がそれで心地よいと思っているか、だ。世界を見回し、歴史を学ぶべきだ。たとえば1日2食だった時代は不健康だったのか。そしてパン、または米ばかり食べている人が不健康なのか。

個人的には、成長期を終えた人間にとって、炭水化物はそれほど必要ないと思う。一日一回でもいいのではないだろうか。

溶ける平日やすみ

きのう、水曜は出勤しない日だった。これでもかというほどの素敵な天気で、なにをしようかとワクワクする。空気は澄んで、空には雲一つない。8時に子を送り出す。掃除と洗濯をして、そのまま家にいることもできるけどやはり朝はいったん外に出たいタイプの人間なので、仕事道具を持って近くの保健セン...