Saturday, 29 April 2017

本当に「ごめんなさい」なのか

天気いいですね。どこに行こうかなと考えるとわくわくする。

先日、信号待ちのときだったか、ベビーカーで人の後ろを通るとき私は「すみません、ごめんなさい」と言った。男子高校生の三人組。ベビーカーに気づいて少しよけてくれた。

通り過ぎたあとでそのなかの1人が「ごめんなさい、って…」と言っているのが聞こえたところでハッとした。

たしかに。「ごめん」じゃないなあ、あの状況は。

「すみません」は比較的簡単に使える言葉だ。それに対して「ごめんなさい」は明らかな謝罪である。英語だと分りやすい。Excuse meとI'm sorryでは程度がだいぶ違う。なのに、「ごめんなさい」を「すみません」の延長ぐらいの軽さで使うようになっていた。日本語の場合は「すみません」の汎用性があまりにも広い(!)ため、並べて使っても英語ほど違和感が無いのだ。そういえばよく私の母親がこの2つをセットで言っていた気がする。しばらく一緒に過ごして私もクセになってしまっていた。

こういう言葉ってほとんど無意識に発しているけど、実は結構影響がある気がする。謝るほどでも無いのに謝られても、前に書いた高校生のように戸惑う。そして言ってるほうも無意識のうちにに恐縮しながら生きている。そして謝罪するほどの場面でもないのにとりあえず最上級の謝りを入れておく、みたいな感じになっている。言われた方が気持ちが良いかというとそうとも限らない。もちろんほとんど気にならない人がほとんどだとは思うけど。だから高校生みたいに頭が新鮮で柔軟(!)な人には気になっちゃうのだろう。さらにその男の子は外国人っぽかった。

当然ながら、ぶつかったら「ごめんなさい」である。私はよく歩いていて前の人の足(かかと)を踏むことがあるので、そういうときは「ごめんなさい」と言っている。

というわけで最近あえて「ごめんなさい」がはたしてその状況に相応しいのかを意識するようになった。ふと、「ごめんなさい」を「ありがとうございます」に置き換えてみたらどうだろう、と思ったので、状況にはよるが実践してみている。言っている本人は気持ちがいい。少し道を譲ってもらって、あるいはエレベーターで先におろしてもらって。

あの時高校生がつぶやいてくれてよかった。言葉の持つ力は大きい。

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