寒い。3月21日なのにこんなに寒い。きのう寒かったからきょうは少し暖かくなるかなと期待していたけど変わらない。しかも小雨が降っている。こんな春分の日もあるのだ。
さて。faceboookを見ていたら誰かの写真に対する誰かのコメントに「スタイルいい〜 うらやましい」と書いてあった。いやそんなのどこにでもあるコメントなんだろうけどなんかこれが、こう、ひっかかるものがある。
まず1点目、ここでいう「スタイル」という言葉は和製英語だ。手脚が長くてウエストがくびれていて…というような身体的なバランスの良さについてstyleとは言わない。はいでは辞書をひいてみよう。そうすると「様式、型、形式、流派、暮らしぶり」と出てくる。やっぱそうだよね、うん、だから「スタイルがいい」と聞いたり見たりすると、かっこいい生き方をしている、とか、自分にあったいいものをうまく取り入れている、とかそういう感じに聞こえる。少なくとも私には。でも和製英語の意味も知っているから「ああそうかこの人は身体的な分配のバランスの良さについて言っているのだな」といったん脳内で修正する。正しく広まるためにはやはりまだまだ時間がかかりそうな言葉だ。
そして2点目、「羨ましい」ということ。他人知人友人が身体的に美しくてそれが「うらやましい」というその感覚がどうしても理解できない。手脚が長くて顔のきれいな人はもちろんたくさん知っているけど「うらやましい」と思ったことはない。「自分もそうなりたい」ということだろうけど、こうやって「うらやましい」と聞くとその人が、自分もそうなるための努力もせずに「いいなー」「恵まれてるね」「あんたラッキー」「それに比べて私はこんな感じに生まれちゃったんだよ」「だから自分はどうしようもない」「がんばっても変わらない」と、もはや無気力にうらやんでいるように感じてしまう。何の努力もせずに。言い過ぎですかね。
でも、だって、他人なんですよ。自分は自分なのに。「そうなりたいと憧れる」ならわかるけど。他人のことは他人のことで放っておけばいい。自分には自分の頭と身体と人生、生き方がある。そこを分けて考えられないとなると人生羨んでばかりになってしまう。「お金があってうらやましい」「イケメンの彼氏でうらやましい」「英語ペラペラでうらやましい」。巷にあふれるこういう言葉は、やっぱりひっかかるのである。
Wednesday 21 March 2018
緑地の民家園
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