ようやくあたたかくなった。日曜は家族で近くの公園へピクニック。買ってきたハンバーガーと、家から持ってきたおにぎりを食べた。咲き誇る梅の下でピクニックシートを広げる家族がたくさんいた。同じことを考える人たちは多いようだ。あたたかくて、皆嬉しそうにしていた。春だ。ようやく春だ。今年の冬はずっと寒かった。つまり、寒い期間が長かった。よく耐えた。
戦争は過去のものではないし教科書のなかでのみ起きるものでもないのだ、ということを普通の生活で感じている。警報が鳴って避難する、というのはなにも地震発生時に限らないのである。ロシアをはさんで向こう側にいる友人がそれをいま体験しているのだ。
ウクライナのことをよく知らないという日本人が多いと思う。私も、ウクライナに行ったことがなければおそらくそうだったろう。遠い国だと思っていたに違いない。
たとえばウクライナの出来事を、「自分の生活には関係がないことだ」と思う人たちは、そのことについて特に語らない。なぜかというと、「知らない」から。もっと言えば、「知らない、と言えない」からだ。何かについて知らないことを恥ずかしいと思っているのかもしれない。無意識に。
それならまず「ウクライナってどこ」という疑問を口にすればいい。そこから話題になる。知らないのは自分だけじゃない。意外と周りも知らないものだ。たとえばアメリカ大統領選のときに、仕組みが分かっていなくて同僚に質問したら誰も知らなかった。なんだ、私だけじゃないのか、と思った。
知らないことは何も恥ずかしくない。特別に詳しくなくていい。話題にするのをやめる、タブー化するのは、愚かさへの第一歩だ。
こどもはこれができる。つまり「ウクライナってどこ(あるいは何)」という疑問が自然に出る。大人になってもこれを失ってはいけないと思う。「お前そんなことも知らないのか」と言われても質問し続ければ良い。そして自分で調べてみればよいと思う。おかしいと思ったらそれを表現、あるいは表明すればよい。勉強はそのためにやっている。正しく読み書きができて、わかりやすい表現で相手に伝えることができるように、勉強をやっている。
5歳の子はウクライナとロシアの関係に興味津々でした。35個くらい質問されたので頑張って答えてみたものの、時々返答に困る。「それはいい質問だねえ」「確かに、そう言われれば、なんでだろうねえ」と何回か答えた。質問に答えているうちに、自分は何が分かっていないかが、わかるようになる。やりとりは大事だ。