A Manual for Cleaning Womenを先日読み終えた。長くかかった。春からずっと読んでいたと思う。言い訳のようだが、平日の朝稽古に参加することが増えたので、朝読書する時間が減った。毎日読まないとなかなか定着しない。そして朝から暑い。さらに、短編なので次が特に気にならないので手が伸びない…と、そんなこんなで夏休みまでかかってしまった。図書館でペーパーバックを借りて読んでいたがいったん返却し、もともと買っていた電子書籍のほうで続きを読んだ。
自伝に近いのではないかと思う。いや、自伝か?舞台は米国で、馴染みのない環境なので想像しながら読んだ。岸本佐知子による翻訳もあったが原典のほうを読んだ。これは女にしか書けないし、翻訳したいと思う人も女だろうなと思った。女性の抱える痛みがありありと伝わってくる。川上未映子が絶賛するのもわかる。
ひとつひとつの文が短く、もはや詩に近いところがあった。会話もたくさん出てくる。英語は簡単なほうだと思う。文法を気にしていては読めないな、というくらい、文法のルールが当てはまらない箇所だらけだ。しかし感覚で読んでいても「あれ、今のなにが起きたの」というところもある。
そう思ってしまう原因のひとつに、人名で混乱させられる、ということが挙げられるかもしれない。よくありそうなアメリカ人の名前が3つも4つも出てくるともはや誰が誰だったかわからなくなる。洋画を見ている日本人が、登場人物の白人を区別できなくなるのと同じようなものです。「あれ、この人さっき死ななかったっけ?」とか「娘と思ったら奥さん?」とか。典型的だ。どうしようもないな、とほほと思う。メモでもとりながら読めば違うのかもしれないけど。
というわけで久しぶりに、きちっとした文章からなる、長編を読みたいと思ったので電子書籍でKazuo IshiguroのPale View of Hillsを買った。タイミングの良いことに、長崎の話なので、読むなら今だ!と思った。きょう1章読んだけど、日本人女性の名前が4つ出てきた。わたしはこれらの区別をつけながら読めるけど、慣れない読者は「日本人の名前区別つかない」と思っているのかもしれない。
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