Tuesday, 3 March 2026

眠れないときの過ごし方

 日曜の夜、どろぼうの夢を見た。わたしの家ではないところで、泥棒と対面して、なにか会話をしたと思う。対面といっても顔がみえない。絵本なんかでよくあるような、真っ黒な人影がどろぼうその人だった。しかもふと、「来週締め切りのあの仕事の担当はもしかして私じゃなかったか」と思い出してしまって、担当の表を確認せずにはいられなくなった。いったん気になると夜の思考は魔物のように襲ってくる。どうしても眠らせてくれない。

というわけで夜中1時すぎに起きた。担当を確認すると、わたしではなかった。よかった。これで眠れるか、というと、そんなにすぐには眠れない。そもそも9時から寝ているので、1時にはそこそこの睡眠がとれていて、うとうとするような眠さはないのだ。というわけで、眠れないときにお決まりの本を読んだ。カロリーヌ・ド・メグレの"Older, But Better, But Older"だ。(日本語のタイトルは「40歳過ぎてパリジェンヌの思うこと」といういかにもなタイトル。)

 

30代はもっと眠れない夜がたくさんあって、そういうときもカロリーヌ・ド・メグレの本にだいぶお世話になった。当時は「パリジェンヌのつくりかた」だった。20代後半から30代のまるごと、この本にどれだけ励まされ、助けられただろう。もはやバイブル的存在。永久保存版だなと確信したので、図書館の人が使うようなシール?ラベル?でコーティングしてある。

2作とも、読むというより気が向いたページから見る感じだ。

著者はわたしより年上で、40代になってから次作を書いたわけだが、続編をいまかいまかと待ち望んでいた私はすぐに買った。当時まだわたしは30代。買って読んでもいまいちピンとこなかった。

それがどうしたことか最近だとしっくりくるのである。40過ぎてから読むべきだなとあらためて思う。

それにしても最近は「うすーく」眠っているようなときが多い。なんだろう。睡眠時間の後半になると、うすーく眠って、現実なのかどうか判別つかないようなクリアな夢をたくさん見ている。そして自然と5時に起きるわけではなく、そのまま6時まで寝てしまうことができる。疲れているんだろう。仕事のストレスもある。花粉症もあるかもしれない。季節の変わり目というやつか。

週末に読んだ数々の雑誌のなかで、ためになる情報がいくつかあった。藤田晋さんだったと思うけど「謙虚で、気が利く」社員について書いていた。昇進する人の特徴だったっけ…。気が利くというのは、気を利かせようと思ってもなかなかうまくいくものではないのだ。謙虚さについては、意識するといくらか変わるかもしれない。

さて、きょうは1日雨。昼になにを食べるか、きのうの夜から考えている。

Sunday, 1 March 2026

3月になった

信じられない早さで3月がきてしまった。2月は、冗談ではなく、ほんとうに4週間しかなかった。3月を迎える心の準備ができていない…ような気がするけどおそらく毎年こんな感じなのだろう。 

金曜の夜はcotoletta panataだった。コトレッタ・パナータとはパン粉をつけて焼いた肉。日本のとんかつやチキンカツに近いけど、厚みが違う。こちらはだいぶ薄い。鶏のささみを使っているけどおそらくイタリアではほかの肉も使う。木曜から「明日はコトレッタにしよう」とFが言っていたので楽しみにしていた。帰宅するともう揚げられていた。わーい。ありがたいことこの上ない。

付け合わせのポテトも絶品。揚げたのもあるし、ローズマリーといっしょにオーブンで焼いたのもある。確か、じゃがいもを15個使ったと言っていた気がする。びっくりしながらも全部食べ終えた。

揚げる時はにんにくも一緒に揚げる。レモンで食べたり、揚げ物には必ず葉野菜がついているあたりが、なんともイタリアだなあと思いながら撮った一枚。

きのうは天気がよくて風が強かった。つまり花粉がよく飛んだ。目がかゆくて仕方なかったがなるべく触らないようにしてなんとか乗り切った。鼻水も出るけど、それほどひどくない。

朝は合気道へ行った。結構な汗をかいた。

先生のことばメモ。

「10年も20年もやっていると、ただ道場に来れば良いと思っている人がいるけど、そうじゃない。真剣な気持ちでやらないと。いい加減な形でやっている人が大半。せっかく月謝払ってやっているんですから、せっかく朝早起きして来てるんですから、指導をよく聞いて、やってほしい」

耳が痛い、というやつである。自分のことを言われているなと思う。そういえば、今年の東大の英語で「強さとは何か」という英作文の問題が出題された。合気道で毎回先生が言われていることだったので「おお!」と思った。先生は「自分に負けないこと」とおっしゃる。英語で何と言うのだろう。

合気道から始まり、パンを焼き、スーパーに行き、図書館で雑誌を読んだ。最高の土曜日。図書館は、午前と午後で別の図書館に行ったので合計で5時間は雑誌を読んだことになる。

変な夢を見た。以前の職場に戻るという夢だった。いろんな同僚が出てきて「なに、結局こっちにしたの?」と聞いて来た。懐かしい人たち。5年しかいなかったけど基礎を作ってもらった職場だった。今に生きている。転職する予定はないけどなにかしらの深層心理が反映された夢だったのかもしれないと思っている。

さてきょうも花粉に負けず過ごす!

Friday, 27 February 2026

身体の変化と、膝

数年間悩まされていた右側の背中が痛いという問題が、ここ1年くらいめっきり減った。これはとても良いことだ。2024年の10月に手足のしびれで整形外科に行き、レントゲンをとって原因がわかり、日常で気を付けるべき動作について指導をうけて以降のことだ。こんなに変わるものだろうかと思う。この痛みと一生付き合っていくのか、とさえ思っていたのに。指導された体操を毎日寝る前にやっている。ひざの裏を伸ばし、腰の側面、腹筋、背筋を鍛える運動。たったの10回ずつ。きつくないしすぐ終わるので寝る前に必ず行う。

最近は合気道に行く頻度が上がったせいか、右膝の内側が気になる。痛いとまではいかないが違和感がある。このまま同じ動きを繰り返すときっと良くないと思っている。何に気をつければよいのか、ネットで検索して読んだ。やはりねじれも衝撃もよくない。良いわけがない。

きのうは朝稽古に行った。6時に家を出るが、ついに明るくなってきた。出発するときは自転車のライトをつけるけど、ほんの10分くらいの間に必要なくなる。春がきたなあと思う。梅が咲いて、雨でだいぶ散った。だんだん暖かくなってきたので、毎日来ていたフリースは薄手のニットに変わった。ユニクロのニット。それでも下にカシミヤは着ている。

花粉症は年々楽になってきている気がする。いろいろあるだろうけど合気道のおかげだと思う。運動は良い。運動している間はそもそも花粉症のことを気にすることがない。もやもやしていたものがすっきりと取れてしまう。かゆかった目もかゆくなくなるし、鼻水は出ない。

細々とではあるが、続けることで身体の芯がだんだん強くなってきている気がする。この2年くらいでそれを実感している。今月は7回行った。明日もおそらく行くのでそれで8回。月1回でつないでいたころからすると上出来だ。でもあの時期があったからこそ今がある。

さてあとはどうやって膝を守るか。

カート・ヴォネガットのThe Sirens of Titanを読んでいる。火星がでてくるSFなので、かなり難しい。朝稽古によく行くようになったので読めない朝がある。とても時間がかかっているけど今半分くらい読んだところ。

さてきょうも1日がんばろう。

Wednesday, 18 February 2026

『恋の通訳、できますか』

2月前半は仕事が忙しかった。けど元気で過ごしています。合気道でできた擦り傷とかアザが気になることは気になるけど、あるとしてもその程度。

Netflixで『恋の通訳できますか?』を最終話まで見た。いまいちでした。期待しすぎたのもある。通訳の話なのと、コ・ユンジョンとキム・ソノが主役と聞いて見ないわけにもいかず、ほかのドラマを中断してこちらを優先させたけど、うーん、いまいち。

1、脚本がイマイチ

いつものように「ほー、よくできてるな!」と思うことがない。深みがない。主人公がどういうキャラクター・性格なのかが伝わってこないので共感ができない。泣ける場面はひとつもなかった。深みがなく、むしろ「??」となることが多い。「私、いま何か見逃した?」と思うくらいにつながりがイマイチ見えない。途中、二重人格が出てくるあたりはなんだかよくわからなくなってきて、わからない私がいけないのかな、と思ったけど分かってなくてももはや問題なさそうだったのでそのまま見た。二重人格なら二重人格でもう少しそこにフォーカスすれば面白かったのかもしれない。

2、登場人物

共感できない理由のひとつに、韓ドラおなじみの「強烈な周りの人たち」の不在があるかもしれない。見回してみても、いない。普通の人たちしかいない。主役2人はとにかくきれいで見た目がよいのだが、それ以上の何かはあまり伝わってこない。コ・ユンジョンはよかったかもしれないけど、もう少しキャラとして残るなにかがほしい。シャネルの服がオンパレードで出てくるのだがむしろそれが「シャネルを着たコユンジョン」の印象が強く残りすぎる。それを楽しみに見る人にとっては、たまらなくよいと思う。

3、海外の景色に頼りすぎ

海外ロケがたくさんあって、まあそれはドラマの設定なので仕方ないにしても、この撮影にかかったお金を考えるともう少し良いものができてもよかったはず。『愛の不時着』のスイスとか『涙の女王』のドイツとか、それなりに話の筋に必要だったので自然だったけど、今回のこれは、カナダとイタリアの景色に頼りすぎているというか甘えすぎている気がした。欧米への憧れがある人にとっては見応えがあると思う。そこでちょいちょい出てくる日本。結果的に半端な存在で終わってしまった気がする。

4、福士蒼汰

いったいこいつはなんじゃらほい。とんちんかんで損な役回り。出てくるセリフがことごとく「え?!ここでこれ言う?」と日本語話者のわたしでさえ思う不自然さ。これもキャラがつくられてない証拠だと思う。悪態をつくのも、まあそういう設定だから、わかるけど、不快になる感じの悪態。これはわたしが日本語ネイティブだからそう感じるわけで、もし日本語がわからなくて字幕だけで見ていたら別にそこまで嫌なやつだと思わなかったかもしれない。

結果:全編をとおして、結果的にわたしは福士蒼汰に同情しました。これを見る前まで、福士蒼汰がどういう人なのか何も知らず、そもそも顔さえ認識していなかった。誰だろうこの俳優と思ってたらエンドクレジットにSota Fukushiとあって、ああ、聞いたことある!と思った。そこでどんどん悪い印象が積み重なっていって、ネットで調べてみたらこの人すごい数の作品にいままで出演していて、日本ではファンもたくさんいるそうで。それを知らず初めてみた私が嫌ってしまうような演技をするのは、このポンコツ脚本のせいなんだなと思うと、なんだかかわいそうになりました。いくつかレビューをみたらたくさんの人が「福士蒼汰がこういう役というのは日本のドラマだったらまず有り得ない」と書いていて、なるほどと思った。

話はかわるけど福士蒼汰は183cmあるらしくて、高身長だな、と思うけど、主役のキム・ソノも183cmだし、韓国で180越えはそんなに珍しくもない。つまり、日本人俳優も、このくらいの高身長、見た目の人じゃないと韓国ドラマに出演して映えないだろうなとあらためて思う。

ところで福士蒼汰、韓国語うまい。発音がちゃんとしてる。ついでにいうと英語もよかった。これをきっかけに海外での活躍も期待する。

5、それでもよかったところ

第一話はよかった。これがもう少しふくらむかと思っていたんだけど。。あ、こう書いているうちに悪かったところがまた出てきてしまうな。

Wednesday, 4 February 2026

友人に会った、"Dear Life"読みおわった

3日はいつもと違う場所に仕事に行くことになっていて、2日はその経路検索などをしていた。そのとき、Aに会おう、と思った。友人Aは行き先の近くに住んでいるのでもしかしたら会えるかもしれない。ダメもとで連絡をとったらちょうど時間が合い、会えることになった。連絡してみるものだなあと思う。

久しぶりに会うようでそうでもなかったりするのだが、いつものように話は尽きず、お互いしゃべりたおした。短時間でも会えてよかったし、おかげで1日が特別にいいものになった。

この年になると、友人は、心がけて会おうとしない限り、会わなくなってくる。信じられないけど10年ぶりだね、みたいなことが簡単にある。特にこどもが生まれて家庭を持つと優先順位が変わるので、当たり前だと思う。そういえば誰にも会ってないな、と思うことがよくある。かといって働き始めて以降の新しい友人ができるかというと、大学時代ほどのくだけた間柄はなかなか築けていないので、やっぱり当時の友人は貴重だなと思う。ただしそれが誰でもいいわけではなく、自分にとって大事だと思う人、自然と会いたいと思う人はやはりそうでない人との間に線がある気がする。

日差しはあるけど北風のつめたい1日だった。そろそろ花粉症の薬を処方してもらいに行かねば、と思った。

今朝、Alice MunroのDear Lifeをようやく読み終えた。ノーベル賞作家の短編集。買ったのは、それこそ、10年くらい前だったと思う。全然入り込めず、何回挑戦しても最初の話を読み終わらない、それが続いた。長編に慣れ、読めるようになった今となっては、この本も読めるようになっていた。もっと言うと、長編に慣れると短編が物足りなくさえ感じる。慣れの力はすごいなと思う。

おもしろかった。いくつか、とても印象に残る、気に入った話がある。そうでもないのもあった。カナダが背景の話は読んだことがなかった。女性の目線で書かれているが、なるほどこれは男性に書けはしないなと思う。川上未映子を読んだときもやっぱりそう思った。自分の年齢もあると思うけど。

人生は面白いよな。なんてことない自分の毎日でさえ面白く見えてくる。事実は小説より奇なり。そんなことが積み重なってできている、人生。

さてきょうは普通の1日。はやく暖かくならないかなあ。

Monday, 2 February 2026

1月の振り返りと日曜のきろく

さて2月になった。

1月は長く感じた。知人の死をはじめいろんなことがあった。どうやったら自分がつぶれることなく、折れることなく過ごせるのか、よく考えた1ヶ月だった。体調不良にならないように毎日努力した。よく寝てよく動くようにした。合気道はこの1ヶ月で14回も稽古に行った。こんなことは今までになかったと思う。寒稽古の効果は大きい。よく動くので、お腹もすくし、ほどよく疲れてよく眠れた。食べたいものを食べたいときに食べているが、それでも体は軽かった。一年で一番寒さの厳しい月を、元気で過ごすことができた。 これは良かったと思う。


こども作のレゴ。写真も自分で撮っていた。ブログに載せてよ、と言われたので。
細部までよくできている。
これはまた別の日に作っていたものだったと思う。

昨日の午前中はいつものようにこどもとプールへ。毎週行っている。泳ぎ方は相変わらずだが、とにかく浮かんで、息継ぎしながら25メートル泳げる。

新しい椅子を買うかどうか迷い続けて数日、ネットで見ただけではなかなか決められなかったので、きのうは思い切って店舗まで行ってみた。昼を食べに出かけたあとで、渋谷へ。驚くべき人の多さ。少し暖かい日曜の午後に、渋谷に人が多くないわけはないと思っていたけど、想像以上の多さだった。正確に言うと「観光客の」多さ。日本人は半分いるだろうか?前に人がいて、道を、進めない。ハロウィンかと思うくらい。自分が何をしにここまできたのかを忘れそうになった。

本来の目的ではなかったが、久しぶりにロフトに入ってみたら売り場がすべてお土産物になっている感じがした。桜や富士山がモチーフになったものばかり。すごい。2月でこれだとすると、もっと暖かくなった花見シーズンなんて一体ここはどうなってしまうんだろうか。近寄ることもできないんじゃないかと思った。いろんな言語がきこえる。英語をしゃべる人たちが、「オマイガー、イッツソーキュート」と言いながらジブリの小さな置物のようなものへ駆け寄っていて、写真を撮っていた。そのあとも、上まで上がってみたけど日本語はほとんど聞こえなかった。

それでも、帰りにスクランブル交差点を渡りながら、ちょっと爽快な気分がした。東京という街を1人で歩くときの爽快感。私にはわかる。自由と一緒に闊歩する。私はここからどこにでも行ける、誰にも支配されない、私は自立していて、私は自由。そんな気持ち。少し傾いた日差しが暖かくて、眩しかった。もうすぐ春だ。

帰ってからいつものようににんじんラペを作ったりした。試しに座った甲斐あってどの椅子を買うか決めた。ここ数日、どの椅子にするかインターネットばかり見て考えていたのでネットを見るのはもう疲れて、本を読んだ。『ドイツ人のすごい働き方』。こう言っちゃなんだけど、すでに実践していることばかり。3週間の休暇とか、定時に帰る、とか。あとは、いわゆる会社に勤めていない私にとっては、読み飛ばすところも多かった。あっという間に読んでしまった。

ドイツ人の片付けについては参考になるところがあった。ドイツ人は片付けが好きだというのは、以前友人から聞いたことがあった。ベルリンに行ったときに借りた家が本当によく片付いていたのも覚えている。

こどもの宿題をみたり、明日の準備をしたりして、夜はバーガーキングを食べて寝た。いい日曜だった。

Friday, 30 January 2026

「自分に厳しすぎる」と、光浦の本

 先日の合気道で、先生が、門人について「自分に厳しいんですよね…」と言っていた。20代の女性が「私なんてまだまだ」と言うらしいが、これがどうも厳しすぎるようなときもある、とのこと。

少しこれについては考えた。

女性全般についてのコメントというわけでもなかったけど、もしかしてそれはあるかもしれない、と思った。「がんばって、いい子であること」を幼いときから期待されている傾向が、女の場合はある気がする。そのうちに男がある程度「あいつはまったく」で許されるところを、女は許されないどころか自分でも許さなくなってくる。先日なくなった知人のことも考えた。

女性が責められやすいのはその分期待が大きく、そういう目があるからだ、と極力意識して、それは自分のせいではないと思えばいいのだがたいていはそうはいかない。少し何かが欠けたときに、想像以上にこれがこたえてしまう人たちが、私の周りにも何人もいる。

なるべくいろんな人に会っていろんな経験をし、自分の視野を広げる努力をしていこうと思う。折れない心を育てるのは、こどもだけではなくて、年取った大人だって同じことだ。それを意識しながら生きたい。

ウクライナの友人にもらったチョコレートがとてもおいしい。物流は止まっていないそうだが、それでも、戦争下にある国から食べ物をもらっているのだから、貴重だと思う。

今朝は光浦靖子の「ようやくカレッジに行きまして」を読み終えた。相変わらずの面白さだ。この人は本当に応援したくなる。裏も表もない、さらに、気取った感じが全然ないこの文章がストレートに響く。ワークパーミットが取れた状態で今カナダにいるということがよくわかった。あと2年くらいだろうか、どうかがんばってほしい。彼女の存在がたくさんの人に希望を与えていることは間違いないだろう。

Wednesday, 28 January 2026

薄力粉をかえた

 このブログは、それはそれは長いこと続けていて、もはや人生の半分くらいにあたる。このブログの前にも、別のブログがあって、いわゆる「引っ越し」を2、3回したところでここに行き着いている。ブログというものが流行った時代からずっと書き続けていることになる。人生の記録と呼んでもいいかもしれない。たとえばあのとき何をしていたっけ、と思って昨年の今頃の記録を見返すことがある。こういうことができるようになったのはつい最近のことだ。以前は、見返すと「イタい」ことばかりで、まず振り返ろうとしなかった。目に入れるともういたくていたくて仕方なかった。だからと言って消そうとはしなかった。20代の後半から書いているので、前半のもっとも恥ずかしい時期はここにない。10代も20代も、みっともない時期だ。だけどそれでいい。存分にみっともないことをして過ごしてきた。なんの後悔もない。馬鹿だったな…と思うと同時に心があたたまる。

いまがおそらく一番寒い時期だ。冬なのにこんなに快適に過ごせているのは合気道のおかげだろうと思う。体調も良い。おととい、体調悪くなりそうだなという感じがしたのでいつもより10分早く寝た。

先日、友人に「最近の楽しみはなに」と言われて、合気道のほかに何があるだろうと考えたら、お菓子をよく焼いていることかもしれないなと思った。自分が食べたいものではあるけど、人のために焼いている。朝マフィンを焼いて、6個できる。それがだいたい1日でなくなる。同僚に持って行ったりしないの、ときかれて、可能性を考えた。手作りのものというのは「重い」ので、もらった側の気持ちを考えると押し付けがましさがあるから持って行かない、と答えた。あとは、焼くことがあまりにも日常になりすぎていて、持っていくことに特別さがない。もはやごはんと味噌汁を持っていくくらいの普通の食べ物になっている。

お菓子といえば最近、スーパーに売っている薄力粉ではなくて「ドルチェ」という、よく、お菓子教室や料理専門家が使う薄力粉を使ってみた。スーパーの名も無き薄力粉よりちょっと高いけどものは試しだと思った。

すると、やっぱり違う!これはびっくりした。食べる方はあまり気づかないかもしれないけど、出来上がったものが、より、売っているお菓子に近い感じになる。食べたあとに落ちているくずの形が違う。いちいち1kgを買ってすぐなくなるより、ネットで2.5kgのドルチェを買ったほうが良いらしい、ということがわかった。あたらしいことも思い切って試してみるべし。

Monday, 26 January 2026

生と死をかんがえる

土曜の朝も合気道に行って、そのまま仕事へ。早朝は交通量も少ないのでストレスが少ない。職場も静かで快適。ドーナッツを食べながら世間話などする。昼になったら職場を飛び出て、家族と合流しいつものそば・うどん店へ。メニューを見ずに「けんちんうどん」を頼んだ。あったかくて美味しかった。これで「冬の特別メニュー」をコンプリートした。次回は味噌煮込みうどんをリピートしたいと思う。

時系列は前後する。

先週、知人がなくなった。水曜にそれを知り、衝撃はやはり大きく、頭がついていかなかった。文字面ではわかっているのだが、理解できないし受け入れられない。夜は、いつものように9時ごろ寝たのだが、1時に目がさめた瞬間にそのことが思考に入り込んできて、ものすごい勢いで回り始めた。どれだけ寝返りをうっても眠れず、2時半ごろついに起き出した。無理に眠ろうとすることをやめた。牛乳をあたためて飲んで、じっとしていたけど眠れる感じがしなかったのでマフィンを焼いた。深夜のマフィン。混ぜるだけなら5分でできるのだ。毎日焼いているのでレシピも覚えている。3時すぎにオーブンに入れて、あとはよろしく、で寝た。浅い眠りだったが、5時ごろまで眠ることができた。

木曜は合気道に行くつもりはなかったのだが、知人の死について悶々と考えてしまうので稽古に行くことにしたのだった。朝から体を動かしたほうがいい。その瞬間に集中してほかのことを忘れるには、やはり体を動かすのが一番だ。

それから数日経った今は、ほぼ通常どおりに過ごせている。あの眠れない時間は、たぶん自分にとっては必要な時間だったんだろうと思っている。平気でいられるわけはないのだ。今となっては、当たり前だけど、いろんな想像しかできない。死んでしまったらとにかくすべてが終わったこと、過去のことなので、何もできない。今後のためも何もない。

日曜、ウクライナに住んでいる友人が一時帰国しているので会いに行った。貴重な時間だった。キーウに住んでいて、インフレはあるけど物流も止まっていないし通常通り生活できているということ。それは何よりだった。将来のこととか、いろいろ願望があるといえばあるけど、「こうやって元気で生きているっていうだけで合格点以上なんじゃないかな。」という言葉が心にのこった。前線で戦っている人のことを思うと、じゅうぶん幸せなのではないか、と。ある程度の収入があって、食べるものもあって、友人もたくさんいて、健康である、それだけで合格点以上、と。事実、本当に健康そうだった。元気でよかったと思った。

当然ながら知人の死のことを考えた。対照的なこのふたつ。

ここ最近は本当に寒い。2週間天気予報を見てもまだまだ寒さが続くようだ。体調を崩さないようにしたい。

Friday, 23 January 2026

寒稽古効果

12日から1週間続く寒稽古に皆勤した。7日間連続で、朝6時半からの稽古に参加したということだ。今までの人生になかったことだった。自分でそう言うのはたいへんおこがましいが「快挙だ、よくやったぞ」と思った。一年で一番寒い時期に、朝6時に家を出るのはとても勇気がいることだったが、なんとかやり遂げた。最初は皆勤するつもりはなかったが、1日目に行くと、おや、明日も来れそうだなと思った。3日目は休もう、と思っていたときに小学2年生から「あなたは(明日くる)?」と聞かれて、行かないと言えるわけもなく、言葉につまりながら「うん行くよ」と答えた。そこで3日目がつながり、皆勤が見えてきた、というわけだ。きっかけはどこで降ってくるかわからない。平日はドーナッツを買ってそのまま職場に行った。寒稽古中に食べたドーナッツは8個。

やってみなければわからないもので、寒稽古が終わってから、予想を超える効果を感じている。朝稽古がさほど「おおごと」ではなくなり、今週の通常稽古も火曜と木曜に参加した。7日連続参加したことが自信につながっている。自分はできるのだ、と思える。行けない理由がない。

さらに、こども。寒稽古中、平日の朝はわたし無しでこどもは過ごし、朝ごはんを食べて学校に行っている。これが不安だったけど、問題なくできているので、つきっきりじゃなくてもいいらしい、ということがわかった。私がいないことによって、父子の朝のリズムができたのかもしれない。これができたのは、やはり寒稽古前にYさんと話した、子にだんだん任せる、ということが影響していると思う。「ままが合気道に行って楽しいなら、僕はそれでいいよ」と言っていた。

そして、体。頭でいろいろ考えるより先に体が朝稽古に慣れている。1週間も続けると、体が自然と動くようになっているのだ。筋肉ができかけているのでいちいち筋肉痛になることもない。そして、当たり前だけど、体が軽くて、ごはんがおいしくて、夜はよく眠れる。少しぐらい寒くてもビクビクぶるぶるしない。体を動かして通勤すると、さわやかに1日が始まり、イライラもないし心の余裕が違う。

合気道に会えてよかったなと思う。こういう、「ずっと続けるといいことある」ことに、人生のどこで出会うか、はカギとなると思う。顔を上げて、前を向いて、息をするように行動をすること。

Sunday, 11 January 2026

ほんとは見てるんだけど、見てない

3連休初日。新年最初の合気道に行ってきた。しっかり汗をかいた。汗なんて家を出るときは想像もつかない。動くとすっきりする。肩や背中のこりがとれる。なにかしらこの2週間つまっていたものがとれた感じがする。気持ちよかった。

稽古前、Yさんに「きょうは、ジュニアは」と聞かれた。「寝てるとありがたいんですけど、まあ、朝ごはんとか、8時前に帰ったらなんとかなるかなと思って。わたしがいなくても冷蔵庫開けてくれれば。だんだん慣れてきました。」

「なるほどね。いなくても大丈夫だよ、お母さんの好きなことやっていいよってね」

「むしろいないほうがいい、みたいなこともよくあります」

「そうかもね。だんだんそうなるよね。ほんとは見てるんだけど、見てない、ぐらいがいいかもね。あんまり、あれしなさいこれしなさいって言うよりは。世話されたくなくなってくるから。特に男の子はね」

「なるほど。最近は、みないで、とか、こないで、とか多いですね」

「うん、合気道と同じで、適度な間合いが必要。相手の懐に入り込んじゃうと技かからないけど少し距離をとったぐらいがいい。離れすぎてもいけないけど」

という、たいへんためになる会話だった。もちろん自分でもわかっているつもりだけど、こうやって人と話すことであらためて気付かされることがある。人生の先輩からの言葉は貴重なのである。

帰ってから掃除、洗濯、買い物をし、クロスタータを焼いた。昼には味噌煮込みうどんを食べて、図書館で3時間くらい雑誌を読みあさった。栄養補給したような気持ちで図書館をさる。

1月の、新年があけて次の週末がとても好きだ。寒くても、好きだ。たいていの場合とくに予定がなくて、家にいてぬくぬくしながら好きなことをする。すこし新しい気持ちで家の整理をしたり作ったことのない料理を作ったりする。

きょうは少し気温が上がったようだ。太陽は出ていなくて風が強い。なのにそんなに寒くはない。変な天気。

Thursday, 8 January 2026

始業もろもろ

 寒い。さすが1月。12月とは違う。仕事は問題なく再開し、まだ2日しか働いていないのに冬休みが遠いことのように感じられる。あっという間に日常に戻った。そういうものだろう。

読みかけで返却せざるをえなかった"The Remains of the Day"がふたたびめぐってきたので、早速借りて昨日から読んでいる。久しぶりだけどすらすら読める。読み始めがあんなに読みにくかったスティーブンスの語りがいまでは心地よく感じられる。あと1章で読み終えるのが惜しい。

きょうから子の学校も再開する。上履きと、宿題と、ぞうきんを持たせて登校させる。3学期はあっと言うまに終わってしまう。

この2週間くらい、体重が正常に戻っていて、なんだか動きやすい。とくにダイエットしたわけでもなかったけど。1kg重いとやっぱり重く感じるものだ。

さてきょうも仕事。

Tuesday, 6 January 2026

冬休みを終えて

きのう東京に戻った。航空券を6月に買っていたので前方の席を選ぶことができた。これに限る。来年の航空券だっておそらく今買うことができる。

東京はいつものように晴れていてそれほど寒くなかった。いつもこうだ。年始の天気予報を見ても東京だけは晴れている。空港は混んでいたが、電車とちがって、混んでいることによる混乱はさほどない。なにしろ席が確保されているのだから。

姪っ子たちと楽しい冬休みを過ごすことができた。郷里に帰るかどうか、を何年も考えていた。これだけは答えが出なかったのだが、なんとなく私の居場所は東京のような気がしてきた。これといって決定的な出来事があったわけではないが、自然とそう感じている。考えているというより感じている。きょうだいの家族が実家に住み始めたことや、合気道が楽しいと思えていることなど、要因はいくつか考えられる。それでも、家というものを持ちたいという気持ちはある。その場所がどこなのかはまだ答えは出ない。いずれ降ってくるのかもしれない。焦ることでもないと思う。

東京の賃貸はとても小さいが、コンパクトに暮らすのが心地よくもある。わたしは多くのものを所有したくないタイプの人なので、自由に使える場所は限られたほうが良い。

時間も、スペースも、終わりや限りがあるおかげで、動きが軽くなる。

さてきょうは仕事始め。久しぶりに働くときには「ちゃんと戻れるんだろうか」と気にかかった時期もあるが、たいてい30分も経てば戻る。1年の育休から戻ったときだってそうだった。そもそも、わたしが「ちゃんと戻っている」かどうかなんて気にしている人は誰もいないのである。

Friday, 2 January 2026

私は後悔するだろうか

 あけましておめでとうございます。1日にも書けたんだけど書かなかった。

庭の見える縁側に座って毎朝読書をしている。きょうはDear LifeのなかのCorrieを読み終えた。

ブラインドをあけて空の色が変わるのをみながら過ごすのだがきょうは山の輪郭がいっこうに見えてこない。めずらしいなと思っていたらなんと雪が降っている。これは驚いた。寒いとは思っていたけどこんなことになっていたとは。

郷里で雪が降るのを見るのはいつぶりだろうか、と考えたけどもう思い出せない。きれいに切り揃えられた庭の植木はたいそう美しく、カレンダーの写真のようだ。

元日は、家族が体調不良というのもあり、初詣にはいかなかった。こういう年もあるだろう。家でおめでとうを言って、めいめいにごろごろすごした。ネットフリックスを見たり、オセロをしたりして楽しんだ。これでいい。

新しい誓いがなにかあるだろうか?と考えるが、やはりとくにかわったことはなく、健康に過ごすことに尽きる。新年だからと言って何か新しいことが降ってくるわけでもない。たいてい思いついたそのときがきっかけなので気張ることはない。毎年同じことを言っているようだけど、やっぱりそう。どんなにがんばっても「今年の目標」は出てこない。そういうもんだろうと思う。

「後悔しないように生きる」ということばをよく聞く。先日も海外の俳優がインタビューで、英語でそう言っている動画をみて、なるほどそうかと思って、ときどき思い出して考えてみるけど、わたしは果たして後悔をするだろうか。

たとえば今までの人生での後悔はない。「あのときああしていれば」と思うことはあるけどその先は「あのときああしていればどうなっただろうか」であって「あのときああしていればよかった」ではない。選んだ道を悔いてはいない。つまり今が不幸ではないから。もし今、不幸を感じていたら「あのときああしていればよかった」になるのかもしれない。

たとえばピアノがひけたらよかった、とは、確かに思う。でもピアノにかけられたかもしれない時間は別のことを経験していたわけで、その時間が無駄だったとは思わない。弾けるに越したことはないが弾けなくても楽しく生きられる。

健康に生きるためには毎日決まった時間に行うことがたくさんある。つまり習慣。習慣によって1日が成り立つので、それ以外のことが入り込む隙間はあまりない。(よき)習慣を繰り返している間に時が過ぎていく。

それによって目指すところは、結局なんだろうか。究極のところ、人の役に立つことなのかもしれない。自分がまともに立っていられることで、倒れそうな誰かを支えられるかもしれない。いや、人の役に立つこと自体が目標ではなく、子でも親でも同僚でも友人でもなく自分の人生をしっかり生きることで、そういう、おまけとしての「人のための自分」も出てくるのかもしれない。中心は自分にある。主体的に生きること。

眠れないときの過ごし方

 日曜の夜、どろぼうの夢を見た。わたしの家ではないところで、泥棒と対面して、なにか会話をしたと思う。対面といっても顔がみえない。絵本なんかでよくあるような、真っ黒な人影がどろぼうその人だった。しかもふと、「来週締め切りのあの仕事の担当はもしかして私じゃなかったか」と思い出してしま...