きょうは4月28日ぶりの仕事です。
こんなに長く休んでいたとは。毎日一応やることはあったのですが。
久しぶりすぎて身体が硬い。
6時半に起きてラジオ体操をした。あの音楽が流れると自然とベッドから出て動き出してしまう。良いことだ。そしてこんなに爽やかな季節はない。
売店でパン類を2つ買おうとしてどれがいいか迷い、後ろにいた女子高生に「どれが美味しいですか」と訊いたら「私たちはあのたまごサンドイッチがおすすめ」と言うのでどれどれと買ってみたら4つ入っていたうちの1つのサンドイッチが落ちてしまってガビーン
…という夢を見ました。
あと国籍は分からないけど英語ネイティブの先生がいて、生徒に授業でディクテーションさせようとしているんだけどそれが猛烈に下手だった。一カ所だけ何度も繰り返したりあからさまにゆっくり言ったりするので、それはディクテーションじゃないから、もう少し自然な感じにするんです、と注意を受けたら、なんと廊下に出てぶつぶつ読み始める。話にならない…という夢もみました。
いい夢でも悪い夢でも無い。
けど、示唆するものがあるとすれば、卵サンドは買うなってことですかね。
チョコレートなどの入った甘いパンを食べたいなとは思っていたので、これは朝、行くときに買ってみよう。
では行く準備します。
venerdì 6 maggio 2016
giovedì 5 maggio 2016
読書、ハンカチとティッシュ
今さらなんだけど、本っておもしろいな、と。立ち読みというか座り読みのできる本屋さんが近くにあって、時間があるものだから雑誌でも読もうと行き始めたら結局やっぱり雑誌だけじゃなくて本にも手を出した。
電車通勤だった頃は、必ずカバンの中に「今読んでいる本」があった。しかしこれが自転車通勤になってからというもの、めっきりぱったり本を読まなくなってしまった。かれこれ5年になる。
おかげで色々なものが欠けてきている気がする。1番大きいのは文章を読むことに対して慣れなくなってきたこと。じっと座って文章と向き合うことが苦手になってしまった。電車通勤で減った分の時間に読めば良いわけだが、家で何をしているかといえばひたすらネットである。ネットサーフィン。ソファに寝転がってネットサーフィンしてる間に1日が終わる。
今年の連休のようにこれだけ時間が有り余ると、ちょっと手に取るようになる。だんだんハマってくる感じがなんともいえない。川上未映子の本は昨日いっきに読み終えた。最後あたりになると涙が止まらなくなって、1人でぐっしゅんぐっしゅんハンカチを手にし泣いた。
ところで、仕事に行くとき以外でハンカチを持ち歩くのは珍しい。何がきっかけがあったか?あった。先日、少し面白いことがあった。
公衆トイレから出てきた6、7歳の女の子が、入り口で待っていた父親と話し始めた。私はその前を歩いていたので会話が全部聞こえてきた。
「ねえパパ」
「んー?」
「実をいうとねえ、あれがなかったのよ、あれが」
「なに」
「かみ。トイレットペーパー」
「あら、そうなの」
「うん」
「で、どうしたの?」
「えへへ〜 ほんとうに仕方が無かったからあ」
「うん」
「下にちょこっとだけ落ちてるじゃん、床に、あれ使っちゃった。えへへ」
「えええええ きたないよおおおお」
「でもさ、じゃあさ、どうすればいいの」
さて、ここであなたなら何と答えますか?
一瞬私も考えた。
1. トイレットペーパーの芯を使う
2. 何も使わない
3.... ほかに何かあるかなあ?
数秒の間に少し考えたが思いつかなかった。
ここで父親が何と答えるか、たいへん興味があったので耳をすませた。
すると、その若い男は、こう言ったのだ:
「ハンカチとティッシュはちゃんと持ち歩いて下さい」
…!!!
この基本例題の答えが思い浮かばなかった私はたいそう衝撃を受けた。
ああ、そうだよな、うん、当たり前やんね、ハンカチとティッシュ。小学校のとき机の上に置いてチェックしたやんね。持ってきてますかーて。忘れたらおこられたね。基本やん、そんなん基本やん…。
時が経って、基本がこんなに簡単に忘れ去ってしまうとは。
自分にあきれてしまった。
そして昨日は出かける前にふと、思い立って、お気に入りの自転車柄のハンカチをかばんに入れた。(ティッシュは入れなかったけど。)
まさか涙をふくために使うことになるとは思っていなかったけど、結局大活躍したのだった。
電車通勤だった頃は、必ずカバンの中に「今読んでいる本」があった。しかしこれが自転車通勤になってからというもの、めっきりぱったり本を読まなくなってしまった。かれこれ5年になる。
おかげで色々なものが欠けてきている気がする。1番大きいのは文章を読むことに対して慣れなくなってきたこと。じっと座って文章と向き合うことが苦手になってしまった。電車通勤で減った分の時間に読めば良いわけだが、家で何をしているかといえばひたすらネットである。ネットサーフィン。ソファに寝転がってネットサーフィンしてる間に1日が終わる。
今年の連休のようにこれだけ時間が有り余ると、ちょっと手に取るようになる。だんだんハマってくる感じがなんともいえない。川上未映子の本は昨日いっきに読み終えた。最後あたりになると涙が止まらなくなって、1人でぐっしゅんぐっしゅんハンカチを手にし泣いた。
ところで、仕事に行くとき以外でハンカチを持ち歩くのは珍しい。何がきっかけがあったか?あった。先日、少し面白いことがあった。
公衆トイレから出てきた6、7歳の女の子が、入り口で待っていた父親と話し始めた。私はその前を歩いていたので会話が全部聞こえてきた。
「ねえパパ」
「んー?」
「実をいうとねえ、あれがなかったのよ、あれが」
「なに」
「かみ。トイレットペーパー」
「あら、そうなの」
「うん」
「で、どうしたの?」
「えへへ〜 ほんとうに仕方が無かったからあ」
「うん」
「下にちょこっとだけ落ちてるじゃん、床に、あれ使っちゃった。えへへ」
「えええええ きたないよおおおお」
「でもさ、じゃあさ、どうすればいいの」
さて、ここであなたなら何と答えますか?
一瞬私も考えた。
1. トイレットペーパーの芯を使う
2. 何も使わない
3.... ほかに何かあるかなあ?
数秒の間に少し考えたが思いつかなかった。
ここで父親が何と答えるか、たいへん興味があったので耳をすませた。
すると、その若い男は、こう言ったのだ:
「ハンカチとティッシュはちゃんと持ち歩いて下さい」
…!!!
この基本例題の答えが思い浮かばなかった私はたいそう衝撃を受けた。
ああ、そうだよな、うん、当たり前やんね、ハンカチとティッシュ。小学校のとき机の上に置いてチェックしたやんね。持ってきてますかーて。忘れたらおこられたね。基本やん、そんなん基本やん…。
時が経って、基本がこんなに簡単に忘れ去ってしまうとは。
自分にあきれてしまった。
そして昨日は出かける前にふと、思い立って、お気に入りの自転車柄のハンカチをかばんに入れた。(ティッシュは入れなかったけど。)
まさか涙をふくために使うことになるとは思っていなかったけど、結局大活躍したのだった。
mercoledì 4 maggio 2016
書いて泣く
最近、川上未映子の本を読んでみたらとても面白かった。考えてみたら村上春樹以外で日本人の作家の書いた日本語の文章をここまで集中して読むことがしばらく無かった。ま、同時に村上さんのも再読してるんですが。ここ数日は「職業としての小説家」をもう一度読み直しています。
川上未映子を読んであらためて村上さんすごいよなと思うのは、村上春樹はほんとに誰にでもなれちゃうということです。例えばカフカを書けば15歳の少年だし。何歳にでも、どの性別にでもなれてしまう。そしてそれが不自然ではない。ほかの作家を考えてみても、なかなかそんな人はいない。と言っても読んだ本の種類がとても少ないんですが。江國香織も常に女性目線。まあ、子どもの視点に立って書くときはあるかな。川上未映子だってやっぱりどこまで行っても「女」だろうと思う。一冊しか読んでなくてこんなことは言えないだろうけど。
で、その「女」として「女」である川上未映子の本を読んだらめちゃくちゃ面白かったということ。これ女じゃないと面白いと思えないかもしれない。
読んでいるうちに、私も書きたいと思った。昨日、プールの中でゆっくり歩きながら文章を少し考えていたらいくらでも出てきた。
今朝起きたら、雨風が去ってとってもいい天気だった。気分も良かったので、体操をしてヨーグルトを食べて、少し書き始めた。もういくらでも文章が出てくる。そのうちバカみたいに1人で泣き始めた。まあ幸せなやつですよね。自分について書いて自分で泣くんだから。ある意味では自己陶酔である。
だけどこの世界に、いや、宇宙に感謝したくなってきた。自分の生きている意味とか、周りの人へのありがたい気持ちとか、宇宙の神秘への感動みたいなものまでもがこみ上げてきてもはや自分がステージに立っているかのような顔をして「うう、ありがとう」と泣きじゃくった。
小さい頃からこういう傾向はある。1人で感極まって泣く。想像力が豊かなのだ。自分で言うのも何だが。
仕事が無いとこんなにも色々と、深くものごとを考えてしまうのだ。それはきっと良いことなんだろう。暇にならないとなかなか自分には向き合えない。
そしてその手段としてはやはりものを書くというのは良い。インプットも大事だが、同じくらいアウトプットも必要である。話すのも良いけど、書くとより整理される。自分の抱えているものを言語化する作業は、一見面倒だが、そうすると本当に自分自身に問いかけるものだ。
さて、お天気が良いので出かけてきます。
川上未映子を読んであらためて村上さんすごいよなと思うのは、村上春樹はほんとに誰にでもなれちゃうということです。例えばカフカを書けば15歳の少年だし。何歳にでも、どの性別にでもなれてしまう。そしてそれが不自然ではない。ほかの作家を考えてみても、なかなかそんな人はいない。と言っても読んだ本の種類がとても少ないんですが。江國香織も常に女性目線。まあ、子どもの視点に立って書くときはあるかな。川上未映子だってやっぱりどこまで行っても「女」だろうと思う。一冊しか読んでなくてこんなことは言えないだろうけど。
で、その「女」として「女」である川上未映子の本を読んだらめちゃくちゃ面白かったということ。これ女じゃないと面白いと思えないかもしれない。
読んでいるうちに、私も書きたいと思った。昨日、プールの中でゆっくり歩きながら文章を少し考えていたらいくらでも出てきた。
今朝起きたら、雨風が去ってとってもいい天気だった。気分も良かったので、体操をしてヨーグルトを食べて、少し書き始めた。もういくらでも文章が出てくる。そのうちバカみたいに1人で泣き始めた。まあ幸せなやつですよね。自分について書いて自分で泣くんだから。ある意味では自己陶酔である。
だけどこの世界に、いや、宇宙に感謝したくなってきた。自分の生きている意味とか、周りの人へのありがたい気持ちとか、宇宙の神秘への感動みたいなものまでもがこみ上げてきてもはや自分がステージに立っているかのような顔をして「うう、ありがとう」と泣きじゃくった。
小さい頃からこういう傾向はある。1人で感極まって泣く。想像力が豊かなのだ。自分で言うのも何だが。
仕事が無いとこんなにも色々と、深くものごとを考えてしまうのだ。それはきっと良いことなんだろう。暇にならないとなかなか自分には向き合えない。
そしてその手段としてはやはりものを書くというのは良い。インプットも大事だが、同じくらいアウトプットも必要である。話すのも良いけど、書くとより整理される。自分の抱えているものを言語化する作業は、一見面倒だが、そうすると本当に自分自身に問いかけるものだ。
さて、お天気が良いので出かけてきます。
martedì 3 maggio 2016
田舎に帰りたい
引き続き雑誌の話。
また別の本屋で『TURNS』という雑誌を手に取った。
また別の本屋で『TURNS』という雑誌を手に取った。
初めて見る雑誌だった。そのタイトルが表すとおり、「地方に戻ろう、地方で暮らそう」というもの。
表紙を見たとき、常々頭のなかにあったのに意識化されてなかったことが、外から小突かれたような感覚だった。ハッとした。
九州が気になるのは熊本の地震のこともあるかもしれない。
いずれにせよよく思っていることだ、「東京に未来は無い」と。
特に23区。
ここでの生活は持続可能とは決して言いがたい。
そして家族を持つのにはまったく適さない。
どうしてそれが分かるかというと、私は九州の田舎でのびのびと育ったから。
今の私があるのは、裸足で走り回って自然の中で毎日を過ごしたからだ。
東京に来て初めて、足腰が強いとか、運動神経が良いとか言われるようになったが、意識して自分の身体をそう育てたわけでもない。部活もやらなかったし、体操教室みたいなものに通ったわけでもない。そういう環境で18年を過ごしたからだ。
コンクリート・ジャングルの中で育った人たちには到底分からないだろうが、これによる影響はものすごく大きい。
私には緑のにおいが分かる。空の色と、湿度と。
説明のしようがないけど、それはひとつひとつの細胞に染み付いていて、たぶん死ぬまで分かる。
******************
東京に出てきたのが2002年。今のところ14年をこっちで過ごしている。
最初の5年間は府中市に暮らしていた。お店はたくさんある一方、緑がいっぱいの街だった。あまり人でごった返しているという印象は無かった。
仕事を始めたら、職場まで1時間半はゆうにかかるようになってしまった。
朝8時〜夕方6時まで勤務をして、さらに通勤往復3時間がかかるとなると、家で過ごす時間がほとんど無かった。
そして通勤はというと、控え目に言っても地獄だった。
何かきっかけになったことがあったのかどうか覚えてないが、引っ越すことにした。
2007年の冬だった。
それから今までずっと23区内に住んでいる。
生活ははるかに便利になり、フットワークが軽くなった。
都心に出るのに覚悟がいらない。欲しいものは何でも手に入る。おいしい店はいつでも試せる。
今も、とても便利なところに住んでいる。
しかしながらここ数年、そういう生活に飽き始めた。
正確に言うと、飽きがきているということに気づき始めた。
なんだろう、このつまらなさは、この満たされなさは、と。
歩いていて、見えてくる景色が同じである。
どれだけモノを買っても、いつまでも満たされない。
心が休まらない。
休みのたびに故郷に帰るようになったのは、たぶんそういうことだろう。もう少し一人分の広いスペースが欲しい。
自分で野菜を育てたいし、自然の変化に敏感でありたい。
具体的に移住する考えは今のところない。
だけど想いとしては常にある。「このままでいいのか」と自分に問いかけている。
domenica 1 maggio 2016
周りに流されるくらいなら
ヨークシャー・ティーを飲んでいます。
ミルク無し。仕方ない。
ミルクがあるか無いかで別の飲み物かというくらいに違うんですけどね…。
そして昨日焼いたマフィンを食べている。ああ美味しい。
爽やかな5月1日。4月29日から5月5日までずっと休みなので、一体今日が何日で何曜日なのか分からなくなってくる。あまりダラダラしないように、やるべきことをリストに書き出して効率よく過ごそうとしている。
去年と一昨年は、連休に里帰りした。今年もと思っていたが訳あってそうはいかない。
人の減った東京をゆっくり楽しもうと思う。
SWITCHのマツコ・デラックスについて。
電車内の広告で見かけてとても気になっていた一冊。
プールに行った帰りに見かけて手に取ったら、結構本気で「立ち読み」をしてしまった。
言うことを文字に起こすよりは、動いているマツコを見たほうが断然面白いと思っていた。が、文字でも十分に面白かった。
以前、厚切りジェイソンが「日本では突飛な意見でも通っちゃうよ、外国人だから!」と言っていたけど、それすごく分かる。突飛であれなんであれ、周りを気にせず言いたいことが言える人って本当に少ない。
幼稚園から大学まで、いや、社会人になってからも、周りに合わせることばかり教え込まれてくるから、自分の頭で考えられない幼稚な人間ばかりが育つ。たしかに公共のマナーを守るとか、迷惑をかけないとか、協力し合ってがんばるとか、そういったことは海外に比べて日本の優れているところで教育の成果である。ただ、周りに流されずに自分の意見を堂々と述べるということは、両立できないことではないはずだ。
海外旅行ではガイドブックに書いてある店にしか足を運ぼうとしなかったり、雑誌が30日分のコーディネートを載せたりするのも、日本人の特徴。
自分の目で見て、自分の感覚を信じて動くことが、どうしてもできない。そしてそうなっちゃっていることに気づいていない。
私は、周りに流されるくらいなら嫌われた方がマシと思って生きています。これは小さい頃からずっとそうだった。学校という環境が苦手だった。授業は、周りと同じ動きをしなければいけない体育の授業が苦手で、周りに合わせなくていい美術・工芸が好きだった。私がアートを好むのはそういうところから来ている。個性を没させたら終わり。
就職したばかりのころは「ん?」と思いながらもとりあえず周りに合わせてきたつもり。それでも、前職を去るときにトップに言われた言葉は:
「これからは、周りに合わせることも覚えなさい。そうすると生きやすくなるから。」
というものだった。なるほどそうか、と思い、ハイ、と答えて次の職場に移った。
そうするとやっぱり「ん?」と思うことがたくさんあった。
一年間は大人しく過ごしたが、そのあとは自由に振る舞うようになった。ただし、バランスを取りながら。
成果を出したから。
その言動が人に迷惑をかけているのか?
いやむしろ私の言動が勇気を与えている場合がある。
嫌われているとすれば?
嫌われて上等。
「生きやすい」のは一体どっちなのか?
ミルク無し。仕方ない。
ミルクがあるか無いかで別の飲み物かというくらいに違うんですけどね…。
そして昨日焼いたマフィンを食べている。ああ美味しい。
爽やかな5月1日。4月29日から5月5日までずっと休みなので、一体今日が何日で何曜日なのか分からなくなってくる。あまりダラダラしないように、やるべきことをリストに書き出して効率よく過ごそうとしている。
去年と一昨年は、連休に里帰りした。今年もと思っていたが訳あってそうはいかない。
人の減った東京をゆっくり楽しもうと思う。
SWITCHのマツコ・デラックスについて。
電車内の広告で見かけてとても気になっていた一冊。
プールに行った帰りに見かけて手に取ったら、結構本気で「立ち読み」をしてしまった。
言うことを文字に起こすよりは、動いているマツコを見たほうが断然面白いと思っていた。が、文字でも十分に面白かった。
ガツンと意見を言える人が極端に少ないこの国において、マツコはスケープゴートとも言える。(自分でそう言っている。)媚びないところが本当に気持ち良い。テレビに出る人々なんてほとんど媚びる人ばかりだから。
以前、厚切りジェイソンが「日本では突飛な意見でも通っちゃうよ、外国人だから!」と言っていたけど、それすごく分かる。突飛であれなんであれ、周りを気にせず言いたいことが言える人って本当に少ない。
幼稚園から大学まで、いや、社会人になってからも、周りに合わせることばかり教え込まれてくるから、自分の頭で考えられない幼稚な人間ばかりが育つ。たしかに公共のマナーを守るとか、迷惑をかけないとか、協力し合ってがんばるとか、そういったことは海外に比べて日本の優れているところで教育の成果である。ただ、周りに流されずに自分の意見を堂々と述べるということは、両立できないことではないはずだ。
海外旅行ではガイドブックに書いてある店にしか足を運ぼうとしなかったり、雑誌が30日分のコーディネートを載せたりするのも、日本人の特徴。
自分の目で見て、自分の感覚を信じて動くことが、どうしてもできない。そしてそうなっちゃっていることに気づいていない。
私は、周りに流されるくらいなら嫌われた方がマシと思って生きています。これは小さい頃からずっとそうだった。学校という環境が苦手だった。授業は、周りと同じ動きをしなければいけない体育の授業が苦手で、周りに合わせなくていい美術・工芸が好きだった。私がアートを好むのはそういうところから来ている。個性を没させたら終わり。
就職したばかりのころは「ん?」と思いながらもとりあえず周りに合わせてきたつもり。それでも、前職を去るときにトップに言われた言葉は:
「これからは、周りに合わせることも覚えなさい。そうすると生きやすくなるから。」
というものだった。なるほどそうか、と思い、ハイ、と答えて次の職場に移った。
そうするとやっぱり「ん?」と思うことがたくさんあった。
一年間は大人しく過ごしたが、そのあとは自由に振る舞うようになった。ただし、バランスを取りながら。
成果を出したから。
その言動が人に迷惑をかけているのか?
いやむしろ私の言動が勇気を与えている場合がある。
嫌われているとすれば?
嫌われて上等。
「生きやすい」のは一体どっちなのか?
sabato 30 aprile 2016
"I feel young."
毎日Daiy Mailを読んでいます。
英語の勉強というよりも単純に面白いから。
昨日はお昼を食べたあと、長ーい散歩をして、家に戻ってからずっとゴロゴロしていました。やるべきことはあったけど、とりあえず休んだ。
とりあえず休んだらそのまま夜になってしまった。
で、ゴロゴロ≒ネットサーフィンなんですが、Daily Mailずっと読んでたら久しぶりにジュリア・ロバーツの記事が出てきた。4月28日の記事。
エレン・デジェネレスの番組に出演したときのもので、ビデオも一緒にのっていた。
ジュリア・ロバーツ、なんと48歳らしいです。なんとなくそのくらいの歳だろうなと思ってはいたものの…48か!!
確かにプリティ・ウーマンの頃はわっかいなーと思うけど、その後20年くらい変わった感じがしない。
というよりますます美しくなっている。
私は30を過ぎたけど、自分のことをおばさんとは言わない。
30でおばさんなんてとんでもないと思うかもしれないけど、人によっては「もう三十路だから」「もう歳だから」などという言葉を簡単に発するのだ。
本当に簡単に。
「みそじ」と聞くと、なんだかがっくりする。
もう少し上の人たちになると、「若い人たちが…」という言い回しをしょっちゅう使うようになり、自分がおばさんおじさんであることを言い訳に、若手に仕事を回す(というか押し付ける)ようになる。
私は年齢を基準に物事を考える人たちがとにかく嫌いです。
言葉の持つ力はすごくて、「おばさん」と言ったら本当におばさんになってしまう。
自分のことを「おじさん」「おばさん」と呼ぶ傾向は、日本人にとても多く見られる気がする。もしかしたら韓国、中国もそうかもしれない。
そういう人たちに限って、セレブに憧れて色々な美容を取り入れたり、見かけにお金をかけたりするものだ。
でも、自分のことをおばさんと呼んだ時点で、それらの努力はいっきに崩れ落ちるのだ。
美容に気合いを入れる前に、自分をおばさんと見なすことをやめてはどうか。
まあ、ジュリア・ロバーツもおばさんだとは言わないでしょうね。
ちなみに村上春樹も「僕は自分のことをおじさんとは呼びません」と言っていました。
知人のニュージーランド人が実は59歳だということを先日知って驚いた。
もうすぐ還暦?
全然そう見えない。
私がひたすら驚いていると" But I feel young."と言っていた。
ですよね。
すべては気の持ちようなのです。
giovedì 28 aprile 2016
お菓子づくり、合気道
しばらく更新していませんでした。
えっと、いろいろなことがあった気がするけど、とにかく元気です。
この2週間で、クロスタータと、クッキーと、マフィンを作った。
クッキーは、職場に持っていきました。
今回は抹茶を入れてみたので、緑色に。
これぞ本当のリトル・グリーン・メン。
正直言うと、どのお店のどのクッキーよりも、自分のレシピで作ったクッキーが好きです。
昨日の夜は、マフィンを。
電動の泡立て器を使うように書いてあるけど、メレンゲを作るわけでもないので、泡立て器で良いのでは、と思った。
そうしてみたら全然問題なかった。
ブルーベリーはレシピの倍量入れた。
分量を計りながら混ぜ入れていくことがいままで多かったのだが、あらかじめ計っておくとあっという間に終わるということが分かった。洗うのが面倒でも、計ったものを容器に入れておいたほうが楽。
マフィンも、やっぱり自分のレシピで作ったやつが1番好き。
たとえばチョコレート・ケーキや生クリームのケーキを作ることがないのはなぜかというと、自分が食べたいと思うことが少ないから。
この2週間はよく合気道に行きました。
袴を締めると背筋が伸びて本当に気持ちがいい。
それに、この季節は特に、裸足で畳の上を歩くのが気持ちがいい。
どんなに嫌なことがあっても、道場に行くと、全てがリセットされたかのように気持ちが軽く、楽になります。
本当に良い場所を見つけたと思う。
合気道始めてもうすぐ1年になる。
えっと、いろいろなことがあった気がするけど、とにかく元気です。
この2週間で、クロスタータと、クッキーと、マフィンを作った。
クッキーは、職場に持っていきました。
今回は抹茶を入れてみたので、緑色に。
これぞ本当のリトル・グリーン・メン。
正直言うと、どのお店のどのクッキーよりも、自分のレシピで作ったクッキーが好きです。
昨日の夜は、マフィンを。
電動の泡立て器を使うように書いてあるけど、メレンゲを作るわけでもないので、泡立て器で良いのでは、と思った。
そうしてみたら全然問題なかった。
ブルーベリーはレシピの倍量入れた。
分量を計りながら混ぜ入れていくことがいままで多かったのだが、あらかじめ計っておくとあっという間に終わるということが分かった。洗うのが面倒でも、計ったものを容器に入れておいたほうが楽。
マフィンも、やっぱり自分のレシピで作ったやつが1番好き。
たとえばチョコレート・ケーキや生クリームのケーキを作ることがないのはなぜかというと、自分が食べたいと思うことが少ないから。
この2週間はよく合気道に行きました。
袴を締めると背筋が伸びて本当に気持ちがいい。
それに、この季節は特に、裸足で畳の上を歩くのが気持ちがいい。
どんなに嫌なことがあっても、道場に行くと、全てがリセットされたかのように気持ちが軽く、楽になります。
本当に良い場所を見つけたと思う。
合気道始めてもうすぐ1年になる。
風邪ぎみ、とマリオのスター
乾燥に弱い。喉が。 先週ちょっと喉が痛いかなと思った。よくあるビリビリした痛さはなくて、3連休はのどをそれほど使うこともなく休んだので悪化しなくてよかったと思った。たいていパターンは決まっていて、「ビリビリ」がおわると鼻水が始まり、咳が残る。そしてきのうがその「鼻水期」の始まり...
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きょうは代休。お昼を食べにでかけたら記録に値する興味深い出来事があった。赤ちゃん連れの多いオーガニックカフェ。昼はビュッフェ形式。私が案内されたのは一番奥の席。両隣にはすでに客がいて食事をしていた。二組とも、女の赤ちゃんを連れた母娘ペア。つまり、女3世代ということ。平日の客のな...
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みてきました。雨だし、平日休みだし、いましかない!と思った。やっと行けた。子の友達がこのまえ見に行ってて、遊びにきたときに感想をどんどんしゃべろうとするので、それを聞くより先に見に行ったほうがいいなと思った。 正直なところ前作のほうが「すげー」だった。が、今回の目標は今までの話...
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肌の話の次は、海です。 月曜に行くはずが、前日の夜が遅かったせいで起きたのが遅く、では明日こそ、という話だったはずが、案の定この日(13日火曜)も男たちは10時ごろ起きてきた。(ちなみに私は毎日6時〜7時には起きています。)諦めそうになっていたので、遅くても行こうと私は言った。と...





