Friday 23 August 2019

戻ってこれる場所

日本に戻ってきた。8月6日からイタリアにいたのだがその間一度もブログを更新しなかった。理由は、i padしか書く手段がなかったから。つまりキーボードがないと文章を書く気には到底なれないのだ。

あっという間に17日間は過ぎ、22日に出国してまる1日失い23日に帰国したというわけ。こどもはもう少しあとで帰ってくるので私だけの帰国である。こうやって一人で国際線、いや、飛行機に乗るのはおそらく2015年以来のこと。とてもラクだった。12時間のフライトも大したことないと感じるくらいだった。学生時代より体力はなくなっているだろうから12時間に耐えられるのかなと心配に思うときもあるが、きょう一人で乗ってみて、まだまだいけるなと思った。子供がいないから好きな時に好きなことができる。イタリア映画を4本見た。

1. Domani e' un altro Giorno
2. Ti Presento Sofia
3. 10 giorni senza mamma
4. Non ci resta che il crimine

4つ目は途切れ途切れに見た感じなのでまともに内容把握できていない。字幕がなくても映画をまるごとイタリア語だけで見られるようになったのだなあと14年前の、もう一人の自分のことを思い出しながら思った。

日本に戻ってくるとやはり空は灰色だった。覚えている限りで、帰国した日の空が灰色じゃなかった日はほとんどない。

そして、静寂。この十数年間の欧州との行き来での「日本に帰ってきた最初の印象」としてもっとも強いのがこれ。飛行機を降り立って、パスポートコントロールをして、荷物を取りバスに乗り込むまで、とにかく静かなのだ。これが普通だという人にはもちろんわからないだろうけど、私の印象はこれ。

さらに、すべてがsmooth and stableである。すいすい、と、ことが運んで行く感じ。表示や案内は時に多すぎるくらいだが確実で、迷ったり混乱したりすることがない。きょうなんて9時50分に着陸して10時半にはすでにバスに乗車、発車していた。なんてこったい、と逆に思う。

この国では「こいつら信じて本当に大丈夫だろうか」と疑う必要がほぼない。だいたいみんな誠実で、だいたいみんな働き者である。

戻ってこれる国があるのはいいよな、と、いつ頃から思うようになっただろう。バスの中できょう考えた。ひたすらイタリアに憧れてイタリア化を望んでいた時期もあったから、そのときはきっと、戻ってこれる国のある幸せなんて考えなかったのではないだろうか。わからない。もう覚えてない。けど、とにかく確実に自分を日本国民として迎え入れてくれる場所が地球上に存在するってありがたいよなと本当に思った。いや別にイタリアで迫害されたとかそういうわけではない。だけど、何があってもこの国に籍があって、この国に居場所を確保してもらえていることがいかにありがたい事実であるかを感じるのだ。ただしいったん外にでないとこの感覚はない。Homeなのだ。だからと言って日本が最高とか、白ご飯がないと生きていけないとか、そういうんじゃない。それとは違うしそうは思っていない。戻ってくる場所のあるありがたさと、日本サイコー、はまた違う。

いつもと違ってあまり眠くない。通常なら帰ってきてバタンキューでこれから1週間、時差ボケ祭りの始まり始まり〜、なのに。たぶん飛行機のなかで寝たのだろう。借りたまくらのおかげかもしれない。いろいろ書きたいことはあるけど、とりあえず帰国報告。

ありがとうとカルボナーラ

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