Sunday 1 May 2022

夢に子が出る、『子は親を救うために「心の病」になる』

 夢に我が子が出てきた。同僚もたくさん出てきた。あまり良い夢ではなかった。ずっと焦っていた。覚えている限りでは…私を訪ねて職場へ子がやってくる。たぶん祖母が連れてきてくれている。職場といっても建物は全然違う。見たこともないし知らない。いったん子と一緒になるものの、そのあと自分が荷物をあちこちに置いていて、それを回収するためにうろうろするのだが周りがどんどん暗くなってきて、しかも子はどこにいるかわからなくなる、という夢だった。そして、あるおかしな同僚について、ほかのみんなと話していた。おかしい、と。

気づいてみると、最近ようやく我が子が夢に出るようになった。しばらく前まで、「この人だけは絶対に夢に出てこないなあそういえば」と思っていた。「自分にとってこれほどまでに大事な存在であるというのに、なぜ夢には出てこないのだろう。大事だからこそ夢には出ないのだろうか」と考えていた。それが最近、出てくるようになった。もしかしたら気のせいかもしれない。というのも、夢ってすぐに忘れるものだし、記録もしないとすると形として残っていないので、どんな夢を見ているかは確かではないから。

子は寝るときに「マンマ、手つなごう」という。手をつなぐと安心するらしい。これは本当に小さい時からずっとこうだった。時々それが足だったりもする。

きのう、寝る前に「手をつないで寝ているのに、どうしてマンマが先に起きてるの」と訊ねてきた。かわいい。

私「それは、寝ているあいだ、朝までずっと手をつないでいるわけじゃないからね」

子「ぼくはマンマといっしょに起きたい」

私「ゆっくり寝てていいよ」

子「やだ、いっしょにおきる」

そうやってつないだ手はいつの間にか離れていて、私はいつものように5時台に起きた。

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同僚から借りた本を、きのうの午前中に読んだ。実は借りたのは去年の秋か冬で、ずっと読んでいなかった。そのまま返しかけていたのだが昨日の朝、公園に持って行ってベンチで読んだ。

『子は親を救うために「心の病」になる』

という本。たんに読むのを後回しにしていた、というのもあるが、実は向き合うのが怖かったというのもある。とても良い本だった。

誰しも、自分のこどもをしっかり育てようと思うのだが、その前に自分自身に向き合わなければいけない。自分のなかにある矛盾を認め、すべてを受け入れなければいけない。子に問題があるとき、それは親の問題であり、その親がどう育ってきたかまでさかのぼる。問題は三代かそれ以上にわたる。読みながら、自分のことじゃないかこれは、と思うことがいくつもあった。人を許せる人間になりたい、と思う。私は厳しく育てられたぶん、その通りに強く育ち、なんでも自分でできる、と思ってきた。そのぶん、自分に甘い人のことが許せないし、わからないのだ。このことで我が子を苦しめることにならないだろうか、と思う。ときどき。

ところでこの季節は公園で読書が一番良い。きのうはそれに最適でした。寒かったけど日差しは暖かかった。毎年、新緑の季節になると公園の、いつものベンチに座る。すると読書が捗る。これも2年前のコロナ緊急事態宣言下で得たこと。

ありがとうとカルボナーラ

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