おじが亡くなった。具合が悪いとすら思っていなかったので「なくなりました」と聞いたときには「は?」と思った。
(私の家族は、悪いニュースを隠す傾向がありこういうことが多い。「間」を知らないので次に聞く知らせがとても急だ。私はとくに家族から離れているのもあり寂しさと疎外感を感じる。家族なのに、と思う。近くに住んでいてもそうなのかもしれないし、私自身も無意識にそうしていることもあるのかもしれないが。内容は良くなくても知らせるべきだと思う。)
たくさんいる私のおじ、おばのなかでも一番若いおじちゃんが亡くなった。しらせから一晩あけた今でも、やっぱりちょっと信じられず、きょうも明け方、ふとんに横になって考えていた。なくなる前の晩に、息子(わたしのいとこ)と過ごしたという話をきいて、なんとも言えない気持ちになった。やっぱり若すぎる。早すぎる。あとに残したもの、やり残したものが大きすぎるだろう。こんなに早いのは良くない、と思った。
頻繁に会っていたわけではないおじだけど、やるせなさと寂しさがつのる。「そうかもういないのか」ときのうから何度も思い返している。雲をつかむような、虚しい気持ちになる。死んだら何もないのだ。当たり前だけど。
最後に会ったのは、去年の秋、私の弟の結婚式だった。とても嬉しそうだったのが印象的で、具合が悪かったようだけど元気になったんだなと安心していたのに。病気は良くなっていなかったらしい。こんなことがあるだろうか。
痛みもなく苦しまずに亡くなったということで、おじちゃんらしい感じもした。「そいぎいっちょ」と言って挨拶をする姿が印象的だった。
死、喪失を受け入れるのは難しい。