Sunday, 3 December 2023

海外に住んでいたかもしれない自分

12月になった。今年書いたブログの投稿数がとにかく少ない。いままでの半分ぐらいだ。書くことがなかったわけではない。時間を割こうとしていなかったことが原因だと思う。忙しいというのは便利な言い訳。記録に残さない思考は流れていくだけ、というのを前に聞いたことがある。記録できるものは記録しようと思う。まあ、今年はこんなもんなのだ。

1日のうちで楽しみなこと、または時間は何かと考えてみると、朝5時に紅茶をいれて前日の新聞を読む時間だ。これは高校生のときから変わっていない。いや、高校以来復活した習慣だ。この1年くらい(だと思う)、毎朝、New York Timesを読んでいる。高校時代は家にある日本語の新聞を読んでいた。

この時間だけは日本から抜け出したような気持ちになり、思考が自由になる気がする。海外にいる、とまでいかないけど少し日常から解き放たれたような気持ちになる。すべての記事を読むわけではなく、タイトルだけ見たり、興味があるものだけ読む。ひとつの記事を読み始めても最後まで読み切らないときもある。

海外に住んでいたかもしれない自分、を想像することがある。何をしていただろう。海外に住むことを決めるなら20代だろう、と思う。人生いつでも好きなことを始められる、とはいうものの、いまから海外に移ろうというのは、20代のときにそうするよりは断然ハードルが高いと思う。気持ちの問題だろうか。

「どこにいても自分次第」

だと思っている。言い聞かせている気もする。職場とか、住む場所とか"somewhere not here"「ここじゃないどこか」的な考えはいつでもつきまとう。が、どこへ行っても人間関係がすべてで、その人間関係をどう作っていくかは自分次第である。人間関係というのは同僚や友人に限らず家族も含まれる。

とは言え3ヶ月くらい海外に住むのはいいだろうなと思っていて、ちょっとした夢でもある。いまはまず、地に足をつけて仕事をがんばり子どもを育てることに専念したい。

溶ける平日やすみ

きのう、水曜は出勤しない日だった。これでもかというほどの素敵な天気で、なにをしようかとワクワクする。空気は澄んで、空には雲一つない。8時に子を送り出す。掃除と洗濯をして、そのまま家にいることもできるけどやはり朝はいったん外に出たいタイプの人間なので、仕事道具を持って近くの保健セン...