こんなにいろいろなことが思いどおりにいかないのに、怒ってばかりなのに、疲れ切っているのに、なんだか楽しい。毎日が楽しい気がする。
こどものこと。
今朝起きた時に、ふとそう思った。具体的に何が楽しみと挙げられるわけではなくてふわっと、次のなにかが楽しみ、と感じた。以前にはなかった気持ちかもしれない。こどものことを考えるとワクワクする。
朝が楽しみだし、家に帰るのが楽しみ。実際に対面してみるとたいへんなことだらけで、宿題にしても何にしてもイライラせずにはいられないというのに。
成長しているからだろう、子も、私も。だんだんと反応も変わってくるしそれに対するこちらの学びがあるからだろう。未来と希望があるからだろう。イライラとワクワクはどちらも確実に存在するが、いまのところイライラ<ワクワクということだろう。
きのうは少し早く帰って、迎えにいった。学童に預けてはいないものの、学童じゃない子も一緒に遊べるようになっているのでそこにいさせた。一緒にあるいて帰っていたら途中でクラスの子に会った。その子が道でとまっていたのでどうしたのと声をかけると「疲れちゃった」と。まあそうだよね、1年せいね、疲れるよね。きょうは習い事?ときくと、うん、と答える。なんの習い事?ときくと「とびばこ」といった。なるほど体操教室か。
3つも4つも習い事をしている子が珍しくない。家に帰ってから「みんなすごいよね〜 なにかやってみたいのある?」と(いつものように)たずねると「ぼくはいやだ」という。さらに「まちがってるとおもうよね、ままも。こんなにたくさんならいごとして」という。その子がやりたいならいいんじゃないの、と答える。たぶんうちの子のように習い事ゼロという子は、たとえば1クラスにおいては片手で数えるくらいしかいないんじゃないだろうか。
スポンジボブを見たいというので見た。45分間限定。それから、返しそびれていた本を返しに行くことになり、子も、いやでもついてこさせた。それぞれの自転車に乗っていった。後ろにのせなくても良くなったなんて、こんな日がくるとは。
そして先々週だったか、補助輪を使わずに乗れたときいていたので、ついにそれを披露してもらうことにした。嫌だ嫌だと言ってはいたのだが、車も人も来ない、広場のようなところでやってみたら、ほんとだ!補助輪なしでいけてる。
これはやはり感慨深かった。長年、学校で働いていて子供たちの学びと自分の指導を考える時によく補助輪を例えにして考えることが多い。「そろそろ補助輪外すときかな…」というのを見極めなければいけない。
それが、自分の子が、本当の補助輪が外れているのを見て、「はぁー」と思った。あまり言葉は出なかった。ほんとだ、乗れるんだ、とあとからついてきた言葉を発した。永遠にこの子は自転車乗れないんじゃないか、なんて思っていたのに。そして補助輪を外すっていうのはもっとうんと大変な作業で苦労と時間が必要なものだと思っていたのに。いつの間にかこんなことになっていたなんて。
帰ってから、宿題をやった。時計を読む練習。先週やったときはコテンパンにできなくて、こりゃどうしたらいいんだろうと頭を抱えていたのに、きょうはできていた。前回、「短い針が二つの数字の間にあったら、小さい数のほうをいう」というのを教えたのがきっかけかもしれない。急にできるようになっていた。といってもまだまだ時間はかかるし間違えるけど。
成長するもんだなあ、と感心する。
こうやって、一年生が終わりに近づいている。