Wednesday, 10 December 2025

強さとは

火曜。休みをとったのだが、同僚に回さなければいけないメールが一件あったのでメールをチェックしたら、それ以外に腹の立つメールがきていた。みなければよかった、とつくづく後悔した。見なければ済む話なのに、メールボックスを開けてしまったがためにいやな気持ちになる。遅れてもいいし迷惑をかけてもいいので、メールは勤務時間中に見るべきなのだ。たとえいやなメールを受け取ったときでも、周りに同僚がいる職場という環境であれば共感してくれる人もたくさんいるのでダメージが少なくて済む。(そういう面において同僚にはおおいに助けてもらっている。)

メールがなかった時代はどうだったのかなと考えてみるに、それはそれで不都合なこともたくさんあったのだろうと思う。いいとこ取りはできない、というのが結論だろうか。それにしても、メールはろくなことがない。コミュニケーションは面と向かってやるのが一番なのである。最初から「メールを見ない、返さない人」になってしまったほうが楽だと思う。

仕事、仕事、と言ってももう40過ぎたということは、仕事人生の半分は終わっているわけだ。働き方というか自分の在り方を強く持っていないと簡単にブレるし、まわりまわって大変なことになると思う。わがままを突き通すわけでも我慢し続けるわけでもない、ちょうどいい「在り方」がどこかにあるはずで、こういう場合はロールモデル、お手本があると良い。そうなると自動的に女性には女性のお手本が必要となる。男女関係ないだろう、と思うかもしれない。男性から学べるところは、ある。働き方を見ていて「ああ、指示はこういうふうに出すのか」とか感心することがある。しかしそれはあくまでも「部分的に」なのだ。女には女のモデルが必要だ、というのは、出産と育児を経るというのはもう並大抵のことではないので、これをこなしながら働いているかどうかは大きい。

すごいなこの人、と思える先輩がいても「はて、この人のご飯は誰が作ってるんだろうな。洗濯は誰がしているんだろうな。子の宿題は誰がみているんだろうな」ということが気になる。必ず誰かが裏でその人の分の働きをしている。歴史上の偉大な人物でも、きっとその背景にはご飯作ったり洗濯したりしている人がいた。自分でやってる可能性ももちろんあるけど。

だから、これらを家族に依頼するにしてもそのこと、つまり「そういう仕事が家に存在すること」をじゅうぶん把握していて、うまく回せるだけの人間関係を家族と築けている人なのかどうか、が見習いたいと思うかどうかを決める。

「結局、どこに行っても人間関係」なのである。周りが見えていたとしても気にし過ぎてすべてが遠慮に変わってしまって遠ざかる人もいる。この辺は、最初の話に戻って、やっぱり自分の軸がないといけない。強さとは周りを押し退ける力や自分を押し通す力ではない。合気道の先生がよく言う話で、かつて高倉健氏と話したときに「強さとは、なんでしょうか」と高倉氏はたずねたという。強さとは。なんだろうか。ときどき考える。先生は「自分に勝つこと」とおっしゃっていた。言われてなるほどと思うが、その答えは与えてもらうものではなく自分で日々を生きながら見つけていくものだと思う。

強さとは

火曜。休みをとったのだが、同僚に回さなければいけないメールが一件あったのでメールをチェックしたら、それ以外に腹の立つメールがきていた。みなければよかった、とつくづく後悔した。見なければ済む話なのに、メールボックスを開けてしまったがためにいやな気持ちになる。遅れてもいいし迷惑をかけ...