火曜。合気道は年内最後の朝稽古で、これだけはいくことに決めていた。息子が熱あるのに隣にいないことに罪悪感はあったが、行かせてもらった。稽古が終わり、8時ごろ家と電話して、学校は休ませることにした。
その後、コピー機で隣になった同僚との会話。柔道をやっている同僚で、時々合気道の話をする。稽古にいったことを褒めてほしくて、きょう朝稽古行ったんですよ、と言った。
「子が熱出していて罪悪感はありましたけど」
「でも熱出すのも、こどもの仕事だから」
「そうですね、確かにそうかも」
「もう少ししたら、自分で歩いて病院行ってくる、ってことだってできるわけでしょ」
「はい」
「ある程度、こどもの生命力を信頼するっていうかね」
「なるほど」
この、セリフがわたしにはストレートに響いた。こどもの生命力を信頼する。
「見極めが難しいですね。これは大丈夫だろう、っていうことと、ちょっと待った注意しないと、っていうことと。こどもがもっと小さい時はそれがわからなくて自分の親によく相談したんですけど。親はなんだかそのへんがよくわかっていて。わたしはいまだにわからなくて困るときがあります」
「うんうん」
「心配しているのは私だけだったりもするし」
と話していたときにほかの要件で呼ばれてその場を去った。こどもの生命力。成長しているのだ。離れて見守る、そのバランスが大事になる。
さてその後、なんだか忙しい1日で5時ぐらいまで仕事は続き、家に帰った。ピッツァを焼くことになって、Fが買い物に出かける。こどもが小さくないとはいえ、看病には2人いるに越したことはないのだ。2人いれば買い物にも行ける。子の熱は下がっているが声がまだ枯れていて、調子よくはなさそうだった。7時前にピッツァを食べた。あっという間に3人で平らげてしまった。早めに寝よう、ということであったかくして8時前には横になった。「日本むかしばなし」を最近読んでいて、きのうは「かちかち山」と「さるのむこどん」を読んだ。どちらもたいそう酷い話だった。ちょうどきのうは同僚と、赤穂浪士の討ち入りから日本人の敵討ち思想について話していたところだった。
さてきょうは雨。冬の雨は最悪だ。出かける気がまったくしない。子は学校に行けるのかどうか。もう少ししたら様子をみる。