Monday, 10 August 2015

8.8 Galleria degli Uffizi / ウフィツィ美術館

先週からずっと気になっていたことがあった。それは、ウフィツィ美術館の予約をするべきか否か。ネットで予約しようとしたら2週間先まで売り切れ状態だった。うーむ。行きたい。でも列には並びたくない。
で、先週の木曜日のこと。

学校が終わって帰ろうとしていたちょうどそのとき、壁に「ウフィツィの予約、ご相談下さい」みたいな案内を見つけた。
事務にいたロシア人のお姉ちゃん(タチアナさんという)に聞いてみたところ希望日と時間を聞かれたので、「できることなら今週の土曜なんだけど、ウェブサイトでは全部売り切れなんです」と答えた。すると「分かんないけど1人ぐらいはいけるかもよ〜 電話してその結果を明日知らせますね〜」と言われた。日本だったらその場ですぐに電話してその場で知らせてくれるだろう。まあいいや、別に急いでいることでもないし。今は今でやるべき別の仕事があるだろうし。

翌日。
私:「昨日の件どうなりましたかね」
タチアナ:「完璧でした〜」
なんと、土曜の朝9時半に予約が取れたというのだ。ウェブサイトでは全部売り切れだったのに??驚いたけど本当に完璧だったので嬉しかった。
イタリアは大きなシステムどうし以前に個人間で取引が行われることが多い。昨日も友達が"Basta conoscere la giusta persona(正しい人と知り合っているだけでことがうまく進む)"と言っていた。この場合は個人というよりは、地元の学校と美術館の関係であり、さらにインターネットではなくて直接、イタリア語での電話による予約なのだから、より信頼関係がある。ウェブサイト予約もその辺はフェアになってないといけないんだけど、まあイタリアだから仕方ない。
9時半少し前に着いたら、やっぱり長蛇の列だった。しかも土曜日だし。予約は4ユーロかかるけど、その価値は十分にある。通常のチケットが12.5ユーロ。初めてこの美術館を訪れたのは2005年だったが、そのときは€10以下だった記憶。
今のところ、どの美術館も入場料が値上がりしている。一年に€1ぐらい上がっているのかもしれない。
さて、美術館内は観光客でごった返していた。みんな興奮状態にある。ぶつかったり、床に座ったりしていて私もかなり神経が尖っていた。

今回は音声ガイド無しにした。これで3回目か4回目のウフィツィである。最初のほうから順番に見て行く。ルネサンス黎明期の祭壇画から始まる。
Simone Martiniの受胎告知。いやー、なんとも言えませんね、このマリアの表情。何度見ても面白い。目からビームみたいなのが出てて、それが言葉になってる。いわゆる「ルネサンス」という感じの人間らしくて柔らかい作品はもちろん好きなのだが、個人的には中世の固い、かつコミカルな感じがとても気に入っている。タペストリー然り。

ミケランジェロのsacra famiglia(聖家族)。これ、初めて見た時は涙出るほど感動したなあ。もう10年前だけど。教科書とか本で毎日のように眺めていた作品が目の前にあるってやっぱり嬉しいものです。今となってはそういう新鮮な感動からだいぶ遠ざかってしまっているのだけど。

これはローマの彫刻だそうで。お尻に目を奪われるんですが、実際のところ西洋人のお尻ってほんとにこんな感じなのよね。

ボッティチェッリのLa primavera(春) は、あらためて見るとかなり大きい。ガラスがかかっているけど、果たして10年前はガラスなんてあっただろうか?
 とにかく精密に描かれてある。
ちなみに現在、ウフィツィのメインとも言える10〜14室が工事中かなんかで閉まっていて、ボッティチェッリだけ移動して別の部屋に展示してありました。

これの前で記念写真を撮る人たちがわんさかいて、本当に迷惑だと思った。

いつも思うんだけど、美術館に来る人たちは「あの有名な絵を見た」という事実が欲しくて来るんだろうか。それとも本当に絵画に興味があって来るのだろうか。

もちろんどっちもありだし、何の否定もしないんだけど、40人くらいのツアーでどどーっと入って来てやたら大きな声で解説したり、ひたすら美術館内をかけずり回って(記念)写真(だけ)をパシャパシャ撮る某国の人たちなんかを見ると腹立たしいと同時に悲しくなります。私にとっては、例えば食べ放題に行って、元をとるために食べまくる人と同じくらい醜い。そういう人たちに限って、彫刻に触ったり、フラッシュ撮影がだめだといくら言われてもフラッシュをたいたりする。普段から芸術に接していない証拠とも言えるかもしれない。文化的成熟度が低いというか。

話変わって。
ロッソ・フィオレンティーノという画家がいる。私は10年前にこの美術館を訪れるまでこの画家のことは知らなかったのだが、描かれた天使に一目惚れしてしまった。
今回また会えたというか拝めた記念に、このリュートをひく天使のマグネットを買って帰りました。

下の2枚は今回初めて見たもの。あまりにも面白かったので撮った。狩りの前と後、らしい。前後くっつけて展示してある。


 メディチ家の肖像画がずらっと並んでいる部屋があるのだが、その中の一枚。これを見るたびに、道端でよくこういう顔の人歩いているなあと思う。ほんとにそっくり。昔からイタリア人はこういう顔が多かったんですねきっと。


そしてラファエッロ。
何年も前に、この肖像画を、偶然にもヴェネツィアの美術館で見たことがある。ウフィツィから出張中だったのだ。これも当時、吸い寄せられるように虜になった。それまで特に注目もしていなかったものが、現物を見たとたんに虜になってしまうことがある。例えばシャガールの「誕生日」もそうだった。(もちろん逆もあるけど。)こういうところにやっぱり本物を見る意味があるんだと思う。ラファエッロ、それにしても美しい。

Sunday, 9 August 2015

7.8 Palazzo Vecchio / ヴェッキオ宮殿のUFO

ヴェッキオ宮殿については1回で終われないので「その2」です。

突然現れた子どもの彫像。凄まじく邪悪な顔をしている。

ダンテのデスマスク。本物らしい。ダン・ブラウンの「インフェルノ」を読んだ人たちにとっては、ここは大事なポイントらしい。読んでればよかった。

ドナテッロ作のユディットとホロフェルネス。シニョリーア広場にあるのはこれのコピーらしい。すごい高いところに設置してあった。

礼拝堂の壁画が面白い。水を飲む人たち。右上の人の必死な様子が笑えた。それとこの赤ちゃんの表情。

あと、このムンクの叫びさながらの顔。

これも天井。最後の方の部屋だった。

で、ようやく本題です。
「なんと600年前なのにUFOの絵があるんだよ」と先生から聞いていた。でも見つけられなかったので、ちょうど上の写真にある天井の部屋にいる職員の人に聞いて教えてもらいようやくたどり着いた。
一見、普通の聖母の絵。こういうトンド(丸い絵)は宮殿内にいくつでもある。
 で、近づいてよーく見ると…
 あった!UFOとそれを見上げる人と、犬。これは衝撃である。ルネサンスの時代にUFO?
 めちゃくちゃ小さいので、知らない限りは絶対気づかない。観光客は誰もこの近くにいなかったところを見ると、やっぱりみんな知らないのだと思う。教えてあげたかったけど周りに誰もいなかった。

あとで、教えてくれた職員のところに戻っていろいろと話を聞いたら、科学者の間ではとても有名な絵で、UFOを研究している人にとっては欠かせない作品らしい。あとでちょっと調べてみたら"Madonna dell'ufo" (UFOの聖母)として知られている。

見つけたときはすごく嬉しかったし、得した気分になったし、普通、美術館に行ったときに得る喜びとはだいぶ異なったそれを得た。当時これを書いた人がUFOを見たいと思って描いたのか、それとも実際に見たのか。

いずれにせよ主題のマドンナの後ろに、こんなに米粒のように小さく、描くお茶目さ、洒落っ気、遊び心が、2015年8月の私の心にも届き、響いている。これってすごいことじゃないかな?

7.8 Palazzo Vecchio / ヴェッキオ宮殿

「全力で観光客」

です。今回は。2週間も滞在するからダラダラできるんだけど、この街に来るのも実際のところ2008年以来のことで、だいぶ久しぶりだし、毎晩遊んでいた当時からすると私もだいぶ成長したわけです。つまり、この街の歴史や文化をもっとよく知りたい思う。その手段としてイタリア語はある。時間の許す限り、色々な場所に行ってみようと思った。

で、考えてみたら一度も行ったことない名所がいくつもあるのだ。昨日のバルジェッロ美術館はそのひとつで、もう1つがヴェッキオ宮殿。結論から言って、かなり気に入ったし、面白かった。

しかも午前中に、学校で先生に見どころをいくつか教えてもらっていたのでラッキーだったし違った視点で見ることができた。

フィレンツェの人たちの何がすごいかって、みんな当然のように有名な作品についてよく知っていること。もちろん先生だから知ってるというのはある。でも、「イタリア語」の先生で、歴史や美術の先生ではない。ほかにも例えば、カフェの店員とか、バッグ屋のお兄ちゃんでも、「今からバルジェッロ美術館に行きます」と言うと、それに対して何かしら語る。「特に興味ないんだよね」とは言わない。教育の力もあるかな。

さて、500人広間の話は色々な場所で聞いたことがあったがこれも実際に見たことは無かった。入っていきなり圧倒されてしまった。
これはすごい。ミケランジェロとレオナルドが壁画の競争をしたという場所だが、ここまで巨大だとは。  

実はミケランジェロの彫刻がここには飾られていて、うっかりすると見逃しそうになる。「勝利」というタイトルになっている。
前を向いて、右側がヴァザーリ、左側がミケランジェロの絵。
最初はどっちがどっちの絵だろうなと思っていたけど、ミケランジェロの絵は、システィーナ礼拝堂と同じ感じがするので見てすぐに分かった。

一般的にパラッツォ・ヴェッキオでは最大の見所と言われているポイント。

未完成のレオナルドの絵がヴァザーリの下に隠れているらしいということが数年前に明らかになったらしいが、それを見ることはできない。
闘いの様子が、結構おどろおどろしい。
ヴァザーリの絵の中に"CERCA TROVA(探し、見つけよ)"という言葉が隠されていて、それが兵士の持っている旗だということも分かるし場所も分かるんだけど、遠すぎて肉眼では確認できませんでした…。写真を撮っても分かりませんね。
今度は双眼鏡持って行かないと。

メディチ家がかつて住居として使っていたらしくて、椅子やクローゼットがその辺に置いてあったりする。先生が言っていた通り、「美術館というよりは人の家だから、一枚一枚会がを見るんじゃなくて、全体を見渡した上でもっと細かいところに目を向けると面白い」

このタイプの天井画↓がとても気に入りました。こういう柄のシャツなんてあったら欲しいんだけどなあ。

この天井画はよく見ると人の顔がある。



先生が教えてくれた見どころポイントのひとつ。イルカをだっこするプット。プットというのは羽の生えた男児、要するに天使です。表情もかわいいけどこういうテーマがルネサンスの時期に存在することに驚いた。かわいい。

あと、面白かった家具その他。
よく見ると顔になってる↓

 これも。絶妙な表情。↓
 水道の蛇口。
ルネサンス期からこういう遊び心とユーモアを人は持ち合わせていて、さらにそれを表現する場と、受け入れられる環境があったということに感心した。


Saturday, 8 August 2015

6.8 Museo Nazionale del Bargello / バルジェッロ博物館

 86日のこと。


この家には幸いエアコンがあるので夜は問題無くよく眠れる。

8時ごろ家を出て、近くのカフェで宿題を済ませ、学校へ行った。午前中、ひさしぶりに本物のめまいというものを体感しました。原因は、暑さだと思う。水も飲んでいたが、それでも足りていなかったのだろう。学校が終わってからまっすぐどこかに出かけようと思っていたのだが、断念した。めまいがするというのに敢えてこの暑さの中に外に出るというのは馬鹿げている。太陽から逃げるように家に帰り、パスタをゆでて、洗濯物をしながら、もう少し暑さが治まるまでゆっくり過ごした。それにしてもイタリアの洗濯は長い。しかもこの洗濯機、表示が全部消えている。一体ダイヤルをどこにあわせれば何が行われるかまったく分からないので、勘を頼るしかない。洗濯が終わったらそこで止まってしまうので、「すすぎ」自分で探さなければいけない。よし今度こそ脱水だ、と思ってダイヤルを回すと、勢い良く水が流れて来てすすぎが始まったりする。

延々と続く洗濯がようやく終わり、4時ごろ、バルジェッロ美術館に向かった。列も何もできていないので、チケット売り場がどこなのか分からなかったぐらいだ。

フィレンツェには何度も来ているのに一度も入ったことが無かったmuseoである。入るなり、装飾が目を引いた。
まずは一階をゆっくり見た。この眠っている像がとても気に入った。起こしたら本当に起きそう。
これはアドニスの像。ケガで切った跡から血が流れる様子まで表現してある。この血からアネモネの花が咲いたと言われる。

 天井が高い。
これは確か聖ジョヴァンニ。ヨハネですね。

あれ、これは作者を忘れてしまった。

何よりも興味深かったのがドナテッロ作のダヴィデでした。ダヴィデ像といったら通常思い浮かぶのは、あのミケランジェロの像ですよね。だけどドナテッロが作ったのはこの、帽子をかぶった少年。一応足下にはゴリアテの首があるけど、通常のイメージからはだいぶかけ離れている。
 

 

今日、あるイタリア人の先生に聞いたら、当時このドナテッロのダヴィデ像は相当センセーショナルだったらしい。「がっしりとした体つきのダヴィデしか描かれていなかったのに、これは、言ってしまえばゲイっぽくて、しかも少年だし、ヌードだし、帽子までかぶっちゃってる」
実際に見て思ったけど、もはや艶かしく、セクシーなのです。

一方でこれはヴェロッキオのダヴィデ像。
よりこざっぱりした感じがする。
でもなぜ並べて展示してあるのだろうか?2つの像の関係は?
ちなみにドナテッロ作ダヴィデの制作は1440年らしい。2015年の今もしっかり見られるのは有り難い。

4:45ごろになると展示室にあるあちこちのドアが閉まり始めた。嫌な予感がしたのだが、的中した。5時閉館なのだ。せめて6時だと思っていたのに。半分も見られなかった。失敗した、と思った。しかも5時閉館だからといって5時に閉めたりはしないのがイタリア。5時というのは彼らが退勤する時間なのだ。15分前にはお客を追い出していないと仕事が完了しない。あと15分ぐらい見せてくれてもいいじゃないかと思ったけど、「早く出て」とみんな怒ったように急かすので、しぶしぶ美術館を去った。うーん。ダヴィデを見られただけでもラッキーだったと考えよう。

Friday, 7 August 2015

イタリア人について気付き

日本を離れてそろそろ10日が経つ。寂しいと思うか?寂しくはない。でもいつもよりも自分の部屋と友達を思い出すことが多いような気がする。何よりも、生活から合気道が欠けているのは大きいだろう。あれだけ毎日通っていたのだから。水泳とか合気道とか自転車とか、身近にあったスポーツが無いのはやはり寂しい。

イタリアに来たのは2年ぶり。イタリア人について、より新鮮に感じることがあるので少し書き留めておこう。

1) それにしてもよくしゃべる。
分かってはいたけど、イタリア人は本当によくしゃべる。もちろん個人により差はあるだろうけど。さらに、比べる相手がどうしても日本人になってしまうので、ますますそう見えてしまう。道を歩きながら携帯を手にして歩く人たちがそこらじゅうにいる。声も大きいし、イタリア語自体がもはや歌のような言語なので、みんな気持ち良さそうに話す。たとえ話している相手が電話の向こうでも、ジェスチャーが大きい。
これはうちの窓から見える前の通りなんですが、朝から晩まで大きな声が聞こえてきます。

2) 感情むき出し。
これも分かってはいたけど。例えば腹が立ったら黙っていない。公衆の面前であろうが本気で怒るし怒鳴る。耐えたりしない。たぶん、怒鳴ることですーっとするんだろう。相手がどう感じるかは関係ない。言われた方も根に持ったりしない。仕方ないねまったく、と、肩をすくめるぐらいで完結する。これ、日本で生きて来た者には到底無理です。つまり、自分の感情に100%素直に生きることが。そしてその相手として言われたことを根に持たずにいるのも。そんなこと日本でやったらうまくいくものもいかなくなってしまう。「言わなくても分かる」という文化(?)がある日本はすごいなと思います。


家を出てすぐの教会の前にはいつも人が集っている。朝も夜も。

海水浴を比べる

 きょうだい家族と両親で海に行った。1時間半、車を運転してこんな良いところに着くとは素晴らしい環境だと思う。「これが東京だったら」と思わずにはいられないのは、どこに行っても同じだ。それは東京がひどいとか恵まれていないとかそういうことではなくて、人はだいたい自分の知っている環境と比...