Tuesday 31 March 2015

ニューヨーク5日目: Village Vanguard

ほかのことすっ飛ばして今書くべきことが1つ。
ヴィレッジ・ヴァンガードに行って来た…!!

下北や渋谷にある雑貨屋さんではない。ジャズクラブだ。村上春樹が「好きな場所」としてこう書いている

僕はニューヨークの「ヴィレッジ・ヴァンガード」が好きな場所です。素晴らしいところですよ。是非一度行ってみてください。ものすごくいびつなかたちをした地下のジャズクラブなんですが、惚れ惚れするくらい音がいいんです。どの席で聴いても、しっかりジャズの音がしています。ほとんど奇跡的な空間です。あそこでジャズを聴くと、みしみしと身体に浸みます。

日本にいる間は、ニューヨークに行ってから予約のこととか考えようと思っていたのだがいざ着いてみると予約方法が分からない。オンラインでできると書いてあったけど、いったいどこにサイトが…と思ってだいぶ探したら簡単に見つかった。8時半の回は売り切れだったので電話してみた。

ちょうど月曜がビッグバンドの日だ。オーケストラ演奏が聴ける。ほかに予定も無い。遅いかなと思ったけど10:30からの回に予約をした。

話は変わるけどここではWhat's your last name?と聞かれることが多い。ファーストネームじゃなくて?と思うけど、いつも言いにくい方の名前を述べることになる。ヨーロッパだったらファーストネームのほうが多い。

きょうはすべてのエナジーをヴィレッジヴァンガードのために残しておいた。朝も博物館に行ったけどほどほどにして腰が痛くなる前に帰った。
いつも緑色⑥の路線を使う。ユニオン・スクエアあたりで降りると、そこからどんどん西側へ歩く。ウエスト・サイドは1ブロックあたりの距離が結構長い気がする。かなり歩いた。

ヴィレッジ・ヴァンガードはひょこっと現れた。赤いのが見えると心が「パアァ〜」(よくちびまるこちゃんに出てくる表現)と明るくなった。人の多い場所でもないし、小さいし、通り過ぎてしまいそうなくらいのさりげない存在感である。
予約している人の列とそうじゃない人の列がある。あまり列を作るところをNYCで見たことが無かったけど、ここはきちんとしているらしい。早過ぎるかもと思って出かけたのに途中で迷ったりしたので結局列の一番後ろになってしまった。チケットを印刷している人もいたけど、とにかく予約さえしていればこっちの列に並ぶことができる。ドアがすごく小さい。係の人が、1人か2人ずつ通す。決していっぺんには入れない。ちゃんとしている。このフェアネスがちょっと嬉しい。周りは音楽を愛する人たちばかりなのである。お互いにリスペクトがあるということだ。ジャズ・ファンにとって、これから始まる時間がどれだけ貴重なものかよく分かっている。
ろくな席がとれないのではと思ったけど、なんと一番前に1つだけ空いていた席に案内された。なんてラッキーなんだろう。ピアニストの真後ろである。手を伸ばせば届く。
それにしても小さい。しかしこの狭さが心地よい。最初の一曲が始まって、感極まって涙が出て来た。身体を突き抜けるようなこの感覚を本当にどう表現すれば良いのか分からない。まさに「感極まって」である。一見おじ(い)さんたちの集団なのだけど、これがもう、正真正銘のアーティストなのである。

ここでは飲み物しかサーブしない。音楽を聴くことに集中できるように、ということらしい。
演奏開始までのあいだにいくつか写真を撮った。
上の写真をよく見てほしい。ステージが狭すぎるので、コンテナをひっくり返してステージを延長させている。そこに楽譜を置いているのだ。たぶん2,3人だったらその必要は無いかもしれないが、ジャズ・オーケストラなので20人ちかい人間がこのステージに乗るため、場所が足りない。

トランペットなんて前の人間の頭にぶつかりそうになる。前のサックス奏者の人は避けながら演奏を聴いていた。

さらに、彼らの楽譜を見てほしい。写真が鮮明ではなくて申し訳ないが、辞書ぐらいの厚さである。そしてボロボロだ。

ちなみにカメラはズームせずにこのくらい近く撮れる。客も、演奏者もとにかく近い。不思議な一体感がある。

時間があっという間に過ぎてしまった。

隣に座っていた男の人が話しかけて来た。ニューヨークにしては珍しくフレンドリーだし英語がとても聞きやすい。色々話していたら、カナダ人だということが分かった。なるほど。そもそもネイティヴじゃない人の英語を聞こうとする姿勢がある。
サックスを演奏するらしくて、かなり詳しい。始まる前にいろいろ解説してもらった。

プロのサックスは、すごく古い。どうしてピカピカしてないのかと聞いたら「レアなんだよ。ニューヨークで新しいサックスを持ってたらちょっと恥ずかしいんだ。まだまだって感じがする。ボロボロのやつがかっこいい。新しいのなんて、僕もきみも、明日にだって買えるよね?だけどあれは使い込んでるのが分かるし、ああなるまでに何年もかかるわけだよ。」

ちょうど今アパートにあるカフェッティエラを思い出した。イタリア人の家には必ずある、コーヒーを湧かす機械。毎日火にかけているうちにボロボロになってくるのだが、年期の入ったカフェッティエラはもはやピカピカしていない。でも汚れているのとも違う。金属が、ちょうどいい貫禄を帯びた色になる。使い込んだカフェッティエラでつくるコーヒーこそが美味しいと言われる。今、アパートにあるやつは知人が両親からもらったものらしいので、たぶん20年以上は使い込んである。あのサックスと同じ色をしている。

誰が何と言おうとジャズは私の細胞にフィットする音楽だ。あらためてそう思った。興奮冷めないがそろそろ寝ることにしよう。はあ、幸せだった。

ありがとうとカルボナーラ

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