Thursday 19 March 2015

ファッション・ピーポーの夜

昨夜はまったく新しい体験をした。ファッション・ショーを見に行った。誰でも見られるショーではなくて、招待状が必要である。デザイナーはヨシオ・クボという人で、まあ有名らしい。私はよく知らないのだが。

会場に着くと、いわゆる「ファッション・ピーポー」が集っていた。エスカレーターを上がるあたりから、その雰囲気は漂っていた。招待状を持っているわけだから、その業界の人々というわけである。階段で見た男の人はスーツを着ていて髪の毛がおかっぱだった。自分は普通の(普通って何だろう?)格好をして行ったので、始めは少し怖気づいてしまった。小学校6年生のなかに小学校3年生が入って行くような感じ。

列に並んでいる間にしばらく男女ともに人間観察をしてみた。どこが「おしゃれ」と感じさせているのか。まず、バッグがいい。最低5万はしそうだ。いや、10万か?そして服もかっこいいんだけど何よりもみんな、髪がきれいである。男女ともに。きちんと、すみずみまで手入れしている。原宿なんかでよく見る「勘違いおしゃれ」とは違う。

この間、頭の中で野宮真貴の「ファッション・ピーポー・アー・ビューティフル・ピーポー♪」という一節が繰返されている。なんていう歌だったっけ?「さ・え・ら・ジャポン」のなかに入っていたような気がするけど。

いい服と靴を身に着けて髪を切りそろえれば誰だっておしゃれになれるのか?たとえば電車の中で向かい側に座ったさえないお兄ちゃんもこんなになれるのか?

たぶん、なれる。ただ、最後にもうひとつ必要なのが、自信だと思う。この、ファッション業界の人々はまず目が肥えていて、知識も豊富なはずだ。自分が選ぶものに自信があるに違いない。

 フロント・ロウどころか、一番後ろの席にしか入れなかった。正面にいる人たちはプロのカメラマンだと思う。一体どれくらい続くのかなと思ったらものの15分ぐらいで終わった。なんだ、ファッションショーてこんな感じなのか。
確かに、考えてみれば、ただ歩いて、立ち止まって、元に戻る、の繰返しである。パリとかNYで行われるファッション・ウィークというものは、雑誌やメディアを通して見るとたいそう豪華で一大イベントなのだが、たぶん想像しているよりあっさり始まってあっけなく終わるのかもしれないなと思った。

ショーが終わり会場の外に出ると業界の人々がシャンパン・グラスを片手に挨拶をしている。車とかお酒とかスポンサーの宣伝、広告がいろんなところにちりばめられている。大きなお金がここで動いているのが体感できる。「ファッション・ジャーナリスト」と名乗る人と知り合った。この後、アフター・パーティーがあるらしい。コネクション作りはこの世に生きていく上で最重要課題だと思う。私のような仕事をしているとそういうことにあまり気づかないが、ファッション・ピーポーにとってはこういう場が大きなチャンスなんだと思う。やっぱり自分の職種以外の人と知り合うのは面白い。

私に合うのは、早寝早起きの規則正しい生活なんだけどね。

ありがとうとカルボナーラ

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