Tuesday 23 March 2021

「だれのせいでもないよ」とうらしまたろう

 きのう、子とお風呂に入っていたとき。子は浴槽のなか、私は外で髪を洗っていた。

「わー、泡がいっぱ〜い」

という声が聞こえたのでふと顔を上げると、なんとボディソープの入った容器が開いてしまっており、中身がお湯のなかに出てしまっていた。お湯が白い。そして泡立っている。ボディーソープ詰め替えたばかりだったのに…。

「あー!ちょっと!」

とあわてて容器を取り上げ、「なんでこんなことするのー、もったいないじゃーん」と言ったら、すぐに「もうあがる」という。

そして「ひとりで開いたんだよ」という。

子のいう「ひとりで」はイタリア語の"da solo/a"の訳であり、こういう場合は「勝手に」のほうがふさわしいんだよと教えてあげるのだがきのうのこの場面ではその余裕はなかった。

「あーもう」という私。子はしょんぼりしながら

「だれのせいでもないよ」とつぶやく。

まあそうだろうなと思ってさほど怒りはしなかった。子も、泡だらけで楽しい思いをしている状況がまさか母親を不快にさせるとは思ってもみなかったのだろう。「だれのせいでもないよ」を何度もつぶやいていた。

うんまあそうだよな、だれのせいでもないな。

それにしてもそのセリフどこで覚えたんだろう、と後から考えていたらどうやらほかでもない私がよく言っている。たとえば、よくあるのは、子が机に頭をぶつけたあと、「この机なくなってほしい」と泣きながら机をたたく、という状況がよくある。「机のせいじゃないよ。誰のせいでもない」と私はよく言ってなだめている。

こどもの心に寄り添うのは難しい。自分もこどもだったはずなのに。

話変わって、きのう保育士さんから「きょう、浦島太郎のかみしばいを読んであげたら、悲しくなっちゃったらしくて、もう聞きたくないって言い出したんですよ。それで最後にはちょっと泣いてしまったんです」という報告を受けた。そうかもしれないな、と思った。以前浦島太郎を読んであげたときのことを思い出した。結末を聞いて納得いかなそうな顔をして「へんな話」と言った。実際にすごく変な話なのだ。後味の悪さと言ったらない。

いわゆるむかしばなしってそういうの多い。かちかち山も久しぶりに読んだらその残酷さに唖然としてしまった。

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