「ぼくはぎょうざが食べたい」
というリクエストに応えて餃子を作ることになった。無意識に「皮から手作り」をイメージしていたのには理由がある。
先日、Netflixで「クレヨンしんちゃん」を子に見せた。これが思ったとおりの大ヒット。今の、子の年齢にピタッとくる面白さだ。アンパンマンにはかなわないけど、数十年の間しんちゃんがずっと人気であり続けている理由がわかる。私も一緒にみていて面白い。Youtubeをダラダラ見せ続けるより断然いい。
話は戻って、しんちゃんとみさえが餃子を手作りするという話を見た。そのなかでみさえは皮から手作りしていた。私にできないこともないだろうなと思ったし、小麦粉をこねるのはきっと楽しい。そして水曜は比較的、私は時間に余裕がある。なによりも、まともにやったことがないのでやってみたい。子がイメージする餃子はきっと皮から手作りだろうと思った。
職場で、ウー・ウェンさんと栗原はるみさんの餃子の作り方を検索し、材料を確認した。雨の中、帰りにスーパーに寄った。
夕方5時ごろから小麦粉をこねはじめた。ねかせているあいだに「あん」をつくる。子はこの「あん」という言葉をしんちゃんのおかげでしっかり覚えていて、「あんこ」の「あん」ではないということをよく理解している。おもしろい。
あんができたので皮を伸ばす。これがたいへんだった。ものすごい時間がかかる。生地を12等分x3=36枚。ようやくできたときには日が暮れてお風呂に入るべき時間もとっくに過ぎていた。
そしてようやく包もうとしたその時…
「ああああー!!!」
なんと、薄く伸ばした皮が全部くっついてしまっている。打ち粉をしっかりふっていなかったせいだ。典型的な「失敗」である。やってしまったと思ったが、ここからは3人総出でやりなおすことになった。大人は皮を作り、子は包む。せっかく伸ばした皮をまたこね直して、一枚一枚作り直し。
しかし、これが3人でやりはじめると面白いほどに早く終わってしまった。なんだ、最初からみんなでやればよかった。
できた餃子は…うまい!
不恰好でもなんの問題もない。ほぼすべて子がつつんだ。「おばけぎょうざ〜」と言いながら丸くしたり、「はみでたからフタして」と言ってもう一枚上にのせたりしながらできた餃子はとても美味しかった。スターウォーズの「ハン・ソロ」をイタリア語発音で「アン・ソロ」と言い、「アン・ソロっていうのはハン・ソロが餃子のあんの中に入って、わー、って言ってるんだよ」と言っていたのがおもしろかった。
またやろうね、と言いながら食べました。
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振り返って考えてみる。餃子のような形をした、小麦粉に具をつつんだ食べ物は世界各地にある。イタリアのラヴィオリや、ウクライナのヴァレニキも同じ。誰がどうやっても、それが家庭料理である限り、そして機械を使わない限り、私がやったように一つ一つに時間がかかるだろう。
これは家庭に、台所の主となる人がいて、料理そのものに時間をかけられたからこそできた料理なのだと想像できる。3時ごろからゆっくり小麦粉をこねられる条件がそろっているのだ。
これが共働き家庭や、食事の準備にかけられる時間が30分くらいしかない人が日常的に作ることができる料理ではないことはすぐにわかる。
さらに、食べる人がいる。これを1人で作って1人で食べることは考えにくい。家族があってみんなで食卓を囲むからこそできあがる料理なのだろう。
しかし、時代は変わって、食事を準備することに時間をかけられる人も減り、1人でも餃子を食べる人が増えた。そうすると、自然と「餃子の皮」というものがスーパーに出現する。そして冷凍食品の餃子の登場だ。
きのう、スーパーのレジで、豚ひき肉とにらと小麦粉を持って列に並びながら、ふと横にあった冷凍ケースを見たら、味の素の冷凍餃子が188円で売られていた。「冷凍餃子か… 188円か…」と思いながら眺めたことはたぶんしばらく忘れられない。しかしそこで「買おうかな」とは思わなかったけどね。手作りすることに意を決していたから。次回は最初から、他者をひっくるめてやろうと思う。失敗を重ねてできるようになっていくものです。