Saturday, 15 August 2015

9.8 Museo Casa di Dante ダンテの家

振り返って。せめて写真だけでも載せておく。

9日(日)
「ダンテの家」に行ってみた。家とは言うものの本当にそこに住んでいたかどうかは誰も知らない。とりあえず今は小さな博物館になっている。





 [ダンテの時代のヨーロッパ↑]

[当時はこんな寝室だったでしょう、という部屋]
 [と、その説明。当時はクローゼットというものが無かったけどその元になったのがarmaioという木の入れ物だったのではないか、と。]

ヴェッキオ宮殿にもあったんだけど、またダンテのデスマスクがあった。カーカップというイギリスのダンテ研究者がこれに関わっているらしくてKirkup Maskとも呼ばれているらしい。いくつかニュースを見てみたけどこちらが「より本物」らしい。

こちらは「神曲」。イタリア語ではDivina Commedia、英語ではDevine Comedyと言う。
[世界一小さな神曲↑]



「神曲」を図にしたもの↓

まったくまともに読んだことが無いのだが、入り口のところに貼ってあったポスターを見て、驚いた。一枚の紙におさまっている!

なんだ、べらぼうに長いのかと思っていた。

本屋で手に取って読もうとしたが、難しくて分からない…。トスカーナ方言で書かれてあるらしい。だからと言って今さら日本語で読む気にはならない。

ただ、ベアトリーチェの話とか、少しあらすじを読んでみると、結構気になってくる。

そういえばロベルト・ベニーニがダンテの神曲を暗唱していたビデオを以前見たことがある。現代人(?)も普通に読めるんだろうか。

ちなみにこの博物館も、ダン・ブラウンの「インフェルノ」に関わってくるらしい。そうか、この夏読むべき本はインフェルノだったんだな。日本に帰ったら読もう。

Thursday, 13 August 2015

語学の教室というものは

書きたいことはたくさんあるのにまったく追いつかない。見たり聴いたりすること、つまりインプットがあるとアウトプットも自然とあるんですね。これだけ毎日色々なものを吸収していると、時間さえあれば文章なんていくらでも書ける。提供できる話題も山ほどある。
[通常の朝食]

ここに来て約10日が経った。一番の目的はイタリア語の上達なのだが、学校ではかなり細かい文法まで教えてもらっているのでとても助かっている。これまでいかに曖昧にしたまま話してきたか、痛いほど分かる。

前置詞、冠詞、定冠詞だけでもかなり重い。これについては、イタリア語の場合は英語ほど規則正しくない。先生曰く、「どう考えても理屈に合わない、ばかみたいなルールがあるし、イタリア人だって何故だか分からないのもある」。常にしょっちゅう首をかしげてばかりだ。

で、先生が言ってたことのなかで納得したのが「passivoになってみる」ということ。つまりある程度は受身でいることが大事。何でもかんでも「なんでなんで?」と疑問を持つよりも「ふ〜ん、そういうもんなのね」ぐらいの姿勢でいたほうが言語は身に付きやすい、と。なるほどそうかもしれない。その証拠に赤ちゃんなんて何も疑問を抱かず、あらゆるものをすいすい身につけていく。

ただ、私ぐらいの年齢の場合は、時制と、名詞と動詞の一致に関してはきちんとした説明があって頭を使って理解をすることが必要だと思う。英語ならまだしも、イタリア語はもっと細かい。過去から見た未来の言い方とか、半過去の正しい使い方とか、結構細かいところまで教えてもらって、毎日本当に有り難いと思っている。

[授業について]

私がとっているコースは:
9:00~10:50 授業①
11:10~13:00 授業②
×5日間×2週間。

生徒は12人以下ということになっているが、たいてい5〜10人におさまる。
コースの終わりと始まりが人に寄って異なる上に途中で数日間休暇に出たりする人もいる(お金もったいなくないのかなあ?)。

国籍は様々で、同じクラスにいたことのある人たちを思い浮かべてみると:
ベルギー、アメリカ、スペイン、ポーランド、ロシア、中国、シリア、クロアチア。
各国から1人ずつなので、本当に国際色豊かだ。
今日はそのうち5人だった。
[瓶ビールが€1で手に入る。イタリアだからと言ってワインばかり飲む訳ではない。]

授業①では文法。これはもう徹底的に。先生がとことん説明をして、練習問題を解く、というたったそれだけ。こんなにシンプルなのに、時間はあっという間にすぎていく。ひとつには、少人数だからというのがあるだろう。生徒がとにかくよく質問をする。

授業②では、読解と会話。先生が実に色々な話題の文章を持って来る。たいていの場合、エッセイ。読む前に先生がその話題についての質問を投げかけるので、自分の国ではこうです、とか、自分の経験ではこうです、とかしゃべりたいだけしゃべる。全員。そのあと、文章を順番に声に出して読み、分からない単語、箇所があれば聞く。1人が読むたびにまた先生がその話題についての質問をする。それに1人ずつまた答えていく。

これであっという間に110分x2が過ぎて行く。先生の話題の豊富さもすごいし、なにより、気持ちが楽なのだ。「これやったら怒られるかも」みたいなのはまったくない。私たちが大人だからなのかと言えばそういうわけでもなく、生徒の中には10代の子もいる。厳しさって何でしょうね。

当然だけど、先生も椅子に座ってます。途中でコーヒー買いに行ったりもする。買い物に行って遅れて来たりもする。「スマホのマナー」について読んでいる間に先生のスマホが鳴ったりもする。

先生のことを下の名前で呼ぶのが普通で、生徒と教師の関係に水平さを感じる。文法を少し間違うと先生が「ちがーう!」みたいな感じで言う。これを生徒も特に気にしないあたり、日本との違いを感じずにはいられない。つまり「ちがーう」と言われても特にショックを受けている様子はない。

そして練習問題を解くときも、日本だったら「はい次」とか名前を呼ばれてからじゃないと答えを言わないのが普通なのだが、この場だと生徒が次々に自発的にしゃべる。日本人の繊細さと丁重さと慎重さと、(言葉に表すのが難しいんだけど)あの独特の空気は、この人たちには分からないだろう。逆に、日本人が普段、無意識のうちに気にしているようなことはあくまで日本特有であり、世の中(地球上)の人たちにとっては実に些細で瑣末なのだ。

…ということも、いったん外に出てみないと一生気づくこともないわけですが。

[ダンテ先生。動き出しそう。]

この学校の授業には少なくとも3回は参加している。短くて1週間、長くて1ヶ月。何が良いかというと、このシンプルさだと思っている。ローマでほかの学校にも行ったことがあるが、やたらとアクティビティやゲームが多かった。それはそれで楽しかったし、多くのことが身に付いたと思う。

だが、個人的には、アクティビティ系のもの無しで落ち着いて座って説明を聴くのはとても居心地が良い。少人数で、質問したいだけして、ホワイトボードにきちんと整理して書かれた説明を、ノートに写す。ただし説明は本当にきちんとしてなければいけない。ネイティブ・スピーカーで、しかもプロだからこそできる説明は、本当に分かりやすいし、隅から隅まで疑問が解決される。

外国語学習に関してはよく○○メソッドとか○○法とか騒がれているけど、うーん、あんまり凝ったことしなくてもいいのかもしれない。インプットと、アウトプットのバランスさえ取れていれば、あとは本人の努力次第ですかね。

…なんて偉そうに言ってみたりして。

あと、先生が楽そうだと、こっちも楽です。ある程度の距離を保った状態でさえあれば。恐怖とか緊張感無く学べるかどうかは先生にかかっている。合気道やってても同じことを思う。先生はめちゃくちゃ穏やかで優しいんだけど、みんな、大事なことはきちんと学ぶ。厳しさって何でしょうね。

Tuesday, 11 August 2015

観光客 Tourists in Florence







ミニチュア観光客

観光客ばかりでうんざりしていて、しかもちゃんとした一眼レフカメラを持って来ていないことを後悔していた。
あ、そうか、それなら観光客をi padのちゃんとしてないカメラで撮って楽しもうと思った。一眼レフには敵わないけど、ipadでできる限りの力をふりしぼって、こんな感じです。

Duomo前 

 piazza signoria

 Galleria degli Uffizi

 Palazzo Vecchio




Monday, 10 August 2015

8.8 アルゼンチン料理を食べながら

昨日、ゴロゴロと雷の音がして、空の色が変わり、夕方からいきなり涼しくなった。雨が降り出したのはだいぶ後になってからだったけど、おかげでだいぶ過ごしやすい。助かった。

土曜、ウフィツィに行った後のことだが、知人とアルゼンチン料理を食べに行った。中心部からはだいぶ離れたところで、山の中にある。湖のほとりに立てた釣りの小屋がはじまりだそうで、そこからレストランになった。数年前、イタリア人の2人の兄弟が、2人ともアルゼンチン人の女性と結婚し、それがきっかけで店を始めたそうだ。

湖がとても大きく、きれいで、涼しい風が吹いて本当に気持ちよかった。席は全部外。いくらでも場所は使えるといった感じだ。この日はアルゼンチンタンゴのショーをやっていた。

誕生日会を開いているグループがいくつかあったようだが、隣の席が特に大きな団体だった。たぶん大人が20人以上席についていて、それとはまた別にテーブルが用意されており、そこに子どもだけが20人ぐらいで席についている。

大人は大人で好き勝手に飲み食いし、子どもは放っておけば子どもどうしで世話をし合っている。見ていて面白かった。タンゴのショーが終われば子どもは勝手にステージに出て行って見よう見まねで踊っている。

誰も「湖に落ちるかも」とか「いなくなっちゃうかも」とか、心配をしていない。気楽なものだ。そもそも時間が遅いのだが、イタリアではこれあんまり関係ない。子どもは12時ごろまで大人と一緒に遊んでいることがよくある。この日も12時過ぎていた。

それでも子どもはちゃんと育つのだ。このくらい気楽でいいんだろうな。

8.8 Galleria degli Uffizi / ウフィツィ美術館

先週からずっと気になっていたことがあった。それは、ウフィツィ美術館の予約をするべきか否か。ネットで予約しようとしたら2週間先まで売り切れ状態だった。うーむ。行きたい。でも列には並びたくない。
で、先週の木曜日のこと。

学校が終わって帰ろうとしていたちょうどそのとき、壁に「ウフィツィの予約、ご相談下さい」みたいな案内を見つけた。
事務にいたロシア人のお姉ちゃん(タチアナさんという)に聞いてみたところ希望日と時間を聞かれたので、「できることなら今週の土曜なんだけど、ウェブサイトでは全部売り切れなんです」と答えた。すると「分かんないけど1人ぐらいはいけるかもよ〜 電話してその結果を明日知らせますね〜」と言われた。日本だったらその場ですぐに電話してその場で知らせてくれるだろう。まあいいや、別に急いでいることでもないし。今は今でやるべき別の仕事があるだろうし。

翌日。
私:「昨日の件どうなりましたかね」
タチアナ:「完璧でした〜」
なんと、土曜の朝9時半に予約が取れたというのだ。ウェブサイトでは全部売り切れだったのに??驚いたけど本当に完璧だったので嬉しかった。
イタリアは大きなシステムどうし以前に個人間で取引が行われることが多い。昨日も友達が"Basta conoscere la giusta persona(正しい人と知り合っているだけでことがうまく進む)"と言っていた。この場合は個人というよりは、地元の学校と美術館の関係であり、さらにインターネットではなくて直接、イタリア語での電話による予約なのだから、より信頼関係がある。ウェブサイト予約もその辺はフェアになってないといけないんだけど、まあイタリアだから仕方ない。
9時半少し前に着いたら、やっぱり長蛇の列だった。しかも土曜日だし。予約は4ユーロかかるけど、その価値は十分にある。通常のチケットが12.5ユーロ。初めてこの美術館を訪れたのは2005年だったが、そのときは€10以下だった記憶。
今のところ、どの美術館も入場料が値上がりしている。一年に€1ぐらい上がっているのかもしれない。
さて、美術館内は観光客でごった返していた。みんな興奮状態にある。ぶつかったり、床に座ったりしていて私もかなり神経が尖っていた。

今回は音声ガイド無しにした。これで3回目か4回目のウフィツィである。最初のほうから順番に見て行く。ルネサンス黎明期の祭壇画から始まる。
Simone Martiniの受胎告知。いやー、なんとも言えませんね、このマリアの表情。何度見ても面白い。目からビームみたいなのが出てて、それが言葉になってる。いわゆる「ルネサンス」という感じの人間らしくて柔らかい作品はもちろん好きなのだが、個人的には中世の固い、かつコミカルな感じがとても気に入っている。タペストリー然り。

ミケランジェロのsacra famiglia(聖家族)。これ、初めて見た時は涙出るほど感動したなあ。もう10年前だけど。教科書とか本で毎日のように眺めていた作品が目の前にあるってやっぱり嬉しいものです。今となってはそういう新鮮な感動からだいぶ遠ざかってしまっているのだけど。

これはローマの彫刻だそうで。お尻に目を奪われるんですが、実際のところ西洋人のお尻ってほんとにこんな感じなのよね。

ボッティチェッリのLa primavera(春) は、あらためて見るとかなり大きい。ガラスがかかっているけど、果たして10年前はガラスなんてあっただろうか?
 とにかく精密に描かれてある。
ちなみに現在、ウフィツィのメインとも言える10〜14室が工事中かなんかで閉まっていて、ボッティチェッリだけ移動して別の部屋に展示してありました。

これの前で記念写真を撮る人たちがわんさかいて、本当に迷惑だと思った。

いつも思うんだけど、美術館に来る人たちは「あの有名な絵を見た」という事実が欲しくて来るんだろうか。それとも本当に絵画に興味があって来るのだろうか。

もちろんどっちもありだし、何の否定もしないんだけど、40人くらいのツアーでどどーっと入って来てやたら大きな声で解説したり、ひたすら美術館内をかけずり回って(記念)写真(だけ)をパシャパシャ撮る某国の人たちなんかを見ると腹立たしいと同時に悲しくなります。私にとっては、例えば食べ放題に行って、元をとるために食べまくる人と同じくらい醜い。そういう人たちに限って、彫刻に触ったり、フラッシュ撮影がだめだといくら言われてもフラッシュをたいたりする。普段から芸術に接していない証拠とも言えるかもしれない。文化的成熟度が低いというか。

話変わって。
ロッソ・フィオレンティーノという画家がいる。私は10年前にこの美術館を訪れるまでこの画家のことは知らなかったのだが、描かれた天使に一目惚れしてしまった。
今回また会えたというか拝めた記念に、このリュートをひく天使のマグネットを買って帰りました。

下の2枚は今回初めて見たもの。あまりにも面白かったので撮った。狩りの前と後、らしい。前後くっつけて展示してある。


 メディチ家の肖像画がずらっと並んでいる部屋があるのだが、その中の一枚。これを見るたびに、道端でよくこういう顔の人歩いているなあと思う。ほんとにそっくり。昔からイタリア人はこういう顔が多かったんですねきっと。


そしてラファエッロ。
何年も前に、この肖像画を、偶然にもヴェネツィアの美術館で見たことがある。ウフィツィから出張中だったのだ。これも当時、吸い寄せられるように虜になった。それまで特に注目もしていなかったものが、現物を見たとたんに虜になってしまうことがある。例えばシャガールの「誕生日」もそうだった。(もちろん逆もあるけど。)こういうところにやっぱり本物を見る意味があるんだと思う。ラファエッロ、それにしても美しい。

Sunday, 9 August 2015

7.8 Palazzo Vecchio / ヴェッキオ宮殿のUFO

ヴェッキオ宮殿については1回で終われないので「その2」です。

突然現れた子どもの彫像。凄まじく邪悪な顔をしている。

ダンテのデスマスク。本物らしい。ダン・ブラウンの「インフェルノ」を読んだ人たちにとっては、ここは大事なポイントらしい。読んでればよかった。

ドナテッロ作のユディットとホロフェルネス。シニョリーア広場にあるのはこれのコピーらしい。すごい高いところに設置してあった。

礼拝堂の壁画が面白い。水を飲む人たち。右上の人の必死な様子が笑えた。それとこの赤ちゃんの表情。

あと、このムンクの叫びさながらの顔。

これも天井。最後の方の部屋だった。

で、ようやく本題です。
「なんと600年前なのにUFOの絵があるんだよ」と先生から聞いていた。でも見つけられなかったので、ちょうど上の写真にある天井の部屋にいる職員の人に聞いて教えてもらいようやくたどり着いた。
一見、普通の聖母の絵。こういうトンド(丸い絵)は宮殿内にいくつでもある。
 で、近づいてよーく見ると…
 あった!UFOとそれを見上げる人と、犬。これは衝撃である。ルネサンスの時代にUFO?
 めちゃくちゃ小さいので、知らない限りは絶対気づかない。観光客は誰もこの近くにいなかったところを見ると、やっぱりみんな知らないのだと思う。教えてあげたかったけど周りに誰もいなかった。

あとで、教えてくれた職員のところに戻っていろいろと話を聞いたら、科学者の間ではとても有名な絵で、UFOを研究している人にとっては欠かせない作品らしい。あとでちょっと調べてみたら"Madonna dell'ufo" (UFOの聖母)として知られている。

見つけたときはすごく嬉しかったし、得した気分になったし、普通、美術館に行ったときに得る喜びとはだいぶ異なったそれを得た。当時これを書いた人がUFOを見たいと思って描いたのか、それとも実際に見たのか。

いずれにせよ主題のマドンナの後ろに、こんなに米粒のように小さく、描くお茶目さ、洒落っ気、遊び心が、2015年8月の私の心にも届き、響いている。これってすごいことじゃないかな?

涼しいままで終わると良い

快適な涼しさが続いている。日中には気温が上がるが、それでも、逃げなければいけないほどの暑さではない。8月のはじめに40度くらいあったが、あれがピークで、そのあとは夜もエアコンなしで寝られる。このまま夏が終わればいいと思う。きょうは少し曇っている。雨が降るらしい。 カズオ・イシグロ...