Friday 1 January 2021

2021年のはじまりに思うこと

 「ぬいじゃった。おふろはいる時間かと思っちゃった。」

2021年は子の、こういう声で目覚めた。最近、お風呂に入るときに私と子とで「どっちがはやいかな」と服を脱ぐ競争をしている。たいてい私が負けるし、勝たせてあげている。ところが、昨夜は子があやうく負けそうになった。(服が頭にひっかかって「てつだって、てつだってよう」を連呼していた。)しまいには途中で泣き出した。そして昨日の夜は寝言でまで「マンマがさあ、勝つのは嫌なんだよう。ぼくに勝ちさせなきゃだめなんだよう」と言っていた。相当悔しい思いをしたらしい。結果的に負けたのは私なのに。

その延長なのだろう。今朝5時ごろに上記の発言。見ると、ほんとうにパジャマの上だけ脱いでいる。かわいいなあ…。思いながら着せてあげた。起き上がるとまた鼻が子の頭に激突した。暗闇での、この激突パターンが最近多い。鼻の同じ箇所がちょうど子の頭にぶつかる。二週間前にひどく打った鼻はいまだに痛い。

服を着せるとふにゃふにゃしながらすぐに寝た。子の寝顔ほど、安らかな気持ちを与えてくれるものがあるだろうか。

子育て真っ最中である。2021年もかけがえのない時間を大事に過ごしたい。幸い、仕事でめちゃくちゃ忙しいポストにはついていないので子育てに専念させてもらっていると思っている。

昨日、子のための自転車を買いにヨドバシまで行った。電車のなかで、いかに手がかからなくなったかを家人と話した。おむつもいらない、ベビーカーもいらない、パンツもいらない、よだれかけもいらない。自分で歩ける、意思疎通が取れる。おもちゃや本がなくても電車にじっと乗せておける。

その成長を見守っているつもりだが流れていく時が早すぎて追いつけない気持ちになるときがある。特に、自分に余裕がないと子どもに優しく接することができない。仕事も家も80%くらいでやっていけたらいい。たとえ少し片付いていなくても子どもと向き合って、真剣に遊んであげられる時間をとりたい。

自分の幼少期を思い出してみると、親がよく笑っていたという印象はあまりない。唯一、覚えているのはおばあちゃんの笑顔とか冗談とかである。もちろん親と祖父母では立場が違うけど。自分が親になってみると、やっぱりあのとき親は忙しかったんだろうなと思う。自分の子には、むずかしいだろうけど、笑っている姿を覚えていてほしい。だから仕事と家の8割で余った分はしっかり自分と向き合う時間をとりたい。

緑地の民家園

子の友人一家に誘われて、川崎にある生田緑地に行ってきた。ずーっと前にプラネタリウムに行ったことがあったので、もしかしてあの場所かなと想像できた。日本民家園というのがあってこれが面白かった。その、かつてプラネタリウムに行った時に入り口だけは見たことがあったけど実際はそのずっと奥まで...