giovedì 18 maggio 2017

イタリア式離乳食(朝食)について

前回は離乳について書いた。

実際の離乳食について書くことにする。

何度か書いたことあるかもしれないが、イタリアでは朝ごはんがとにかく軽い。クロワッサンとかジャムやクリームの入ったパンとか、ビスケットとか、そういう甘いものにカフェ一杯、そのくらいだ。

あるとしても卵くらいだが、それも珍しい。野菜や魚なんて、まずありえないので、和風の朝食について教えてあげるとびっくりされる。何度説明してもびっくりされる。冗談としか思われてないのかもしれない。

で、そんなに軽い朝食をとる人たちの文化圏では、離乳食は一体どうなっているんだろうというのは前からの疑問だった。

で、わかったこと。

ビスケットをあたためた豆乳に浸して食べさせる。豆乳じゃなくて牛乳の場合もあるのかもしれないが、とにかくビスケットが一般的らしい。スーパーには、大人が食べるための朝食用のビスケットがずらりと並ぶが、赤ちゃん用のやつが必ずあります。

今与えているのはplasmonというメーカーのビスケット。まあまあ甘いんだけど、6か月から、と書いてあるので、与えて弊害はないらしい。

朝食のバランスを重視する日本人の文化からすると、そんなのありえんだろう、と思うかもしれない。なんてったってだしをとった味噌汁を朝からいただくのだから。きちんと離乳食を作っている女性やかつてそうした人たち、あるいは離乳食の指導をする人たちからすると「ダメダメ、そんなのダメよ」だろう。

だけど、イタリア人がちゃんと育ってないかというとそうじゃないですよね。朝食にビスケットを食べてた人たちも立派に成長しているし国民規模でなにか劣っているかというとそんなことは決してない。

ところかわれば、ということで、こだわりなどは捨てて、異なる方法をいったん受け入れてみる。寛容さは大事。

ふーん、これでいいのか、となかば唖然としながらもここではこのやり方に従っています。

mercoledì 17 maggio 2017

離乳が早い

離乳食をはじめイタリアと日本で少なからず差があるだろうと覚悟してここに来た。で、やっぱり想像通り、驚きの連続だ。一気に書くと大変なので覚えていること、気づいたことから少しずつ書くことにする。

離乳について。

どうやら想像以上にここでは離乳が早い。
「まだ母乳をあげているの?」と聞かれてはいそうですと答えると別に否定はされないし、「母乳がまだ出るんだね」「恵まれているね」「いいね」と言われる。皮肉ではなく。

先日会った人に、イタリアでの離乳事情を聞いてみたところ、6か月くらいまでで終わりだと言っていて驚いた。早いとは思っていたものの。理由を聞いたところ、母乳というのはいわゆる「赤ちゃん」が飲むもので、8か月ぐらいにしっかりしてくると飲む「イメージ」ではなくなってくる、と。だから、歩き始めてからも母乳をあげるなんてまずありえないらしい。0歳といえど、はやく自立したひとりの人間にさせる、という考え方。なるほど、イメージって結構重要なのかもしれない。

そして、母乳が出なくなるから、というのも人によっては理由の一つだと。

そういえば日本みたいに「母乳?」って聞かれることがない。母乳かミルクか、という以前に、この時点では母乳とかミルクを与えていることが前提になっていない。

日本では、離乳食がはじまったころはたいてい、食べさせたあとは母乳でシメる、みたいな指導がある。だからいつまで母乳をあげつづけるのかわからなかった。そして食事を与えるときも少し遠慮しながら与えていた。

ここでは自然と、食事の量が増える。最初、言われた通りに与え始めたのだがその量に驚いた。大人が食べるくらいの、立派な一皿を食べるのだ。与えすぎだろうと思ったのだが、実際、こどもは食べているし食べたがっている。そうすると自然と授乳量は減る。デザートまでたべると、もはや母乳でシメ、なんて必要はなくなってくる。

それでも母乳をあげてはいるが、この1週間で、ああ、こうやって離乳が進むのか、というのがわかってきた。


人から何か言われたり指図されたりすると面倒だしうるさいと感じるのは確かだが、なにかひとつ突破できる場合があるので、言うことを聞いてみる価値はある。郷に入っては…である。自分のこだわりもありはするものの寛容でいることは大事。

どちらが正解というにはないので、間をとりながら様子を見て育てていく。

domenica 14 maggio 2017

コミュニケーション不足

2年ぶりのイタリア訪問だが、いったい何度目の訪問なのかというともはや数えるのを諦めるくらいだ。ローマだけならもう10回を超えているのではないか。初めて来たのが2005年だったということは確か。降り立ってからの緊張も珍しさも特になくなっていることに気づいた。

それでもあらためて思うこと、気づくことはたくさんある。特に今回はこどもを連れているので衝撃を受けることもしばしばある。それでも、When in Rome..ということで、I actually do as the Romans do. 郷に入っては郷に従え、である。

それにしてもイタリア人はよくしゃべる。この「しゃべる」というのは、単におしゃべりというのとは違うので勘違いしないでほしい。(いや、たしかにおしゃべりだけど)

わたしが思うのは、私たち日本人とは圧倒的にコミュニケーションの量と方法が違うということだ。思ったことをまったく内に溜めることなく、ひたすら外に出す。それを誰に喋るかといえば、家族、恋人、友人などに限らない。とにかく隣にいる人やレジの人、受付の人など、あった人が普通に会話をする。しかも、当然ながら相手の目を見て。


と… せっかく書いた文章がここまでしか保存されていませんでした。この倍くらい書いてたのに。なんてこったい。やっぱりその時じゃないと書く気にはならないんだよなあ。がっくり。


venerdì 12 maggio 2017

おじいちゃんが死んだ

こどもは元気なのだがやはり時差ぼけと環境の変化による影響は出てきているように思う。眠い時にどうしても寝付けない。日本にいてもそういうことはあるのだが、ここにきてから、今日は特にきつそうに見える。疲れているだけならコトンと眠れるだろうが、そうはいかない。神経が逆立っているのだろう。機嫌のいい時との差が激しい。見慣れない場所なのでずっとキョロキョロしている。落ち着かないのかもしれない。

というわけできょうはあまり移動をせずに過ごしている。

祖父が亡くなったという連絡を受けた。きょうの午前だ。日本を出る前から、かなりあぶない状態であるということは聞いていた。イタリア行きを取りやめるべきだろうかとも思った。空港で、電話をつないでもらって、ようやく声が聞けたのが最後だった。かすれ声だったが、しっかり意識はあるようだった。いっしょに住んでいたわけではないが、やっぱり悲しいし寂しい。常に気持ちが若く、新しいことに興味を持つ、とても優しくて素敵な祖父だった。

いっしょに住んでいた父方の祖父母はわたしが中高生の頃に亡くなったが、その時と違うのは、親を亡くすってどんな気持ちだろうなと考えるということである。中高生の頃は、親を亡くした父の気持ちは想像もできなかったし、むしろ自分から見ての祖父母という存在を失ったという事実が大きかった。しかし今回は親を亡くした母は一体どんな気持ちだろうかと考える。今、自分も親になったからだろうし、自分の両親もだいぶ年老いて実際に死に近づいているのがわかるからだろう。そもそも20数年前は自分も親に守られた存在であったし、その親が死ぬなんてことはまったく現実味を持たなかった。

ともあれ。覚悟はできてはいたもののおじいちゃんが死んだということがどうしてもまだ人ごとのような気がする。こんなに遠くにいるからかもしれないし、最後の姿を見なかったからかもしれない。

しかし現実は現実なのだ。受け入れなければいけない。まるでエネルギーのかたまりのような、ピンピンした8か月のこどもを見て、90数年前はおじいちゃんもこんなだったんだよなと数日前考えていた。人の一生とは面白いものだ。こうやって、たんたんと時間は流れていく。戦争が起きようが、地震が来ようが、陽は暮れて、朝が来て、誰かが死んで、誰かが生まれる。その流れの中にふと自分は入り込んで、生を受けている。その生もいつかは終わるし、流れに抗うことはできない。おじいちゃんの命も、母の命も、わたしの命も、子どもの命も、そうなるべくしてなっている。

おじいちゃんのこといろいろ思い出す。おじいちゃんみんなのことをいつも気遣ってくれてありがとう。ゆっくり休んでください。

giovedì 11 maggio 2017

ローマに着いた

思い出したくもないくらいにつらい12時間のフライトを経てついに我々はローマに降り立った。こどもは元気だ。時差ボケや慣れない環境のせいで頻繁に寝たり起きたりする。だいぶ疲れているはずだ。それでも初めて会う人たちにも笑顔を返し、リラックスできているときはたくさんしゃべる。これだけ環境が違っても、泣きわめいたりすることはなく、ひたすらキョロキョロしている。人見知りたる人見知りがいっこうに無いが、それで助かっているのは事実。

まったく異なる二つの文化を、ゼロの状態から経験するのって一体どんな感じだろうなと思う。我々大人は「飛行機に乗ってイタリアに行く」とか、「この人がしゃべっているのはイタリア語」とか、もちろんわかるわけで、意識できるが、ベースがまだ出来上がっていないこのこどもにとって異文化も外国語も何も無いわけだ。すべてを、やわらかーく吸収している。たぶん。まるでスポンジが水を吸うみたいに。どんな感じなの?と聞いてみたいくらいだが、その瞳が語ることを想像するしかない。

初対面の人を見て泣かないのはおそらく、生まれて8か月の間、毎日よく外に出ていろんな人に会わせているからかなとも思うがきっと本人が生まれながらにして持っている個性によるものも大きいかもしれない。あるいはその時期がまだ訪れてないだけか。こればかりはわからない。

sabato 29 aprile 2017

本当に「ごめんなさい」なのか

天気いいですね。どこに行こうかなと考えるとわくわくする。

先日、信号待ちのときだったか、ベビーカーで人の後ろを通るとき私は「すみません、ごめんなさい」と言った。男子高校生の三人組。ベビーカーに気づいて少しよけてくれた。

通り過ぎたあとでそのなかの1人が「ごめんなさい、って…」と言っているのが聞こえたところでハッとした。

たしかに。「ごめん」じゃないなあ、あの状況は。

「すみません」は比較的簡単に使える言葉だ。それに対して「ごめんなさい」は明らかな謝罪である。英語だと分りやすい。Excuse meとI'm sorryでは程度がだいぶ違う。なのに、「ごめんなさい」を「すみません」の延長ぐらいの軽さで使うようになっていた。日本語の場合は「すみません」の汎用性があまりにも広い(!)ため、並べて使っても英語ほど違和感が無いのだ。そういえばよく私の母親がこの2つをセットで言っていた気がする。しばらく一緒に過ごして私もクセになってしまっていた。

こういう言葉ってほとんど無意識に発しているけど、実は結構影響がある気がする。謝るほどでも無いのに謝られても、前に書いた高校生のように戸惑う。そして言ってるほうも無意識のうちにに恐縮しながら生きている。そして謝罪するほどの場面でもないのにとりあえず最上級の謝りを入れておく、みたいな感じになっている。言われた方が気持ちが良いかというとそうとも限らない。もちろんほとんど気にならない人がほとんどだとは思うけど。だから高校生みたいに頭が新鮮で柔軟(!)な人には気になっちゃうのだろう。さらにその男の子は外国人っぽかった。

当然ながら、ぶつかったら「ごめんなさい」である。私はよく歩いていて前の人の足(かかと)を踏むことがあるので、そういうときは「ごめんなさい」と言っている。

というわけで最近あえて「ごめんなさい」がはたしてその状況に相応しいのかを意識するようになった。ふと、「ごめんなさい」を「ありがとうございます」に置き換えてみたらどうだろう、と思ったので、状況にはよるが実践してみている。言っている本人は気持ちがいい。少し道を譲ってもらって、あるいはエレベーターで先におろしてもらって。

あの時高校生がつぶやいてくれてよかった。言葉の持つ力は大きい。

giovedì 27 aprile 2017

育休延長

育休延長することにした。
急だけど、きょうの昼ごろ決めた。
そしたらどっと疲れが出てきた。
いますごく身体が重い。
のどが痛くなって来て、鼻水がとまらない。風邪をひき始めたらしい。つかれた。すんごいつかれた。

毎日あちこち電話かけて子供連れてあちこち行って、はとりあえず一旦中止。がんばった。わたし。とりあえずおつかれ。

風邪ぎみ、とマリオのスター

 乾燥に弱い。喉が。 先週ちょっと喉が痛いかなと思った。よくあるビリビリした痛さはなくて、3連休はのどをそれほど使うこともなく休んだので悪化しなくてよかったと思った。たいていパターンは決まっていて、「ビリビリ」がおわると鼻水が始まり、咳が残る。そしてきのうがその「鼻水期」の始まり...