Wednesday, 31 December 2025

読書家ではない人の読書記録

25日に仕事おさめをするやいなや、帰省している。遅くなればなるほど航空券代は高くなり、空港は混むということは明らかだ。今回はなんと6月に予約していた。それもあって夏以降、そわそわすることはなく過ごせた。これで良いのだろう。

冬に郷里以外のどこかへでかけたいとはあまり(いや、ほとんど)思わない。この短い期間にいっせいに人が動くわけだから、どこへ行っても混むし高い。海外に行く人の話を聞くたびに「よく行こうと思うよなあ」と、むしろ感心してしまう。羨ましくはない。いってもたったの1週間程度だ。英国留学中を除いて一度も、お正月を海外で過ごしたことはない。

読書の記録。

カズオ・イシグロのThe Remains of the Dayの最後の一章を残して、図書館での返却期限が来てしまったためやむなく返却をしたのが数週間前。仕方がなかったので読みかけていたアリス・マンローのDear Lifeに戻った。読みかけといっても短編なのでスタートしやすい。こういうときに短編はいいなと思う。最初の一話しか読んでいなかったので二つめの話から順番に読んでいる。二話以降もとても面白い。女性の視点から語られるので共感しやすい。場面が想像できる。こんなに面白いものをよく今まで何年も本棚に放置していたものだ。

しかし今朝読んだ"Pride"という話が今までと全然違った感じがしたので、気になっていろいろな書評や、読者の感想を読んでみた。まず語り手が男性だったという点。これに終盤まで気づかなかった。そして会話はほとんどなくて、語り手が淡々と語っていく形式。「いつものアリスマンローではない」というコメントがいくつか見つかった。発表?された雑誌も違う。the New Yorkerが多かったのにこれはHarper'sらしい。編集者とどういうやりとりがあったんだろう、と書かれたものもあった。わたしもそう思う。そしてタイトルとの関連性も考えさせられる。

さてきょうで2025年が終わる。2015年は自分にとっていろいろあった年だった、とよく記憶しているのだが、そうかあれからもう10年も経ったということか。振り返ってもどうしようもないのでいつもふりかえらない。一つ、よかったことを挙げるとすれば、読書の習慣が身についてきたことだろう。8月から、英語の本を、毎日少しずつ読んだ。

Never Let Me Go
The Buried Giant
How to Pronounce Knife
Klara and the Sun
Slaughterhouse-Five
Dear Life(途中)
The Remains of the Day(途中)

誰も知らない自分だけの深い世界を持っているようで楽しい。生きる楽しみが増えたようにさえ感じる。日本語の本もいくつも読んだけど、良質の洋書を読んでいると日本語はおまけ程度に感じる。そもそも、さほど重い内容のものを読んでいないためだが、英語に比べてあっという間に読んでしまうのもある。

先日、恩師から、読書家の私に、と図書カードをもらった。読書家と呼ばれるにはほど遠いと思っていたけど実際に本は読んでいる。わたしが想像する読書家というのはもっとずっとレベルが違うのだが、読書家について定義があるわけでもない。そう呼ばれたことは嬉しかった。もっと若いときから、もっとたくさん読んでいればよかっただろう。この年になってようやく楽しさに目覚めた感はある。遅くはない。「村上春樹以外読まない人」からは脱した感じがする。

Thursday, 25 December 2025

まえむきな病み上がり

きのうは私も子も遅刻した。わたしは10時ごろ出勤し、子は10時半ごろ登校した。無理だろうかと思いながらも起こしてみたら元気になっていて、すっかり学校に行きたい気分だったようだ。いつも休みたいといいながらも時間になるとスッと出かけていくし、1日休んだ翌日に至ってはもはや楽しみなようだった。少しも引き続き休みたい様子はなかった。大きくなったものだ。

子は4時間だったようで、1時過ぎには帰宅した。心配でもあったので私も4時ごろには帰った。どうだった、と聞くと、たくさん話をしてくれた。疲れてはいるだろうけど、前向きな表情だった。3、4時間目と給食だけなので、さほど負担もなく行けたのだろうと思う。

姿を現すと、先生も仲間も名前をよんで喜んでくれたらしい。元気にはなったものの、夜はやはり早めに寝たほうがいいだろうと思い、ゲームもYoutubeもいつもより少なく制限した。

「なんでー、ぼくもう熱ないのに」
「やみあがりだからだよ」
「やみあがりってなに」
「具合悪いのが治ったばかりってこと」

8時前に布団にごろごろし始めた。大の字になりながら「2学期お疲れ様会の"最後の言葉"はぼくがやるんだよ」という。ほお、そうなの?と聞き返すと「うん、もうだいたい覚えた」と。試しに言ってみてと言うと、すらすら言ってくれた。こういう情報が出てくることは珍しい。寝ころがりながらきょう1日を反芻しているんだろうなと思った。

さらに「2時間目から行きたかったな、だって道徳だったんだもん」とも言ってびっくりした。道徳は好きらしい。

やっぱり集団の力は大きいなと思う。集団の影響力にはかなわない。こんなに前向きになれる。

きょうは2学期最後の日。担任の先生にひとことお礼を書こうと思う。

Wednesday, 24 December 2025

子の生命力を信頼する

月曜。土日ともに夜遅くまでクリスマス会だったのが響いて、月曜は子の調子が悪かった。これは来るな…と思っていたら、火曜は熱が出た。月曜の夜にすでに出ていたのかもしれないが計る前に寝た。たぶん7時半ごろだったと思う。やっぱり寝不足は大敵だ。

火曜。合気道は年内最後の朝稽古で、これだけはいくことに決めていた。息子が熱あるのに隣にいないことに罪悪感はあったが、行かせてもらった。稽古が終わり、8時ごろ家と電話して、学校は休ませることにした。

その後、コピー機で隣になった同僚との会話。柔道をやっている同僚で、時々合気道の話をする。稽古にいったことを褒めてほしくて、きょう朝稽古行ったんですよ、と言った。

「子が熱出していて罪悪感はありましたけど」
「でも熱出すのも、こどもの仕事だから」
「そうですね、確かにそうかも」
「もう少ししたら、自分で歩いて病院行ってくる、ってことだってできるわけでしょ」
「はい」
「ある程度、こどもの生命力を信頼するっていうかね」
「なるほど」
この、セリフがわたしにはストレートに響いた。こどもの生命力を信頼する。

「見極めが難しいですね。これは大丈夫だろう、っていうことと、ちょっと待った注意しないと、っていうことと。こどもがもっと小さい時はそれがわからなくて自分の親によく相談したんですけど。親はなんだかそのへんがよくわかっていて。わたしはいまだにわからなくて困るときがあります」
「うんうん」
「心配しているのは私だけだったりもするし」

と話していたときにほかの要件で呼ばれてその場を去った。こどもの生命力。成長しているのだ。離れて見守る、そのバランスが大事になる。

さてその後、なんだか忙しい1日で5時ぐらいまで仕事は続き、家に帰った。ピッツァを焼くことになって、Fが買い物に出かける。こどもが小さくないとはいえ、看病には2人いるに越したことはないのだ。2人いれば買い物にも行ける。子の熱は下がっているが声がまだ枯れていて、調子よくはなさそうだった。7時前にピッツァを食べた。あっという間に3人で平らげてしまった。早めに寝よう、ということであったかくして8時前には横になった。「日本むかしばなし」を最近読んでいて、きのうは「かちかち山」と「さるのむこどん」を読んだ。どちらもたいそう酷い話だった。ちょうどきのうは同僚と、赤穂浪士の討ち入りから日本人の敵討ち思想について話していたところだった。

さてきょうは雨。冬の雨は最悪だ。出かける気がまったくしない。子は学校に行けるのかどうか。もう少ししたら様子をみる。

Sunday, 21 December 2025

心も体も冬休み

自分でもびっくりするほど体がおやすみモードに入っている。

16日午前に仕事が片付いたので、17日(水)と18日(木)は家でゆっくりすることにした。すると19日朝、驚くべきことが起きた。

寝坊したのだ。なんだそんなの大したことないじゃん、と思うかもしれない。が、これは私にとっては一大事である。毎日5時に起きているのにこの日は時計をみるともうすぐ7時だった。こんなことってあるのか、と思った。心とともに身体もゆるみはじめている証拠だと思う。わかりやすい。
7時前に起きても遅刻はせずに通勤できた。

金曜の夜に作ってもらったパスタ。カルボナーラではないけどこっちのほうが軽くて美味しかった。

きのう、土曜日は朝から合気道へ行った。楽しかった。汗だくになった。暗いなか外に出るので覚悟がいる。明るい時期との朝稽古とは全然違う。それでも稽古が終わったあとの爽快さは何にも替えがたい。

昼は鍋焼きうどんを食べた。

村上春樹がよく比喩に使ったり「鍋焼きうどんの季節ですね」と言ったりエッセイに出てきたりするので気になってはいたけど実際に店で注文して食べることはまずなかったと思う。先週試しに食べてみたらびっくりするほど美味しかったので今週も食べることにした。

夜はお隣さんのうちで忘年会。2歳から9歳まで、こどもが、あわせて5人。めちゃくちゃ楽しかった。大人どうしもまったくの異業種、かつ飾らない感じで居心地が良い。子どもたちはものすごい騒ぎようだった。勉強やばい息子たちはきっと大器晩成型だろう、と笑いあって11時まで楽しんだ。

というわけできょう起きたのも7時。もう普段のわたしだったら絶対にありえないんだけど、まあ冬休みだしいいか。いや、まだ休みに入っていないんだけど。気持ちはすでに冬休みである。きょうは合気道の掃除にいって、火曜日の朝に稽古おさめをすることが目標。

Sunday, 14 December 2025

チョコレートのパンドーロ

 イタリアから届いたパネットーネとパンドーロを少しずつ消費している。きのうはついにBaudiのチョコレートクリーム入りパンドーロを切った。付属の粉砂糖が、カカオパウダー入りで茶色かったのはびっくりした。

切り分けて食べる。
「わああ」とか「おおお」とか歓声があがる。
幸せだよなあ12月は。
とても美味しかった。チョコレート好きにはたまらない製品。

いっぽうで子がつくったレゴ。
1年生のときにハマっていたskibidi toiletによく似ている。


後ろ姿。

いつもながら設計図なしによくできるよなあと感心する。

いつも日曜朝は水泳に行っているが、きょうは雨が降っているのでまあ休んでもいいかと思っている。

そういえばきのうは合気道に行ったのだが起きたのが5時45分であやうく遅刻するところだった。5時の目覚ましが聞こえなかったらしい。珍しいこともあるものだ。飛び起きて、顔を洗って、家を出た。めちゃくちゃ寒かったけど合気道にいくとすぐに汗をかく。

Wednesday, 10 December 2025

強さとは

火曜。休みをとったのだが、同僚に回さなければいけないメールが一件あったのでメールをチェックしたら、それ以外に腹の立つメールがきていた。みなければよかった、とつくづく後悔した。見なければ済む話なのに、メールボックスを開けてしまったがためにいやな気持ちになる。遅れてもいいし迷惑をかけてもいいので、メールは勤務時間中に見るべきなのだ。たとえいやなメールを受け取ったときでも、周りに同僚がいる職場という環境であれば共感してくれる人もたくさんいるのでダメージが少なくて済む。(そういう面において同僚にはおおいに助けてもらっている。)

メールがなかった時代はどうだったのかなと考えてみるに、それはそれで不都合なこともたくさんあったのだろうと思う。いいとこ取りはできない、というのが結論だろうか。それにしても、メールはろくなことがない。コミュニケーションは面と向かってやるのが一番なのである。最初から「メールを見ない、返さない人」になってしまったほうが楽だと思う。

仕事、仕事、と言ってももう40過ぎたということは、仕事人生の半分は終わっているわけだ。働き方というか自分の在り方を強く持っていないと簡単にブレるし、まわりまわって大変なことになると思う。わがままを突き通すわけでも我慢し続けるわけでもない、ちょうどいい「在り方」がどこかにあるはずで、こういう場合はロールモデル、お手本があると良い。そうなると自動的に女性には女性のお手本が必要となる。男女関係ないだろう、と思うかもしれない。男性から学べるところは、ある。働き方を見ていて「ああ、指示はこういうふうに出すのか」とか感心することがある。しかしそれはあくまでも「部分的に」なのだ。女には女のモデルが必要だ、というのは、出産と育児を経るというのはもう並大抵のことではないので、これをこなしながら働いているかどうかは大きい。

すごいなこの人、と思える先輩がいても「はて、この人のご飯は誰が作ってるんだろうな。洗濯は誰がしているんだろうな。子の宿題は誰がみているんだろうな」ということが気になる。必ず誰かが裏でその人の分の働きをしている。歴史上の偉大な人物でも、きっとその背景にはご飯作ったり洗濯したりしている人がいた。自分でやってる可能性ももちろんあるけど。

だから、これらを家族に依頼するにしてもそのこと、つまり「そういう仕事が家に存在すること」をじゅうぶん把握していて、うまく回せるだけの人間関係を家族と築けている人なのかどうか、が見習いたいと思うかどうかを決める。

「結局、どこに行っても人間関係」なのである。周りが見えていたとしても気にし過ぎてすべてが遠慮に変わってしまって遠ざかる人もいる。この辺は、最初の話に戻って、やっぱり自分の軸がないといけない。強さとは周りを押し退ける力や自分を押し通す力ではない。合気道の先生がよく言う話で、かつて高倉健氏と話したときに「強さとは、なんでしょうか」と高倉氏はたずねたという。強さとは。なんだろうか。ときどき考える。先生は「自分に勝つこと」とおっしゃっていた。言われてなるほどと思うが、その答えは与えてもらうものではなく自分で日々を生きながら見つけていくものだと思う。

Tuesday, 9 December 2025

イタリアから届いたプレゼント


きのうでいったん仕事が一区切りついた。きょうは働いてもよかったのだが年休も残っているので思い切って休むことにした。めまいの始まる前の、振り返った瞬間に周りがズドンと落ちるような感覚が、ここ2週間のあいだに、たまに起こることがあるので、ぼちぼち休んだほうがよさそうだなと思った。

イタリアからクリスマスの荷物が届いた。巨大な箱が二つ。子供が1人は入りそうな大きさだ。開けてみると…パネットーネとパンドーロが!合わせてなんと10個も!そのほか、トローネやらヌテラの一番大きいやつやら、たくさんの美味しいものが入っていた。ありがたい。今我が家には、送られてきたものを積み重ねたタワーができている。

朝、東に向かって座っているのだが、朝焼けがどんどん右側に移動していってついに視界からは見えなくなった。少し体を移動させると見える。

この時期は、短い時間だけど部屋に入り込んでくる太陽を、部屋のなかのものが反射しているのがきれい。部屋がオレンジ色になる。真横から差し込んでくるかのような、オレンジ色の朝日。しかし長くは続かず、きょうも数分で消えてしまった。そのあいだに撮った一枚。まるで夕焼けだ。

子もそろそろ学校が終わりに近づいている。よく頑張っていると思う。きょうは授業参観。ちらっと見にいってみるつもり。3年生ともなると人間関係にもいろいろあるようで、聞いていて「ほう…」と考えさせられることも多い。成長しているということ。

週末にレゴで「ぼくノートパソコン作れるよ」と言い始めた。そしてあっという間にできた。なるほどよくできている!




 

Thursday, 4 December 2025

揚げ物から考える異文化理解

 スローターハウス・ファイヴを読み終わってから、本棚にあったアリス・マンローの"Dear Life"を一話だけ読んだ。続けて読もうと思ったけど図書館で予約したカズオ・イシグロの"Remains of the Day"が早速借りられたので、こちらを優先して読むことにした。洋書、ペーパーバックは図書館にあるとも限らないがカズオ・イシグロ級だと、ある。所有していないものを読むのは今までなかったけど、これでもいけそうだと思った。

しかし困ったことに文字が小さい。電子書籍のほうが良いのかもしれない。文字が小さくて読めないのではなく、読む気になるかどうかという問題である。

そして英語が!難しい!!一文が長い!語り手が英国の執事なのでそれはもう丁寧で回りくどい表現が続く。北米英語を読んだあとなので、正直なところ面食らってしまう。それでもきょうで3日目、なんとか読み続けている。きょうは同じ箇所を3回も4回も読んで、いつの間にか1時間くらい経っていた。物語は最初、入り込むまでが大変なので、もう少しすれば楽に読めるようになるのではないかと期待している。

おととい、半休をとったので時間があった。子と2人での夕飯。

冷凍庫にある豚肉を焼こうと思っていた。子が肉をみて「カツ丼?」というので、ああ、そうか揚げることもできるな…と思い立った。先日ハンバーグを作るために開けたばかりのパン粉もある。フライを作ってみるか、と思った。そういえば図書館で借りていた栗原はるみさんの「わたしのいつものごはん」があるので参照してみた。料理のレシピはネットで見るよりも本のほうが断然いい。

揚げられるものが何かあるか、探ってみたら冷凍のエビが大量にあった。全部解凍することにした。それからかぼちゃも。揚げたてが当然おいしいので、片っ端から2人で食べていった。たったまま食べながら

「おいしいね」

「揚げたらなんでもおいしいよね」

「鉛筆だっておいしいんだよ」

「えっ、ほんとうに?」

というような会話をした。「はれときどきぶた」を思い出す。メインのとんかつを揚げる頃にはもうお互いに油を受け付けなくなっていて、おひらきになった。立ったまま食べる夕飯となった。

さて翌日。

小さなトンカツが3つ残っていて、帰ってきてからわたしがパクッと食べたら当然、子も「ぼくも」と言って食べる。これを見て黙っちゃいないのがイタリア人。「揚げ物は2日連続で食べない」という。「残っているんだから一口くらいいいでしょうに」と言うとさらに怒る。

面倒だなあ、と思っていたところ、ちょうど電話をしていたイタリアのおばあちゃんと我が子との会話。

「パパが揚げ物を食べちゃダメっていうんだ」

「揚げ物は2日続けて食べたらダメなのよ」

「でも一切れだからいいんじゃないの」

「一切れでも連続は連続でしょ」

なるほど、これはパパ1人の意見ではない、ということがここで証明された。

夕飯はエビとあさりのリングイネだったが、それを食べ終わったあとに最後のカツ一切れを子が食べた。これをにらむイタリア人。わたしは口を挟まないことにした。

これが異文化理解というものなのだろうか。きっとそうだろう。放っておけばトンカツは消化され、忘れられる。

それにしても、だ。イタリアにおけるこういったまじないのような迷信のようなルールはたいへん厄介である。この、揚げ物は一例なのだが、気候、服装、食べ物などなどに生活、もはや人生関するルールが数えきれないほどある。どこにも書かれていないのにみんな知っているルール。「食べたあと2時間は水に浸からない」は代表例かもしれない。

もう少しおおらかでもいいだろうに、と思う反面、これがイタリアをイタリアたらしめている、ひいてはこの世界で「魅力的な人々、地域、文化」として見られるゆえんなのかもしれない、と思う。意固地なまでにゆずらない「らしさ」。

気候や食べ物と書いたが、もっというと人間関係においてもこの「ルール」があり、長い歳月をかけて培われた生き方のスキルが、あの土地で育つと身に付くのだろう。

しかし揚げ物くらいね、いいじゃんね。やれやれ。

Tuesday, 2 December 2025

自動的にマフィン

12月になった。11月に、12月の話をするときはまだずいぶん先のような気がしていたのに気づくと12月が「来週」になって、「今日から」になった。冬休みまであと少し。11月はゴールを目の前にして息切れしそうな人たちが多いと思う。なんとか11月を乗り切りましたよ、みなさん!あとは、やることを整理して、風邪ひかないようによく寝て過ごすだけです。 

いつもと変わらず朝は5時に起きている。ここ1ヶ月くらい、起きてすぐにマフィンを焼いている。もはや自動的に手が動く。もはや材料も分量も頭に入ってしまった。きのうも、作らなくてもよかったかもしれないけど、ま、やるかと思って作り始めた。紅茶ができるのを待つ時間は7分間と決めているのだが、なんとその間に材料を混ぜ切ってしまった。実質5分だった。我ながら早い。

マフィンはケーキよりもメリットが多い。常温保存で良いし切らなくて良い。材料はある程度適当でも失敗はまずない。作るときもボウルひとつでいい。道具は泡立て器とゴムべらがあればできる。朝ごはんに、おやつに、家族がパクパク食べる。置いておいたら1日でなくなる。きょうは、昨日のが1つ残っていたので作らないでおいた。

マフィンの写真がないのは、毎日作っていてもはや特別ではなくなったから。



Friday, 28 November 2025

Slaughterhouse-Five 読み終わった

 今朝、カート・ヴォネガットの"Slaughterhouse-Five"を読んでしまった。買ったのは2年前で、当時、読もうと試みても全然頭に入ってこなかったので放置していたものだった。しかし今回はスッと入っていけた。初めて読む作家はその書き方に慣れるまでの時間も必要だ。今回読めたのは、「カズオ・イシグロを読んだ」という事実があるからだ。英文を読むことに慣れ、長編小説に物おじしなくなった。自信がついたのだ。夏休みから連続してカズオ・イシグロを3作と、How to Pronounce Knifeを読んだことで、また別の世界ができた。「これが読めるということは、これも怖くないはず」と思える。優れた作家の優れたインプットがあるというのは素晴らしいことで、こうやって朝、洋書を読む習慣が身についたことがありがたいと思う。

さて、スローターハウス・ファイヴは、簡単にいうと戦争の話。ドレスデン爆撃について。これだけ聞くとだいぶ重そうな雰囲気があるが、全くそうならない。なぜかというと、登場人物がタイムスリップをするから。笑えるほどに場面も時代も変わる。ずっと戦争の話を読んでいたらそれは暗くなるだろうけど、この小説は違うのだ。文も短く、回りくどくない。あっさりした感じが最初から最後まである。

ドレスデン爆撃について、聞いたことはあったのだがよく知らなかった。あらためてウィキペディアで調べたり読んだりした。これをアメリカ人の視点から書かれているところが面白い。

アメリカ英語の小説を読むのはもしかしたらカーヴァー以来?で興味深かった。知らない単語がたくさんあって、どうしようかと思った。普段オンラインの辞書を使っていて、家に紙の辞書がない。そして電子機器を開かずにペーパーバックを読むという状況を自分で作っている。つまりここでパソコンやi padを開くとおそらく読むことをやめてしまう。電子機器の魅惑に紙は簡単に負けてしまうということを経験上よく知っている。さてどうするか。結局、電子辞書を使うことにした。昔の電子辞書で、もう出番はないのではと思っていたけど、ついに電池を入れ替えた。そうすると、やっぱり使いやすい。この10日間くらいで大活躍している。電池の消耗だけが気になるが仕方ないだろう。

次に何を読もうかと考えているが、まずは棚にあるものを片付けたほうがよさそう。そのいっぽうで、カズオ・イシグロをもう1冊読みたいとも思っている。

Wednesday, 26 November 2025

フリマ、咳で病院

24日。3連休の最後の日はフリーマーケットに行くことにした。代々木公園と国際フォーラムどちらにしようかと思ったが、なんとなく代々木公園にした。かつて(と言っても10年以上前)毎週のようにフリマに繰り出していた時期がある。何も買わなくても楽しかった。

十数年たった今、子を連れていった。出不精な子だが、ここ最近は、うまく運べば一緒に出かけるようになった…気がする。車酔いもしなくなってきた。成長している。

代々木公園はとても綺麗だった。紅葉が見頃な上に、朝早いせいか人も少
ない。よく整備されている。それこそ20代後半はしょっちゅうきていたなあと思い出す。寝そべって本を読んでそのまま眠ったことが何度もあった。

フリマは大規模だった。私のほしいものをじっくり見ることはできず、子のためのガンダムのフィギュアを買うにいたった。言われた値で買ってはいけない。値切ってなんぼ。千円と言われたが、ほかのものも加えて千円で交渉成功した。

わたしがほしいものが見れなかったわけではなく、当時よりもものを減らすことに熱心なため、そんな簡単に買わない、というのもある。

NHKのほうに歩いて、渋谷から帰ることにした。たくさんの店の、11時の開店を待つ人たちで街はあふれていた。知らない店がたくさんあって、かつての渋谷とは変わっていることを感じた。そして久しぶりにスクランブル交差点を渡った。れっきとした観光地である。

25日、火曜日。

朝、マフィンを焼いている間に本を読んでいる。カート・ヴォネガットのスローターハウス・ファイヴはあと少しで読み終わる。さほど期待していなかったのに結構面白い。文は短い。知らない単語は多い。ついに観念して、電子辞書に電池を入れた。

曇り空で寒々しい朝だった。が、ふと顔を上げると、すごい赤が見えた。一瞬目を疑った。これは空の色なのか?と。あわててカメラを持って外に出た。そのあとも秒刻みに色が変わっていった。この朝焼けが見れたのはほんの5分間くらいだったと思う。そのあとは、あっという間に曇り空に変わり、雨まで降り始めた。

3日も休むとそろそろ仕事に行ってもいいかなという気になってくる。家以外での活動が必要だと思うようになる。ここ2日間くらいまた咳で眠れない夜が続いたので、これはいい加減に病院へ行こう、と24日夜に決心した。「もう治っただろう」と思ってから結局3週間くらい経つので、1ヶ月は咳をし続けていることになる。

仕事をさっさと片付けて早退し、3時から病院へ。この病院には咳だけで何回お世話になっているだろうか。レントゲンもとったが以上なし。吸入と、去痰剤と、抗生物質を出してもらった。おかげで夜は、途中で起きずに眠れた。もっと早く行くべきだった。

Sunday, 23 November 2025

学祭と、自由と

 母校の学園祭へ。行くつもりは特になかったが、恩師がいて会えると聞き、行くことを決めた。子を連れて、2人で出かけた。とにかく天気が良い。電車に乗る時間より歩く時間が長いかもしれない。それでも街路樹の紅葉がきれいで、人も少ないし、いい運動になった。

着くと、大学は広々と開放的で、紅葉を反射したような黄色い光に満ち溢れていた。

懐かしかった。ただひたすらに懐かしかった。自分がいた時と比べると、それは確かにいろんなことが変わっているけど、そこにある空気と光は同じだった。11月の、キリッとした、澄んだ空気。開放感。

ふと、当時の自分達が目の前を通り過ぎるような、そんな感じがした。鍋を抱えて、またはビールを持って、安っぽい、変な格好をした19歳たち。当時は考え事も不安もあったのに、いま振り返ると「あの頃は怖いもの知らずだった」なんてことが簡単に言えてしまう。あふれる自由と若さ。

一瞬だけ、「大学に戻りたいな」と思う。しかしそれは、自由と若さに魅力を感じているだけなのかもしれない。論文を書きたいわけでも、学祭に参加したいわけでもない。大学の雰囲気が好きだったのと、やっぱり自由だったから。しがらみもなく、好きなことをして、いろんな人に出会えた。

大学を経て、今があり、職に就き、世の中に還元をしている(つもり)。自分のいた時代はすでに過ぎている。もう決して戻らないし、自分がもし大学に戻ったところで再現できるわけではない。あの時間は、あのときだけのもの。今は、今。

たぶん同じように感じる人たちがよのなかにはたくさんいる。学校という「枠」があって、そこを通り過ぎていったたくさんの人たち。

いい思い出があるおかげで、その後の人生はあったかいものになる。思い出にすがるのではなく、胸に抱いて先に進むべし。糧として。材料として。

滞在時間はそれほど長くなかったけど、食べたいものを食べて楽しんだ。いっぽう学生時代はこうはいかなかった。おいしそうだなと思っても買えなかった。なにせ、1ヶ月の食費を1万円で抑えるのに必死だったのだ。お金があっての学祭はいいなあ。大人になって別の自由を手に入れた自分。

Thursday, 20 November 2025

Klara and the Sunと、語彙と

 「あと3日か〜」と子が言う。もちろん、休みまで、あと3日ということ。週が始まるやいなや「あと◯日」と数えている。気持ちはよくわかる。寒くなってくるとよけいにそう思う。

今週は子とわたしと、2人暮らしである。なんだかんだうまくいっている。鍵を持たせることにも慣れてきたし、わたしも休みをとったり早く退勤したりしながら日々を過ごしている。特に困ることはない。もしここでわたしが具合悪くなったりしたら、それはもう大変だろうなと想像がつく。絶対に具合悪くならない、と毎日自分に言い聞かせて過ごす。それは今週2人で過ごしているからというわけでもなく、周りにインフルエンザが流行している今だからこそ、そう思う。

栄養をとって、とにかくよく寝る。9時から5時まで寝ているが、それでももっと眠れそうな時がある。だいたいこの季節はそうなので、おそらく夏の間に不足している睡眠をここで取り返そうとしてるんだろうと思っている。

週末だったと思うけど"Klara and the Sun"を読み終えた。衝撃はそれほど大きくはないが、だいぶ考えさせられる本だった。いつものように、読み終わったあとになって世の中の人々の感想をネットで読んでみたら(これまたいつものように)読んでいる間は自分がわかっていなかったことがたくさんあった。なかでも"lifted"という言葉や、登場人物が具合悪い理由については全然想像もしていなかったので「ああそうだったのか」と、愕然とした。誰かが書いていた読後の感想にもあったが、これを翻訳で読むとなると、ヒントがありすぎるだろう。このliftedをどう訳すかは、翻訳者の腕の見せ所なのだろうなと思った。そう考えると、やっぱり原文で読んだほうがいい。なんだろうなこれは、という表現がたくさん出てくるけど、それはネイティヴでも同じように「なんだろうなこれは」と思いながら読んでいる場合がある。

次の本をどれにしようかと、選ぶのを楽しみにしていたが、やはり家の本棚にあって読んでいなかったものから片付けていこうと思い、カート・ヴォネガットのスローターーハウス・ファイヴ"Slaughterhouse Five"を読んでいる。タイムトラベルをする話なので、頭がついていかない時もある。語彙は、Klara and the Sunよりだいぶ難しい。The Buried Giantも、Never Let Me Goも、それほど困らなかったのにこの本はピタッととまることがある。カズオ・イシグロはそれほど難解なわけではないのだ。

さすがに調べないと無理だなと思うけど紙の本で読んでいるのでキンドルのように触って意味が出てきたりはしない。辞書を引くにもうちには紙の辞書がない。電子辞書を使おうと思ったら電池がない。オンラインの辞書にしようかとも思うが、紙の本を開いているときにi padなどの電子機器を開くことに抵抗がある。なぜかというと本を読むのをやめて画面を見つめそうだから。やっぱり頭のなかに辞書がある(つまり語彙が豊富)と苦労が少ないのは当然だ。語彙力は無敵。まだまだである。

というわけで「朝起きてすぐ洋書を読む」が夏休みから続いている。「習慣」になりつつある。

Friday, 14 November 2025

皮膚科詣で

去年のきょうの記録に「日中珍しく頭が痛い」「待合室で頭がガックンガックンするほど眠い」とあって驚いた。今年も同じじゃないか。頭は痛くないけど、まるで今まで溜まっていた疲労がどーっと出てきているような感じがする。冬が近づいて、眠りやすくなって、今までの不足分を取り戻そうとしている感じがする。やっぱりそうか。同じパターンがわかれば注意のしようもある。子にそれを話していたら「書いておけばいいじゃん」と言われて、そうだなと思った。あとちょっとで冬休み。

半休取って、ずっと行きたかった皮膚科に行った。何はなくとも1年に1回は行っている。首のホクロ?あざ?を取ってもらうのと、その他もろもろ相談しようと思って行った。本当に長いこと通っている皮膚科で、もはや、ただ先生の顔を見るだけでもいいくらい。

「こんにちは〜、お元気〜?」と先生がやってきた。首を見せたら「これだけのためにわざわざきてくれたの?」という。ほかにもいろいろあるんですけどねー、と相談。目の周りにあった、白いやつを、気になってはいたけど放置していたら、先生が「これも、やれるけど、どうする?」と。目の周りだから怖いなとは思っていたけどあっという間に炭酸ガスで焼いてもらった。「麻酔するわね〜」と準備しながら「あなたとわたしも長い付き合いになるわよねえ。学生だったもんねえ、まだ」と先生。 「20年以上ですね。お世話になっています。」

「そういえばあなたの職場って◯◯だったわよね」と言われて、はい、というと、なんと共通の知り合いがいて、まさに今、待合室にいるという。紹介されて、びっくりして、しばらく話した。世間は狭い。

ちょっと待てばほかの治療もできるということなのでしばらく待つことにした。その間いろいろ話した。

年末感でいっぱいの街をあとにして、なんだかとても満たされた気分だった。帰ったら、ツナとトマトのパスタが準備中で、子は宿題の途中だった。ビールを買ってきてもらっていて、ほんとうに久しぶりに飲んだ。気分がよかった。「もうあとは寝るだけだな」と思った。ごはんを食べたあとは願わくば何か、面白い本が手元に欲しい。先日のものはもう読んでしまったので次に何か、予約しているのが回ってこないかなあと思っている。

「おばけの本」を子と読み終えて、9時に寝た。

Thursday, 13 November 2025

眠い、読書

自分でも抑えられないほどイライラするときがあって、これは更年期というやつだろうかとふと思った。睡眠不足のせいだろうとも思う。

おととい、11日の夜。7時ごろにすでに眠くて、本を読んでいたら眠りかけていた。こういうことは滅多にない。11日は仕事が休みだったから、体が緩んだのだと思った。9時ちょっと前に寝て、それからあとは本当にぐっすり寝た。夢も見ただろうけど途中で起きることもなかった。

図書館でようやく予約が回ってきた『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』を読んだ。2日で読んでしまった。読むと、仕事をしててもしてなくても、少し生きやすくなるなと思った。それから先週は、光浦靖子の『ようやくカナダに行きまして』を読んだ。これもあっという間に読んだ。本当におもしろくて、ずっと読み続けたいような気持ちだった。まったく飾っていない、ありのままの留学生活。続きはあるんだろうか、と思ったら、ちょうど10月末に発売されたばかりだそうだ。これも図書館で借りようと思うが、順番が回ってくるまで果たして待てるだろうか。

洋書は、電子書籍なりペーパーバックを買って読むが、日本語の本はざっと読むだけのこともあるし本当に気に入った場合と村上春樹の本を除いてわざわざ買おうとすることはない。図書館で読む雑誌の書評、「今月のおすすめ」をメモして帰り、ネットで図書館で借りる予約をする、というのがここ数年の流れ。これは文春を読んでいてわかったことだが、書評はかなり参考になる。選りすぐりの本が紹介してあり、かなり質が良い。

繰り返すが私は読書家には程遠い。それでも「読んでいる本」というのはある。夏以降は、毎朝洋書を読んでいる。並行して、日本語の本も読んでいるので常時2冊は手元にある状態だ。それで、以前も書いたが、洋書を読んでいると、日本語の本を読むのがとにかく早く感じる。こんなにすらすら読めていいんだろうか、と思える。圧倒的に楽なのだ。そういうわけで、日本語の、面白い本だったら1日で読んでしまうことも珍しくない。

子がレゴで作る作品が、やはりレベルが高くて驚く。こちらはガンダムに出てくる「ズゴック」らしい。似ている。
それから、買ったプラモデルを見ながら、同じものをレゴで作り始めた。細かい色まで再現されていて驚いた。
これは才能だろうなと思う。当然ながら設計図やレシピのようなものは何も見ていない。

天気がイマイチ冴えない。

Tuesday, 11 November 2025

体調不良メモ

しばらく咳が続いていて、先週どこかで病院に行きたかったが行けなかった。混んでいるところで待つより早く家に帰ってゆっくりしたほうがいいなと思った。以前処方された吸入があったのでそれを使ってだましだまし過ごした。

それでも夜、咳で目が覚めることが何度かあった。少しずつ重なっていった睡眠不足がたたったのか、土曜日の朝、めまいがした。金曜にその兆候はあったが、まあ大丈夫かなと思っていた。土曜の朝は合気道にいって、そこまでは習慣でできたが、家に戻ってきてから、例の吐き気を伴うめまいになった。しばらく横になって、午前中いっぱい休んだらだいぶましになった。

昼ごはんを食べにでかけて、図書館に寄って帰った。そのあとはいくらか料理をして、いつものように9時にねた。目覚ましをかけようと思ったら、子が、かけないほうがいいよ、と言う。たしかに、急いで起きなければいけない用事が日曜の朝にあるわけではない。そうだね、と言ってめずらしく、目覚ましを切った。夏休み以来かもしれない。

そうすると、日曜の朝はいつもより1時間遅く起きた。疲れていたんだなと思った。日曜は午後から少しだけ出張。近いし、ほんの数時間なので問題なかった。

体調不良はいろんなことが連鎖して起こる。遡ってみれば、咳をもっと早く止めればよかったんだと思う。体調に限らずあらゆることは、白か黒か、0か1か、ではなく、グラデーションであり波である。そのなかの自分がどのあたりに位置しているか、というだけのこと。

今週は、だいぶ穏やかな1週間なので、回復にはちょうど良いかもしれない。ネットフリックスを見たり本を読んだりしてゆっくり過ごしたい。きょうも休みなので、朝のうちに用件を済ませたら、好きなことをして過ごす。

Wednesday, 5 November 2025

連休明け火曜、人間関係とか家族とか

職場に嫌な人がいて、どうしたもんかなと思っているのだが、思っているだけではなくてわたしの場合は愚痴を言う。 息をするように愚痴が出てくる。聞かされる同僚は気の毒だけど、これをためていてもろくなことはない。

かかわらずに過ごせたらいいけどそうもいかない。参ったなと思ってもこれで本当に参ってしまったらこっちの負けなのである。この程度でつぶれてしまってはいけない。本当に問題になる場合は、正しい手順を踏んでいくべし。愚痴をこえて、しかるべきところに相談ができる。

「どこへ行っても結局は人間関係なんですよ」という同僚の言葉が思い出される。どこへ行っても、いやな人は絶対にいる。絶対。周りを変えようとしても変わらないので、自分の動き方を工夫するしかない。そうしないとどこに行っても生きていけないだろう。

今の職場でも、たくさんの人たちに会ったが、やめていった人たちのことを考えると、結局みんな原因は人間関係だったように思う。やめずにずーっと勤めている人というのは「適当に」聞き流せて、忘れることのできる人たち。小さなことにつっかかっていると生きていけない。

さてきのうは、帰り道が暗かった。4時台なのにこんなに暗いか…と思いながら自転車をこいだ。咳がもう少しで止まりそうなのに止まらないので、病院に行こうかなと思ったけど、どの病院も人がいっぱいなのが外から見えたので、これはやめておこうと思った。連休明けの平日夕方、帰り道は具合悪い人でいっぱいなんだろう。行って何かもらってきてもよくない。

この時期、家に帰るとホッとする。暗くて寒い道を戻ると、あったかくて明るい家があるというのはなんともよろこばしいことだな、と思う。特別なことがなくても、家が、家族があるというのはすばらしいことなのだ。ことばにできないけど、きのうは帰り道がなんだか嬉しくて、家について自転車を止めたときにそう思った。あさりのスパゲティが準備されていて、子は半分しか宿題をやっていなかったけど、通常運転のこの家が、あってよかったと思った。

Sunday, 2 November 2025

11月になった

11月になったらいっきに年末感が出てきた気がする。カレンダーが、あと2枚になると、ああいよいよかと思う。冬休みを楽しみにして、あと少し、駆け抜けるだけ。体調を崩さないようにしておきたいけど、先週すこしだけのどが痛くなってから、その後の咳が長引いている。あまり声を出さないようにすれば良いのだろうけど仕事でそれは無理なのでしかたない。今年のはじめに処方してもらっていた咳止めの吸入器があったのでそれを寝る前に使って、夜はよく眠れている。

土曜朝は合気道へ。そこからまっすぐ通勤。土曜出勤は望ましくないが、合気道から直接仕事に行くのは結構気持ちがいい。とても早い時間に職場に着く。そして運動した後なので、なによりも、気分がいい。ほかの人が寒がっていても自分は暑い。土曜出勤はしょっちゅうあるものではないのでわたしはこうやって直接職場に行くことには慣れていないが、合気道の朝稽古に来る人たちのなかには直接職場に行く人たちがたくさんいる。朝6時半の稽古から夕方あるいは夜までエネルギーを継続できるというのはすごいなと感心する。ちなみに合気道をしている間は咳は出ない。当たり前だけど。

子が作ったレゴ・シリーズ。今回は「戦国アストレイガンダム」らしい。画像を見ながら作っていた。
角?の部分がたしかに戦国っぽい。
方、ひじ、指、ひざ、足首など、関節が可動するようになっている。これから、自立式に改造するらしい。

で、しばらくして改造終了。自分で立って、
刀も持った。



 

Friday, 31 October 2025

「さいごの日」

10月よさようなら
10月よありがとう
10月よ きみはうつくしかった
10月それは1年でいちばん素敵なとき
来年また会うそのときまで
10月よさようなら
10月最後の空は、寂しげで、きれいでした。変わっていく色を眺めながら10月にあいさつ。

毎晩、子になにかしらの本を読んでいる。自分の楽しみでもある。きのう、子が「まま、さいごの日が近づいているかもね」と言った。なにかと思ったら、一緒に本を読む習慣もだんだん終わりつつあるのでは、ということだった。「最近、読むのがだんだん少なくなっているから」と。意図的に減らしているわけでもないけど、自然と短くなってきているのは事実だった。いつかこういう日が来るのだろうと思っていたけど、なんとなく認めたくなくて、ずっといっしょに読めるような感じがしていた。猛烈に寂しかったけど、「そうかもしれない」と答えた。

レゴでガンダムを作っているらしい。うまい。今朝、子は続きを作るために、目覚ましをかけて6時半に起きている。

Wednesday, 29 October 2025

運動会、レゴ

火曜。仕事を休んで子の運動会へ。天気がよくて何よりだった。開会式から見に行った。学年ごとのダンスは毎年ながら見応えがあり、とにかく先生たちの苦労を思い知る。これだけやるの大変だっただろうなと思う。今年は正面から見た。昔から、子供たちが何かを一生懸命にとりくんでいる(しかも集団で、決められた通りに)という姿に弱くて、まだ始まってもいないのに、立っているのをみるだけで涙が出てきた。どの学年もすごかったけど、5年生と6年生を見ていると特に、この微妙な、貴重な時期を過ごしているんだなと思うともう泣けて泣けて仕方なかった。自分のころを思い出したり、人の成長ってすごいなと感動したりで、心のふるえが止まらなかった。一年生から6年生まで並んでいる姿をみると、いやはや小学校ほど大事な時期があるだろうか、と思ってしまう。一生覚えているし、人としての基礎を作る時期で、こんな貴重でかけがえのない時期は、もう戻ってこないのだ。1日1日が、この人たちにとってはもうグサグサと刺さる、おおごとなのである。

我が息子はというと、全体と同じ動きができていたというだけでもホッとした。いままでの素行からすると、途中で逃げ出してもおかしくなかったが、無事に成長して、集団に馴染んでいた。なによりである。ぎこちないことこの上なかったが、なんとか活動を終了した。

先生から2週間前に電話がきた。踊りを家で練習するようにという内容だった。そのときに言われた「この運動会を、成功体験にさせてあげたいので…」という言葉がこの2週間わたしのこころにはよく残っていた。これをやりとげることで自信がつき、またぐんと伸びる。

立っている姿を見ながら、顔つきの違いが見てとれた。本当に成長したと思う。1人だけを単独でみると、まだまだぽちゃぽちゃしてかわいいのだが、全体からみると、もうすっかり少年なのである。

息子にせがまれてレゴの作品紹介。
まずジェットスキー。飛びそうなのではなくて浮かびそうな感じ、と言いながら作っていた。途中で「ジェットスキーってどんな感じ」ときいてきたのでインターネットで画像を検索してあげた。なるほど、といいながらハンドルをつけていた。

人を乗せるとこんなかんじ。

続いてロボット。中で人が操縦できるようになっている。ガンダムにしろエヴァンゲリオンにしろ、人が中に入って操縦する、人よりも大きなロボットというのはいつの時代も存在している。ロマンがあるんだろうと思う。


後ろ姿。中を開けると…

入っているのは「まま」だそうです。かわいいフィギュアにしてくれたんだろうね?と言ったら、本当にかわいいのが入っていた。

さ、きょうもがんばりましょう。

Tuesday, 28 October 2025

『全員タナカヒロカズ』、算数プリント

「全員タナカヒロカズ」という本を読んでいる。図書館で雑誌を読むのだが、あらゆる雑誌の書評に最近よく登場する本。しばらく前に予約して、ようやく手元に回ってきた。「田中宏和」さんが同姓同名の人と集まってギネス記録を作る。もちろん実話。バカみたいに笑えるところがたくさんあって、ひとりで読んでいるのに涙流すほど笑った。図書館とかカフェとか静かにしなければいけないところで読んだらこれはたいへんなことだったなと思った。

ばかばかしいかと思いきや、読んでいるうちにいろいろ考えさせられることもあり、しかも学術的な内容も書いてあり、もはやこの人、いや、田中宏和氏のまぎれもない「研究」であるということが感じられる。社会実験であり研究。ふざけではない、真剣なのだ。

同じ名前というだけで仲良くなれる− そんなことはないと思うかもしれないけど、この取り組み?運動?が始まったのはもう何十年も前だということで、そこに田中宏和どうしの強い絆があることは間違いない。

人間ておもしろいな、と思うべきなんだろうけどなんだか今回は「日本人っていいな」と思える。名前の在り方が、各国で大きく異なるのでこの日本での条件下でタナカヒロカズ運動をやれる田中宏和氏たちが、とても、よく思える。

さてきのうは、わたしは仕事だったが子は休みだった。運動会はきょうなのだが、もともと設置してあった代休というわけ。宿題はないけど、やってなかった分のプリントをやっておくように言ってわたしは出勤した。

かなり抵抗していたが帰宅するとこれが机の上にあった。ちゃんとやってる…!

私は育て方を間違っていないだろうか、と思うことがよくある。親だから当たり前だと思う。基本的な信頼関係がわたしたちの間にはあるのだろうか。どうしてもいままで自分の人生で見てきた数々の親子関係のなかに自分をタイプファイしようとする。もしかしたらどれにも当てはまらない親子なのかもしれない。

きょう、子は運動会で、わたしは仕事がない。合気道に行こうと思えば行けたが、きょうはちょっと休もうと思った。休憩。

Sunday, 26 October 2025

肝臓、運動会、レゴ

誕生日の夜にいつもより40分くらい睡眠が短かったせいか、翌日は仕事しながらすこしめまいの前兆みたいなのがあった。これはよくないなと思った。いつも同じリズムを保っているとこういう変化がすぐにわかる。
金曜夕方、5時ごろに病院に行ってみた。めまいのせいではなく、血液検査の結果を聞きに行くため。木曜は閉まっていたから、タイミングとしては今だろうと思って帰りに寄った。「正常に戻ってるよ」と言われて「へぇえええ」と驚いた。振り返るとこんな感じ;
6月に職場で健康診断
7月に結果通知。肝臓の数値ASTとALTが良くない。
受診。CTも撮る。
CTで異常はなし。「なんだろうねえ。サプリメントとかとってる?」と聞かれて、皮膚科で買った高濃度のビタミンCのことを話した。ビタミンCが悪いとは思えないけどとりあえずやめてみて、3ヶ月後にまたくるように、という指示。
3ヶ月間皮膚科のビタミンCはやめて、10月に検査。
正常値。
ついでにB型肝炎とC型肝炎も陰性。

これだけ聞くと、ビタミンCのせいだったのか、としか思えない。実際のところあまり気にしなくてよかったのかもしれないけど、おかげで気にするようになったし、CTまで撮っていろいろ判明してよかった。問題ないということがわかった。

ビタミンCのせいなのかなあ…とつぶやいたら、先生が「製薬会社が作ってない場合はね、その成分以外にも何が入ってるかよくわからないからね〜。製薬会社は責任取らされるからちゃんとやるけどさ」と言っていた。なるほど。とりあえず、ビタミンCはやめておこうと思った。

土曜。朝5時、少し雨は降っていたけど、合気道に行った。前日からの意志を無駄にしないためにも。カッパさえ着れば行けるのだ。動きがそれほど激しかったわけでもないけど脚の付け根の外側のほうとか、膝とか、痛かった気がする。変な動き方をしているんだと思う。そしてやけに疲れた。体調不良にも至らないくらいの、不調の前兆みたいなものがもしかしたら影響しているかもしれないとも思った。

帰りながら、きょう予定されていた小学校の運動会はきっと中止だろうと思った。帰ってから通知をみると、「延期」とのこと。しかも火曜日。よくわからないのは、土曜は休み、日曜が登校、月曜は代休のまま。えっ、普通は土曜が通常授業で日曜は休みなんじゃないの?こんなのそもそも知らされていたんだっけ?はてなマークが浮かぶ。従うしかないので仕方ない。

問題は火曜に開催ということ。仕事を休めるかどうか、すぐさま管理職と関連の同僚にメールした。この日は、職場からだいぶ離れたところに行くことになっていた。夕方メールが来て「大丈夫です、運動会に行ってください」とのこと。感謝の返事をすると、さらに上の人からの返信が来た。
「気にしなくて大丈夫です。家族との時間を大切にしてください👌」
という、絵文字付きの返信。
ありがたい。職場と同僚に恵まれて、私はラッキーだと思う。文句も言うし納得いかないこともあるけどだいたいにおいて私はラッキーだ。そしてこういうジレンマに当たったときにスムーズにことが運ぶような人間関係を築いているのは大事だと思う。1日で築けるものではなく、日々の姿勢がものをいう。真摯にいくべし。

さて息子がきのう作ったバイク。
本当によくできている。「走り出しそうな感じにした」らしい。
細部までこだわりがある。乗っているのは「ぼく」らしい。
少し上がっているところが、駆け出している感じ。

どの本からか覚えていないけどメモしていたレシピでマフィンを作った。何か入れたほうがいいなと思ってとりあえずチョコレートを割り入れた。量が多くて9つもできてしまった。グラシンカップがあると、マフィンが作りやすい。

 

Friday, 24 October 2025

誕生日

またひとつ歳をとった。10年以上前に同僚が「42からが大変なのよ」とか「41と42は違う」と言っていたのを思い出す。体力的に厳しくなってくる歳、ということらしい。同じ40代でも42というのは曲がり角、のような意図で言っていたのだと思う。なんとなくそれを覚えていて、ついにその歳になった。

精神的にも身体的にも、大きな不調がなくここまでこれているのはほんとうにありがたいことである。ただの偶然なのかもしれない。自分の行動がそれに貢献しているとすれば、早寝早起きの効果はあると思う。とはいえ、ギリギリの状態でとどまっているだけなのかもしれないので無理は禁物である。

誕生日は仕事を休んだ。休める日だったのでそこにあてた。とりわけ何かをする予定もなかった。朝から合気道に行こうかと思ったけどおととい行ったし土曜も行くだろうから、まあいいやと思った。子が登校する前に、3人でお祝いをした。わたしのリクエストでティラミスを作ってもらった。

肝臓の数値が良くないので血液検査をしていて、結果を聞きに行こうと思ったけど病院は閉まっていた。聞くのが怖い気もするので、内心ホッとしたのも事実。

合気道の代わりにきょうは久しぶりに1人で泳ぎに行った。最近は子と一緒に行くことが多くて1人でガシガシ泳ぐことがなかったので、本当に久しぶりだった。30分泳いだだけなのにものすごく疲れた。やっぱり水泳はいい。

そのあとお昼を食べに行った。外出ついでに、何か欲しいものがあるかと思ったけど、やっぱり特になかった。誕生日だからと言って無理に何かを買う必要もない。よく作るバナナブレッドに必要なグラシンケースをやっと買えた。それくらい。

特別な日なのに特別なことをしてなくて焦るような気もするけど、なにごともなく過ぎていくことがありがたい、とも思う。例年より寒い気がした。金木犀のかおりがそこらじゅうにただよっている。自転車を走らせながら、ここまで生きれてラッキーだな、と思った。空が高くて、きれいだった。いろんなことがありがたい、と思った。

韓国ドラマを見始めたときに子が帰ってきた。宿題をやるより先にYoutubeを見たせいで、出かける直前まで宿題をやる羽目になり、言わんこっちゃない、大変だった。最近は、かけざんのひっさんをやっている。これは、そこまで困っていないように見える。

夜は友達が来てくれて、誕生日会をした。誕生日自体よりもはや友達に会えたことが嬉しかった。朝から、友達に会えることが楽しみで過ごした。

42歳。本を読むようになってきた。体重がベストより2kg多い。自転車通勤。迷いも戸惑いもある。以前ほど仕事は楽しくない。しかし以前より生きるのが楽。

Monday, 20 October 2025

Lego バトルシップ

日曜夕方にふと、子が作り始めたバトルシップ。毎回レゴの才能には関心させられるが今回の作品も大したものだった。1時間もかかっていないと思うが、あっと言う間に出来上がった。設計図があるわけでもないのに上手い。見えないところまでだいぶ凝っている。
たいてい写真を撮る前に崩れてしまうので、今回は、忘れる前に撮っておく。
手に武器を持っているし、壁に武器をかけるところもある。



屋根が可動式になっていて、中にも戦闘機が入っている。
砲台もあって、これも360度動く。中に人がいるけど見えない。

作っている途中に「ままー見て」と言って持ってくるのだが「ほー、すごいね」と言ってたいてい終わる。しかしあとになってあらためて見てみると本当によくできている。レゴにまったく触れない時期があったのに、この数ヶ月は復活している。不思議なものである。

 

私は後悔するだろうか

 あけましておめでとうございます。1日にも書けたんだけど書かなかった。 庭の見える縁側に座って毎朝読書をしている。きょうはDear LifeのなかのCorrieを読み終えた。 ブラインドをあけて空の色が変わるのをみながら過ごすのだがきょうは山の輪郭がいっこうに見えてこない。めずら...