Sunday, 6 September 2026

こどもたちとプール

土曜だったけど出勤だった。朝はちょうど雨があがりかけたので合気道に行った。調子を取り戻すためにだんだんと再開させている。やっぱり気持ちがよかった。それから仕事に行って、夕方帰るとお隣さんが、うちの子といっしょに6時ごろからプールに行くことになっていると教えてくれた。どうやら日中に行われた取り決めらしい。一瞬迷ったけどわたしも行くことにした。私が行かなくても、お隣さんが連れて行くので保護者の人数としては問題ないということだったが、なんであれ泳ぎたいと思った。さらに近所の子もやってきて、全部で7人でプールへ。子供たちどうしで遊んでいる姿は、それはもう楽しそうで、本当によかったなあと思った。何がよかったかというと、近くに友達が住んでいて。子は誰といるときよりも友達といるときが楽しそうで、本当にありがたいと思う。7時ごろ外に出たら夜風が気持ちよかった。プール最高ですよね〜と言いながら帰る。シルバーウィークなんか予定ありますか、と言われて、特にないと答えると、近くのお祭りがあるのでよかったら、ぜひ、とのことだった。

きょうは雨。これから出勤。

Thursday, 3 September 2026

日常に戻る、とアイデンティティ・クライシス

 韓国から帰ってしばらく経つが、すぐに東京の生活には慣れてきた。職場も1ヶ月以上ぶりに行ったが、15分もあれば戻った。この夏、あっちこっちに滞在したのもあってようやくホームグラウンドに戻ってきた気持ちになる。わたしの日常が東京にある、というのをあらためて実感している。

韓国から帰る便のなかで、とても不思議な気持ちになった。自分は一体何者なのか、どこに所属するものなのか、など、アイデンティティ・クライシスに陥った。ただしこれはいい意味でのアイデンティティ・クライシスである。どこからも切り離されたような気がした。今までの世界とは全く別の場所のように見えた。4月に起きた京都の小学生の事件を聞いた時にちょっと似ている。自分がわからなくなる感じ。言葉で表すのがとても難しい。こうなったのは韓国滞在があまりに意義のあるものだったためだと思う。家族から1週間離れて、しかも職場の仲間ではない、全く初対面の人たちと1週間を海外で過ごしたため。

この経験があって本当に良かったと思う。

仕事を再開して、夜の眠りがいっきに深くなったし寝つきもよくなった。やっぱり労働はいいなと思う。きょうは合気道の稽古に行かなかった。じょじょに再開させることにする。

Tuesday, 25 August 2026

変わったのは何か。ソウルにて。

実家から戻ったかと思えばすぐに移動して今は韓国にいる。仕事でいるので好きな場所に行く時間はあまりない。それでも充実度の高い滞在をしている。

羽田からの便は、本当にあっという間で、1時間40分で到着した。国際線らしさを味わうためにもう少し飛んでくれてもよいなと思えるくらいだった。

久しぶりの韓国。最後に行ったのがいつのことだったか考えたけど、確実に10年以上前。当時も、最後に行ってから10年近く経っていたので、10年に1回の訪問ということか。それもあって、行くたびに変貌の仕方に驚かされる。今回は自由に行動できていないのでまだなんともわからないけど、外国っぽさがなくなってしまったなあ、というのが1番感じるところ。不便さがない。日本の延長のような感じがする。2002年に初めて韓国に行った時の「わぁ!」という感動に比べると、さほど心が揺り動かされなくなってしまっている。

簡単に考えられる理由が二つある:

1) 世界が変わった

2) 私が変わった

まず1)について。これは韓国に限らずどこに行っても当てはまるだろう。グローバル化により、場所がかわっても同じものや情報が手に入るようになった。言語の壁も、文化の壁も、もちろんあるけど、以前ほどの障害ではなくなった。いろんなことがスムーズに動く。日本に電話するのにプリペイドカードを買ったりインターネットの使える場所を探して10分でいくら、とかお金を払っていた頃とはわけが違う。そして買いたいものは、日本にいても買えてしまう。

便利なのだ。だけどその便利さが、異国っぽさを薄くしてしまう。

そして2)について。10代、20代の時に見る外国の景色、いや、感じる空気は、さきほど感動と書いたが、それどころではなくて「衝撃」に近い。振り返った今だからこそそう言える。あれは衝撃だったのだ、と。考え方、ものの見方が柔軟で、国内にいたとしてもまだ体験していないことが多い。海外に対する憧れは、それはもう強烈なものがあり、本やテレビでちらっと見た、いつか行きたいと思っていた場所が目の前に現れたときの感動は筆舌に尽くし難い。

この1と2が、ちょうど相まって、最初の渡航から何十年か経った今ではさほどの感動がなくなってしまっている。情報に手が届かなかったころのハングリー精神とでも言おうか、そういうのは薄くなった。仕方ないしあたり前だと思う。それに私は南米や中東地域、中央アジアなど行ったことのない場所がたくさんあるので、初めての場所に行ったらまったく違う感想が出てくるのかもしれない。

Thursday, 20 August 2026

A Pale View of the Hills

カズオ・イシグロのA Pale View of the Hillsを読み終えた。1週間もかからずに読んでしまった。長編はいい。短編もいいけど長編を読むとその世界に入り込めるので良い。長崎に行った直後に読めたのがよかった。平和記念像や路面電車が出てくるので、行った直後の今読むといろいろと想像がしやすかった。時代は違うけど。

カズオ・イシグロならではの「あとからじわじわ」くる感じがなんとも言えない。「あれってつまりそういうことだったのか」が、読んだあと、しばらくしてからわかる。というか気づく。

1982年に書かれたものらしい。5歳のときに日本から英国へ渡った著者の人生が表れている。その経験のない、ほかの人だったら書けないだろう。

帰省中に読書が捗ってよかった。

Tuesday, 18 August 2026

Great British Bake Off 名作回

帰省するとテレビがあるので、予期せぬ出会いがある。

何気なくチャンネルを回していたらGreat British Bake Offの第6回、決勝戦だった。個人的にも世の中的にも、第6回は最も人気の回である。名作と言われている。2015年なのでもう10年以上前になる。私は数年前にAmazonプライムで見た。一度見ていても、これは見なければと思った。その時と同じく、やはり勝者ナディアのコメントには涙が出た。

I'm never gonna put boundaries on myself ever again. I'm never gonna say I can't do it. I'm never gonna say 'maybe'. I'm never gonna say, 'I don't think I can.' I can and I will. (もう二度と自分自身に限界を設けない。できないと言わない。 「たぶん」と言わない。「できないと思う」と言わない。そうできるし、そうする。)

ナディアだけでなく、ほかの出場者もかなり印象的だった。わたしはイアンには注目していた。この人おかしいんじゃないのかとさえ思った。それほどのこだわり、レベルの高さだった。

今はAmazonプライムでGreat British Bake Offの別の回を見ている。ここを去るまでに最後まで見られるかは分からない。見ているとパンやお菓子が作りたくなってくるし歴史を学びたくなる。暑い季節が終わったら焼き菓子が楽しくなる。秋が来るまでもう少しの辛抱だ。

Sunday, 16 August 2026

涼しいままで終わると良い

快適な涼しさが続いている。日中には気温が上がるが、それでも、逃げなければいけないほどの暑さではない。8月のはじめに40度くらいあったが、あれがピークで、そのあとは夜もエアコンなしで寝られる。このまま夏が終わればいいと思う。きょうは少し曇っている。雨が降るらしい。

カズオ・イシグロの"Pale View of the Hills"を半分くらい読んでしまった。すらすら読める。難しい単語や読み直す必要のある箇所がない。

8月が半分終わった。お盆の最終日は、親戚が集まって賑やかに過ごした。暑すぎなくて助かった。もうすぐ東京に戻る。やり残したことがないか、思い出したように考える。


Friday, 14 August 2026

"A Manual for Cleaning Women" Lucia Berlin と名前の区別

A Manual for Cleaning Womenを先日読み終えた。長くかかった。春からずっと読んでいたと思う。言い訳のようだが、平日の朝稽古に参加することが増えたので、朝読書する時間が減った。毎日読まないとなかなか定着しない。そして朝から暑い。さらに、短編なので次が特に気にならないので手が伸びない…と、そんなこんなで夏休みまでかかってしまった。図書館でペーパーバックを借りて読んでいたがいったん返却し、もともと買っていた電子書籍のほうで続きを読んだ。

自伝に近いのではないかと思う。いや、自伝か?舞台は米国で、馴染みのない環境なので想像しながら読んだ。岸本佐知子による翻訳もあったが原典のほうを読んだ。これは女にしか書けないし、翻訳したいと思う人も女だろうなと思った。女性の抱える痛みがありありと伝わってくる。川上未映子が絶賛するのもわかる。

ひとつひとつの文が短く、もはや詩に近いところがあった。会話もたくさん出てくる。英語は簡単なほうだと思う。文法を気にしていては読めないな、というくらい、文法のルールが当てはまらない箇所だらけだ。しかし感覚で読んでいても「あれ、今のなにが起きたの」というところもある。

そう思ってしまう原因のひとつに、人名で混乱させられる、ということが挙げられるかもしれない。よくありそうなアメリカ人の名前が3つも4つも出てくるともはや誰が誰だったかわからなくなる。洋画を見ている日本人が、登場人物の白人を区別できなくなるのと同じようなものです。「あれ、この人さっき死ななかったっけ?」とか「娘と思ったら奥さん?」とか。典型的だ。どうしようもないな、とほほと思う。メモでもとりながら読めば違うのかもしれないけど。

というわけで久しぶりに、きちっとした文章からなる、長編を読みたいと思ったので電子書籍でKazuo IshiguroのPale View of Hillsを買った。タイミングの良いことに、長崎の話なので、読むなら今だ!と思った。きょう1章読んだけど、日本人女性の名前が4つ出てきた。わたしはこれらの区別をつけながら読めるけど、慣れない読者は「日本人の名前区別つかない」と思っているのかもしれない。

Thursday, 13 August 2026

日帰りで長崎

 長崎に行った。行ってみた。今まで行こうとさえしていなかったのだ。今年はイタリアに行ってないというのもあり、夏休みにお金を使うのが惜しくない。イタリアに行く一人分の航空券を考えると、日帰り旅行の経験をこの値段で買うのは惜しむに値しない。そして、今月は広島にも行ったので、その勢いで長崎にも行こうというわけだ。せっかく8月に日本にいるんだったら、これは貴重な時間なのではないかと思った。

最後に行ったのはいつだっただろう、と考えたが、おそらく小学生の頃。となると30年は経過している。もはや街の様子も覚えていないし、色々なものが変わっているだろう。連れて行ってもらうのではなく自分の足で巡ってみたい。

10時ごろ駅に着いた。新しくてきれいで大きい。こんな駅になっていたとは。昔を知らないけど。観光案内所で地図をもらった。今回訪ねるべき場所は優先順位をつけて決めていた。暑い中で無駄に歩きたくもないから。

駅前から路面電車に乗って、原爆資料館へ。路面電車は広島同様、小さい。そしてわかりやすい。あっちに行くか、こっちに行くか、の二択。ここでもパスモが使えた。よかった。特に指示はなかったけど入る時と降りる時、どちらもタッチをした。広島より接触が良い。

駅前。路面電車に乗るには駅を出てちょっと歩いて歩道橋みたいなのを上って降りる必要がある。駅に乗り入れている広島はやっぱり便利だと思う。

すぐに資料館へ着いた。いきなり坂が現れて、ああそうか、そういう街なんだよなと思った。がんばっての上る。

広島と同じく200円の入館料。以前を覚えていないけど、資料館は新しくなったらしい。入り口からは螺旋状に降りていく。NYのグッゲンハイム美術館のよう。どうせ広島ほどの規模はないだろうと思っていたけど、展示はとてもわかりやすかった。広島ほど混んでいない。原爆の影響を、熱線、爆風、放射線の3種類にわけて展示してあったのが、頭に入ってきやすかった。

特に、今まで、爆風についてはあまり考えていなかったことに気づいた。これは爆風で変形した仏鐘。ほかに、同じ方向に薙ぎ倒された木々や、吹っ飛ばされた壁の写真を見て、どれだけ強い風だったんだろうと想像した。

犠牲者の写真は広島よりも生々しい。これは以前にもそう記憶していた。

展示後半では日本が戦争に向かうまでがよくわかるようになっていて、これは広島と違うと思った。2分くらいのビデオを選んで見られるようになっていた。できることなら全部見たかった。

いかに日本が愚かなことをしたかがよくわかる。だからと言って原爆を正当化はできない。見ながら「う〜ん」と、うなってしまう。記憶が薄れていくのは仕方ないことかもしれないけど起きたことから目を背けてはいけない。

世間の悲惨なニュースについて、知らない方が良い、または考えないほうが良いものもある。こどもが犠牲になる事件などはそう。気持ちがふさぐ。しかし原爆の事実は、向き合っておくべきだと思う。わたしが生まれた時代は偶然の、原爆のあとの時間。長い歴史の、おおきな流れのなかの、この時間に生まれ落ちている。その「おおきな流れ」を汲んで生きるべき。

なんだかんだで1時間半くらい展示を見て、外に出た。平和公園までどう歩けばいいかなと思って受付の人に聞いたら地図をくれた。

とりあえずお昼を食べることにした。ちゃんぽんが名物だけど、担々麺を食べた。有名なお店らしく、かなりの人が待っていたが、それほどの待ち時間はなく入れた。子は皿うどんを食べた。うどんではなくてパリパリ焼きそばだが、正式名称は皿うどん。

朝が25度くらいの涼しさだったが、昼間は気温が上がった。これは参った。公園まで歩いた。平和祈念像のところは式典の片付けがまだ終わっていなかったようだった。暑すぎるせいか人が全然いない。一応観光地だろうけど平日だしこんなもんかなと思った。


それから表示に従って歩いてみたら浦上天主堂が丘から見えたので思い切って歩くことにした。

教会、キリスト教と原爆が結びつくというのは、長崎ならでは、である。信仰っていうのは強いもんだよなと思う。ものが壊れても人の心は壊れない。中のステンドグラスが綺麗だった。

そこからさらにどうしようかと思ったけど、山王神社まで歩いた。これが医学部通りを歩いたのだが、普通の道な上に日陰がなかった。暑い。表示によれば1.1km。小さな日傘の下に身を寄せ合って、がんばって歩いた。

大学病院付近で道がわからなくなった。花屋さんに聞いたら親切に教えてくれた。あとから父にそのことを話したら「修学旅行の生徒たちに慣れているから優しい」そうだ。なるほど。

有名な一本足の鳥居とクスノキは、住宅のなかにあって、道も細いし、わかりにくい。それでも表示があるので歩ける。りっぱなクスノキだった。

この時、暑さと疲れはピークに達していて、子はもはや、視界に入るものが頭に入っていたのか怪しい。顔が真っ赤になっていた。

途中、セブンイレブンというオアシスに立ち寄り、アイスクリームを買って食べた。浦上駅前から路面電車に乗り、長崎駅へ。シンプルなルートだ。

駅でおみやげを買って帰った。福砂屋に行ったら、カステラではなくオランダケーキというものがあったので、これは食べてみたいと思った。

今回歩いたエリアは、地図では北のほう。南はまったく行っていない。眼鏡橋も中華街も出島も南にある。長崎が外国とやりとりをしていた歴史に興味があるため、今度はもう少し勉強をして、そちらのエリアに行ってみたいと思う。

Sunday, 9 August 2026

海水浴を比べる

 きょうだい家族と両親で海に行った。1時間半、車を運転してこんな良いところに着くとは素晴らしい環境だと思う。「これが東京だったら」と思わずにはいられないのは、どこに行っても同じだ。それは東京がひどいとか恵まれていないとかそういうことではなくて、人はだいたい自分の知っている環境と比較をするものだから。それがイタリアだろうが広島だろうがふるさとだろうが、自分の日常と比べたがる。そして嘆き、羨ましがる。いつも「ここじゃないどこか」を求める。自然なことだと思う。大学のときに先輩が「比較によって成り立つことってあると思うんだよね」というようなことを言っていた。比較は悪ではなく、という文脈だったと思う。気がつくと旅に出ている、そういう人だった。

海はとても穏やかで、人が少なく、水が澄んでいた。入場にお金を払う必要もなかった。近年の、自分にとっての海水浴といえばイタリアだ。日本で海水浴に行った記憶ははるか遠い昔、小学生くらいだ。というわけでやはり、イタリアと比べずにはいられない。人が少ないので比べるほどでもないのかもしれない。

なによりも、肌を出している人がいない、という点がまず気づくところ。みんな、もちろん水着は着ているのだろうが、いわゆる「水着」の格好をしている人がいない。男女ともに上半身を覆っている。ラッシュガードや、Tシャツを着ている。それが理にかなっていると思うので、私も真似してみた。日焼けして痛い思いをするのは自分なのだ。

そして成人女性で泳いでいる人はほぼいない。水にはとうてい入りそうになく、砂浜で待っている人が多い。イタリアで海に行っていなかったら私もきっとそうだったかもしれない。水や砂が嫌だというよりは、日焼けと水着に抵抗があるのだと思う。気持ちはよくわかる。

ただ、いったん水のなかに入ると、日焼けはさほど気にならなくなるものだ。これは経験でわかる。日焼け止めもどうせ流れ落ちて海水の汚染につながる。

日焼け止めを塗って水の外で暑い思いをして待つよりは、いっそのこと水のなかで自分を自由にしてあげたほうが、自分にとっては良いし、楽になる。なによりも暑い夏につめたい海水は気持ちがいいものだ。

これが海のそばで育った人たちだとまたいろいろと事情が異なってくるのかもしれない。そして首都圏の人たちが行きそうな海でもまた違うだろう。文化の違いは面白い。

こんなにいい場所だが、宿泊先では海外からの観光客はほとんど見当たらなかった。海辺では誰もみなかった。海外からはまだ発掘されていないということだろう。

海のほうに歩きながら子と話した。

「イタリアがなつかしくなるね」

「そうね」

Friday, 7 August 2026

畳で昼寝、81年

 あっという間に8月も1週間過ぎた。2日に東京を出て、広島に行き、今は帰省している。姪たちとにぎやかで楽しい毎日を過ごす。2日と3日は凄まじい暑さで、40度を超えたそうだが、昨日あたりから涼しい。それでも37度らしいが、風があるのでだいぶ涼しく感じる。エアコンなしで過ごせる。台風の影響だろう。

『夏帆』を読みながら畳で昼寝してしまった。畳でごろごろするのは気持ちがいい。この本はすでに読んではいたが、本として出版されたものをあらためて読んでみたかった。するすると読みすすめる。話を知っているせいもあるだろうけど、ほかの作品と比べてとくに読みやすい気がする。

広島に行ったあとなので、きのうの平和記念式典は興味深く見ることができた。いつもはそれほど熱心に見ることはない。先日歩いたばかりの土地がテレビに映っているので、距離感や雰囲気がわかる。81年が経った。「50年も経ったんだよ」と言っていたのをよく覚えていて、当時小学生だったわけだが、「それはたいへんなことだ」と思った。当然ながら時は経つ。

Sunday, 2 August 2026

旅立つ前日

ブログというものは開かれた媒体なので誰が読んでいてもおかしくない。誰にも読まれたくないけど文章を書きたいのなら日記をかけば良い。しかしわたしの場合、それだと読み手が一体だれなのか、と思ってしまう。自分も読み返さないのであれば書かなくても良い。SNSだと誰が読むかがはっきりわかる上、反応を期待してしまうため、書く内容が限られる。ある程度の緊張感を持っていたいのでブログは良い。それでも大勢に読まれるとちょっと戸惑う。いっそ何も書かなければ良いのだがそれも困る。書く場、アウトプットの場は持っていたいのである。

子の友人たちがきのううちにきた。3人来て、部屋がいっぱいになった。いっしょにゲームをやっている。タイマーをかけて、休憩を入れながら、夢中になってゲームをしている。見ているのはお互いの顔よりも画面だが、まあ、これはこれでいいのだ。昔と遊び方が違う、と思うのは事実だが、昔と今は違うので昔の遊び方をここで強制しようとは思わない。この暑いのに外に出すわけにもいかないし。休憩になるとみんなでレゴをはじめる。ごっこ遊びは永遠だなと思う。

別れ際、ずっとバイバーイと言い続けていた。たいそう満足をしているようだった。大事なのは友達なのだ。ゲーム自体でもあるが、友達。夏休みが始まって、友達に飢えている。夏休みでも会えることは会えるけど、学校の、いつもの友達にいつもの教室で会いたいのだと思う。学校の勉強は好きじゃなくても学校という環境が好きなのだ、と、この子を見ている限りでわたしが思うこと。

きょうから東京を離れる。満足できる前日でよかった。

Friday, 31 July 2026

7月さいごの日

いつの間にか7月さいごの日になってしまった。全然ブログを書かないままでした。書くことがなかったわけでもないのだが。

夏休み前の仕事がおわって、本当に夏休みになった。長い夏休みなのにイタリアに行かない。2年連続で行ったが、今年は断念した。円安だしまあそんなもんかなと思っていたけどやっぱり行きたい。何をしたいわけでもないけど行きたいなあ。7月末が近づくとどうも切なくなってきた。ほかにも夏休みらしい計画はいくつもある。旅もする。海外にも行く。

それでもやっぱりイタリアには行きたかった。羽田に向かって、国際線ターミナルに行って、飛行機で飛び立ちたかった。機内でいくつも映画を見たかった。けだるいローマの空気を吸いたかった。夏のローマ。家にいるあいだもずっと「ああ、イタリア行きたい」と言っている。来年こそはきっと。絶対。

イタリア好きの若い同僚がいる。今年もイタリアに行くと言っていた。たった1週間だし、ピーク時だけど、ボーナスはぜんぶそれに使う、と。こういう人が少ないと思う。もっといていいのだけどあまり出会わない。ボーナスを貯めておくうちに年をとる。いつか行きたいと思っていた場所にはいけなくなる。海外に行くと聞くたびに「いいなあ」と、まるで自分はやりたくてもできないことのように言う人がいる。「英語がしゃべれなくて」とか「お金がなくて」とか「時間がなくて」と言う。本当にお金がない場合は無理だろうけど。たいていは行かない自分への言い訳にすぎないので、こういう人たちにかける言葉がない。ましてや時間なんて皆平等にあるのだ。人類皆に、平等にある。たいていがなんとなく職場に行って効率の悪い働き方をしている。そして断る勇気がない。私は働きはじめてからずっと3週間、あるいは1ヶ月休む。誰かに迷惑をかけているのか、というと、そういうのは気にしない。さらに言うとわたしがいるかいないかなんて気にしている人が一体何人いるだろう?

Sunday, 5 July 2026

これはもしかして跳び受け身、と夏帆

先週6月最後の合気道にて。小手返しの受けをとっていたら先生がきて「とべそうですね」と言う。跳び受け身ができるんじゃないか、ということ。跳び受け身の練習となると、怖くてできない。どうやったらそんなことができるのか、もはや謎だった。2年前には首をひねってたいへんだった。それからもっと怖くなった。それでもいつかきっとできるだろう、と思いながらここまでの時間が経っている。

ここで、跳び受け身単独の稽古をとばして、実際に技の稽古のときにやってみたらできるんじゃないの、と言われたわけだ。正直なところ、一体どこでどうやって跳んだらああいうふうになるのか見当もつかなかったのだが、言われてみるとちょっとやってみるかという感じになった。それでもう一回お願いしたら、「あ、たぶんこれ?」という感覚がわかった。まだまだ形になっていないけど、回れた。ほかの人にとっては大したことないはずだけど、これは私にとってものすごく大きなことだった。記念日にすべきかな、とさえ思った。続けて10年以上たって、はじめて、あ、ここでこうやるのか、というのを体感した。もちろん相手による。背の高さや柔らかさによって受け身の取りやすさも変わる。

焦らなくても、だんだんできるようになることがあるのだ。一生無理かと思っていたことが、できるようになった。いや、まだ「できる」とはいかないが、ひとつ大きな関門を突破したと思っている。ここからまだまだ伸びそうな気がする。

小さい頃できなかったらそれで終わり、ではない。この年になったからこそ、ここまで生きてきたからこそできるようになったことがある。年をとるということはいいことなのだ。できなかったことが、できるようになる。こんなに単純で喜ばしいことはない。

きのうの稽古では、跳び受け身単独の稽古があった。以前だったら「できないんです」と言って逃げ腰になっていたところだが、今回は「よし」と思えた。以前のような恐怖心はなくなってきた。焦らずに頑張ろうと思う。
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仕事もだんだんと休み前の片付け期間に入ってきていた。先日は、新幹線の切符を買いに行った。インターネットで予約するのがたいへん煩わしく、ええいいっそのこと行ってしまえと思った。周りは年配の方だらけだったが…。窓口はすばらしい。てきぱきとこなしてくれるし相談にも乗ってくれる。やっぱりコミュニケーションが大事だと思う。

だんだんと夏休みの予定もかたまってきた。すいすい動けるように、身の回りの片付けとメンテナンスをしたい。
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村上春樹の『夏帆』が発売になった。と言っても雑誌でこの3年?2年?にわたって公開されていたのでわたしはすでに全部読んでいる。別に買う必要ないし…と思ってはいるのだが、うーん、やっぱり本になったものを手に取りたい気もする。本棚にスペースはない。それでも村上さんのためなら、あるのだ。スペースは作れる。

Saturday, 27 June 2026

雨、これは、同窓会ではなく

金曜の夜は友達に会うことになっていた。今週の優先順位一位はそれだった。金曜の夜を欠かすことがないように、あらゆることを整えておいた。

雨が降っていたけど遠くもないので大して困りもせず、財布と鍵と傘を持って出かけた。化粧もしない。帰ったらすぐ寝るから、というのもある。が、そもそも化粧して会いたい友達ではないのだ。18歳で知り合ったこの人たちに、もはや自分を飾ったり大きく見せたりする必要がまったくない。探り合う必要もない。見栄を張る必要もない。

久しぶりに会うはずなのに久しぶりな感じがしない。7人あつまった。「何年ぶりだっけね」と言いながらも、「この前」の延長のように会話をする。近況もだいぶ変わっていたり、変わっていなかったり。健康と子育てが話題にあがるようになったあたりが、昔と違うところだろうか。この年になると、それはもう、「人生いろいろ」である。あっという間に時間が過ぎて、別れた。

夢のように楽しかった。帰り際、こんなに楽しいのはなんでだろうかと考えた。性格のよさ、賢さ、遠慮のなさ…

ふと、過去より「いま」についての話が多いことに気づいた。一緒に過ごした時間は、それはもう濃密な数年間で、過去のことを話そうと思えばいくらでも出てくる。それでも話題の中心は「いま」で、さらにこれから「〜しよう」とつながっていく。「あのころはよかった」と寂しくなることはない。その点で決して「同窓会」ではなく、未来が楽しみになる集まりなのだ。そして、日々に勢いがつき、ポジティブになれる。別れたあとも「たとえば彼らだったらこの場できっとこうやるだろう」と想像をする。

かけがえのない仲間を得たものである。

帰りの電車に乗ろうとしたら地震の、あの音がした。地震です、地震です、と誰かのスマホから響く。プラットフォームのスピーカーなど、上から吊り下がっているものが揺れている。電車が止まってしまった。歩こうかと思ったけど、待った。しばらくして動いた。遠くじゃなくてよかったと思った。

Thursday, 25 June 2026

健康診断後

 きのうは水曜日。仕事を休もうと思えば休める日だったけど結局行った。やることはある、一応。結局、行ってよかったと思う。それでも、週1日くらいは図書館に行ったりお菓子を焼いたりする時間があるといいなと思う。ゆで卵のストックがなくなったり、冷凍の玄米がなくなったりするのを、1日の休みで解消できるので。今週はそれでも、土曜日に仕事がないし、明日は友人に会うことになっているので持っているエネルギーはそちらへ向ける。

きょうは合気道にいかない。雨が降っているし、火曜にがんばったし、土曜も行くつもりだから。週2くらいで落ち着いている。

今週月曜にあった健康診断のときに、お腹周りを計測する人が「ん??」と言いながら「ちょっといいですか」と2回目を測った。去年より8cmも数字が少ないらしい。測る位置が違うのかもしれないけど、実際に細くなっている可能性はある。腹に手を当てると筋肉があるのがわかる。そしてここ最近はミレーナの影響で急に太る(そしてスーッと戻る)あのサイクルがほとんどない。去年測った時はそうだったのかもしれない。

合気道のおかげで体の芯のほうに筋肉ができている。こうなるまでにだいぶ時間がかかっている。10年以上。腰や背中にあざができなくなるまでに、10年。続けるとぜったいにいいことがある。

健康診断で昨年、肝臓の数字がよくなかったということがあるので今年はちょっと気にしながら過ごした。といってもサプリメントを飲まない、というだけ。去年はサプリメントをやめたら数値は回復したから。ほかはあまり変わっていない。

月曜の健康診断が終わったらなんだか気持ちがゆるんだ気がする。健康診断なんて全然気にしていなかったのに。

Sunday, 21 June 2026

『菜食主義者』、シフォンケーキ、とうもろこしごはん

 呼吸が浅いなと気づくことがある。最近本で読んで、意識するようになったせいかもしれない。つまり、そもそも呼吸は浅かったんだけど、そのことに気づくようになっただけ、ということ。

先日読んだ本『ゾーンに入る』のなかで、「いま」に集中するためのメソッドとして4-4-4の呼吸法があった。マインドフルネス(のことが何かよくいまだにわかっていないが)でもよく言われる方法だと記憶している。4秒吸って、4秒止めて、4秒吐く、それだけ。はっきり言って、呼吸関連にはそれほど興味がないわたしだったが、これは、ちょっとやってみたら結構気持ちがよかった。意外だった。やってみるものだな、と思った。スピリチュアル系、とまでもいかず、単純に気持ちがいい。目の前のことに集中しているかどうかはわからないけど。

先日カルボナーラを作ってもらった。卵白が4つ余っているというので、何かやらなければと思っていて1週間くらい経った。卵白消費にはフィナンシェが最適だが、この季節、バターを使いたい気分にはならない。そもそも最近バターを買ってないし使ってない。泡立て器でメレンゲを作りたい気分だったのでシフォンケーキを焼いた。卵白4に対して卵黄2。あとは適当だ。なんとかなる。そして実際なんとかなった。久しぶりに焼いた。卵白4:卵黄3の時よりも、端がしっかりしている。

韓国へ行くことが決まった。旅行ではない。行かせてもらえる。ありがたい。こういうのに応募できるようになったということは、子がだいぶ成長したということだよな、と自分で思う。そしてこういうのに応募したい、と思えるだけの柔軟性、冒険心、好奇心、オープンさが自分にまだ残っていたことに実はすこし安心している。

きのうは土曜出勤だった。朝6時半に家を出て、帰ってきたのが夕方6時前。長かった。特に何もすることのない、いればいいという1日なので、それが逆につらかった。腰も痛いし、退屈この上ない。ようやく図書館の予約がまわってきた(韓国行きの通知と同時のタイミングだった)ハン・ガンの『菜食主義者』を読んだ。すごい話だった。あっという間に読んでしまった。こんなにすごい作家がいるんだな。本から韓国のにおいがしてきそうな、それくらいの強烈さを感じた。ところで日本語訳された韓国の小説をわたしは読んだことがあっただろうか?もしかして初めてかもしれない。

帰りは雨が降っていた。天気予報を見ていてよかった。駅のホームで乗り換えの電車を待つ間、霧のような雨が顔にかかってくる。これはこれで風情があっていいかもしれない、と思った。

倒れ込むように帰宅。疲れた。子は「きのうのとうもろこしごはん」が美味しかったらしく、解凍して連日でまた夕飯に食べた。金曜の夕方、スーパーで見つけたとうもろこしを、とりあえず買って帰った。ゆでようかと思っていたら子が「とうもろこしごはんにしようか」と言ったの久々に作ったのだった。ごはんと一緒に、ただ炊くだけで、なんの味付けもいらない。「旬のものがやっぱりおいしいよね」。そういえばびわもそろそろ旬だけどここにはないなあ。田植えもちょうど今頃かなあ。私には生まれながらの、故郷を基準としたカレンダーがある。

Wednesday, 17 June 2026

焦らない

 なんだか落ち着かないのは、夏の予定がかっちりと決まらないからだろう。かっちりどころかはっきりもしない。チケットが取れてカレンダーに書き込めるようでないと、どうも落ち着かない。そわそわする。ひとつひとつ片付けていくしかないのだが。

きのうはすこし迷ったけど合気道にいった。今週の土曜は行けないのがわかっていたし、おそらく木曜は雨が降るのではないかと思ったから。かなり投げ技が多くてすっかりくたびれてしまった。汗だくで、シャワーをあびてから仕事へ行く。

合気道には自分より年上の人たちがたくさんいる。ささいなことを会話するのが、日常の楽しみのひとつである。なかでも数人の女性たち。ここまで根気強く合気道を続けてこられているというだけでも尊敬に値する。みなさん晴れやかで、背筋がすっと伸びていて、なによりも、いつも自然体である。私よりもずっと年上で、彼女たちをみながらこれまでの人生いろいろあっただろうな、などと勝手な想像をしながらも、「こんなふうになれるだろうか」とよく思う。少なくとも、職場で会うことはないタイプの人たち。

わたしが更衣室を出るときには「いってらっしゃーい!」「きょうもがんばってね!」と送り出してくれる。朝7時台にこんな気持ちになれる。ありがたい存在である。

稽古が終わると息がしやすくなる。

焦らない、焦らない。

Tuesday, 2 June 2026

6月になった

 ふう。暑くなってきた。それでもまだギリギリ、夜風は涼しくて、いい季節だなと思えるぐらい。あっという間に6月になってしまった。5月はいっぱいいっぱいで、とにかくよく頑張ったと思える。時間も心理も「余裕」をつくるのに一生懸命だったと思う。6月もたぶんそうなのかもしれないけど、自分でそれを意識しているだけましなのではないかと思う。

23日も30日も、土曜で勤務だった。24日の午後も副業的な要件があって出かけたため、先週末はゆっくり雑誌を読む時間がなかった。今週はやっと行けた。テラス席で読むには暑すぎた。

図書館は私にとって栄養補給なのだ。納得のいくまでいろいろ読まないといけない。読むべき雑誌がたくさんある。図書館の居心地がいいのもあって最近は新聞にも手を出す。海外で新聞記者としてがんばっている友達のことを考える。きょうはどんな取材をしているのかなと。

きょうは合気道に行かない。いろいろ言い訳はできるけど、行かない。きょうのスケジュールをこなすのに、合気道から始まる朝でやっていけないような気がした、というのがひとつ。火曜日はもっとも忙しいスケジュール。そしてきょうは子がいつもより早く登校しなければいけない。もろもろの世話をするのになんとなくいたほうがいいような気がした。本音を言うと、稽古をしてすっきりしたいけど、まあきょうは仕方ない。そのかわり木曜は行こうと思っている。時計を見ながら、「今ごろ挨拶をして始まったころかな」などと想像している。

2週間ぶりに行ったレストランにて。なすが美味しかった。なすの季節だ、と言うにはまだちょっと早い気がする。

こどもの口が悪い。さらに、くちごたえに腹がたつ。簡単に「やだ」と言う。注意しているけど小学生なんてそんなものなのかもしれない。当然ながら家でも問題になる。親は2人とも怒る。きのうもいざこざがあり「リスペクトがない」と結構きびしくパパにしかられていた。「自分を大事にしてくれる人には敬意を払え」と。ポイントをしぼってスパッと注意するのがうまい。結局、険悪な雰囲気だったのは1時間に満たなかった。子もあやまり、一件落着、である。「はぁ〜、謝るっていいねえ」とケロッとしている。これを繰り返す。家族ってこんなもんか。

Friday, 22 May 2026

雨、ナッツの克服

 この時期が、一年で一番いいなと思っていたはずなのに、なんだか周りのキラキラについていけなく感じてしまうのは歳のせいかしらん。いや、それでも好きですねこの季節。半袖が気持ちいい。

きょうは雨。きのうも雨。きのうは珍しく5時台に起きられなかった。合気道に行くかどうかは朝の雨をみて決めようと思っていたけど、起きられなかったから行かなかった。

雨のなか、こどもと病院へ。アレルギーの定期的な診察で、特に具合の悪いところはない。8時過ぎに家を出たけど、雨で交通機関は乱れまくっていて、バスなんてこのまま一生止まってるんじゃないかと思うくらい進まなかった。予約の時間に3分遅刻。もっと早く出るべきだった。

アナフィラキシーで意識を失った2歳の頃が嘘のように、ナッツが食べられるようになってきている。思い切って病院にかかってよかった。だいぶ長くかかります、根気強さが必要です、と言われて、げー、どうしよう、避け続ければ問題ないんだし、今すぐ具合悪いわけじゃないし、こんなのやる必要ほんとにあるんだろうか、と思ったのが4年くらい前。本当に根気がいったけど、実際、食べられるようになってきているので、よのなかの、アレルギー持ちの子の保護者に言いたいです、むやみ避けるより試したほうがいいよ、と。こちらも、本人も、気持ちが全然違うから。エピペンも持ってるけど、きっと今後これを使うような重篤なことにはならないだろうなと想像ができる。

前回の負荷試験で3g食べて問題なかったピーナッツは、1/4粒ずつ増やして2粒キープしていけばOKということになった。これを食べて死にかけたというのに。今は毎日食べているんだから、すごい。

やみかけた雨のなか、傘をとじて駅まで歩いた。バスはやめとくか、ということになったから。それから帰宅して学校へ。

私は午後から在宅勤務。やるべきことがあるのでパソコン見つつ外を眺めて、なんとか終わらせた。

夕方、クロスタータを焼き、クロスワードを解いた。春休み以降、少しずつ克服しつつあるクロスワード。千里の道も一歩から。

さて、今日は雨。(あ、さっきも書いたか…。)

Thursday, 21 May 2026

わりざん

 今週は忙しい。この3日間は毎日何かがある。私の病院、子の面談、子の病院。その間に仕事がはさまる。仕事を休めるタイミングが今しかないので今週に集中する。仕方ない。休めるのはありがたいのだが、限られた時間ですべてが終えられるかというとそれも難しい。おとといやすんで、昨日は午前のみで、きょうは休む、ということになっているので、実質きのうの半日だけでたまったことを片付けなければいけなかった。そういうときに限って想定外の何かが起きたりするので、まあどんなにがんばっても無理なわけです。

毎日違う予定が入る人っていうのはすごいなと思う。わたしはだいたい同じようなリズムがないとだめだよ。こういう仕事でよかったと思うし、そのほうが向いている。

というわけできのう、昼ごはんを急いで食べて、子の面談に行ったら、最近のようすを教えてもらえた。集団でのゲームなどで、ゲーム自体ではないところで相手を煽ったりふざけたりすることがある。「楽しい」がなにかわからないんだよと本人も言っているという話。そうだろうな、と想像がつく。いろいろと家の様子も話して、最後にベテランの先生が「根っこがちゃんと育っているからね」とおっしゃったときにちょっと泣きそうになった。

それから家に帰ったら、子の友達が2人いて、遊んでいた。マンホールに落ちた作業員のニュースとか、彼らの家族のこととか、私も仕事を片手に会話を楽しんだ。4時半に彼らが帰ってから、たまった宿題が始まる。ついにわりざんだ。二桁の割り算。これはたいへんだ。

やらなければいけない宿題を前日に間違っていたらしく、たまっていた分は二つもある。やっぱり夜までかかっても終わらなかった。これはクリアしなければいけない4年生の関門。

ところで、おもしろかったこと。困っている子に、助けを差し伸べようとイタリアのわりざんが始まった。これはわからない。ちっともわからない。あまりにも珍しすぎて私は写真をとった。「へぇ〜〜〜」がとまらない。

やりたいことは同じはずなのに、縦横さえ違って、ぜんぜん理にかなってないように思う。ところ違えば、というやつだ。日々、我が家で起きている「異文化理解」のなかでももっとも「理解」に苦しむものであった。なにが誰にとって「普通」なのかは、どこでどう育ったかで全然違う。

こどもたちとプール

土曜だったけど出勤だった。朝はちょうど雨があがりかけたので合気道に行った。調子を取り戻すためにだんだんと再開させている。やっぱり気持ちがよかった。それから仕事に行って、夕方帰るとお隣さんが、うちの子といっしょに6時ごろからプールに行くことになっていると教えてくれた。どうやら日中に...