Monday, 31 December 2018

こどもを連れて温泉、ビートルズ

今年を振り返るといってもよく覚えていないのである。ただし12月のことなら思い出せる。本当に大変だったなというのが一番の感想。こどものイヤイヤがこれほどまでにひどくなるとは思っていなかった。2歳は楽になった、というのは早まった誤りでした。だって11月くらいまでそう思っていたから。突然やってくるものである。今よりひどくならないことを願う。ここ数日実家でどうにかこうにかやっているが一対一で対応することを想像するとこれは悪夢である。絶望的である。

記録のためにひとつ書いておく:

昨日は温泉に行ってきた。こどもを連れての初めての温泉だったがとても楽しかった。短時間でもやはり温まり方が違うと思ったし気持ちよかった。こどもは最初やはり緊張していて少しも動かず、「はい服脱ぐよ」と言ったら脱衣所でするするとズボンとおむつを脱ぎ始めたのには驚いた。こんなの初めてである。これだったら毎日温泉に来たいと思ったくらいだ。

湯舟に入るのも相当びびっていてサルの赤ちゃんのごとく私にしがみついていた。決して底に足をつけようとしなかったがシャワーとの間を3回往復する間にだんだん慣れてきて最終的には自分で歩けた。お尻をつけようとしてお湯を飲む羽目になったのはかわいそうだった。

湯舟からあがると既に興奮しており調子に乗ってお客さんたちの間を縫うようにちょろちょろと走り回る。追っかけまわすのはやはり大変だった。ただこんな感じでちょっとずつ外に連れていけるようになっている。いろいろな経験をして、満足して夜も眠りについた。

最近、昼寝をするときに、座ったままで抱っこして揺らしながらなんらかの歌(たいていビートルズ)を歌うと眠ることが多い。問題は私がビートルズの歌詞をすべて知らないということだ。抱っこされながら「ハローグッバイ」とか「ペニーレイン」とかリクエストしてくるが、ごまかしながら歌って最終的には鼻歌になる。それにしてもよく曲名まで知っているものだと感心する。童謡はちっともなじみがないがビートルズならイントロ3秒でLet it beとかGet Backとか言える。2歳でここまで身についている。

Sunday, 30 December 2018

眠気、体重、雑感

あっという間に30日。実家に来てぼうっと過ごせるかと言えば意外とやることは毎日何かしらあって時間は過ぎ去る。友人知人が訪ねてくることも多い。勉強をせねばと思っていても午後になると猛烈な眠気に襲われる。睡眠時間は結構とっているはずなのだがそれだけ疲れているあるいはリラックスしているということだろうか。ここに来ると空港を出た瞬間からだいたい眠気に襲われるのでやはり東京では緊張感が常にあるのだろう。気をゆるめる場所があるのはいい。いったん物理的に日常から離れると切り替えができるし日々を客観的に見ることができる。こどものわがままは相変わらずすごいのだがここには人員がいるため一対一で対応する必要がなく怒鳴り散らすまでには至らない。子育てには人数が必要なのだ。絶対に要る。「お母さんが育てる」なんて誰が決めたのだろう。中心人物さえ決める必要はないと思う。みんなでやるのだ、みんなで。

先日友人からお茶をプレゼントにもらった。予想もしていなかったのでとても嬉しかった。義務的にお土産やプレゼントを買うのは好きではない。大事なのは本当にあげたいと思う気持ちでありその日だからとかその状況だからという理由であげる必要はない。

夏に2キロぐらい体重が減ってから結局元に戻っていない。上がり下がりはしながらも結局ベスト体重マイナス2キロの状態が続いている。夏は確実に食べていなかったことが理由だが今は一応食べてはいる。ただ、これで落ち着いてきたのかもしれない。出産の前後で身体はものすごい変化した。膨張したりしぼんだりたるんだり、髪も抜けては生え変わり、肌もゆで卵をむいたようなプルンプルンの時期があったり、一人の人間の体がこれほどまでに変化をするのかと思うくらいに変化した。たった2、3年のこととは思えないくらい。妊娠したのが3年前だが、それからようやく今収束してきているのではないかなと思っている。一生戻らないのではと思っていたウエストも、水がたまったようなふくらはぎもようやく普通に戻った。産後2年。こんなに時間がかかるのである。

当たり前だが、妊娠していない状態というのは実に自由で良い。好きなものをバンバン食べてもすぐ体重に表れるということもない。そもそも好きなだけ運動ができる。水泳も自転車も合気道も制限はない。そして好きな服が着られる。だるまさんみたいな格好で妥協する必要がない。おなかに何もいないだけでこんなに自由に動けるのだ。時々妊娠期を思い出して今の自由をかみしめると同時に「あれはもうこりごり」と思うのである。

妊娠は病気じゃないという言葉があるけど、いや、病人と同じ扱いでいいよね。いつ何が起きてもおかしくないしだいたいいつも苦しい。半端ない困難を抱えて9か月くらい生きているわけで。「妊娠は病気じゃない」は死語にすべき。

Friday, 28 December 2018

自分のことを話せるようになってきた

先日、初対面の人と話しているときにこどもの話を持ち出さずに話を続けてみた。こどもがいる身分であるということを言わずに話してみたということ。

すると、ともすればこどもの話に移りそうになるし、こどもの話を出さずに話を続けるのは難しいと思った。日々の生活がこども中心で回っているので、たとえば「休みの日に何をしますか」という普通の質問でさえ、土日は子どものいる私にとって休みではなく自分の時間をもって好きなことや趣味をするのはほぼ不可能に近いため「掃除と洗濯」以外の答えが出なくなってしまう。

しかし、それでも、だ。
以前よりも話せることが増えてきた気がする。つまり、自分について。子ども以外のことにまったく手が付けられなかったときのことを考えてみると今はだいぶ「自分」が取り戻せてきた気がする。

特に、仕事を一人前にこなしているから。他人に認められ、必要とされ、責任の伴う仕事をやっているおかげで自分に自信が持てる。仕事に携わる、手に職を持つというのはこんなにも素晴らしいことなのだ。育休なんてことをよくやったよなあ私、と今振り返ると思う。

2年前、近況報告なんてしようものならこどもの話題しか出なかった。どこをどうひねっても絞ってもこどもの話題しか出てこなかった。自分が何をしたいのか、普段どういうことを考えているのか、それすら言えなかった気がする。本も読めなかったしそもそもまともに眠ることが一年間ずっとできていなかったのだからそりゃ本どころじゃないよねという話で。

最近こどもが、より「別の人」に見えてきた。つまり自分の付属品(最初からそうは思ってないけど)ではなく「もう一人の人」に見えてきた。その証拠に顔がどっちに似ている、というのも考えることさえなくなってきた。この人はこの人なのだ。

そして私は私なのである。こどもがいてもいなくても私は私でしかない。こどもに合わせて人生に制限をかけない。なぜならいずれこどものせいにしてしまう気がするから。こどもの世話が忙しくて身だしなみに気を配らなかったり体重が増えたりというのはよくあることだけどそこでこどもを言い訳にしてはいけない。すべては自分次第。

Thursday, 27 December 2018

こどもを連れて帰郷

故郷にやってきた。25日に今年度の仕事を終え早速26日に飛んだ。昨日の8時半に家にタクシーがやってきて、9:55の飛行機に乗った。

今回は空港に着いた後にベビーカーを使わずこどもが搭乗口まで歩いた。空港もまだピークには達しておらずそれほど混雑していなかったのでこどもとゆっくり歩くのも困難ではなかった。大きくなったなあと成長を感じる。それでも一人で勝手に駆け出すので例えばレジで支払い中に「あれ、いない!」ということは3回くらいあった。追っかけると喜んで逃げる。仕方ない。いつものように崎陽軒のシュウマイ弁当を買う。

隣に誰もいない席があったのでチャンスだと思って席変更をしたら結局最終的には埋まってしまっていた。というわけで今回は一番後ろの席に座った。ただ、新しい機体だったので画面がついていたのはよかった。2時間泣きわめくこともなく過ごせた。眠いのに眠れないのは辛そうだったし、結構揺れたので最後のほうで少し吐いてしまったのは本人としてもやはり印象に残っているらしい。着いた後にずっと「ひこうき くしゃみ」と言っているのがよくわからなかったのだが、どうやら「はいた」ということを言いたいのではないかと思った。口から何か出た、みたいなことを。

こどもにとってこの搭乗はいったい何回目なのだろう、と頭の中で数えてみたところおそらく23回目、つまり12往復目である。すごい。2歳4か月にして23回も飛行機に乗るとは。慣れたものではあるが乗せるのが大変なことには変わりはない。その都度いろいろな策を考えておかなければいけない。そのうち航空券にもお金がかかるようになるし、そのうち自分ひとりで乗れるようになるはず。たくましいのう。

祖父母に会えて子どもはとても嬉しそうで、逆もまた同じ。こどもは興奮し続けていてとてもじゃないけど昼寝なんてしなかった。近所の人たちも会いに来てくれてありがたかった。そして、想像してはいたがそれほどわがままで泣きわめくことがない。いやまだ初日なのでどうなるかはわからないけどとりあえずおむつを替えるのとお風呂に入ることに従ったのには驚きだった。いろいろな人の目があるとこうも違うのだ。

Wednesday, 26 December 2018

選択可能な二者

イタリアについて。

何を今更、と思うだろうけど最近やはり私の持つ性質のなかの一つになっているのだなと客観的に見ることがあったので。私はイタリア人になりたいわけでもないしイタリア人を無条件に礼賛しているわけでもない。最悪だなこの人たちと思うこともあるしそもそもイタリアに住みたいかと言われるとすぐに肯定の返事は出てこない。それでもイタリアとイタリア人から少なくとも10年、いやもっと長い間、大きな影響を受け続けていてそれが自分という人間の一部を成している感があるようになってきた。

一般的に「海外では…」という文脈でものごとを語ることがよくあるが私は「イタリアでは…」という始め方だったら話せることが多い。それ以外についてはよく知らないし知っているうちに入らないがイタリアについては、住んでもいないのになんだかんだでよく知っていることが多い。いやもちろん浅いけど。

そして各国の「常識」についてイタリア以外の出身の人と話していると、そうかそれぞれの国で違うんだなと思う。同時にイタリア人がいかに美感覚と独創性に秀でていて洗練されたスタイルの持ち主でありチャーミングな存在であるかを一歩引いて感じることができる。

イタリア=海外ではない。イタリアの常識を「海外では」の文脈で自分がとらえ、自分のなかの二つ目の常識にしかけていたことに気づく。私が知っているイタリアという国は、別の場所から見てもやっぱりこれだけ魅力があるのか、と思う。つまり;

「私 - イタリア」の構図ではなく
「私 - 別のどこかの国 - イタリア」の三者の中で見たときに、一歩引いて客観的に見られる、ということ。

だから、たとえば「思っていることは溜めずに外に出して表現する」ことはイタリアのやり方なわけだが、それはわかっていても私のなかで「日本じゃないところのやり方」つまり選択可能な二者のうちのもう片方のやり方として認識している。ただし「思っていることはすべて表現する」文化がたとえばヨーロッパ全土について言えるのかというとそうとも限らなということに、三つ目の国を通すと気づく。

そして「選択可能な二者」のうちのひとつになってしまっているのだ、イタリアが。やり方考え方はいろいろあるけど自分のなかでイタリアだったらこう、という二つ目の基準、常識がいつの間にか出来上がっている。イタリアに初めて行った21歳当時は憧れでしかなかったかもしれないしもしかしたら「選択可能な二者」というよりは日本を否定する立場にあったかもしれない。それが最近、並列・共存している感じがある。どちらが良いとか悪い、というわけではない。上がったり下がったりしながら日伊が共存してきた。

話変わって、言いたいことをすべて口に出してしまう文化ってすごく良いです。日本の対極にあるけど。日本がそうなるのはかなり難しい。論理的にものごとを話すのがとても苦手な民族だと思うし「意見を言う」ことがいとも簡単にケンカとつながってしまう。下手すると意見の否定は人格否定みたいになっちゃったりして。そういう意味では損な集団。

Monday, 24 December 2018

友人宅と色のはなし

22日昼、友人宅へ招かれたのでお邪魔してきた。こどもを置いて行くことができたので気兼ねなく一人で(身軽に)電車に飛び乗る。気分的に赤いコートを着て。

さらに、気分的にチョコレート・ケーキが食べたかったので渋谷のTopsに寄って2〜3人用のケーキを一つ買って行く。一人で休日午後に出かけるなんてこんな贅沢はない。そしてなんて身軽なのだろう。

バス停に迎えにきてくれた友人は、深緑のコートを着ていた。「やばいね、あたしたち!」と言われて並んでみると、それはもうパーフェクトなクリスマス色の組み合わせなのであった。笑うしかない。二人で歩くとそれはそれはめでたく、festiveな感じがする。友人のマンションの住人からも「あら〜 クリスマスね!いってらっしゃ〜い」と声をかけられた。

上京以来の友人である彼女は、そんなにしょっちゅう会うわけではなくてもなんだかんだで連絡を取り合っていて、性格もちょっと似たようなところがあり、同時期にヨーロッパに留学していたのもあってその経験から何かと「言わなくても分かる」レベルのことを共有していることがある。

手料理をたくさんご馳走になり、しゃべりまくって、満たされた気分で帰宅した。なんとも良い時間を過ごした。

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色について。

友人宅はリノベーションをしたので自分の好みで壁の色を変えたりしていた。黄色い壁もあった。明るい性格の彼女がものを選ぶとだいたい
・明るい色(赤、黄、青など)
・大きな柄、モチーフ
のものが集まってくるのだがこれがよく合っているしその人を表す感じがする。

(日本の)お片づけ系、インテリア系のブログを読んでいるとだいたい「モノトーン大好き」「白、黒、グレーで統一感」みたいな記事が多い。2,3年前に、今の家に引っ越してきたときちょうどそういうブログを読み始めた。そして本当にシンプルでいいと思った。影響を受け、そうだよな、モノトーンじゃないとなと思ってちょっとそっち方向にしようかと試してみたことがあった。

が、一年も経たないうちに「つまらん」ということがわかった。パペリナのラグを買うときにも、どうしても明るい色のものに目がいった(結局オレンジ色を買った)。ストウブの鍋も真っ赤。結局それが一番落ち着くのである。モノトーンは私にとっては「無理している」状態なのだと思った。もちろんそれが無難で良いというときもある。それでも私の基礎、基本は20歳ごろにイタリアで見た真っ赤なシーツのベッドルームや、黄色や緑単色のワンピースにある気がする。シンプルなデザインとパキッとした色がいまだに頭に残っていて、その後ずっと、インテリアや服のみならずものの見方や人生にまで影響を及ぼしている。

かといって何でもかんでも赤いと良いというわけではないけど。壁を塗るなら黄色は良いなと思った次第です。

Saturday, 22 December 2018

声、髪、爪

ふと気づくと20日が過ぎていた。早い早い。1年が終わる。今のところ、熱が出るような風邪はひいていない。たぶん睡眠をたくさんとっているおかげだろうと思っている。食べることよりもまずは睡眠が大事だと思う。

咳が止まらず病院に行ったのが確か先週のことだった。薬を飲んで咳が止まったかわりにハスキーな声になり、それが何日も続いたけど今はもうだいぶ普通に戻った。声が違うといろいろな人に心配されるが、本当に声がかすれているだけで、鼻水も咳も熱も出ないので苦しくもなんともない。歌が歌えない、とかそのくらいしか困ったことはない。むしろちょっと違う自分になれたような気がして楽しめた。スカーレット・ヨハンソンのハスキー・ヴォイスを思い出すと、ちょっと得したような気にさえなった。

しばらく髪を切っていない。バッサリ切ったのは9月だったと思う。それから、やっぱ短すぎると困るなと思ったのと、寒くなって来たのもあって切る必要性を感じず今に至る。だいぶ伸びた今、ちょうどよくなって来た気がするが、それでもまだ短い。箸をかんざし代わりにしてぐさっと簡単にまとめていたころが懐かしくて、その頃と同じぐらいに伸ばしたいと思いながらも結局我慢できずにバッサリ切る、というのを繰り返している。今度こそ、このまま頑張って伸ばすつもり。

マニキュアを塗る余裕が少し出て来た。まるごと2年以上、マニキュアのボトルに触れることさえほぼない状態だったが、朝時間がとれるようになってきたので完璧ではないにせよ爪のケアができるようになってきた。

「ちいかわ」の映画を見た

 「シルバーウィークにちいかわが見たい」 しばらく前、子が言った。子からの、たいていの「〜したい」を本気で請け合うことはないが特に予定がないのに5日間も休みを抱えているわたしは、今回ばかりは、素直に「それもそうだな」と思えた。土曜に調べてみるとどの映画館も満員ではないか。ちいかわ...