Wednesday, 5 November 2025

連休明け火曜、人間関係とか家族とか

職場に嫌な人がいて、どうしたもんかなと思っているのだが、思っているだけではなくてわたしの場合は愚痴を言う。 息をするように愚痴が出てくる。聞かされる同僚は気の毒だけど、これをためていてもろくなことはない。

かかわらずに過ごせたらいいけどそうもいかない。参ったなと思ってもこれで本当に参ってしまったらこっちの負けなのである。この程度でつぶれてしまってはいけない。本当に問題になる場合は、正しい手順を踏んでいくべし。愚痴をこえて、しかるべきところに相談ができる。

「どこへ行っても結局は人間関係なんですよ」という同僚の言葉が思い出される。どこへ行っても、いやな人は絶対にいる。絶対。周りを変えようとしても変わらないので、自分の動き方を工夫するしかない。そうしないとどこに行っても生きていけないだろう。

今の職場でも、たくさんの人たちに会ったが、やめていった人たちのことを考えると、結局みんな原因は人間関係だったように思う。やめずにずーっと勤めている人というのは「適当に」聞き流せて、忘れることのできる人たち。小さなことにつっかかっていると生きていけない。

さてきのうは、帰り道が暗かった。4時台なのにこんなに暗いか…と思いながら自転車をこいだ。咳がもう少しで止まりそうなのに止まらないので、病院に行こうかなと思ったけど、どの病院も人がいっぱいなのが外から見えたので、これはやめておこうと思った。連休明けの平日夕方、帰り道は具合悪い人でいっぱいなんだろう。行って何かもらってきてもよくない。

この時期、家に帰るとホッとする。暗くて寒い道を戻ると、あったかくて明るい家があるというのはなんともよろこばしいことだな、と思う。特別なことがなくても、家が、家族があるというのはすばらしいことなのだ。ことばにできないけど、きのうは帰り道がなんだか嬉しくて、家について自転車を止めたときにそう思った。あさりのスパゲティが準備されていて、子は半分しか宿題をやっていなかったけど、通常運転のこの家が、あってよかったと思った。

Sunday, 2 November 2025

11月になった

11月になったらいっきに年末感が出てきた気がする。カレンダーが、あと2枚になると、ああいよいよかと思う。冬休みを楽しみにして、あと少し、駆け抜けるだけ。体調を崩さないようにしておきたいけど、先週すこしだけのどが痛くなってから、その後の咳が長引いている。あまり声を出さないようにすれば良いのだろうけど仕事でそれは無理なのでしかたない。今年のはじめに処方してもらっていた咳止めの吸入器があったのでそれを寝る前に使って、夜はよく眠れている。

土曜朝は合気道へ。そこからまっすぐ通勤。土曜出勤は望ましくないが、合気道から直接仕事に行くのは結構気持ちがいい。とても早い時間に職場に着く。そして運動した後なので、なによりも、気分がいい。ほかの人が寒がっていても自分は暑い。土曜出勤はしょっちゅうあるものではないのでわたしはこうやって直接職場に行くことには慣れていないが、合気道の朝稽古に来る人たちのなかには直接職場に行く人たちがたくさんいる。朝6時半の稽古から夕方あるいは夜までエネルギーを継続できるというのはすごいなと感心する。ちなみに合気道をしている間は咳は出ない。当たり前だけど。

子が作ったレゴ・シリーズ。今回は「戦国アストレイガンダム」らしい。画像を見ながら作っていた。
角?の部分がたしかに戦国っぽい。
方、ひじ、指、ひざ、足首など、関節が可動するようになっている。これから、自立式に改造するらしい。

で、しばらくして改造終了。自分で立って、
刀も持った。



 

Friday, 31 October 2025

「さいごの日」

10月よさようなら
10月よありがとう
10月よ きみはうつくしかった
10月それは1年でいちばん素敵なとき
来年また会うそのときまで
10月よさようなら
10月最後の空は、寂しげで、きれいでした。変わっていく色を眺めながら10月にあいさつ。

毎晩、子になにかしらの本を読んでいる。自分の楽しみでもある。きのう、子が「まま、さいごの日が近づいているかもね」と言った。なにかと思ったら、一緒に本を読む習慣もだんだん終わりつつあるのでは、ということだった。「最近、読むのがだんだん少なくなっているから」と。意図的に減らしているわけでもないけど、自然と短くなってきているのは事実だった。いつかこういう日が来るのだろうと思っていたけど、なんとなく認めたくなくて、ずっといっしょに読めるような感じがしていた。猛烈に寂しかったけど、「そうかもしれない」と答えた。

レゴでガンダムを作っているらしい。うまい。今朝、子は続きを作るために、目覚ましをかけて6時半に起きている。

Wednesday, 29 October 2025

運動会、レゴ

火曜。仕事を休んで子の運動会へ。天気がよくて何よりだった。開会式から見に行った。学年ごとのダンスは毎年ながら見応えがあり、とにかく先生たちの苦労を思い知る。これだけやるの大変だっただろうなと思う。今年は正面から見た。昔から、子供たちが何かを一生懸命にとりくんでいる(しかも集団で、決められた通りに)という姿に弱くて、まだ始まってもいないのに、立っているのをみるだけで涙が出てきた。どの学年もすごかったけど、5年生と6年生を見ていると特に、この微妙な、貴重な時期を過ごしているんだなと思うともう泣けて泣けて仕方なかった。自分のころを思い出したり、人の成長ってすごいなと感動したりで、心のふるえが止まらなかった。一年生から6年生まで並んでいる姿をみると、いやはや小学校ほど大事な時期があるだろうか、と思ってしまう。一生覚えているし、人としての基礎を作る時期で、こんな貴重でかけがえのない時期は、もう戻ってこないのだ。1日1日が、この人たちにとってはもうグサグサと刺さる、おおごとなのである。

我が息子はというと、全体と同じ動きができていたというだけでもホッとした。いままでの素行からすると、途中で逃げ出してもおかしくなかったが、無事に成長して、集団に馴染んでいた。なによりである。ぎこちないことこの上なかったが、なんとか活動を終了した。

先生から2週間前に電話がきた。踊りを家で練習するようにという内容だった。そのときに言われた「この運動会を、成功体験にさせてあげたいので…」という言葉がこの2週間わたしのこころにはよく残っていた。これをやりとげることで自信がつき、またぐんと伸びる。

立っている姿を見ながら、顔つきの違いが見てとれた。本当に成長したと思う。1人だけを単独でみると、まだまだぽちゃぽちゃしてかわいいのだが、全体からみると、もうすっかり少年なのである。

息子にせがまれてレゴの作品紹介。
まずジェットスキー。飛びそうなのではなくて浮かびそうな感じ、と言いながら作っていた。途中で「ジェットスキーってどんな感じ」ときいてきたのでインターネットで画像を検索してあげた。なるほど、といいながらハンドルをつけていた。

人を乗せるとこんなかんじ。

続いてロボット。中で人が操縦できるようになっている。ガンダムにしろエヴァンゲリオンにしろ、人が中に入って操縦する、人よりも大きなロボットというのはいつの時代も存在している。ロマンがあるんだろうと思う。


後ろ姿。中を開けると…

入っているのは「まま」だそうです。かわいいフィギュアにしてくれたんだろうね?と言ったら、本当にかわいいのが入っていた。

さ、きょうもがんばりましょう。

Tuesday, 28 October 2025

『全員タナカヒロカズ』、算数プリント

「全員タナカヒロカズ」という本を読んでいる。図書館で雑誌を読むのだが、あらゆる雑誌の書評に最近よく登場する本。しばらく前に予約して、ようやく手元に回ってきた。「田中宏和」さんが同姓同名の人と集まってギネス記録を作る。もちろん実話。バカみたいに笑えるところがたくさんあって、ひとりで読んでいるのに涙流すほど笑った。図書館とかカフェとか静かにしなければいけないところで読んだらこれはたいへんなことだったなと思った。

ばかばかしいかと思いきや、読んでいるうちにいろいろ考えさせられることもあり、しかも学術的な内容も書いてあり、もはやこの人、いや、田中宏和氏のまぎれもない「研究」であるということが感じられる。社会実験であり研究。ふざけではない、真剣なのだ。

同じ名前というだけで仲良くなれる− そんなことはないと思うかもしれないけど、この取り組み?運動?が始まったのはもう何十年も前だということで、そこに田中宏和どうしの強い絆があることは間違いない。

人間ておもしろいな、と思うべきなんだろうけどなんだか今回は「日本人っていいな」と思える。名前の在り方が、各国で大きく異なるのでこの日本での条件下でタナカヒロカズ運動をやれる田中宏和氏たちが、とても、よく思える。

さてきのうは、わたしは仕事だったが子は休みだった。運動会はきょうなのだが、もともと設置してあった代休というわけ。宿題はないけど、やってなかった分のプリントをやっておくように言ってわたしは出勤した。

かなり抵抗していたが帰宅するとこれが机の上にあった。ちゃんとやってる…!

私は育て方を間違っていないだろうか、と思うことがよくある。親だから当たり前だと思う。基本的な信頼関係がわたしたちの間にはあるのだろうか。どうしてもいままで自分の人生で見てきた数々の親子関係のなかに自分をタイプファイしようとする。もしかしたらどれにも当てはまらない親子なのかもしれない。

きょう、子は運動会で、わたしは仕事がない。合気道に行こうと思えば行けたが、きょうはちょっと休もうと思った。休憩。

Sunday, 26 October 2025

肝臓、運動会、レゴ

誕生日の夜にいつもより40分くらい睡眠が短かったせいか、翌日は仕事しながらすこしめまいの前兆みたいなのがあった。これはよくないなと思った。いつも同じリズムを保っているとこういう変化がすぐにわかる。
金曜夕方、5時ごろに病院に行ってみた。めまいのせいではなく、血液検査の結果を聞きに行くため。木曜は閉まっていたから、タイミングとしては今だろうと思って帰りに寄った。「正常に戻ってるよ」と言われて「へぇえええ」と驚いた。振り返るとこんな感じ;
6月に職場で健康診断
7月に結果通知。肝臓の数値ASTとALTが良くない。
受診。CTも撮る。
CTで異常はなし。「なんだろうねえ。サプリメントとかとってる?」と聞かれて、皮膚科で買った高濃度のビタミンCのことを話した。ビタミンCが悪いとは思えないけどとりあえずやめてみて、3ヶ月後にまたくるように、という指示。
3ヶ月間皮膚科のビタミンCはやめて、10月に検査。
正常値。
ついでにB型肝炎とC型肝炎も陰性。

これだけ聞くと、ビタミンCのせいだったのか、としか思えない。実際のところあまり気にしなくてよかったのかもしれないけど、おかげで気にするようになったし、CTまで撮っていろいろ判明してよかった。問題ないということがわかった。

ビタミンCのせいなのかなあ…とつぶやいたら、先生が「製薬会社が作ってない場合はね、その成分以外にも何が入ってるかよくわからないからね〜。製薬会社は責任取らされるからちゃんとやるけどさ」と言っていた。なるほど。とりあえず、ビタミンCはやめておこうと思った。

土曜。朝5時、少し雨は降っていたけど、合気道に行った。前日からの意志を無駄にしないためにも。カッパさえ着れば行けるのだ。動きがそれほど激しかったわけでもないけど脚の付け根の外側のほうとか、膝とか、痛かった気がする。変な動き方をしているんだと思う。そしてやけに疲れた。体調不良にも至らないくらいの、不調の前兆みたいなものがもしかしたら影響しているかもしれないとも思った。

帰りながら、きょう予定されていた小学校の運動会はきっと中止だろうと思った。帰ってから通知をみると、「延期」とのこと。しかも火曜日。よくわからないのは、土曜は休み、日曜が登校、月曜は代休のまま。えっ、普通は土曜が通常授業で日曜は休みなんじゃないの?こんなのそもそも知らされていたんだっけ?はてなマークが浮かぶ。従うしかないので仕方ない。

問題は火曜に開催ということ。仕事を休めるかどうか、すぐさま管理職と関連の同僚にメールした。この日は、職場からだいぶ離れたところに行くことになっていた。夕方メールが来て「大丈夫です、運動会に行ってください」とのこと。感謝の返事をすると、さらに上の人からの返信が来た。
「気にしなくて大丈夫です。家族との時間を大切にしてください👌」
という、絵文字付きの返信。
ありがたい。職場と同僚に恵まれて、私はラッキーだと思う。文句も言うし納得いかないこともあるけどだいたいにおいて私はラッキーだ。そしてこういうジレンマに当たったときにスムーズにことが運ぶような人間関係を築いているのは大事だと思う。1日で築けるものではなく、日々の姿勢がものをいう。真摯にいくべし。

さて息子がきのう作ったバイク。
本当によくできている。「走り出しそうな感じにした」らしい。
細部までこだわりがある。乗っているのは「ぼく」らしい。
少し上がっているところが、駆け出している感じ。

どの本からか覚えていないけどメモしていたレシピでマフィンを作った。何か入れたほうがいいなと思ってとりあえずチョコレートを割り入れた。量が多くて9つもできてしまった。グラシンカップがあると、マフィンが作りやすい。

 

Friday, 24 October 2025

誕生日

またひとつ歳をとった。10年以上前に同僚が「42からが大変なのよ」とか「41と42は違う」と言っていたのを思い出す。体力的に厳しくなってくる歳、ということらしい。同じ40代でも42というのは曲がり角、のような意図で言っていたのだと思う。なんとなくそれを覚えていて、ついにその歳になった。

精神的にも身体的にも、大きな不調がなくここまでこれているのはほんとうにありがたいことである。ただの偶然なのかもしれない。自分の行動がそれに貢献しているとすれば、早寝早起きの効果はあると思う。とはいえ、ギリギリの状態でとどまっているだけなのかもしれないので無理は禁物である。

誕生日は仕事を休んだ。休める日だったのでそこにあてた。とりわけ何かをする予定もなかった。朝から合気道に行こうかと思ったけどおととい行ったし土曜も行くだろうから、まあいいやと思った。子が登校する前に、3人でお祝いをした。わたしのリクエストでティラミスを作ってもらった。

肝臓の数値が良くないので血液検査をしていて、結果を聞きに行こうと思ったけど病院は閉まっていた。聞くのが怖い気もするので、内心ホッとしたのも事実。

合気道の代わりにきょうは久しぶりに1人で泳ぎに行った。最近は子と一緒に行くことが多くて1人でガシガシ泳ぐことがなかったので、本当に久しぶりだった。30分泳いだだけなのにものすごく疲れた。やっぱり水泳はいい。

そのあとお昼を食べに行った。外出ついでに、何か欲しいものがあるかと思ったけど、やっぱり特になかった。誕生日だからと言って無理に何かを買う必要もない。よく作るバナナブレッドに必要なグラシンケースをやっと買えた。それくらい。

特別な日なのに特別なことをしてなくて焦るような気もするけど、なにごともなく過ぎていくことがありがたい、とも思う。例年より寒い気がした。金木犀のかおりがそこらじゅうにただよっている。自転車を走らせながら、ここまで生きれてラッキーだな、と思った。空が高くて、きれいだった。いろんなことがありがたい、と思った。

韓国ドラマを見始めたときに子が帰ってきた。宿題をやるより先にYoutubeを見たせいで、出かける直前まで宿題をやる羽目になり、言わんこっちゃない、大変だった。最近は、かけざんのひっさんをやっている。これは、そこまで困っていないように見える。

夜は友達が来てくれて、誕生日会をした。誕生日自体よりもはや友達に会えたことが嬉しかった。朝から、友達に会えることが楽しみで過ごした。

42歳。本を読むようになってきた。体重がベストより2kg多い。自転車通勤。迷いも戸惑いもある。以前ほど仕事は楽しくない。しかし以前より生きるのが楽。

Monday, 20 October 2025

Lego バトルシップ

日曜夕方にふと、子が作り始めたバトルシップ。毎回レゴの才能には関心させられるが今回の作品も大したものだった。1時間もかかっていないと思うが、あっと言う間に出来上がった。設計図があるわけでもないのに上手い。見えないところまでだいぶ凝っている。
たいてい写真を撮る前に崩れてしまうので、今回は、忘れる前に撮っておく。
手に武器を持っているし、壁に武器をかけるところもある。



屋根が可動式になっていて、中にも戦闘機が入っている。
砲台もあって、これも360度動く。中に人がいるけど見えない。

作っている途中に「ままー見て」と言って持ってくるのだが「ほー、すごいね」と言ってたいてい終わる。しかしあとになってあらためて見てみると本当によくできている。レゴにまったく触れない時期があったのに、この数ヶ月は復活している。不思議なものである。

 

Sunday, 19 October 2025

理想的な日曜

土曜夜でも9時に寝るし、日曜でも5時に起きる。特に無理しているわけではない。朝起きたときのことを考えると楽しみなのだ。
窓をあけて外の様子を見る。ベランダに出て、気温と、空気を感じる。空の様子をみると、きょうはこういう模様。朝日が当たり始める部分が、とにかくきれい。

朝顔が咲いているかどうかをみる。花はすごく小さい。色も薄い。10月だしね。ふと気づくと雲と同じような色をしている。
パンを焼くために材料を量って、パン焼きマシーンに入れる。発酵中に、空の色が変わるのを見ながら読書と、duolingoと、wordle。誰にも邪魔されない至福の時間。5時から6時半くらいまでが、どうしても欠かせない自分の時間。

大谷がきのうも大活躍だったらしくて、動画を少しみたら、凄過ぎて笑いが出てきた。こんな人は見たことも聞いたこともない。小説や映画でもない限り。

だんだん活動し始める。ちょうどよく熟してきたバナナがあったので、バナナブレッド、バナナとココナッツのドロップクッキーを焼いた。
焼きたての美味しさはほかの何にも変え難い。家でこんなに簡単に作れるとわかっていると、どうしても市販のものをわざわざ買う気にはならない。

9時から、子とプールへ。きょうはバタ足で300m泳ぐ約束になっていた。「がんばれー、ほら、まだまだ」「もっともっとー」と声をかけながらなんとか泳いだ。「もう無理」と言っていたので、どれどれと思って自分もバタ足だけやってみたら、これがめちゃくちゃ疲れた。全身で泳いだほうがずっとマシだ。
子は、あいかわらずひざが曲がった状態でバタ足をしているが、それでもだんだんマシになってきたと思う。約束どおりガンダムのプラモデルを買った。甘すぎる、と思ういっぽうでたったこれだけで泳げるようになって自信がつくようなら安いもんだな、とも思う。

昼はいつものレストランへ。それから図書館へ行き、読みたいだけ雑誌を読んだ。文春も手に入った。制限時間なしで雑誌を読めるのが、自分にとっての幸福である。インターネットの記事と違って、読んでも疲れない。

自分は読書家ではないけど、ここ数年、読むことによって、「心が満たされている」と感じることが多い気がする。現実世界で何か困ったことがあっても、心にしっかり糧があって、そのくらいでは動じない、私にはあの世界がある、と思える。それは決して逃げではない。

4時ぐらいに家に帰り、ごろごろして、だんだん体は「終わり」モードに近づいている。あとは食べて寝るだけ。明日の朝を楽しみにして。

Friday, 17 October 2025

Monkey届いた、体重、疲れ

 きのうの夕方は会議で、途中で目をつぶったらふらーっと暗闇が回る感覚があったので、これは疲れているなと思った。しばらくのあいだ、あの、立てなくなるようなめまいは出ていないけど、前触れのような気もするのでなるべく休みながら過ごそうと思った。夏の疲れが取れるのは思った以上に時間がかかる気がする。

頼んでいたMonkey 37号がきのう早速手に届いた。「猿の英単語」がテーマ。読まないわけにはいかない。中身も見ずにタイトルだけで購入を決めた。今朝も、How to Pronounce Knifeを読んだあとにパラパラと興味のあるページをめくって読んだ。

夏が終わってから、困ったことに体重が高止まりしている。理想より2キロも重い。ミレーナの影響で、上がり下がりがあるから、心配しなくてもすーっと減る…はずなのに、減らない。なんだかんだで蓄積されていっているのか、脂肪は。これは困った。運動も食事も問題ないはずなのに。問題は何か。年齢だろうか。2キロ分の負担を体にかけているのかと思うと、足とか腰とか膝とか、ごめんよと言いたくなる。つらいだろうな。

きのうの朝、我が子を起こそうとしたら、ふとんにくるまって「ぼく、あと2日とか、もう無理だよう〜」と嘆いていた。木曜はたしかに辛い。1週間の半分が終わっているけど、まだまだある気がする。さてきょうは1週間の最終日。なんとか乗り切りたい。幸い、天気も良いようだ。

Thursday, 16 October 2025

朝顔、朝読書、扇風機

夏休み、家をあけていた間に、せっかく育った朝顔は枯れ果てていた。しばらくしたら種ができていたのでそのまま土に埋めたら自然と育ってきて、10月の今、うちには朝顔が咲いている。10月でも咲く。
これはおととい、火曜の空。これはこれできれいだけど9月のような明るいピンク色にはならない。薄い紫というか。やっぱりあれは9月だけの醍醐味なのだと思う。

先日も書いたけど、この本を毎朝読んでいる。独立した短編集。ラオスからの難民、という点では共通しているがそれぞれの話はつながっていない。今朝の話Edge of the Worldは特によかった。

難民にも移民にもなったことのないわたしはその視点が完全に欠けている。想像したこともないことがたくさんある。そのことを思わされる。「世界にはいろんな人が」と簡単に(偉そうに)言うけど、その、どの程度を知っているのか。常に自分が「こっちがわの人」で彼らは「あっちがわの人」と考えたがるのが人間で、そうならないように、相当意識していないといけないと思う。

暗くて寒い季節に入ってきて、どうも寂しいというか名残惜しい。これは毎年のことなんだけど10月に入っても半袖を着ている。家でも真夏と同じ格好をしているときがある。太陽にすがりつくかのように。明るい季節は終わりか…。

月曜に、扇風機をきれいにして、しまった。来年またよろしくという気持ちをこめて、きれいに磨く。かれこれ20年以上使っているのだが今年ついに断線した。それでも使える。とりあえず苦労を労って、ほこりをはらってよごれをふきとった。衣替えもした。毎年訪れる、せつない作業である。

そうは言ってもあっという間にまた冬がきて春がきて夏がくるのだろう。超スピードで過ぎていく。からだにいいものを食べて、いまあることに感謝をして、1日を大事に生きよう。

Wednesday, 15 October 2025

インターネット契約。タイミングをつかめるように生きること。

世間は3連休だったが私は4連休だった。

月曜の午前中、修理に出していたカメラを受け取りに行こうと思い立った。電車に乗るなら平日のほうがいいだろう、火曜日も休みだから火曜日に行こうかなと思っていたけど火曜になるとまた新しく何か別のやりたいことがあるのかもしれない。こういう、後からやっても支障のないこと、しかしちょっと面倒で乗り気ではないこと、はなるべく先にやったほうがいいと思った。天気も悪くないし、月曜の朝思い切って電車に乗った。電車といってもたった5分くらいなんだけどね…。

リュックに、お金とキンドルだけ入れて家を出た。身を軽くして街を歩くのは楽しい。

電話で知らされたときは3万を超えるはずだったのに行ってみたら2万円で拍子抜けした。宝くじに当たった…とまではいかないけどラッキーだと思った。御礼を行って出た。

朝10時ごろで、店も空いていたので、以前から気になっていたインターネット料金について、相談にのってくれるカウンターはないだろうかと思ってフロアを探してみた。ずっと前、10年以上前にここでプロバイダを変えたり契約したり、したことがある。眺めたところ、それっぽいところも「携帯、スマホ」って書いてあるからたぶんこれではないな、と思った。

いったん去ろうとしたけど、もう一回ぐるっと回ったらやっぱりその「携帯」のところに料金の表があった。価格帯もそれっぽい。これかなと思って眺めていたら若い、色の白い男性が、近づいてきた。客が少なくて暇だったんだろう。なにかお探しですか、と言った。と思う。すごく声が小さかったからよく聞き取れなかった。

「今、インターネットに月々五千円払っていて、高すぎるんじゃないかと思って」

と言ったら、ほかの会社を紹介してくれて、「ほー」と言いながら見てたら「見積出してみましょうか」と言われた。こちらも暇だったし、この人に嫌な感じがしなかったので、はいと答えてお願いした。

案内された席に座って、説明を聞いた。思っていたような難しさは何もなかった。家にあるモデムもルーターも、変えなければいけないものが何もない。そして料金が月々900円ぐらい安くなる。「これ、今ここで申し込めるんですか」と聞いたら、はい、と言われた。

問題は、今契約している会社である。これに電話をかけなければいけない。そのへんはどうするのかと訊いたら「いま、いっしょに電話しましょう」と言われた。なんて心強いのだろう。

少し過去の説明に戻る。

今のインターネットで契約しているきっかけは、その当時問題なく使えていたときに、ふとやってきた電話だった。今より安くなるし、違約金も負担します、という、北海道かどこかの会社で、まんまとわたしはそれを信じて解約の手続きをしたのだった。実際、少し安くなったものの、長く使っている間に当初の割引もとれてしまって、なんだかんだで上がって今の5060円になってしまっていたというわけだ。

今考えてみると、あんな電話をよく信じたものだよなと思う。怪しいことこの上ないのに。実際に違約金も負担してもらったし、問題はなかったけど、手続きが煩雑だったのと、窓口の人がいまいち話通じなかったのと、「違約金」と言われていたのに商品券が送られてきたりで、無駄に神経を使った覚えがある。そうだ、思い出した、トライバルユニットという会社でした。

それ以降ももちろん、インターネット関連では、かかってくる電話も多いし、広告が入っていたりするし、わたしは狙われてるんだなと思うことがよくある。わたしだけじゃなくて世の中の人たちはターゲットにされていて、需要も多いし、ひっかかる人も多い。問題は、わたし自身がその仕組みをよくわかっていなくてルーターとかモデムとかプロバイダとか回線とか、聞くだけで「ええい、今ので使えてるならいいや」と思ってしまうということ。

だから正直なところ目を瞑ってここまできた。考えたくないのだ。

だまされたくないし、ランダムにかかってくる電話に乗ってしまうわけにはいかない。こういう情報は「自分で取りに行く」しかない。いつか自分で調べて自分で換えよう、と思っていたのだった。情報は、自分で取りに行くべし。

そこで出会った、この色白のひかえめお兄さんはまさにこれ以上ないよいタイミングで、わかりやすく説明をしてくれたし、そもそも「売ろう」という感じが全然しない。(これ、大事。)この勢いに乗るしかない。提案してくれたとおりに「いっしょに」電話をして、電話できくこと、このあとやることをすべて整理してくれた。

時間がかかるのは電話と解約で、新しい契約自体は10分ぐらいで済んだ。解約をする、というと、「このお電話で継続を決めていただければ1万5000円割引します」と言われたけど、断った。

インターネットの乗り換えがどうしてこんなに面倒で気が乗らないかというと、二社に関わらなければいけないからだ。この二社が直接やりとりしてくれるわけではない。その間にいるのは自分しかいない…のが普通なのだが今回はこの色白ひかえめお兄さんがついている。怖いもの無し。

ぜんぶで1時間くらいはかかったかもしれない。すべてが終了した。なんというか、今までつっかえていたものが取れたような感じでものすごくスッキリ上機嫌になった。しかも、今まで、つっかえていることに意識さえしていなかった、そういうものがスポッと取れたような感じ。体の不調はなかったけど、それが取れたら急にもっと元気になったような、そんな感じがした。

あとは家に帰って、回線変更なんとか届けの番号を確認して、あのお兄さんに電話をして知らせるだけ。それ以外に何も必要ない。そしてここから3ヶ月割引がきいてタダになる。料金を5000円払い続けるのは馬鹿馬鹿しいことだったということがわかった。

生活を、より快適なほうにするには自分で動き出さないといけない。それにはやっぱりある程度のエネルギーが必要で、なにかきっかけがないと動かないものだから、タイミングや勢いに、ぐわっと乗ってしまうのは大事。そのためのセンサーとかアンテナとかは自分で研ぎ澄ましていないといけない。わたしの場合はそれが、持ち物を減らして身軽でいることからきている気がする。

家に帰って「めっちゃいい日だわきょう」と言った。2人は「ふーん、そう」と言った。お昼に何を食べるかという問題があるが、今日こそは子のいうことをきいてあげて、中華料理になった。特に食べたいものもないのになと思っていたら、まだ冷やし中華があった。驚いた。ここでは一年を通して食べられるのかもしれない。戻ってきたばかりのカメラで、1ヶ月ぶりの写真をいくらか撮った。夕方、友達から「誕生日会に参加してもいいか」というメッセージが届いて、これまた嬉しかった。とても嬉しかった。この日は本当にいい日だった。

Sunday, 12 October 2025

ヴィクトリア・ベッカム、サイゼリヤ

連休初日。2週間ぶりに土曜休みだ。9月末も、先週も土曜出勤だった。やっと普通の土曜日。朝から合気道に行った。納得いく動きはまだできないけどそれでもこの爽快な感じはやめられない。6時に家を出るので、日の出の時間が遅くなってきているのがよくわかる。段々と暗い時間に突入しつつある。

帰りに少し雨が降っていた。きょうはそういう天気予報だったっけ?

帰ると「おかえり〜合気道どうだった〜」という声が聞こえた。子が、なんと自分で朝ごはんを用意して食べている。びっくりした。バナナとクッキーを、きちんと皿に、さらにお盆にのせて、それからヨーグルトを冷蔵庫から出して、ひとりでもぐもぐしていた。そうか、「自分でできるでしょ」とふだん言っているから、自分でやったんだろうな。ひとりで食べさせるのは申し訳ない感じもするけど、私がいたって自分ひとりで食べることは多々ある。

それから小雨がずーっと続いた。クロスタータを作った。Netflixをみたらヴィクトリア・ベッカムのドキュメンタリがあったので見始めた。

昼は、蕎麦屋に行こうということになっていたがこの雨でどうしようかしばらく様子を見た。それでも、小雨ならいいだろうということで、カッパを着て自転車で行った。

こんな日に限って蕎麦屋は混んでいて、外で待つ羽目になった。予想が外れた。ようやくなかに入り、子は、セットメニューを頼んだが、カツ丼もそばも、どちらも食べた。こんなに食べるのかと驚いた。大人でもお腹いっぱいになるのに。

家に帰ってから、ヴィクトリア・ベッカムの続きを見た。面白かったけどデイヴィッド・ベッカムのドキュメンタリほどではなかったな。デイヴィッド・ベッカムのスピンオフ的に見えた。それでも、見ているうちに、洗練された服が着てみたいものだなと思った。

子は友達のうちに遊びに行ったが、そこにほかの子もいたので、仲間はずれにされたと言って不機嫌なまま帰ってきた。まあそういうこともあるだろう。学んでくれ。

夕方は、友達に会いに行った。5月ぶり。いつも行っていた店が、かわってしまったらしく、サイゼリヤに行った。これまた久しぶりだが、あまりにも変わっていなくて驚いた。そもそも、コロナを経ても値段が同じ。たいていのメニューが四百円以下。そしてなによりも美味しい。驚くことに、アブルッツォ名物のアロスティチーニがある。メニューをみる限り、イタリアに行ったことある人が考えているな、ということがわかる。もちろん「そんなのはイタリアにない」という食べ物もあるけど、日本人向けに作られていて、結局はおいしい。どれを頼んでもハズレはない。

注文が、QRコードからというのはそれほど驚かなかったが、会計までセルフレジになっていて、これにはびっくりした。コンビニと同じじゃないか。無銭飲食もいるだろうに、と思ったけど、その可能性を考えるよりも人件費を削減したいのだろう。

土曜の夜というのもあるだろうけどとにかく混んでいた。90分経つと店員がきて、退店を促される。無理もない。

3人で食べまくって、ちょうど六千円。ほかのレストランではありえないな。

小雨の降り頻るなか帰ったら8時だった。いつもと同じように9時に寝た。

Friday, 10 October 2025

ママは何分くらいで寝る?

今朝は曇り空で朝焼けが見えなかった。秋っぽくなってきた。きのう帰り道、自転車を走らせながらやっぱり10月は最高だなと思った。こんなにいい時期はないんじゃないか。ずっと続くといい。気持ちがいい。

カズオ・イシグロのthe Buried Giantを読み終えたあと、同氏の読みたい作品があったが、手元にはなく、Souvankham ThammavongsaのHow to Pronounce Knifeを読むことにした。このなかの一つはすでにMonkeyの和訳で読んでいるがほかの話は読んでなかったし、何よりも手元にあるのでこれにしようと思った。Kazuo Ishiguroを読んだあとだと、だいぶ簡単に感じる。そして一話をあっという間に読んでしまう。移民の話。かなり面白い。読みやすい。今朝は二話目を読んだ。

英語を読み慣れると、英語力がつく以外にいいことがある。そのなかの一つは、日本語を読むのが一気に速くなる(気がする)ということ。たまに、予約していた本が図書館に届いて取りに行く。たいてい話題の(日本語の)本なのだが、読んでみるとさらさら〜っと読めて翌日には返却できることがある。

きのう帰宅してみると、子はオンラインでわたしの父母と会話をしていた。家に誰もいなくて、ひとりでいないといけない時が最近よくある。それで、完全に1人にしておくより、遠くにいる祖父母とつないでおくという手段をとっている。これがとても助かる。

ほんの数ヶ月前、はじめて鍵を持たせたときのことを思い出す。私が帰ってくるまでの20分間、誰もいないことに不安を感じて1人でソファで泣いていたらしかった。そのことを思い出すとやっぱり1人にさせちゃいけないと思うのだが、今となってはその心配もいらなくなってきた。成長は早い。

きのうはあれだけ学校に行くのを嫌がっていたので、結局どうだったかと聞いてみたらやっぱり楽しかった様子だった。6時間だったけど、仲の良い子たちと一緒に帰ることができたようだ。仲間の存在はありがたい。そして信じられないことに運動会の練習が楽しかったらしい。「Yくんがやってるから、ぼくもやろうと思った」と。こういうのにすすんで参加することは滅多にないのに。家でもその音楽をかけて少し踊ってくれた。

Fがいない夜なので、不安はそこにあるらしい。「ママは、何分くらいで寝る?」と聞いてくる。わたしが先に寝て、1人で目を覚ました状態になるのを恐れているのだ。「何分で寝るかなんてわからないよ。」

8時前に「そうか、今寝れば、ママが起きてて、ぼくが先に寝られる」と言う。「早すぎるよ、大丈夫だよ」と言って、結局9時にふたりで寝た。どっちが先に寝たかわからない。この季節は暑くもなく、寒くもなく、深く寝るのに最適だ。

きょうもいい1日でありますように。

Thursday, 9 October 2025

きっとこれからも大丈夫

子がみるみるうちに大きくなっている。当たり前だけど。身長は140cmもあって、平均よりだいぶ高い。1年に10cmは伸びている。あっという間に中学生になるのだろう。給食のときに同じ班の人にしゃべっても誰もきいてくれないから、隣の班の人としゃべると、しゃべっちゃだめと言われる。だから学校に行きたくない、ぼくは辛い、ときのう言っていて、それくらいなによ、大したことないじゃん、行ってらっしゃいと言って送り出した。そもそもしゃべってはいけないことになっているんだったら、それは仕方ない。

この「学校行きたくない」は軽いほうだと思っている。「それくらい大したことないさ」がどこまで通用するかな、と思う。もしかしたら深刻な状態のサインを出してくれているときもあるかもしれないし、本当に大したことないのかもしれない。たいていのことは受け流せるが、そうではないときもあるかもしれない。

子は、学力だけならまだしも注意力が著しく低い。さらに自分を客観視することが苦手で、これを今、この集団内でやるとどうなるか、という想像はせずに行動する。給食のときに話を聞いてもらえない、というその様子がわたしには想像できる。成長とともにできるようになっていくものだろうと思っているが、本人としてはそれがつらく、さらになぜそうなるのかわからないこともあるかもしれない。

いっぽうで人と違うことはいいことだ、と思っているのも事実。人の言うことをきかなかったり周りの状況をみなかったり、ということにつながる原因の一部でもある。ありのままを受け入れるとは言え、集団で過ごすなかで身につけるべき作法はある。

とは言え、暗くならないようにしたい。何があっても、暗くならないように。わたしの祖母の、太陽みたいな笑顔を思い浮かべる。

自分の育ってきた家族、環境にはたくさんの人がいて、だいたいいつも明るかった。誰かひとりが明るいというより、そこにある空気が明るかった。ほどよい距離感のもとに、いつも冗談と笑いがあった。それは個々人の努力によるものだったはず。わたしにはその、よい空気の影響が幸いまだあって、ここにいても大丈夫だと思える。しっかりとした基盤を18年間で築いてもらったので、きっとこれからも大丈夫だと思える。

Wednesday, 8 October 2025

"The Buried Giant" 読んだ

とうとう読んでしまった。
9月に入ってから読んでいた、カズオ・イシグロの"The Buried Giant"を今朝ついに読み終えた。8月、夏休みのあいだに同氏の"Never Let Me Go"を読んだことがきっかけで「私も英語の長編読めるのか」と思い、本棚にあって読んでいなかったthe Buried Giantをやっと読み始めたのだった。(本棚を新調して、手に取りやすくなったのもあるかもしれない。)

すごい話でした。ファンタジー小説に興味はなかったけど、これを読んではじめて面白いと思ったしわたしがイメージしていたファンタジーとはだいぶ違った。Never Let Me Goに負けず劣らず、深い深いテーマ。だけどNever Let Me Goほどの衝撃はないかもしれない。最後のシーンの意味するものはなんだろう、と思わずにはいられなかったのでいくらか読後の感想をネットで読んでみた。なるほど、と思うものがいくつもあった。

よくわからないままの箇所がいくつかあり、あとから日本語訳を読んでみたい、と思ういっぽうで、英語で読んだままの雰囲気を保っておきたい気持ちもある。たとえばドラゴン退治のシーンはよくわからなくて、本当に何度も読み返したけど、それでもわからない。でもそこに並んでいる単語以上のものはないはずなので、それが読めたらあとはもうこちらが想像するしかないのだろう。

ドラゴンだけでなく、ogre(怪物)やpixie(妖精)なども出てくる。前知識のある人は読みやすいんだろう。5、6世紀の英国が舞台なので、使っている言葉も違う。旅をする老夫婦の話だが、そもそも「道」というものが存在しないころの話。霧に覆われた草地を想像するには、英国に行ったことがあるとより良い。もう20年前、長距離バスで英国を移動するときに見た、絵本のなかのような風景を無意識に思い出していた。羊がいて、霧がかかっていて、寒い、そんな感じ。

インターネット閲覧のできる機器、つまりPCやスマホ(もってないけど)やタブレットが身近にある環境で読書に集中するのはわたしにとってとても困難である。たぶん意見を同じくする人は世の中にたくさんいるはずだ。

それが夏休みに一冊読めたのはなぜかというと、朝起きてから1番最初に読んだから。タブレットを開くより先に本を開くようにする。実は、8月から実践し始めたわけではなく、以前から「朝起きたらまず英字新聞」とか「ビジネス英語のビニエットを一つ聞く」とか自分に課すようにしていた。8月はそれが本にかわっただけのことだが、出会った本が良い本だったので継続に至った。しかも朝はほかの音がないので読むことに集中しやすい。

話に入り込みづらいかと思っていたがしばらくすると慣れてきて、いつの間にかその世界に浸かっていた。毎晩、「明日の朝、またあの世界に戻れること」を楽しみに寝ることができた。ぜんぶで17章、345ページある。1日一章読む日もあれば3ページしか読めなかった日もある。それでも毎日読めた。

こういう読書経験を、もっと若いときにできたらどんなによかっただろうなと思う。今からでも遅くはないけど、若い時に読んでいたら人生にはまた違った深みが出たにちがいない。それでも、英語でこれを読むとなるとやっぱり今ぐらい語彙力がないと読めないだろう。

さて明日からは何を読めばいいだろう。まだもう少し、6世紀の英国にいたいような気がする。

Wednesday, 24 September 2025

朝焼け、25m泳げた

23日、祝日。22日は、翌日が休みだとわかっていると「やれそう」な気がする。1日、やる気を保っていられるし生産性が上がる。「いつもこうだといいのに」「でも実際そうだと、どうなるだろうね」と子と話しながら考えた。逆にやる気が出ない、という人もいるのかもしれない。

祝日であれ5時ごろ起きる。朝焼けを見るのが楽しみだから。きのうは特にきれいだったので屋上まで上がってみた。この空は私のもの、と言いたくなるような、全方向にわたって包み込まれるような感じがした。絶景だった。寒くもなく、暑くもなく。見渡す限り人もいなくて音もない。みんな眠っているのだろう。

早起きは三文の徳、というが、得するのは三文どころではない。まさに値段にできない価値があると思う。これを見られたら、その日1日気分がいい。ふとした瞬間に「今朝はいいことがあったんだ、そういえば」と思い出して、自分のラッキーさに「ふふふ」と心のなかで笑う。わたしだけが知っている、そんな感じ。

見られるのは朝のたったの10分、いや、それ以下かもしれない。1分ごとに写真を撮ってみたが、どんどん色が変わっていって、普通の空になる。

前日の夜、カメラを落として壊れてしまったのでi padで撮るしかなかった。

そのあとは、また違うレシピでクロスタータを作った。子が起きてきてしばらくしてから、約束どおりにプールへ行った。約束どおり、といっても子にとっては「しぶしぶ」である。それでも行った。9時過ぎから行くことにしていた。

人が少なかったのもあって泳ぎやすかった。どうしても脚が伸びないので、「けのび」の練習をした。そうすると、そのまま最後まで泳いだ。フォームはめちゃくちゃで、犬かきとクロールと背泳の混合のような泳ぎだが、とにかく足をつかずに25mを泳いだ。これは大きなことだ。

3年生ぐらいで25m泳げるといい、とずっと思っていたのだがついに泳いだ。どれだけプールに連れて行ってもすすんで泳ごうとはしなかったのだが、きょうは泳いだ。溺れるんじゃないかというような泳ぎを、歩いて追っていきながら、息継ぎをする一生懸命な顔が見えて、ああ、がんばってる、と思った。ちっともいうことをきかないのに、こんなことができたのか。細かいことを教えたくなるけど、あんまり心配しなくても良いのかもしれない。指示に従わなくても本人のなかでは育っているなにかがあるのだろう。

泳いだ本人は、達成感でいっぱいで、「もっと泳ぐ」と言い、結局25mを4回泳いだ。連続ではないけど。こうしているうちにだんだんとフォームも整ってくるのかもしれない。

22日の夜、なかの良い友達が水泳教室に通うことになった、ということを知ったのがきっかけかもしれない。「じゃあ一緒に通ったらいいじゃん」と提案してみた。当然ながら拒否する。「水泳教室に行くくらいだったら、いつものようにパパとママといっしょにプールに行って自分で泳ぐ」と言う。まあそうだろうな、と思ったし、気持ちはわかる。なのでこのあたりで、水泳教室に行かなくても泳げる、という姿を見せたのかもしれない。

というわけで23日はとてもいい日だった。

Tuesday, 16 September 2025

レゴ、クロスタータ

 床にレゴが散らばっている。ここ数ヶ月、(いや、1年かも)子がレゴをやらなくなった。「あれだけやってたのになあ」と懐かしさと寂しさを感じていた。それが夏休み終わってから急にまたレゴをやりはじめた。わからないものだなあと思う。何を好きになるかは強要できないし本人しかわからない。

イタリアに行く前にガンダムが好きになり、飛行機に乗る前にお土産屋さんでガンダムのプラモデルを買い、イタリアから戻ってきたら誕生日プレゼントに友達からレゴとガンプラをもらった。そういう連続したできごとが重なってまた手の感覚が戻ってきたのかもしれない。プラモデルとレゴは違うけど似たところはある。プラモデルについて全然知らなかったけど同世代の、同僚に言ったらすぐに食いついてきてガンダムについて語り始めた。「自分は、プラモデルに育てられた感はあるなあ」と言っていた。曰く「レゴのような創造性はないけど決められた手順に従ってやっていくという面ではプラモデルはかなりよい」と。なるほど。

おとというちに遊びにきた息子の友人も同じようにガンダムが急に好きになっていた。よくある、友達から受けた影響だろうかと思っていたら、そうとも限らないらしい。迎えにきたその子のお父さんと話していたら、街を歩いてて出会った看板だったか映像だったかを見て「かっこいい」と思ったらしい。我が家も似たようなもので、たしか「映画見に行こうか」と話していた時にリストのなかにガンダムがあって、それを見てガンダム見たいと言い出した。(結局わたしが行きたくなくて見なかったけど。)時代を超えて、小学生男子に共通して刺さるものがあるらしい。

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久しぶりにクロスタータを作った。真夏を抜けて、少し涼しくなり、やっとバターが使える季節になってきたため。それでも生地は、さっさと作らないとベロンベロンになるのだが、ああもうと放棄したくなるほどではない。イタリアのクロスタータみたいな、がっしりどっしりずっしり重いやつを作りたくて、いつもの倍の量で作った。小麦粉250g, バター125g, 砂糖はうんと減らして60g(それでも多い)。卵は1個。かぶせる帯の部分を作るのに波型にしたかったので、パイカッターを買うことにした。届くのが楽しみ。

焼きながら「イタリアのバールにあるクロスタータってどんな色だったっけ?これまだ白いよね」と子に聞くと「うーん、いいんじゃない?大事なのは見た目より、美味しいかどうかだから」という答え。その通りです。

Monday, 15 September 2025

3連休の記録

3連休。

土曜。朝は合気道。気持ちよかった。帰ってからパンを焼いた。美容院も行った。午後は届いた砥石をつかって包丁を研ぐ。研ぎ屋さんに持っていこうかとも思っていたけどやっぱり自分で研いでみたかったので石を買った。Youtubeのガイドに従って見よう見まねでやってみた。これでいいのかどうかはわからないけど、確実に研ぎやすくなった。よかった。買ってよかった。

日曜。午前中にプールへ。パンとチーズケーキを焼いた。昼は家で食べて、午後はごろごろしながらNetflix。子の友人が来た。ガンダムとかマイクラとかで遊んでいる。海外で働いている友人が帰国しているということで、夕方から会いに行った。「行こうかなどうしようかな」と迷うこともない。しらせを聞いて即、行こうと思った。何年ぶりに会うか覚えていないほどの「久しぶり」であっても、あっという間に18歳ぐらいに戻るので、やっぱりあの頃の友人というのは貴重だなと思う。恥をさらしてきたのでもはや恥ずかしいことがない感じ。とても楽しかった。たくさん笑った。

月曜。きのう寝る時間がおそかったので起きるのも1時間遅かった。朝焼けを見逃したがまあ仕方ない。この季節の朝焼け、ちょうど5時ごろの、ほんの数分間がものすごいのだということを、私は知っている。知らない人がほとんどだと思う。空が燃えるようになる。オレンジのような、赤のような、ピンクのような。これがほんの数分間で終わるので、朝起きて見られるとボーナスのように感じる。明日こそ見る。

午前中から図書館に行った。文春とダンチュウを読んであっという間に昼になった。いつものレストランで、3人で昼食。2人で乗れる自転車が壊れかけていて修理に出されているのでわたしと子で歩いて帰る。

今朝は起きるなり「マイクラを何分やるか」の話で文句をたれていたので、私はもううんざりした。それで、結構ひどいことを言ったのに、数時間後こうやって平和に2人で歩いて帰る。悪かったな。。。こうやって私の嫌味がこの子には蓄積されていくのだろうか。悪かったなと反省してももう過去は元に戻らないし、なんとかしなければと思うのに、繰り返してしまう。こんな親いやだな、と思うような親に、みごとになっている。自分が母親にされて嫌だったことを、みごとに繰り返している。自分に嫌気がさす。カウンセラーの先生は、「そういうときはちょっと離れたほうがいいですよ」と言っていた。ため息が出る。

こうやって、あっという間に3日間がすぎる。

Thursday, 11 September 2025

Billyがきた

 ビリーが来た。

…と言っても人ではない。本棚です。あの、IKEAの有名な本棚。

20年くらい使っていた本棚に満足していたはずだったけど、一番下の段が壊れて、しかも本が溢れかえるようになってきて、ここ数年、この本棚をどうにかせねばと思うようになった。

そもそも本棚ではなかった。francfrancの、はしご状の棚(文字どおり、ラダーシェルフとかそういう名前だったと思う)で、本棚としても十分使えるものだったのだが、本にとっての「屋根」はなく、つねにむきだしなのでほこりはたまるし、本は傷むし、日焼けもすごいので背表紙は色褪せてもはやなんと書いてあるかわからないものもある。わたしの頭のなかの「やることリスト」には常に「本棚の整理」があったのだが、整理するにあたって本棚を変えたほうが良いように思っていた。

持ち物を少なくするにはこのはしご本棚でよかったかもしれないけど、同じ少なさでももう少しいい状態で本を保てるはずだと思った。

というわけで検索すること5年以上…。

買い換えようかなと思ったのはコロナのあたりからだった。しかしこれといったものもないし、そもそも思い切れない。どこかで「えいやっ」と動かなければいけないけど「まあいっか」で毎日が過ぎて行く。本棚なんて緊急のものではないから。

それがなぜIKEAになったか。

この夏休み、ひとりで先にイタリアから帰ってきていたときになぜか検索と「替えるぞ」パワーがみなぎってきた。夏休みにイタリアでIKEAに行ったせいかもしれない。別に家具を買いにいったわけではなく、お昼ご飯のために行った。(まさかイケアのホットドッグをイタリアで食べることになるとは思いもしなかった。)そしておじいちゃんおばあちゃんの家で話していると「これはIKEAなんだけどね…」という話がよく出てきた。

生活をよくしようと思うパワーはこういった長期休みに別の場所に滞在してインスピレーションを得たときに出てくる場合が多い。壊れていたライトもやっと捨てたし。何年か前にこどもの机を買って組み立てたのも8月末だった。やっぱり休みは良い。別の場所に滞在するのは良い。自分の生活をいったん離れてこそ感じたり思いついたりするものがある。

まさかビリーに落ち着くとは思わなかったけど。

イケアのオンラインショップで買うと5000円くらいで済むのだが配送に5000円くらいかかる。いっぽうで楽天で探してみると全部込みで1万円くらいで買える。スーパーセールの買いまわりついでにここで踏み切ったというわけ。

きのう届いたので、時間がある日にやってしまおうと思い、午後を使って組み立てた。本を出すのがたいへんだった。手にとってようやくわかる「これいらんわ」がたくさんあって、何冊も処分することにした。本というより、ノートや日記類。思い入れはあるけど見直すことはまずない。こういうときは外から見えない、透明ではない袋に突っ込む。

40cmx2mで、いままでよりだいぶスリムになった。そのぶん、高さがある。ひとつひとつの高さを変えられるので良い。それにしてもシンプル。シンプルなのがいちばんよい。ようやく本たちに「屋根」ができた。

入れ替えは夕方までかかって、夕飯の時間がおされ気味だったので後半はあまり考えずにとりあえず突っ込んだ。もうすこしよくながめて、配置しなおすつもり。それもまた楽しい。

Wednesday, 10 September 2025

平日休み1日目

 土日勤務だったので火、水が休み。平日休みは貴重なので何かやること(病院とか美容院とか)を詰め込みたくなるのだがこの夏休みに何もせずに1日を過ごすことを学んだので「空けたまま」の1日を過ごすことにした。

とは言え、合気道の朝稽古は優先順位として高い。前日からそのつもりで過ごした。前の日に「行くぞ」と思っていないと、朝稽古は、起きてから思いついて行けるものでもない。

いつもよりうんと多くの人が来ていた気がする。体を動かすとスカッとして気持ちよかった。

子を送り出した後、洗濯。それから本を返却したり買い物したりしていったん家に帰り、荷物を置いてそのあとすぐに図書館へ。心ゆくまで雑誌を読んだ。いや、もう少し時間が欲しかったかな。まだ読みたいものがあったけどいつの間にかお昼になってしまった。

わたしに欠けていた時間はこれだったなとあらためて思う。図書館で静かに読むこと。夏休みの間ずっと行けていなかった。あらゆる雑誌が新しい号にかわっていた。

それだけなのだが、たぶん私はどの街に住んでも図書館を必要とすると思う。読書家ではないけど図書館でパラパラと雑誌をめくるのが、必要だ。まるで食べ物から得る栄養のように。

新しくなった週刊文春も読んだ。文字の数が減っている。一段あたりの文字が、13文字から12文字になったらしい。読みやすくはなった。表紙の絵も変わっている。新しい連載も始まっている。阿川さんと綿矢りさの対談は面白かった。

帰ってから、サラダと豆腐を食べて、ドラマを見て、しばらくしたら子供が帰宅し、焼きそばとカレーを作って、あっという間に夜になった。こうやって終わる代休。

Monday, 8 September 2025

Never Let Me Go

夏休みの間ずっと読んでいた"Never Let Me Go"をやっと読み終えた。カズオ・イシグロの名作。
もしかすると長編を英語で読んだのは初めてかもしれない。20章以上あるので、1日1章読めればいいかなと思って読んだ。読んだ直後の、今の気分は、うーん、たいへん暗い。そういう話なので仕方ない。いくつか私がわかっていなかったことを、さっき検索してみたら、そういうことだったのかと判明して余計に暗い。架空の世界の話なので、想像しながら読まないといけない。そして英語なので、はっきりわかっていないまま読み進める箇所がある。これはカギなのだが"complete"という語="die"であったことを読んだあとに知って、愕然となった。読みながら「これはあとで日本語訳を読もう」と思う箇所がいくつかあった。

Kindleで読んだので、本の厚さとしてどれくらいだったのかわからない。それでもあきらめずに読めたのは、英語が簡単だということ。難しい単語はほとんどないし、文が短いので読みやすかった。主人公の幼少期から語り始められるので、もしかすると言葉遣いも平易かもしれない。

話自体も面白いが、状況が曖昧にしかわからないのと、現実にはあり得ない物語なので共感しにくいところはある。あまり感情というものが出てこない印象。登場人物が怒ったり泣いたりする場面はあるけど、唐突な感じがする。怒るに至るまでの感情がわからない。主人公目線で書いてあるからかもしれないし、あえて抑え気味なのかもしれないし、もっとあり得るのは私が英語の読書に慣れていないせいかもしれない。そうであっても、この本を読んだことある誰かと語りたい気分。

英国に行ったことがあると余計に想像ができるので良いです。空気の感じとかつかめるかも。

夏の間にがっつり読書を、と思っていたのでNever Let Me Goに出会えてこの夏はよかった。これでカズオ・イシグロは読めるとわかったのでほかのものも読んでみたいと思っている。

Sunday, 7 September 2025

8連勤とアルファルファ

もういい加減にこの暑さに疲れてきたなあ。雨が降る前よりだいぶマシになったと思うけど、それでもこの季節はもっとこう、スーッと風が吹いてほしい。もう体力がもたない。今週は土日勤務で、9月第1週は長い。8連勤。毎年のことだ。きょうは7日目。

なるべく元気に過ごしたいけどまだ身体は夏休みボケから戻りきっていない気がする。明らかに筋力が落ちている。しかし9月になって仕事が始まったら、いっきに眠りが深くなった。やっぱり労働はいいらしい。過剰はよくないけどある程度働いてこその人間なんだろうな。そして人の役に立つというのはやっぱりいいことだ。イタリアにいる3週間、それはもうストレスなく過ごせたのだが、最後の1週間は「ここで誰にも必要とされていないこと」にストレスを感じはじめた。このまま、私がいてもいなくても、ここの人たちは誰も困らない、という事実に気づくと、やっぱり人に必要とされるというのはいいことなんだなと思う。そういうもんだろう。それに気づくのも長期休暇の意味なんだと思う。

毎日、葉野菜(レタス、ケール、水菜など)を昼に食べていたが新鮮で体に良いものを手に入れる余裕のないときもあって、最近は葉野菜なしで職場に昼食を持って行くことがある。かわりにふと手に取ったのが「アルファルファ」で、とくにおいしいとも思えないがとりあえず持っていっている。どういう栄養があるのだろうか。どうせならブロッコリー・スプラウトのほうが栄養がありそうだが、アルファルファはオーガニックな上に1回分がパックに入っていて手軽で便利。

ちなみにアルファルファは英語で書くとalfalfaで、毎日やっている単語つづりゲーム「スペリング・ビー」の常連である。AとLとFだけでできる単語。

Wednesday, 3 September 2025

世田谷の事件

 9月になったが暑すぎる。具合が悪くなるくらいの暑さだ。これから夏はずっとこんな感じなのか。どう耐えていけばいいのだろう。イタリアから帰ってきた日よりもずっと暑い。9月になっていよいよ本格的に暑くなってきた気がする。

仕事や学校が再開していきなりがんばりすぎると間違いなく倒れるのがわかっているので、ぼちぼち働こうと思っているが、この暑さでは何もしなくてもぐったり疲れてしまう。

先日、世田谷で起きた事件がどうも心にひっかかっている。

まず、身近だったという点。事件現場も犯人が逃げたルートも、ぜんぶわかる。羽田空港国際線の出発ロビーもタクシー乗り場もついこの前通ったし。

そして被害者と犯人が日本国籍でなかったという点。国籍がわかった途端に、なんとなく「日本人じゃないのか」と、突き放すような、「うちの子じゃないし」的な空気が漂ったように思う。漂うといっても、どこに漂うのかというと世の中に。なんとなく私が推測した、ぐらいのものでなんの証拠もない。ニュースのコメント欄には結構ひどいことが書かれていて、うんざりした。ひどいコメントが書かれるということぐらいはどんなニュースであれ推測できることなんだけど。

これでますます「外国人はあっちへいけ」という空気が高まるのだろうか。日本国内で事件を起こすな、と。

国籍とか国境とかは、つまり、何なんだろうな。

そういえば、捜査員が羽田で犯人と歩く写真を見て「このなかの誰かが韓国語で接しているんだろう」と思った。必ず通訳がいるはずだ。どういう立場で雇われるどんな種類の通訳なんだろう。韓国語ができるというだけでは、こういう事件にかかわる通訳にはなれないだろう。それとも韓国語の話せる警察がいるのだろうか。ほかのニュースではそれほど気にならないのに今回のはそういう言語の点が気になった。

Sunday, 31 August 2025

時差ぼけ、こんなに暑い誕生日

 29日と30日の夜は寝ることができた。

【29日】

30日(土)は合気道の朝稽古に行くつもりでいたので、それに向けてちゃんと寝ようと意気込んでいた。寝るのに意気込む、というのもへんな感じがするが、なんてったって1ヶ月以上ぶりの合気道なのだ。優先順位は高い。体調は整えておきたい。

9時から10時の間に寝入った。

【30日】

朝は5時に起きられた。途中、子に起こされもしたが眠れなくて困ることはなかった。29日は仕事再開2日目だったというのもあるかもしれない。ある程度ストレスがかかっているぐらいがいいのかもしれない。合気道には遅れずに行き、やっぱり行ってよかったと思った。体が思い出すまでに少し時間はかかったけど、やっぱり気持ちが良いと思った。めぐまれた環境にいる。これからも合気道に通える位置に住もう、と思いながら帰った。その後は一日中、エアコンのなかで過ごした。暑すぎて外に出られない。リンゴジャムでタルトを作った。それからバナナとココナッツのドロップクッキーと、パンも焼いた。久しぶりに日常が戻ってきた感じ。

体を動かしたおかげか、この日の夜もスーッと眠れた。

【31日】

今朝も5時に起きた。やっぱり5時台の起床が良いのだろう。Ruby Thandorという人がいて、知っている人はすぐにわかるだろうけど、「ブリティッシュ・ベイクオフ」にかつて出てきた人。この人が最近、The New Yorkerでブリティッシュ・ベイクオフについてのエッセイを書いた。Inside the World of "The Great British Bake Off". どうにかして読めないかなと思っていたら、今朝、朗読を聞くことができた。30分近くかかる。これは偶然かもしれないと思っていたら、どうやらきょうついにpaywallがはずれて無料で読めるようになっているらしい。スクショもコピーもして、ソファに寝っ転がってi padで読んでいたらだんだん眠気がおそってきた。10時ぐらいだったか、少しわたしは寝たようだ。午前中にに眠くなるなんてとても珍しい。やっぱりまだ安定していないなと思った。

きょうは子の誕生日なので朝からお祝いをしたところだった。無事に大きくなっている。きのうの夜は「なんでかわからないけど悲しい気持ちになる」と言っていた。なんでだろう、と言いながらいろいろな可能性について2人で話してみた。イタリア、日本間での混乱があるかもしれないし、そもそも毎日きちんと眠れていないのは原因として大きいかもしれない、そしてもうすぐ学校が始まるので戸惑いがあるかもしれない、など。大きくなっていろいろ感じたり考えたりできるようになっているので、ものごとが単純にいかなくなるのは自然なことかもよと言った。

それにしてもこんなに暑い誕生日があっただろうか。きょうは外に人影がない。災害と似ている。

Friday, 29 August 2025

まだまだ続く時差ぼけ 真夜中の自由研究

きのうはリハビリの4時間勤務で、3時ごろには帰宅できた。

職場で子育て中の同僚が「終わった?宿題」と聞いてきた。毎年のことだ。子の宿題は終わったがこれから自由研究が待っている。

というわけで夕方から張り切って自由研究に取り掛かる。もはや親である私の仕事になっている。これを言い始めるとキリがないが「私が小学生のころはこうじゃなかった」。すすんで自分でやっていたし親に手伝ってもらうことは、もはやなかったと思う。これがどの子にも当てはまるわけではない、ということはこの数年で身に染みて理解している。宿題は、もはや親の宿題。お膳立てをしなければいけない。

もっとも意味と価値があり、効率よくできる自由研究は、イタリア滞在のまとめだ。はさみとのりを持って、作業が始まる。

「きょうこそちゃんと眠りたいよね」とお互いに話す。前夜のことを考えると、もう辛さしかない。

キャベツを買ってきたことを話すと、お好み焼きが食べたいというので、冷凍してあった豚バラを使って夕飯にお好み焼きを作った。大きなのを2枚焼いて、1枚は明日にでも食べられるようにしておく。久しぶりに作ったけどうまくいったようだった。

そしていざ夜になり、9時に横になった。「ぼくより先に寝ないでよ」と言いながら子はさほど問題なく眠りについた。よかった。きょうこそ眠れているじゃないか。

問題は私である。全然眠れない。少し眠りがやってきたかと思うときがあるけど結局眠れない。11時半ごろ、諦めて起き出すことにした。

こういうときはやはり単純作業が良いので、自由研究の続きをやることにした。のりとはさみを持って、無心に作業をする。ちょうど12時になったので、寝てみたら、それほど長い時間経たずに寝られた。

翌朝、これで7時まで寝てはいけないと思い、自分に鞭打って5時過ぎにアラームをセットしておいた。なんとか起きてきて今にいたる。当然、睡眠不足。

気づいてみたら自分が帰国してもう1週間以上経っている。この1週間は寝不足に起因する便秘肌荒れ頭痛もずっと続いている。しかも暑い。

通常運転に戻るには、やっぱり1週間以上かかる。

先日ふとコーヒーの香りがしたときに「あ、イタリア…」と思った。嗅覚は記憶と結びつきやすいというが、本当にそうだと思う。帰国して数日はイタリアが恋しいと思わなかったけどここ最近はすでにイタリアのいろいろなものが懐かしい。今すぐ戻りたいというわけでもないけど、食べ物と、テレビの音と、外の空気と、石けんのにおいと、空の色と…と日常のいろんなものが、今自分の手に届かないところにあることがもどかしい。すでに来年の夏もきっとイタリアに行くんだろうなと思っている。

Thursday, 28 August 2025

時差ぼけ日記

時差ぼけのせいで我が家はたいへんなことになっている。

24日〜26日まで、私は泊まりがけの仕事があった。いっぽう、26日には家族がイタリアから帰国。私だけ先に帰ってきていたが、これで3人そろった。

私はだんだんと時差ぼけから回復しつつあったが、この2泊の仕事は疲労がたまる上に睡眠が安定せず睡眠不足に陥った。それに加えて異様な暑さで、最終日は頭痛がして「これはもしかして熱中症のはじまり…」と感じた。

問題は、子である。26日は飛行機で眠ったと言っていたが、その後全然眠くなることもなかった。夜はおそらく10時ごろには寝たが、3時半ごろ「ぼく眠れない」と言って我々を起こす。眠れないのはわかるが起こさないでほしい。こっちだって寝たい。

それから27日、きのうの朝は、私も8時過ぎまで寝て、子は9時まで寝た。放っておくと昼まで寝そうだったので9時に起こしたのだった。幸い、27日は用事を入れておらず、仕事も休みにしていたので家で過ごした。片付けたり、勉強させたりしながらゆっくり過ごした。

夜9時ごろ、寝ようとしたが子はまったく眠くない。放っておいて私は寝た。子がその後眠りについたのかどうかわからなかったけど、例によって夜中「ぼく眠れない」が始まった。「もういい加減にしてよ」と言いながらも、いったんおこされるとこちらも再度入眠するのはとても難しい。さらに時間が経った頃、ようやくこちらも夢に入りかけたときに、次は子が泣き始めた。しくしくと。たまったもんじゃない。「ぼくはひとりぼっち」など、よく聞こえないが何か言っている。慰める余裕はこちらにもない。

3時。別の部屋に行って横になった。しばらくすると子がついてくる。「何してるのかなと思って」というので「1人にしてほしい」と言った。こちらも泣きそうである。

無理に寝ようとするのを私はやめて、ちょうど届いたばかりのアルバムで写真整理をすることにした。こういうときは無心になる作業がいい。

そのあと、時間はもはや見なかったけど、寝室に行ってみたら子は寝ていた。さぞつらいと思う。1ヶ月以上イタリアにいたのだから、もとに戻るには1週間では足りないはず。

しかしこればっかりは仕方ないのだ。私も横になって、寝た。そして7時ごろ、やっと起きてきたというわけ。きょうは仕事に行かねばならないのだ。

幸い、きょうは昨日より気温が下がったようだ。睡眠不足で頭がふらふらする。勤務時間を9時からにしておいてよかった。遅く行って早く帰ってくるつもり。その前に、きょうはせめて8時ごろには子を起こさなければいけない。そうしないと今夜もまたたいへんなことになる。

Sunday, 24 August 2025

『賢い医師生活』見終わってしまった

昨夜ブログを書きながら「眠いな」と思った。少し眠い、という程度ではなく猛烈に、しかも突然くる感じの眠気。気がついたらPCを開いたまま、座ったまま寝ていた。どれくらい時間が経っていたのかわからないけど、9時過ぎていたので1時間くらい座ったまま寝てたのではないか。普段はこういうことはまず起きない。時差ぼけならでは。

とはいえ、就寝時間は普段と結局それほど変わらず、9時過ぎで、今朝は5時過ぎに起きた。きょうは日曜だけど仕事です。そのために、家族より早めに帰国した。

きのうついに『賢い医師生活 シーズン2』を見終わってしまった。有名な大ヒット韓国ドラマ。見終わったらいつものように、寂しい。ロス状態。最終回の前は「もうこいつらに会えなくなるのか」と思うと、見るのをためらう。

いつもだったら「何を見ようかな〜」と、迷っている時間がとても長くて、しかも第1回を見たらそのあとから結構時間が空いたりする。第5、6回目あたりからハマってきてあとはどーっと見る、というパターンが多い。

しかしこのドラマは第1回からハマった。何か大きな事件が起きるというより、それぞれのストーリーがたんたんとしている感じで、それがよかった。病院の話なのでドタバタコメディ系とも違う。しかし深刻すぎない。

しかしこんなのよく作れるよなあと、感心する。韓国ドラマを見るとたいてい思うけど、今回のは12話x2シーズン=24話で、一話あたりが最低1時間半。2時間超えているものもあった。ひとつの映画が2時間と考えるとやっぱりすごい。

先日、友人がラジオに出た。日韓の制作現場を知る友人で、その違いについて話していたが、韓国は「若い」そうだ。つまり現場で働く世代が若く、動きも理解も早い。業界の新陳代謝が早い、と。ラジオの共演者は「日本の撮影現場では年配の男性が多くて恐縮する」と言っていた。なるほど、なんとなくそういう気はしていたけどやっぱりそうなんだな。そうじゃないとこれだけのドラマ作れないだろう。

イタリアにいる間も『賢い医師生活』を見ていて、「韓国行きたいな〜」と思っていた。日頃からなんとなく思っているだけで行動に移していない。次の春あたり思い切って行こうかなと考えている。

ちなみに『賢い医師生活』、わたしの好きな登場人物は、主人公5人は当然として、ト・ジェハクとチュ・ミナです。人間くささ?がいい。

Saturday, 23 August 2025

時差ぼけの記録

「今回は時差ぼけないかも?」と思ったら帰国3日目くらいにわかる、というのが毎回のパターン。というわけで記録。

【21日、帰国日】
途中までは前回の投稿参照。昼間に寝るのを1時間におさえておけば、夜はぐっすり眠る。9時過ぎに寝た。

【22日】
疲れているからといってここで寝たいだけ寝てはいけない(と思っている)。5時半に起きた。本当は5時に起きたかったけどイタリアではずっと6時半ごろ起きていて、いきなり5時台ではなくだんだん戻していくことにしようかなとおもった。6時台に買い物に行った。つめたいコーヒーを飲みたかったが粉がなかったのでスーパーへ。それからセブンイレブンでメロンパンを買った。9時に歯医者の予約を入れていたのだが、歯医者が終わってそのまま仕事に行ってみた。在宅勤務の予定だったが、ちょっと行きたくなった。自転車をこぎたかった。2時間だけ働いた。同僚はすくなくて、みんな休んでいるようだった。良いこと。翌朝きっと早く起きると思って、9時ではなく10時に寝た。

【23日】
いつものパターンでは、ここで崩れる。思ったとおりだった。朝3時台に目覚めた。もう全然眠くない。無理して寝るのをやめて、起きた。そのまま普通に過ごした。6時台に宅急便出したり。日中、ぜんぜん眠くなかった。これが、今、めちゃくちゃ眠い。書きながら寝てしまった。

Thursday, 21 August 2025

帰国しました


日本に戻った。20日の朝8時半ごろ家を出て、子を祖父母宅へ預け、車でフィウミチーノへ。高速道路を2時間半。アドリア海からティレニア海側へ、長靴のちょうど反対側へ行く形になる。距離にして180kmくらいあるらしい。

イタリアの高速を走っていると急に中世の村みたいなのが出てくる
絵本の中みたいだけど、普通に人が暮らしている。教会と広場があるのが普通。

高速は130kmぐらいスピード出ていて途中で「タイヤおかしい」と言い出すので生きた心地がしなかったです。送ってくれたFはそのまま帰る。朝からたいへんな苦労をかけてしまったので来年はおとなしく高速バスを使おうと思った。たとえ3時間以上かかっても。それにしてもありがたかった。

14:55発なので、12時半に空港に着けば十分と思っていたら12時前に到着し、だいぶ余裕があった。ターミナル1。ゲートの番号さえまだ決まっていない。チェックインは前日にオンラインで済ませたので荷物だけ預けた。東京行きのチェックインが、そもそも始まっているのかもわからないが、預かってもらえたのでこれでよし。

荷物を持って店などをうろうろ見て回る気力も特にないのでそのまま手荷物検査を終え、パスポートコントロールへ。手荷物検査はPCなどをかばんから出す必要はないのでかなりスムーズ。パスポートも、来たときと同じでThird Countriesに登録されている国は別のレーンから進める。自分でパスポートを「ピッ」とやって、終わり。

機内持ち込み荷物のメモ。最近はリュックと貴重品ポシェットを持っていたが機内で必要なもの(まくら、スリッパ、着圧ソックス、アイマスク、歯ブラシ)をがさっと入れられるものがあるといいなと思ってためしに大きな薄いトートバッグに入れてみたら行きも帰りもこれが便利だった。滞在している間も、特に買い物袋として大活躍だった。

ゲートはEのエリアだということだけわかっていたのでそちらに進んだ。ベネトンの店舗があったので見てみたけどあまり買う気にはならなかった。


奥の方に行くと簡単なレストランみたいなのがある。6年前もここで食事をしたなあ。あのときもゲートはEだったのかなあ。迷ったけど12.5ユーロの"Tuna Poke"にした。ツナのサラダです。だいぶ大きくて、おいしかった。このへんはやっぱりイタリアだよなと思う。一食分あるくらいしっかりした量。空港の12ユーロは仕方ない。日本円にして2000円超える。円安…

席についてゆっくり食べることができてよかった。今回はコンセントにつなぐ、形を帰るやつ(名前がわからない)を持ってくるのを忘れたので、ここで充電はできなかった。来年以降の反省。

搭乗時刻の1時55分がようやく近づいてきたので席を立って移動。歯磨きしたりして待っていたらEの21という案内が。トコトコ歩いて到着。乗客は、またしてもほとんどイタリア人。8割くらいいるのではないだろうか。行きもイタリア人多かったのに。これから日本に行くということは、夏休みをこれからとる人たちもいるのだろう。

帰りもITAエアウェイズの直行便。残念ながら機体は、間違いなくかつてのアリタリアのものを使っている。白いから。外から見てもわかるボロボロ具合だった。これで本当に飛ぶのか、と思いたくなる。

基本的に、席の掃除はされない。というか掃除自体されない。座席ポケットは埃だらけ。床も髪の毛だらけ。飲み物をこぼして固まった跡が席の脇のところについている。そして画面が汚い。タッチパネルなのにタッチしたくない。運ばれてきた食事をテーブルにのせると、すーっ、と前にすべってくる。何回やっても同じ。つまりテーブルがまっすぐじゃない。これは初めてじゃないし、以前は手で支えながら食べなければいけなかったので今回のは許せた。

極め付けは、トイレの鏡が割れている‼︎しかもテープで貼ってある…。これはひどい。ここにかける金くらいあるだろうに。本当にこれでスターアライアンスに入るというのだろうか。ルフトハンザに怒られないのか。怒られてほしい。

それでも直行便の魅力には抗えないのだった。

まず搭乗すると大音量でイタリアの歌謡曲がかかっている。降りるときも同じだった。周りを見回すと、行きと同じように、italo-giapponese 親のどちらかが日本でどちらかがイタリア人、という子供たちが結構いた。イタリア語と日本語が混ざって出てくる。聞いていて面白い。それに親が何語をしゃべるかも面白い。日本語を話すイタリア人のお父さんもいれば、イタリア語を話す日本人のお母さんもいる(←これ多い)。ただし居住はどこかわからない。こどものイタリア語の流暢さを聞くと、これはイタリア在住だろう、と思うけど。

見た映画は、ブリジット・ジョーンズの日記(最新作)、バードマン、ミナリ。どれもかなりよかった。

ブリジット・ジョーンズは期待を超える良さだった。自分に子供がいるのもあるだろうけど泣いてしまった。そして演技がいい。続編をつくると大抵コケるのに、この映画はよくなっている。昔のやつもう一回見たいな。あれでどれほど英語を学んだだろう。

バードマンは一度見たことがあって気に入っていたので久しぶりにもう一回見たくなった。レイモンド・カーヴァーの小説を舞台でやる、という設定なので、小説も読み直したくなる。それにしてもカメラワークがすごすぎる。有名な話だが、この映画は2時間ずっとカメラの画面が切り替わらない。すごい映画だと思う。

ミナリ、これがよかった。韓国ドラマを見るようになって以来、欧米の映画やドラマを連続して見ているともの足りなさを感じる。嘘くさい、とまでは言わないけど自分から遠い感じ。ということで「ミナリ」を見た。とてもいい映画だった。案の定、たくさんの賞をノミネート、受賞しているらしい。

あとはひたすらテトリスをやって、到着まであと3時間というときにアイマスクをつけてみたらいつの間にか寝ていたようだ。2時間もないくらいしか寝ていないけど、なんだかそのあとがすごく楽だった。

揺れさえなければもう少し寝ていられただろう。あんなに揺れたのはきっと機体が古かったからじゃないのか?(と思いたくなるくらいボロボロの飛行機だった。)

到着と同時に拍手が起きて、旅の最後までイタリアだった。行きの飛行機よりさらにイタリア人が多いフライトだったし、これから日本観光をするワクワクでいっぱいの人たちなのでこうなる。

10時すぎに着いたので11時間半くらいで到着したことになる。たいていはほぼ寝ない状態でふらふらしながらリムジンバスに乗るのにきょうは余裕があり、しかも帰宅してから洗濯や荷物の片付けもできた。倒れ込むように寝ることはなく、2時から3時まで、1時間だけ寝た。

「すん」としていて静かな日本。これだけ人がいるのに電子音しか聞こえない。
そのあと買い物したり郵便ポストのチェックをしたりして今にいたる。

帰ってきてからの感想:

日本はまだまだ暑い。久しぶりに、ちょっと歩くだけで汗が出ている。まだ夏休みという人たちもいるのだろう、なんだか静かな感じもする。帰国してもいつもより「わー、久しぶりだなあ」という感じがしない。なぜだろうか。

気持ちがいいと思うことと、寂しく感じること:

東京は、人がきびきびと働いて、あちこちがキュッキュッと磨かれている。いいなと思う。いつもどこかで誰かがペコペコしている。日本の人は体が小さくて、細い。

バスから建物を眺めながら、こんなに狭いところに、こんなにたくさんの人がいるのに、整然と機能しているというのはやはり奇跡的なことだなと思う。その代わり一人一人の抱える我慢の度合いは高いし、ほかの文化圏の人たちが気づかないところまで気づくがゆえに、神経を使っている。無意識に。

仕事で頑張っている分なのか、ほかの場面ではコミュニケーションをとらない。とるのが下手、なのではなく、とらないのが普通。たとえばバスに乗車するときに挨拶はしないし、スーツケースを運転手から渡されても「ありがとうございます」の一言は出ない。

それでも、去年に引き続き、帰国して「日本いいな」と肯定的に感じている。豆腐と納豆が気軽に買える。自転車でどこにでも行ける。すぐ近くに病院も歯医者もある。銀行や役所が決められた通りに動いている。落ち着いていて、静かで、余計なことに口出ししてこない、黙っているだけで自分のテリトリーに誰かが入ってくることはない。出産やコロナを経てものの見方も変わった気がする。イタリアと日本、それぞれのいいところを都合よく使いながら生きていくつもり。

Wednesday, 20 August 2025

明日イタリアを出る

16日のパリオは、私が見たのは別の街のパリオだったらしい。まさかシエナ以外の街でもやっていたとは。翌朝にインターネットで見て、全然違うな…と思って、おばあちゃんたちに聞いたら、シエナのは4時過ぎからだったということがわかった。というわけで、一体いつ本物を見られることやら。

さて、明日イタリアを出発する。しかも私だけが出発するので、なんだかもう悲しくて仕方ない。

夏休みは間違いなく楽しかったし充実していた。リラックスできた。その日の朝になって「さてきょうの予定は…」と考えるという理想の休暇の過ごし方だった。きょうの予定は…と言っても特に何もなく過ごすことも多かった。基本的に文字通り、食べることと寝ることばかりを考えて過ごした。

食べ過ぎ飲み過ぎには気をつけて…いたけど、途中から規制が外れて、毎日ワインを飲んでいる。ビールもおいしい。何も気にせずダラダラ過ごしている。

朝起きて、扉をあけると猫が待っている。どこの猫か知らないけどエサあげることになっている。

子が撮った。

それからカフェッティエラでカフェをいれて、外に出て、山を見ながら本を読む毎日だった。KindleでNever Let Me Goを読んでいる。いま6割くらい読んだ。私が長編を読むのは珍しい。音のない環境で、だいぶはかどった。
庭で座って遠くを眺める。目が良くなる。これは朝。

結局ずっとアブルッツォ州にいた。どこかに行きたいともそれほど思わなかった。ずっと前とはイタリアの楽しみ方が変わったと思う。その年齢ごとにものの見方も変わる。

車から見える景色。アブルッツォはどんなところか、と聞かれると「モナリザの背景の丘みたいな…」と説明する。

どこかに行きたいと思わない理由のひとつにオーバーツーリズムもあるだろう。観光地にいってもどうせ観光客ばかりだと思うと、わざわざ人のいるところに行きたいとは思わない。東京で、日々あれだけたくさんの人たちを見ているので、むしろ静かに過ごしたい。

そして、買い物したいと思わない。この違いは20代、30代と違う。円安もあるだろうけど、イタリアに限らず、何かを買いたいと思わない。今回買ったのは、日曜日のメルカートでシャツ4枚。合計50ユーロ。

きょうはグアンチャーレを使ってアマトリチャーナを作ってもらった。

日本に帰ってあれこれ恋しくなるだろうな…。事実を受け止めるしかないです。






Sunday, 17 August 2025

フェッラゴストとパリオ

日本に帰るのが「来週の火曜日」だと思っていたのだが、20日はどうやら水曜日ということがわかった。しかも先日「はぁ、もう14日か…」と思って1日を過ごし、その日の終わりごろに、その日は14日ではなく13日だったということに気づいた。カレンダーを見ないので日付や曜日の感覚が無茶苦茶である。同時に得した気分にもなったので、まあよし。ピチカート・ファイヴの歌のなかに「飛行機に 間に合えば それはそれで いいんじゃない」という歌詞がある。最終的に飛行機に乗れれば、いい。

少し振り返る。

8月15日はFerragosto(フェッラゴスト)という、祝日。「聖母マリアの被昇天の日」だそうです。奇しくも日本のお盆と日にちが重なっているので覚えやすい。イタリアの場合は必ずしも家族と過ごすとは限らない。8月15日にイタリアにいたことが今までも何回かあるけど、その度に違うことをやっている気がする。

今年は祖父母宅でお昼をいっしょに食べた。フェラゴストじゃなくてもお昼は2日に1回くらいいっしょに食べているのだが、この日は手の込んだスプリを作ってもらった。

おじいちゃん特製。つまりはライスコロッケなのだが、特徴的なのは、パン粉が非常に細かいのと、中にモッツァレッラが入っていること。米はトマトソースと調理されているので赤い。揚げ物なのに、胃にもたれず、軽い。こんなに大きなものを、と思うのに、あっという間に食べ終える。

揚げるときに崩れてしまったものは「自分が食べるから」と言って別の皿にとるおじいちゃん。どこの国でも似たようなことがある。

日本のお盆のようすが家族から送られてきたのでおばあちゃんに写真を見せると、たいへん興味深そうにいろいろな質問をしてきた。家の作りや食事の様子など。特に、畳に座って食べているのが珍しくて仕方ない様子。「いつもこうなのか」というので、人が多いときはこの方法が一番良い、普段はこうではなくて椅子を使う、と説明した。総勢19名の写真をみて、大家族が集まるのは本当にいいことだ、と言っていた。

喧嘩もせずによくこれだけのひとたちが集まれるなあと思う。私の親戚一同が喧嘩しない理由のひとつに、ほどよい距離感があるからだと思っている。大事なことは連絡を取り合うし、よく顔を見せ合うけど、べったりしていない。この距離感が実現されているのは、それぞれが自立しているからだろう。

16日。特に何事も起こらない日だが、そういえばシエナのパリオが行われる日なのでテレビで見ようと思っていた。パリオというのは馬のレースで、シエナという街で行われる。なんと12世紀から続くお祭りで、毎年7月2日と8月16日に開催される。

3時から始まるというので構えていて、2レースみたが、いったい本番がいつなのかわからない。これが本番なのか?あっけなすぎじゃないか?と思ったけどとりあえずテレビはいったん終わり。そして今朝になって、そのずっと後にフィナーレが行われたと知って、なーんだそういうことだったのか、と思った。

2005年のパリオ当日にわたしはシエナにいたのだが、とてもじゃないけど会場に近づける状態ではなかったので何も見なかった。去年もイタリアにいたけど見逃した。テレビでもいいからまともに見られるのは一体いつになるのだろう。

中世の格好をする、というのは日本でいう「平安時代を再現」みたいな感じだろうか。

連休明け火曜、人間関係とか家族とか

職場に嫌な人がいて、どうしたもんかなと思っているのだが、思っているだけではなくてわたしの場合は愚痴を言う。 息をするように愚痴が出てくる。聞かされる同僚は気の毒だけど、これをためていてもろくなことはない。 かかわらずに過ごせたらいいけどそうもいかない。参ったなと思ってもこれで本当...