Wednesday, 24 September 2025

朝焼け、25m泳げた

23日、祝日。22日は、翌日が休みだとわかっていると「やれそう」な気がする。1日、やる気を保っていられるし生産性が上がる。「いつもこうだといいのに」「でも実際そうだと、どうなるだろうね」と子と話しながら考えた。逆にやる気が出ない、という人もいるのかもしれない。

祝日であれ5時ごろ起きる。朝焼けを見るのが楽しみだから。きのうは特にきれいだったので屋上まで上がってみた。この空は私のもの、と言いたくなるような、全方向にわたって包み込まれるような感じがした。絶景だった。寒くもなく、暑くもなく。見渡す限り人もいなくて音もない。みんな眠っているのだろう。

早起きは三文の徳、というが、得するのは三文どころではない。まさに値段にできない価値があると思う。これを見られたら、その日1日気分がいい。ふとした瞬間に「今朝はいいことがあったんだ、そういえば」と思い出して、自分のラッキーさに「ふふふ」と心のなかで笑う。わたしだけが知っている、そんな感じ。

見られるのは朝のたったの10分、いや、それ以下かもしれない。1分ごとに写真を撮ってみたが、どんどん色が変わっていって、普通の空になる。

前日の夜、カメラを落として壊れてしまったのでi padで撮るしかなかった。

そのあとは、また違うレシピでクロスタータを作った。子が起きてきてしばらくしてから、約束どおりにプールへ行った。約束どおり、といっても子にとっては「しぶしぶ」である。それでも行った。9時過ぎから行くことにしていた。

人が少なかったのもあって泳ぎやすかった。どうしても脚が伸びないので、「けのび」の練習をした。そうすると、そのまま最後まで泳いだ。フォームはめちゃくちゃで、犬かきとクロールと背泳の混合のような泳ぎだが、とにかく足をつかずに25mを泳いだ。これは大きなことだ。

3年生ぐらいで25m泳げるといい、とずっと思っていたのだがついに泳いだ。どれだけプールに連れて行ってもすすんで泳ごうとはしなかったのだが、きょうは泳いだ。溺れるんじゃないかというような泳ぎを、歩いて追っていきながら、息継ぎをする一生懸命な顔が見えて、ああ、がんばってる、と思った。ちっともいうことをきかないのに、こんなことができたのか。細かいことを教えたくなるけど、あんまり心配しなくても良いのかもしれない。指示に従わなくても本人のなかでは育っているなにかがあるのだろう。

泳いだ本人は、達成感でいっぱいで、「もっと泳ぐ」と言い、結局25mを4回泳いだ。連続ではないけど。こうしているうちにだんだんとフォームも整ってくるのかもしれない。

22日の夜、なかの良い友達が水泳教室に通うことになった、ということを知ったのがきっかけかもしれない。「じゃあ一緒に通ったらいいじゃん」と提案してみた。当然ながら拒否する。「水泳教室に行くくらいだったら、いつものようにパパとママといっしょにプールに行って自分で泳ぐ」と言う。まあそうだろうな、と思ったし、気持ちはわかる。なのでこのあたりで、水泳教室に行かなくても泳げる、という姿を見せたのかもしれない。

というわけで23日はとてもいい日だった。

Tuesday, 16 September 2025

レゴ、クロスタータ

 床にレゴが散らばっている。ここ数ヶ月、(いや、1年かも)子がレゴをやらなくなった。「あれだけやってたのになあ」と懐かしさと寂しさを感じていた。それが夏休み終わってから急にまたレゴをやりはじめた。わからないものだなあと思う。何を好きになるかは強要できないし本人しかわからない。

イタリアに行く前にガンダムが好きになり、飛行機に乗る前にお土産屋さんでガンダムのプラモデルを買い、イタリアから戻ってきたら誕生日プレゼントに友達からレゴとガンプラをもらった。そういう連続したできごとが重なってまた手の感覚が戻ってきたのかもしれない。プラモデルとレゴは違うけど似たところはある。プラモデルについて全然知らなかったけど同世代の、同僚に言ったらすぐに食いついてきてガンダムについて語り始めた。「自分は、プラモデルに育てられた感はあるなあ」と言っていた。曰く「レゴのような創造性はないけど決められた手順に従ってやっていくという面ではプラモデルはかなりよい」と。なるほど。

おとというちに遊びにきた息子の友人も同じようにガンダムが急に好きになっていた。よくある、友達から受けた影響だろうかと思っていたら、そうとも限らないらしい。迎えにきたその子のお父さんと話していたら、街を歩いてて出会った看板だったか映像だったかを見て「かっこいい」と思ったらしい。我が家も似たようなもので、たしか「映画見に行こうか」と話していた時にリストのなかにガンダムがあって、それを見てガンダム見たいと言い出した。(結局わたしが行きたくなくて見なかったけど。)時代を超えて、小学生男子に共通して刺さるものがあるらしい。

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久しぶりにクロスタータを作った。真夏を抜けて、少し涼しくなり、やっとバターが使える季節になってきたため。それでも生地は、さっさと作らないとベロンベロンになるのだが、ああもうと放棄したくなるほどではない。イタリアのクロスタータみたいな、がっしりどっしりずっしり重いやつを作りたくて、いつもの倍の量で作った。小麦粉250g, バター125g, 砂糖はうんと減らして60g(それでも多い)。卵は1個。かぶせる帯の部分を作るのに波型にしたかったので、パイカッターを買うことにした。届くのが楽しみ。

焼きながら「イタリアのバールにあるクロスタータってどんな色だったっけ?これまだ白いよね」と子に聞くと「うーん、いいんじゃない?大事なのは見た目より、美味しいかどうかだから」という答え。その通りです。

Monday, 15 September 2025

3連休の記録

3連休。

土曜。朝は合気道。気持ちよかった。帰ってからパンを焼いた。美容院も行った。午後は届いた砥石をつかって包丁を研ぐ。研ぎ屋さんに持っていこうかとも思っていたけどやっぱり自分で研いでみたかったので石を買った。Youtubeのガイドに従って見よう見まねでやってみた。これでいいのかどうかはわからないけど、確実に研ぎやすくなった。よかった。買ってよかった。

日曜。午前中にプールへ。パンとチーズケーキを焼いた。昼は家で食べて、午後はごろごろしながらNetflix。子の友人が来た。ガンダムとかマイクラとかで遊んでいる。海外で働いている友人が帰国しているということで、夕方から会いに行った。「行こうかなどうしようかな」と迷うこともない。しらせを聞いて即、行こうと思った。何年ぶりに会うか覚えていないほどの「久しぶり」であっても、あっという間に18歳ぐらいに戻るので、やっぱりあの頃の友人というのは貴重だなと思う。恥をさらしてきたのでもはや恥ずかしいことがない感じ。とても楽しかった。たくさん笑った。

月曜。きのう寝る時間がおそかったので起きるのも1時間遅かった。朝焼けを見逃したがまあ仕方ない。この季節の朝焼け、ちょうど5時ごろの、ほんの数分間がものすごいのだということを、私は知っている。知らない人がほとんどだと思う。空が燃えるようになる。オレンジのような、赤のような、ピンクのような。これがほんの数分間で終わるので、朝起きて見られるとボーナスのように感じる。明日こそ見る。

午前中から図書館に行った。文春とダンチュウを読んであっという間に昼になった。いつものレストランで、3人で昼食。2人で乗れる自転車が壊れかけていて修理に出されているのでわたしと子で歩いて帰る。

今朝は起きるなり「マイクラを何分やるか」の話で文句をたれていたので、私はもううんざりした。それで、結構ひどいことを言ったのに、数時間後こうやって平和に2人で歩いて帰る。悪かったな。。。こうやって私の嫌味がこの子には蓄積されていくのだろうか。悪かったなと反省してももう過去は元に戻らないし、なんとかしなければと思うのに、繰り返してしまう。こんな親いやだな、と思うような親に、みごとになっている。自分が母親にされて嫌だったことを、みごとに繰り返している。自分に嫌気がさす。カウンセラーの先生は、「そういうときはちょっと離れたほうがいいですよ」と言っていた。ため息が出る。

こうやって、あっという間に3日間がすぎる。

Thursday, 11 September 2025

Billyがきた

 ビリーが来た。

…と言っても人ではない。本棚です。あの、IKEAの有名な本棚。

20年くらい使っていた本棚に満足していたはずだったけど、一番下の段が壊れて、しかも本が溢れかえるようになってきて、ここ数年、この本棚をどうにかせねばと思うようになった。

そもそも本棚ではなかった。francfrancの、はしご状の棚(文字どおり、ラダーシェルフとかそういう名前だったと思う)で、本棚としても十分使えるものだったのだが、本にとっての「屋根」はなく、つねにむきだしなのでほこりはたまるし、本は傷むし、日焼けもすごいので背表紙は色褪せてもはやなんと書いてあるかわからないものもある。わたしの頭のなかの「やることリスト」には常に「本棚の整理」があったのだが、整理するにあたって本棚を変えたほうが良いように思っていた。

持ち物を少なくするにはこのはしご本棚でよかったかもしれないけど、同じ少なさでももう少しいい状態で本を保てるはずだと思った。

というわけで検索すること5年以上…。

買い換えようかなと思ったのはコロナのあたりからだった。しかしこれといったものもないし、そもそも思い切れない。どこかで「えいやっ」と動かなければいけないけど「まあいっか」で毎日が過ぎて行く。本棚なんて緊急のものではないから。

それがなぜIKEAになったか。

この夏休み、ひとりで先にイタリアから帰ってきていたときになぜか検索と「替えるぞ」パワーがみなぎってきた。夏休みにイタリアでIKEAに行ったせいかもしれない。別に家具を買いにいったわけではなく、お昼ご飯のために行った。(まさかイケアのホットドッグをイタリアで食べることになるとは思いもしなかった。)そしておじいちゃんおばあちゃんの家で話していると「これはIKEAなんだけどね…」という話がよく出てきた。

生活をよくしようと思うパワーはこういった長期休みに別の場所に滞在してインスピレーションを得たときに出てくる場合が多い。壊れていたライトもやっと捨てたし。何年か前にこどもの机を買って組み立てたのも8月末だった。やっぱり休みは良い。別の場所に滞在するのは良い。自分の生活をいったん離れてこそ感じたり思いついたりするものがある。

まさかビリーに落ち着くとは思わなかったけど。

イケアのオンラインショップで買うと5000円くらいで済むのだが配送に5000円くらいかかる。いっぽうで楽天で探してみると全部込みで1万円くらいで買える。スーパーセールの買いまわりついでにここで踏み切ったというわけ。

きのう届いたので、時間がある日にやってしまおうと思い、午後を使って組み立てた。本を出すのがたいへんだった。手にとってようやくわかる「これいらんわ」がたくさんあって、何冊も処分することにした。本というより、ノートや日記類。思い入れはあるけど見直すことはまずない。こういうときは外から見えない、透明ではない袋に突っ込む。

40cmx2mで、いままでよりだいぶスリムになった。そのぶん、高さがある。ひとつひとつの高さを変えられるので良い。それにしてもシンプル。シンプルなのがいちばんよい。ようやく本たちに「屋根」ができた。

入れ替えは夕方までかかって、夕飯の時間がおされ気味だったので後半はあまり考えずにとりあえず突っ込んだ。もうすこしよくながめて、配置しなおすつもり。それもまた楽しい。

Wednesday, 10 September 2025

平日休み1日目

 土日勤務だったので火、水が休み。平日休みは貴重なので何かやること(病院とか美容院とか)を詰め込みたくなるのだがこの夏休みに何もせずに1日を過ごすことを学んだので「空けたまま」の1日を過ごすことにした。

とは言え、合気道の朝稽古は優先順位として高い。前日からそのつもりで過ごした。前の日に「行くぞ」と思っていないと、朝稽古は、起きてから思いついて行けるものでもない。

いつもよりうんと多くの人が来ていた気がする。体を動かすとスカッとして気持ちよかった。

子を送り出した後、洗濯。それから本を返却したり買い物したりしていったん家に帰り、荷物を置いてそのあとすぐに図書館へ。心ゆくまで雑誌を読んだ。いや、もう少し時間が欲しかったかな。まだ読みたいものがあったけどいつの間にかお昼になってしまった。

わたしに欠けていた時間はこれだったなとあらためて思う。図書館で静かに読むこと。夏休みの間ずっと行けていなかった。あらゆる雑誌が新しい号にかわっていた。

それだけなのだが、たぶん私はどの街に住んでも図書館を必要とすると思う。読書家ではないけど図書館でパラパラと雑誌をめくるのが、必要だ。まるで食べ物から得る栄養のように。

新しくなった週刊文春も読んだ。文字の数が減っている。一段あたりの文字が、13文字から12文字になったらしい。読みやすくはなった。表紙の絵も変わっている。新しい連載も始まっている。阿川さんと綿矢りさの対談は面白かった。

帰ってから、サラダと豆腐を食べて、ドラマを見て、しばらくしたら子供が帰宅し、焼きそばとカレーを作って、あっという間に夜になった。こうやって終わる代休。

Monday, 8 September 2025

Never Let Me Go

夏休みの間ずっと読んでいた"Never Let Me Go"をやっと読み終えた。カズオ・イシグロの名作。
もしかすると長編を英語で読んだのは初めてかもしれない。20章以上あるので、1日1章読めればいいかなと思って読んだ。読んだ直後の、今の気分は、うーん、たいへん暗い。そういう話なので仕方ない。いくつか私がわかっていなかったことを、さっき検索してみたら、そういうことだったのかと判明して余計に暗い。架空の世界の話なので、想像しながら読まないといけない。そして英語なので、はっきりわかっていないまま読み進める箇所がある。これはカギなのだが"complete"という語="die"であったことを読んだあとに知って、愕然となった。読みながら「これはあとで日本語訳を読もう」と思う箇所がいくつかあった。

Kindleで読んだので、本の厚さとしてどれくらいだったのかわからない。それでもあきらめずに読めたのは、英語が簡単だということ。難しい単語はほとんどないし、文が短いので読みやすかった。主人公の幼少期から語り始められるので、もしかすると言葉遣いも平易かもしれない。

話自体も面白いが、状況が曖昧にしかわからないのと、現実にはあり得ない物語なので共感しにくいところはある。あまり感情というものが出てこない印象。登場人物が怒ったり泣いたりする場面はあるけど、唐突な感じがする。怒るに至るまでの感情がわからない。主人公目線で書いてあるからかもしれないし、あえて抑え気味なのかもしれないし、もっとあり得るのは私が英語の読書に慣れていないせいかもしれない。そうであっても、この本を読んだことある誰かと語りたい気分。

英国に行ったことがあると余計に想像ができるので良いです。空気の感じとかつかめるかも。

夏の間にがっつり読書を、と思っていたのでNever Let Me Goに出会えてこの夏はよかった。これでカズオ・イシグロは読めるとわかったのでほかのものも読んでみたいと思っている。

Sunday, 7 September 2025

8連勤とアルファルファ

もういい加減にこの暑さに疲れてきたなあ。雨が降る前よりだいぶマシになったと思うけど、それでもこの季節はもっとこう、スーッと風が吹いてほしい。もう体力がもたない。今週は土日勤務で、9月第1週は長い。8連勤。毎年のことだ。きょうは7日目。

なるべく元気に過ごしたいけどまだ身体は夏休みボケから戻りきっていない気がする。明らかに筋力が落ちている。しかし9月になって仕事が始まったら、いっきに眠りが深くなった。やっぱり労働はいいらしい。過剰はよくないけどある程度働いてこその人間なんだろうな。そして人の役に立つというのはやっぱりいいことだ。イタリアにいる3週間、それはもうストレスなく過ごせたのだが、最後の1週間は「ここで誰にも必要とされていないこと」にストレスを感じはじめた。このまま、私がいてもいなくても、ここの人たちは誰も困らない、という事実に気づくと、やっぱり人に必要とされるというのはいいことなんだなと思う。そういうもんだろう。それに気づくのも長期休暇の意味なんだと思う。

毎日、葉野菜(レタス、ケール、水菜など)を昼に食べていたが新鮮で体に良いものを手に入れる余裕のないときもあって、最近は葉野菜なしで職場に昼食を持って行くことがある。かわりにふと手に取ったのが「アルファルファ」で、とくにおいしいとも思えないがとりあえず持っていっている。どういう栄養があるのだろうか。どうせならブロッコリー・スプラウトのほうが栄養がありそうだが、アルファルファはオーガニックな上に1回分がパックに入っていて手軽で便利。

ちなみにアルファルファは英語で書くとalfalfaで、毎日やっている単語つづりゲーム「スペリング・ビー」の常連である。AとLとFだけでできる単語。

Wednesday, 3 September 2025

世田谷の事件

 9月になったが暑すぎる。具合が悪くなるくらいの暑さだ。これから夏はずっとこんな感じなのか。どう耐えていけばいいのだろう。イタリアから帰ってきた日よりもずっと暑い。9月になっていよいよ本格的に暑くなってきた気がする。

仕事や学校が再開していきなりがんばりすぎると間違いなく倒れるのがわかっているので、ぼちぼち働こうと思っているが、この暑さでは何もしなくてもぐったり疲れてしまう。

先日、世田谷で起きた事件がどうも心にひっかかっている。

まず、身近だったという点。事件現場も犯人が逃げたルートも、ぜんぶわかる。羽田空港国際線の出発ロビーもタクシー乗り場もついこの前通ったし。

そして被害者と犯人が日本国籍でなかったという点。国籍がわかった途端に、なんとなく「日本人じゃないのか」と、突き放すような、「うちの子じゃないし」的な空気が漂ったように思う。漂うといっても、どこに漂うのかというと世の中に。なんとなく私が推測した、ぐらいのものでなんの証拠もない。ニュースのコメント欄には結構ひどいことが書かれていて、うんざりした。ひどいコメントが書かれるということぐらいはどんなニュースであれ推測できることなんだけど。

これでますます「外国人はあっちへいけ」という空気が高まるのだろうか。日本国内で事件を起こすな、と。

国籍とか国境とかは、つまり、何なんだろうな。

そういえば、捜査員が羽田で犯人と歩く写真を見て「このなかの誰かが韓国語で接しているんだろう」と思った。必ず通訳がいるはずだ。どういう立場で雇われるどんな種類の通訳なんだろう。韓国語ができるというだけでは、こういう事件にかかわる通訳にはなれないだろう。それとも韓国語の話せる警察がいるのだろうか。ほかのニュースではそれほど気にならないのに今回のはそういう言語の点が気になった。

Sunday, 31 August 2025

時差ぼけ、こんなに暑い誕生日

 29日と30日の夜は寝ることができた。

【29日】

30日(土)は合気道の朝稽古に行くつもりでいたので、それに向けてちゃんと寝ようと意気込んでいた。寝るのに意気込む、というのもへんな感じがするが、なんてったって1ヶ月以上ぶりの合気道なのだ。優先順位は高い。体調は整えておきたい。

9時から10時の間に寝入った。

【30日】

朝は5時に起きられた。途中、子に起こされもしたが眠れなくて困ることはなかった。29日は仕事再開2日目だったというのもあるかもしれない。ある程度ストレスがかかっているぐらいがいいのかもしれない。合気道には遅れずに行き、やっぱり行ってよかったと思った。体が思い出すまでに少し時間はかかったけど、やっぱり気持ちが良いと思った。めぐまれた環境にいる。これからも合気道に通える位置に住もう、と思いながら帰った。その後は一日中、エアコンのなかで過ごした。暑すぎて外に出られない。リンゴジャムでタルトを作った。それからバナナとココナッツのドロップクッキーと、パンも焼いた。久しぶりに日常が戻ってきた感じ。

体を動かしたおかげか、この日の夜もスーッと眠れた。

【31日】

今朝も5時に起きた。やっぱり5時台の起床が良いのだろう。Ruby Thandorという人がいて、知っている人はすぐにわかるだろうけど、「ブリティッシュ・ベイクオフ」にかつて出てきた人。この人が最近、The New Yorkerでブリティッシュ・ベイクオフについてのエッセイを書いた。Inside the World of "The Great British Bake Off". どうにかして読めないかなと思っていたら、今朝、朗読を聞くことができた。30分近くかかる。これは偶然かもしれないと思っていたら、どうやらきょうついにpaywallがはずれて無料で読めるようになっているらしい。スクショもコピーもして、ソファに寝っ転がってi padで読んでいたらだんだん眠気がおそってきた。10時ぐらいだったか、少しわたしは寝たようだ。午前中にに眠くなるなんてとても珍しい。やっぱりまだ安定していないなと思った。

きょうは子の誕生日なので朝からお祝いをしたところだった。無事に大きくなっている。きのうの夜は「なんでかわからないけど悲しい気持ちになる」と言っていた。なんでだろう、と言いながらいろいろな可能性について2人で話してみた。イタリア、日本間での混乱があるかもしれないし、そもそも毎日きちんと眠れていないのは原因として大きいかもしれない、そしてもうすぐ学校が始まるので戸惑いがあるかもしれない、など。大きくなっていろいろ感じたり考えたりできるようになっているので、ものごとが単純にいかなくなるのは自然なことかもよと言った。

それにしてもこんなに暑い誕生日があっただろうか。きょうは外に人影がない。災害と似ている。

Friday, 29 August 2025

まだまだ続く時差ぼけ 真夜中の自由研究

きのうはリハビリの4時間勤務で、3時ごろには帰宅できた。

職場で子育て中の同僚が「終わった?宿題」と聞いてきた。毎年のことだ。子の宿題は終わったがこれから自由研究が待っている。

というわけで夕方から張り切って自由研究に取り掛かる。もはや親である私の仕事になっている。これを言い始めるとキリがないが「私が小学生のころはこうじゃなかった」。すすんで自分でやっていたし親に手伝ってもらうことは、もはやなかったと思う。これがどの子にも当てはまるわけではない、ということはこの数年で身に染みて理解している。宿題は、もはや親の宿題。お膳立てをしなければいけない。

もっとも意味と価値があり、効率よくできる自由研究は、イタリア滞在のまとめだ。はさみとのりを持って、作業が始まる。

「きょうこそちゃんと眠りたいよね」とお互いに話す。前夜のことを考えると、もう辛さしかない。

キャベツを買ってきたことを話すと、お好み焼きが食べたいというので、冷凍してあった豚バラを使って夕飯にお好み焼きを作った。大きなのを2枚焼いて、1枚は明日にでも食べられるようにしておく。久しぶりに作ったけどうまくいったようだった。

そしていざ夜になり、9時に横になった。「ぼくより先に寝ないでよ」と言いながら子はさほど問題なく眠りについた。よかった。きょうこそ眠れているじゃないか。

問題は私である。全然眠れない。少し眠りがやってきたかと思うときがあるけど結局眠れない。11時半ごろ、諦めて起き出すことにした。

こういうときはやはり単純作業が良いので、自由研究の続きをやることにした。のりとはさみを持って、無心に作業をする。ちょうど12時になったので、寝てみたら、それほど長い時間経たずに寝られた。

翌朝、これで7時まで寝てはいけないと思い、自分に鞭打って5時過ぎにアラームをセットしておいた。なんとか起きてきて今にいたる。当然、睡眠不足。

気づいてみたら自分が帰国してもう1週間以上経っている。この1週間は寝不足に起因する便秘肌荒れ頭痛もずっと続いている。しかも暑い。

通常運転に戻るには、やっぱり1週間以上かかる。

先日ふとコーヒーの香りがしたときに「あ、イタリア…」と思った。嗅覚は記憶と結びつきやすいというが、本当にそうだと思う。帰国して数日はイタリアが恋しいと思わなかったけどここ最近はすでにイタリアのいろいろなものが懐かしい。今すぐ戻りたいというわけでもないけど、食べ物と、テレビの音と、外の空気と、石けんのにおいと、空の色と…と日常のいろんなものが、今自分の手に届かないところにあることがもどかしい。すでに来年の夏もきっとイタリアに行くんだろうなと思っている。

Thursday, 28 August 2025

時差ぼけ日記

時差ぼけのせいで我が家はたいへんなことになっている。

24日〜26日まで、私は泊まりがけの仕事があった。いっぽう、26日には家族がイタリアから帰国。私だけ先に帰ってきていたが、これで3人そろった。

私はだんだんと時差ぼけから回復しつつあったが、この2泊の仕事は疲労がたまる上に睡眠が安定せず睡眠不足に陥った。それに加えて異様な暑さで、最終日は頭痛がして「これはもしかして熱中症のはじまり…」と感じた。

問題は、子である。26日は飛行機で眠ったと言っていたが、その後全然眠くなることもなかった。夜はおそらく10時ごろには寝たが、3時半ごろ「ぼく眠れない」と言って我々を起こす。眠れないのはわかるが起こさないでほしい。こっちだって寝たい。

それから27日、きのうの朝は、私も8時過ぎまで寝て、子は9時まで寝た。放っておくと昼まで寝そうだったので9時に起こしたのだった。幸い、27日は用事を入れておらず、仕事も休みにしていたので家で過ごした。片付けたり、勉強させたりしながらゆっくり過ごした。

夜9時ごろ、寝ようとしたが子はまったく眠くない。放っておいて私は寝た。子がその後眠りについたのかどうかわからなかったけど、例によって夜中「ぼく眠れない」が始まった。「もういい加減にしてよ」と言いながらも、いったんおこされるとこちらも再度入眠するのはとても難しい。さらに時間が経った頃、ようやくこちらも夢に入りかけたときに、次は子が泣き始めた。しくしくと。たまったもんじゃない。「ぼくはひとりぼっち」など、よく聞こえないが何か言っている。慰める余裕はこちらにもない。

3時。別の部屋に行って横になった。しばらくすると子がついてくる。「何してるのかなと思って」というので「1人にしてほしい」と言った。こちらも泣きそうである。

無理に寝ようとするのを私はやめて、ちょうど届いたばかりのアルバムで写真整理をすることにした。こういうときは無心になる作業がいい。

そのあと、時間はもはや見なかったけど、寝室に行ってみたら子は寝ていた。さぞつらいと思う。1ヶ月以上イタリアにいたのだから、もとに戻るには1週間では足りないはず。

しかしこればっかりは仕方ないのだ。私も横になって、寝た。そして7時ごろ、やっと起きてきたというわけ。きょうは仕事に行かねばならないのだ。

幸い、きょうは昨日より気温が下がったようだ。睡眠不足で頭がふらふらする。勤務時間を9時からにしておいてよかった。遅く行って早く帰ってくるつもり。その前に、きょうはせめて8時ごろには子を起こさなければいけない。そうしないと今夜もまたたいへんなことになる。

Sunday, 24 August 2025

『賢い医師生活』見終わってしまった

昨夜ブログを書きながら「眠いな」と思った。少し眠い、という程度ではなく猛烈に、しかも突然くる感じの眠気。気がついたらPCを開いたまま、座ったまま寝ていた。どれくらい時間が経っていたのかわからないけど、9時過ぎていたので1時間くらい座ったまま寝てたのではないか。普段はこういうことはまず起きない。時差ぼけならでは。

とはいえ、就寝時間は普段と結局それほど変わらず、9時過ぎで、今朝は5時過ぎに起きた。きょうは日曜だけど仕事です。そのために、家族より早めに帰国した。

きのうついに『賢い医師生活 シーズン2』を見終わってしまった。有名な大ヒット韓国ドラマ。見終わったらいつものように、寂しい。ロス状態。最終回の前は「もうこいつらに会えなくなるのか」と思うと、見るのをためらう。

いつもだったら「何を見ようかな〜」と、迷っている時間がとても長くて、しかも第1回を見たらそのあとから結構時間が空いたりする。第5、6回目あたりからハマってきてあとはどーっと見る、というパターンが多い。

しかしこのドラマは第1回からハマった。何か大きな事件が起きるというより、それぞれのストーリーがたんたんとしている感じで、それがよかった。病院の話なのでドタバタコメディ系とも違う。しかし深刻すぎない。

しかしこんなのよく作れるよなあと、感心する。韓国ドラマを見るとたいてい思うけど、今回のは12話x2シーズン=24話で、一話あたりが最低1時間半。2時間超えているものもあった。ひとつの映画が2時間と考えるとやっぱりすごい。

先日、友人がラジオに出た。日韓の制作現場を知る友人で、その違いについて話していたが、韓国は「若い」そうだ。つまり現場で働く世代が若く、動きも理解も早い。業界の新陳代謝が早い、と。ラジオの共演者は「日本の撮影現場では年配の男性が多くて恐縮する」と言っていた。なるほど、なんとなくそういう気はしていたけどやっぱりそうなんだな。そうじゃないとこれだけのドラマ作れないだろう。

イタリアにいる間も『賢い医師生活』を見ていて、「韓国行きたいな〜」と思っていた。日頃からなんとなく思っているだけで行動に移していない。次の春あたり思い切って行こうかなと考えている。

ちなみに『賢い医師生活』、わたしの好きな登場人物は、主人公5人は当然として、ト・ジェハクとチュ・ミナです。人間くささ?がいい。

Saturday, 23 August 2025

時差ぼけの記録

「今回は時差ぼけないかも?」と思ったら帰国3日目くらいにわかる、というのが毎回のパターン。というわけで記録。

【21日、帰国日】
途中までは前回の投稿参照。昼間に寝るのを1時間におさえておけば、夜はぐっすり眠る。9時過ぎに寝た。

【22日】
疲れているからといってここで寝たいだけ寝てはいけない(と思っている)。5時半に起きた。本当は5時に起きたかったけどイタリアではずっと6時半ごろ起きていて、いきなり5時台ではなくだんだん戻していくことにしようかなとおもった。6時台に買い物に行った。つめたいコーヒーを飲みたかったが粉がなかったのでスーパーへ。それからセブンイレブンでメロンパンを買った。9時に歯医者の予約を入れていたのだが、歯医者が終わってそのまま仕事に行ってみた。在宅勤務の予定だったが、ちょっと行きたくなった。自転車をこぎたかった。2時間だけ働いた。同僚はすくなくて、みんな休んでいるようだった。良いこと。翌朝きっと早く起きると思って、9時ではなく10時に寝た。

【23日】
いつものパターンでは、ここで崩れる。思ったとおりだった。朝3時台に目覚めた。もう全然眠くない。無理して寝るのをやめて、起きた。そのまま普通に過ごした。6時台に宅急便出したり。日中、ぜんぜん眠くなかった。これが、今、めちゃくちゃ眠い。書きながら寝てしまった。

Thursday, 21 August 2025

帰国しました


日本に戻った。20日の朝8時半ごろ家を出て、子を祖父母宅へ預け、車でフィウミチーノへ。高速道路を2時間半。アドリア海からティレニア海側へ、長靴のちょうど反対側へ行く形になる。距離にして180kmくらいあるらしい。

イタリアの高速を走っていると急に中世の村みたいなのが出てくる
絵本の中みたいだけど、普通に人が暮らしている。教会と広場があるのが普通。

高速は130kmぐらいスピード出ていて途中で「タイヤおかしい」と言い出すので生きた心地がしなかったです。送ってくれたFはそのまま帰る。朝からたいへんな苦労をかけてしまったので来年はおとなしく高速バスを使おうと思った。たとえ3時間以上かかっても。それにしてもありがたかった。

14:55発なので、12時半に空港に着けば十分と思っていたら12時前に到着し、だいぶ余裕があった。ターミナル1。ゲートの番号さえまだ決まっていない。チェックインは前日にオンラインで済ませたので荷物だけ預けた。東京行きのチェックインが、そもそも始まっているのかもわからないが、預かってもらえたのでこれでよし。

荷物を持って店などをうろうろ見て回る気力も特にないのでそのまま手荷物検査を終え、パスポートコントロールへ。手荷物検査はPCなどをかばんから出す必要はないのでかなりスムーズ。パスポートも、来たときと同じでThird Countriesに登録されている国は別のレーンから進める。自分でパスポートを「ピッ」とやって、終わり。

機内持ち込み荷物のメモ。最近はリュックと貴重品ポシェットを持っていたが機内で必要なもの(まくら、スリッパ、着圧ソックス、アイマスク、歯ブラシ)をがさっと入れられるものがあるといいなと思ってためしに大きな薄いトートバッグに入れてみたら行きも帰りもこれが便利だった。滞在している間も、特に買い物袋として大活躍だった。

ゲートはEのエリアだということだけわかっていたのでそちらに進んだ。ベネトンの店舗があったので見てみたけどあまり買う気にはならなかった。


奥の方に行くと簡単なレストランみたいなのがある。6年前もここで食事をしたなあ。あのときもゲートはEだったのかなあ。迷ったけど12.5ユーロの"Tuna Poke"にした。ツナのサラダです。だいぶ大きくて、おいしかった。このへんはやっぱりイタリアだよなと思う。一食分あるくらいしっかりした量。空港の12ユーロは仕方ない。日本円にして2000円超える。円安…

席についてゆっくり食べることができてよかった。今回はコンセントにつなぐ、形を帰るやつ(名前がわからない)を持ってくるのを忘れたので、ここで充電はできなかった。来年以降の反省。

搭乗時刻の1時55分がようやく近づいてきたので席を立って移動。歯磨きしたりして待っていたらEの21という案内が。トコトコ歩いて到着。乗客は、またしてもほとんどイタリア人。8割くらいいるのではないだろうか。行きもイタリア人多かったのに。これから日本に行くということは、夏休みをこれからとる人たちもいるのだろう。

帰りもITAエアウェイズの直行便。残念ながら機体は、間違いなくかつてのアリタリアのものを使っている。白いから。外から見てもわかるボロボロ具合だった。これで本当に飛ぶのか、と思いたくなる。

基本的に、席の掃除はされない。というか掃除自体されない。座席ポケットは埃だらけ。床も髪の毛だらけ。飲み物をこぼして固まった跡が席の脇のところについている。そして画面が汚い。タッチパネルなのにタッチしたくない。運ばれてきた食事をテーブルにのせると、すーっ、と前にすべってくる。何回やっても同じ。つまりテーブルがまっすぐじゃない。これは初めてじゃないし、以前は手で支えながら食べなければいけなかったので今回のは許せた。

極め付けは、トイレの鏡が割れている‼︎しかもテープで貼ってある…。これはひどい。ここにかける金くらいあるだろうに。本当にこれでスターアライアンスに入るというのだろうか。ルフトハンザに怒られないのか。怒られてほしい。

それでも直行便の魅力には抗えないのだった。

まず搭乗すると大音量でイタリアの歌謡曲がかかっている。降りるときも同じだった。周りを見回すと、行きと同じように、italo-giapponese 親のどちらかが日本でどちらかがイタリア人、という子供たちが結構いた。イタリア語と日本語が混ざって出てくる。聞いていて面白い。それに親が何語をしゃべるかも面白い。日本語を話すイタリア人のお父さんもいれば、イタリア語を話す日本人のお母さんもいる(←これ多い)。ただし居住はどこかわからない。こどものイタリア語の流暢さを聞くと、これはイタリア在住だろう、と思うけど。

見た映画は、ブリジット・ジョーンズの日記(最新作)、バードマン、ミナリ。どれもかなりよかった。

ブリジット・ジョーンズは期待を超える良さだった。自分に子供がいるのもあるだろうけど泣いてしまった。そして演技がいい。続編をつくると大抵コケるのに、この映画はよくなっている。昔のやつもう一回見たいな。あれでどれほど英語を学んだだろう。

バードマンは一度見たことがあって気に入っていたので久しぶりにもう一回見たくなった。レイモンド・カーヴァーの小説を舞台でやる、という設定なので、小説も読み直したくなる。それにしてもカメラワークがすごすぎる。有名な話だが、この映画は2時間ずっとカメラの画面が切り替わらない。すごい映画だと思う。

ミナリ、これがよかった。韓国ドラマを見るようになって以来、欧米の映画やドラマを連続して見ているともの足りなさを感じる。嘘くさい、とまでは言わないけど自分から遠い感じ。ということで「ミナリ」を見た。とてもいい映画だった。案の定、たくさんの賞をノミネート、受賞しているらしい。

あとはひたすらテトリスをやって、到着まであと3時間というときにアイマスクをつけてみたらいつの間にか寝ていたようだ。2時間もないくらいしか寝ていないけど、なんだかそのあとがすごく楽だった。

揺れさえなければもう少し寝ていられただろう。あんなに揺れたのはきっと機体が古かったからじゃないのか?(と思いたくなるくらいボロボロの飛行機だった。)

到着と同時に拍手が起きて、旅の最後までイタリアだった。行きの飛行機よりさらにイタリア人が多いフライトだったし、これから日本観光をするワクワクでいっぱいの人たちなのでこうなる。

10時すぎに着いたので11時間半くらいで到着したことになる。たいていはほぼ寝ない状態でふらふらしながらリムジンバスに乗るのにきょうは余裕があり、しかも帰宅してから洗濯や荷物の片付けもできた。倒れ込むように寝ることはなく、2時から3時まで、1時間だけ寝た。

「すん」としていて静かな日本。これだけ人がいるのに電子音しか聞こえない。
そのあと買い物したり郵便ポストのチェックをしたりして今にいたる。

帰ってきてからの感想:

日本はまだまだ暑い。久しぶりに、ちょっと歩くだけで汗が出ている。まだ夏休みという人たちもいるのだろう、なんだか静かな感じもする。帰国してもいつもより「わー、久しぶりだなあ」という感じがしない。なぜだろうか。

気持ちがいいと思うことと、寂しく感じること:

東京は、人がきびきびと働いて、あちこちがキュッキュッと磨かれている。いいなと思う。いつもどこかで誰かがペコペコしている。日本の人は体が小さくて、細い。

バスから建物を眺めながら、こんなに狭いところに、こんなにたくさんの人がいるのに、整然と機能しているというのはやはり奇跡的なことだなと思う。その代わり一人一人の抱える我慢の度合いは高いし、ほかの文化圏の人たちが気づかないところまで気づくがゆえに、神経を使っている。無意識に。

仕事で頑張っている分なのか、ほかの場面ではコミュニケーションをとらない。とるのが下手、なのではなく、とらないのが普通。たとえばバスに乗車するときに挨拶はしないし、スーツケースを運転手から渡されても「ありがとうございます」の一言は出ない。

それでも、去年に引き続き、帰国して「日本いいな」と肯定的に感じている。豆腐と納豆が気軽に買える。自転車でどこにでも行ける。すぐ近くに病院も歯医者もある。銀行や役所が決められた通りに動いている。落ち着いていて、静かで、余計なことに口出ししてこない、黙っているだけで自分のテリトリーに誰かが入ってくることはない。出産やコロナを経てものの見方も変わった気がする。イタリアと日本、それぞれのいいところを都合よく使いながら生きていくつもり。

Wednesday, 20 August 2025

明日イタリアを出る

16日のパリオは、私が見たのは別の街のパリオだったらしい。まさかシエナ以外の街でもやっていたとは。翌朝にインターネットで見て、全然違うな…と思って、おばあちゃんたちに聞いたら、シエナのは4時過ぎからだったということがわかった。というわけで、一体いつ本物を見られることやら。

さて、明日イタリアを出発する。しかも私だけが出発するので、なんだかもう悲しくて仕方ない。

夏休みは間違いなく楽しかったし充実していた。リラックスできた。その日の朝になって「さてきょうの予定は…」と考えるという理想の休暇の過ごし方だった。きょうの予定は…と言っても特に何もなく過ごすことも多かった。基本的に文字通り、食べることと寝ることばかりを考えて過ごした。

食べ過ぎ飲み過ぎには気をつけて…いたけど、途中から規制が外れて、毎日ワインを飲んでいる。ビールもおいしい。何も気にせずダラダラ過ごしている。

朝起きて、扉をあけると猫が待っている。どこの猫か知らないけどエサあげることになっている。

子が撮った。

それからカフェッティエラでカフェをいれて、外に出て、山を見ながら本を読む毎日だった。KindleでNever Let Me Goを読んでいる。いま6割くらい読んだ。私が長編を読むのは珍しい。音のない環境で、だいぶはかどった。
庭で座って遠くを眺める。目が良くなる。これは朝。

結局ずっとアブルッツォ州にいた。どこかに行きたいともそれほど思わなかった。ずっと前とはイタリアの楽しみ方が変わったと思う。その年齢ごとにものの見方も変わる。

車から見える景色。アブルッツォはどんなところか、と聞かれると「モナリザの背景の丘みたいな…」と説明する。

どこかに行きたいと思わない理由のひとつにオーバーツーリズムもあるだろう。観光地にいってもどうせ観光客ばかりだと思うと、わざわざ人のいるところに行きたいとは思わない。東京で、日々あれだけたくさんの人たちを見ているので、むしろ静かに過ごしたい。

そして、買い物したいと思わない。この違いは20代、30代と違う。円安もあるだろうけど、イタリアに限らず、何かを買いたいと思わない。今回買ったのは、日曜日のメルカートでシャツ4枚。合計50ユーロ。

きょうはグアンチャーレを使ってアマトリチャーナを作ってもらった。

日本に帰ってあれこれ恋しくなるだろうな…。事実を受け止めるしかないです。






Sunday, 17 August 2025

フェッラゴストとパリオ

日本に帰るのが「来週の火曜日」だと思っていたのだが、20日はどうやら水曜日ということがわかった。しかも先日「はぁ、もう14日か…」と思って1日を過ごし、その日の終わりごろに、その日は14日ではなく13日だったということに気づいた。カレンダーを見ないので日付や曜日の感覚が無茶苦茶である。同時に得した気分にもなったので、まあよし。ピチカート・ファイヴの歌のなかに「飛行機に 間に合えば それはそれで いいんじゃない」という歌詞がある。最終的に飛行機に乗れれば、いい。

少し振り返る。

8月15日はFerragosto(フェッラゴスト)という、祝日。「聖母マリアの被昇天の日」だそうです。奇しくも日本のお盆と日にちが重なっているので覚えやすい。イタリアの場合は必ずしも家族と過ごすとは限らない。8月15日にイタリアにいたことが今までも何回かあるけど、その度に違うことをやっている気がする。

今年は祖父母宅でお昼をいっしょに食べた。フェラゴストじゃなくてもお昼は2日に1回くらいいっしょに食べているのだが、この日は手の込んだスプリを作ってもらった。

おじいちゃん特製。つまりはライスコロッケなのだが、特徴的なのは、パン粉が非常に細かいのと、中にモッツァレッラが入っていること。米はトマトソースと調理されているので赤い。揚げ物なのに、胃にもたれず、軽い。こんなに大きなものを、と思うのに、あっという間に食べ終える。

揚げるときに崩れてしまったものは「自分が食べるから」と言って別の皿にとるおじいちゃん。どこの国でも似たようなことがある。

日本のお盆のようすが家族から送られてきたのでおばあちゃんに写真を見せると、たいへん興味深そうにいろいろな質問をしてきた。家の作りや食事の様子など。特に、畳に座って食べているのが珍しくて仕方ない様子。「いつもこうなのか」というので、人が多いときはこの方法が一番良い、普段はこうではなくて椅子を使う、と説明した。総勢19名の写真をみて、大家族が集まるのは本当にいいことだ、と言っていた。

喧嘩もせずによくこれだけのひとたちが集まれるなあと思う。私の親戚一同が喧嘩しない理由のひとつに、ほどよい距離感があるからだと思っている。大事なことは連絡を取り合うし、よく顔を見せ合うけど、べったりしていない。この距離感が実現されているのは、それぞれが自立しているからだろう。

16日。特に何事も起こらない日だが、そういえばシエナのパリオが行われる日なのでテレビで見ようと思っていた。パリオというのは馬のレースで、シエナという街で行われる。なんと12世紀から続くお祭りで、毎年7月2日と8月16日に開催される。

3時から始まるというので構えていて、2レースみたが、いったい本番がいつなのかわからない。これが本番なのか?あっけなすぎじゃないか?と思ったけどとりあえずテレビはいったん終わり。そして今朝になって、そのずっと後にフィナーレが行われたと知って、なーんだそういうことだったのか、と思った。

2005年のパリオ当日にわたしはシエナにいたのだが、とてもじゃないけど会場に近づける状態ではなかったので何も見なかった。去年もイタリアにいたけど見逃した。テレビでもいいからまともに見られるのは一体いつになるのだろう。

中世の格好をする、というのは日本でいう「平安時代を再現」みたいな感じだろうか。

Thursday, 14 August 2025

偏見と思い込みから抜け出すために外に出る

きょうの午前中は台風が来たのかというほどすごい風が吹いた。雨はちょっと降っただけで、お昼ごろには風も止んで普通の天気になった。今は暑い。2週間前、ここに着いたときは寒いくらいだったのが、だいぶ気温が上がって夏らしくなった。きのうの夜は初めて、暑くて起きた。

来週の火曜に日本に帰る。もう木曜なので、1週間も残っていないのか、という事実を認めようと努力している。日本もお盆ということで、インターネットを見ている限り、なんとなく「お休み」な感じが伝わってくるので、こっちも遠慮せず休む。仕事のメールも見ない。多分1週間以上見ていない。こうやって「すべてを止める」期間をもう少し日本も確保していいだろうにな。たぶんお休みっぽくなるのは今週くらいだろう。

日本にくらべるとイタリアのほうががっつり休むだろう。イタリアの夏休みは3ヶ月。ただしこれは「学校の」夏休みである。全国民がいっせいに3ヶ月休んでいるわけではない。この前会ったイタリア人も「明日から仕事」とか「来週の金曜に戻る」とか言っていた。自分が休みをとれるところで取るのだろう。

こういうのは実際に来てみないとわからないものだなと思う。下手すると、イタリア人が3ヶ月ずっと休んでいるように思い込んでしまう可能性はある。日本にいて「いいなあガイコクは…」と思っていると。

思い込み、偏見、バイアスは怖いなと思う。相当意識しないといけない。頭ではわかってはいるけど、いったん自分が住んでいる場所を強制的にでも出てみないと、それらからはなかなか抜け出せない。あるいは統計を調べてみるなど。人間は偏見のかたまりです。

たとえば「◯◯人は〜〜している人が多い」というようなフレーズは簡単に使わないようにしている。せめて「…多いらしい」と断定を避けたり、「こういう人を見たことがある」とか、自分の経験から話すべき。

日本人でもイタリア人でも、3ヶ月休む人はいるだろうし、逆に1日しか休みがないという人もいるだろう。

また、地域差もある。イタリア人はとても明るくてフレンドリーですぐに話しかけてくる、と思われている。日本と比較すると、それは本当にそうだと思う。ただし今私がいるところでは、人々はおとなしめ。観光地で当然のスリも泥棒もない。安全で穏やかそのものである。ローマ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ…といった観光地を訪ねた人たちがここにくるとおそらく驚くはず。

スーパーで撮ったこの写真。

何かというと、全部ビール。ワインをよく飲む国というイメージがある。「イタリア」という言葉から連想されるイラストを描くと、パスタとピッツァに並んでワイングラスを描く人もいると思う。

実際、ワインはとても一般的で身近な存在だが、ビールもたくさんの種類があるし、よく飲まれている。違いとして面白いのは、缶入りはほとんどなく、瓶入りという点。


これらは「バイアスかかってますよみなさん」と知らせたいというよりは、自分への戒め。実物を見たり、データを見たり、経験をつんでいない限り断定をしてはいけない、ということ。繰り返すが、かなり意識しないと、バイアスから抜け出すのは難しい。

海に行った

肌の話の次は、海です。

月曜に行くはずが、前日の夜が遅かったせいで起きたのが遅く、では明日こそ、という話だったはずが、案の定この日(13日火曜)も男たちは10時ごろ起きてきた。(ちなみに私は毎日6時〜7時には起きています。)諦めそうになっていたので、遅くても行こうと私は言った。というのも信用ならないから。翌日の朝8時ごろまでに起きてくるとは思えない。

正直なところ、こうやって「海に行こう」と言う自分に驚いている。これはここ数年における変化ではないだろうか。なぜかというと毎回「海か…」と、むしろ渋々ついて行く感じだったのだ。それが「行きたい」と思えている。なんとなく「海に行かないと夏休みな感じがしない」と思っている自分を、正直なところ認めざるをえない。なんということだろう。

一年前、海についてどう思っていたのだろうと思ってブログを見てみた。うまいこといろいろ書いているけど、やっぱり気は進まないし日焼けを怖がっている。


去年と同じくぺスカーラに行った。車で1時間近く。観光地ではない。混んでもいない。アジア系は私だけ。水がすごくきれいなわけではない。太陽は強烈。

正直に言おう:

行ってよかった。楽しかった。

ぺスカーラの様子も、周りのあらゆる条件も昨年と変わっていないけど自分は変わっている。この海に行くのは5回目ぐらい。ようやく苦に感じなくなってきたということか。

パラソルの装飾?が、すずらんテープみたいなやつでできていて、当然、はげ、落ちまくる。落ちたすずらんテープ、つまりプラスチックは砂のなかに混じり、海に入る。これだけプラスチック減らすとか大騒ぎしているのにこういうのは認めるのか?

長い時間水の中にいた。深さも冷たさもちょうどよかった。海のなかにいるといろんなことがどうでもよくなった。水平線を眺めて、これは地中海?アドリア海?と思った。月並みだけど、この先には何があるかな、と思った。

ここにいる人たちはおそらく9割以上がイタリア人。生後、一体何ヶ月だろう、というくらいの、小さい赤ちゃんもいれば、老人もいる。みんなこんがり焼けていて、肌が白いと逆に目立つ。

パラソルの下に戻って本を読み始めたらものすごーく気持ちのよい風が吹いてきて、いつのまにか寝ていた。どのくらい寝てたのだろう。気づいたらひざより下に日差しが当たっていた。

5時ぐらいにピッツァを少し食べた。昼は食べていなかった。


でいう「海の家」みたいなのが陣地(?)ごとに海岸に並んでいる。パラソルとlettinoという、寝そべることのできる椅子が用意されている。きのうは海に近いほうで35ユーロで借りた。朝早く行けば選べる場所がもっとあったはず。ピッツァは2切れで5ユーロ。

帰り道、車のなかで感じる日差しも風も気持ちよかった。いろんなことがどうでもよくなった。少しくらい焼けるのも、勲章みたいなものかなと思った。夏を楽しんだ証。


に帰ったら、それほど焼けていなかった。首から胸にかけては赤いけど、何年か前のように肩から背中にかけて肌がヒリヒリして困ることもなかった。日焼けしないために必死になるより、いっそ水のなかにいる時間が長いほうがいいのかもしれない。だんだん慣れてきたのだろう。

スーパーに寄って、家に帰って、ビールを飲んで、チキンとかサラダとかいろんなものを食べた。とてもおいしかった。

また海に行きたいかと言われると、今年はもういいです。次に行きたいと思えるときまで。

Tuesday, 12 August 2025

肌について不思議に思うこと

肌の話。

昨夜、レストランでの夕食にはいわゆる子育て世代の人たちが集まっていて、私以外に女性が3人いた。その中の1人はスイス在住。夏休みでイタリアに帰ってきているらしい。その人に向かってほかの2人が"bella abbronzata”(よく日に焼けている)と言っていた。これは褒めているのだ。「焼けちゃったね」ではなく「焼けてきれい」なのだ。確かにきれいな小麦色。そう言っている2人も、小麦色。いや、小麦より濃いかもしれない。しかし茶色ではない。

この文化圏では、焼けているのが健康的で良いとされる。東アジアでは「陶器のような白い肌」が良しとされるので、ところ変われば美の基準は変わるというとてもわかりやすい例だと思う。

それにしても、だ。どうしてシミがないのだろう。40代どころか50代、60代の人たちも、シミがない。ほくろもない。これは体質、もっと言うと細胞?の違いなのだろうか。メラニン形成の仕方が違うとしか思えない。南ヨーロッパはアフリカ大陸に近く、黒人の肌みたいな、強さ?もあるのだろうか。ちょうどよく焼けるようになっているのだろうか。

ちなみに日焼け止めは、海に行く時くらいしか塗ってないように思う。それ以外で塗っていたとしても、日本ほど、日常で使うものとされていない。そもそもそんなに種類もない。日本(や、おそらく韓国)が、国をあげて日焼け対策に必死になっているいっぽうで、ほぼ対策をしていないこの人たちが、シミもなくきれに全体が焼けるというのは、どういうことだろうか。むしろ対策をしないほうがいいのだろうか、とさえ思ってしまう。

日焼け対策をしないからシミができないのか?

シミができない体質だから日焼け対策をしないのか?

もはや卵が先かニワトリが先かの議論。

ちなみにイタリア人にシワはある。そして紫外線の影響による肌のたるみも、ある。手元首元は、ある程度の年齢の人たちを見ると確かに傷んでいる。

しかしながら顔のシワはそもそもほとんど気にならないくらい。なぜか。

顔が小さいから。そしてほりが深いから。

骨格が根本的に違って、顔の面積が東洋人とは全然違う。そもそも彫りが深いと、もはやシワなのか何かわからない。

首元手元については、年をとったときのために肌を覆いながら過ごすほど若さを惜しみながら暮らしてはいない。大事なのは「今」が楽しいことで、将来のために我慢しない。

…というのはあくまでも、私が今まで出会った人たちを見て思うことです。もちろんある程度の貯蓄などはするだろうけど、肌に関していえば、焼けないための努力などあまり存在しなさそうだなと思う。繰り返すけど、海に行くときだけは別。海だけは、しっかり日焼け止めを塗ります。

Monday, 11 August 2025

終わりがなかなかこない夜の外出

Fが昔の友達と食事に行くことになり、私と子も一緒に行った。日曜夜、開始は8時半。イタリアの夏は9時ごろようやく日没なので8時ごろはまだ「夕方」な感じがする。すぐ近くのレストランに歩いて行く。地元の人たちがちらほらとやってくる。我々の場合は「友人とその家族」が集合して結局15名だった。小さな子どもがたくさんいた。
イタリアの食事は、アンティパスト、プリモ・ピアット、セコンド・ピアット、ドルチェ、と続く。全部頼まなくてもいい、ということはもしイタリアのレストランに行く予定の人がいたら覚えておくといいかもしれない。

しかしきのうの場合は全部頼んでいた。分けあって食べられるように大きな皿で運ばれてきた。きのうは店の人がなんと1人しかいなかったらしく、ウエイターとシェフ役を1人でやっている女性は本当に大変そうだった。

そのせいで料理が出てくるのはとても遅くて、ようやく肉が出てきたときには食欲より眠気が勝っていた。時計は見ていないけどおそらく11時ごろだったと思う。

そこからさらにデザートを頼み始め、エスプレッソも出てきて、ついに12時をまわったころには私はイライラし始めた。子供たちはレストラン中を駆け回り、鬼ごっこをしている。いつものように「もう帰ろう」と言い始めてから少なくとも1時間はかかる。いい加減にしてくれと思う。

わたしのように朝型で、睡眠時間を何よりも優先させて日々を過ごしている人間には苦痛以外のなんでもない。20代のころは、日付が変わるような遅さに付き合えていたのだがだんだん無理になってきて、40過ぎた今となってはこの通りである。ただひたすらにつらい。「異文化体験だ」と言い聞かせて耐えている。

寝たのは1時を過ぎていた。ワインを飲んだのもあって、おかげできょうは頭が重く、朝から何をする気にもならない。夜ダラダラして、翌日、特に午前中をつぶすというのは愚かなことだと思う。昨夜の人たちが自分の友人だったら違ったのかもしれないが…。

イタリアの人たちにとっては、夜出かけて遅くまでいるのは当たり前のことで、楽しい時間はあっという間に過ぎるものだという共通認識(イタリア人に限らずそんなことは知っているけど、イタリアではもっとそんな感じがする)があり、日付が変わっても「楽しいならいいじゃん」「休暇だし」と、誰もが言う。いつも朝6時より前に起きている、なんて知ると「何か理由があるのか」とたいへん驚かれる。説明するのが面倒なので特に言わない。私のように朝型で、人と出かけるよりも早く寝たい人もいるのかもしれないけどきっと変わり者の部類に入るだろう。

Saturday, 9 August 2025

9日目の雑感

イタリアにきてあっという間に1週間が過ぎた。そう言っている間に10日、つまり休暇の半分が過ぎ、最後の1週間がやってくる。休暇が始まるやいなや「あとxx日か」と考えはじめる。まあそういうものだろう。

旅立つ前には「あれも要る、これも要る」と準備するものの実際に滞在してみるとさほど必要ではない。経験からじゅうぶんわかっているはずだが、渡航前はやはりいろいろな心配が出てくるものだ。服も、ほんのいくつかで十分足りる。

ヨーロッパではYahooが使えないので、日本でなんとなく見ていたYahooニュースに費やす時間が減った。これはよかったと思っている。あれは無駄な時間だった。ほとんど無意識に、ダラダラと閲覧することが多かった。しかもほぼ毎日。Yahooニュースには必要なニュースも含まれているけどたいていが無駄で、出どころのよくわからない記事の寄せ集めだ。それがわかっているのに見てしまう。日本でもいっそのこと見れなくなるといい。自分が見なければいいだけなのだが。その勇気があるだろうか。

日本のことを考える。自転車に乗って、平和に生活できるあの日常がいかにありがたいものか、を考える。必要なものがきゅっとまとまって、清潔で、安全で、いろんなものがよく機能する日本。極端に働き者で、人の話を聞き、周りのことを考えて動く日本人。もう少し楽に生きていいのに。

Tuesday, 5 August 2025

イタリアに縁を持つようになるまでの人生

 日本は相当暑いようで、ここにいてよかったと本当に思う。ここは涼しい。今も長袖を着ている。昨日なんかはもう寒いくらいだった。雨が降ったり止んだりしていた。ここにきてまだ汗をかいていない。このあと、たとえ気温があがったとしても湿気がないので汗だくになることはないだろう。イタリアの夏はこう。

当然のようにこうやってイタリアに来ている今。夏が近づくとイタリア行きの航空券を買うわけだがほかの行き先を考えることもない。自分がどうしてこれほどにイタリアと「縁」を持つことになったのか、と人生をふりかえってみることがここ数日あった。

イタリアに初めて行ったのは2005年のことで、英国に留学中だった。3月にイタリアに行ったらおもしろかったので6月にも行くことになった。そして7月をまるごと過ごした。英国で生活していた身としてはイタリアはたいそう魅力的だった。天気、食べ物、人。すべてが魅力的だった。イタリアに限らず他の国もたくさん訪れたのだが、そうさせたのは英国の「冴えない感じ」だったのかもしれないと思う。

メイフラワー号がアメリカ大陸に渡ったのも、英国が雨と曇りばっかりだったからじゃないのかと思う。ビートルズやoasisの音楽はイギリスからしか生まれないと思う。わたしがイタリアに行くきっかけを得たのは滞在先が英国だったから。すべては、食べ物も天気もパッとしない環境だからこその、産物。英国を否定するわけではないです。

さかのぼって、なぜ英国に留学したかというと、朝鮮語専攻だったから。当時、朝鮮語には、私を惹きつけるほどの魅力がなかった。言語の壁を突破したいと思うほどの強い「おもい」が自分にはなかった。朝鮮語に責任はない。どこまでいっても「西洋かぶれ」で、まだ見ぬ欧州への強い憧れがあった。実際、選考試験で選ばれたときに「あなたは語科間のバランスをとるために選ばれた」と教授に明かされたくらいで、私以外の2人は英語専攻の学生だった。つまりもし私が英語専攻だったら留学の試験には選ばれなかった。

さらにさかのぼって、なぜ朝鮮語専攻にしたかというと、センター試験でB判定の専攻語を選んだから。C判定の中国語を選ぶ勇気はなかった。「中国がダメなら朝鮮にしろ」という、父親の、一見適当極まりない一言が人生を決定づけることになった。これは私の人生の歴史に残る。This  goes down the history. 朝鮮語になんのこだわりもなかった。

人生は不思議で、おもしろい。2005年以降に起きた数々の出来事はさらにイタリアとの縁を強めることになるがそれはまた別の話。
人生が、こうやって振り返ることができるほどの長さになってきた。精一杯生きてきたなと思う。まだ人生終わってないけど。興味のあることに突き進めるのは、打たれ強さ、柔軟性、明るさが育つ家庭環境だったから。なにかと運が良いわたしの人生。

歴史を語る人たち

 きのうの午後、ふらっと親戚が来た。50代か60代?の女性。15分くらい話して帰る。「もうすぐ広島の日ですよね」と言われて、「そうです」と答えた。「もう一つは、長崎でしたっけ」「はい」

原子爆弾のことはイタリア語でbomba atomicaという。ボンバ・アトミカ。正直なところ、日本にいるよりもイタリアにいたほうが、広島と長崎の話を聞くことが多い気がする。世界でほかにない悲惨な歴史を抱えた国として、日本のことを認識していて、イタリアにいるとよく話題に出てくる。日本人より詳しいのではないかと思うことさえある。「原爆の後どうやって立ち直ったのか」「原爆を落としたアメリカとなんで仲がいいのか」など、興味津々で聞かれたことが、数えきれないほどある。

彼女はテレビで見たドキュメンタリーについて話していた。

こういうところが、イタリア人を良いと思う理由のひとつかもしれない。がっしりとした歴史に支えられていること。歴史を語ることが当たり前であること。歴史といっても紀元前から続くとてつもなく大きな流れをとらえていて、世界全体をながめる余裕があること。イタリア人の、ゆったりと、堂々とした生き方のベースはおそらく歴史にある。

この国では学校教育で徹底的に歴史を学ぶ。歴史を語ることは、一部の知識人の作業ではない。これはもしかしたらイタリアに限らずヨーロッパ各国は似たような傾向があるのかもしれない。

今朝、内田樹氏のブログを読んだらまさにイタリアの話題が出ていて面白かった。歴史修正主義は英語でrevisionismというらしいです。知らなかった。

以下引用。

イタリア人はとても親切である。まして同じ武道を修行する道友であるから、遠くから笑顔で手を振ってくれる。以前、神戸の私の道場に遊びに来てイタリア人の合気道家たちとおしゃべりをしていた時に、近代史の話になった。第二次世界大戦が始まった直後、ドイツがフランスを電撃的に攻略した時に、イタリアもフランス領土の一部を占領したことがある。45年の7月には三国同盟を反故にして日本に対して宣戦布告をしている。そのような自国の歴史の「あまり自慢にならない話」をあっさりと話してくれた。少し驚いて、「どうして、自国の歴史の暗部についてそんなに率直に話せるの?」と言ったら、しばらく考えて「昔、一度世界を支配したことがあるからじゃないかな」と答えてくれた。
 なるほどと思った。イタリア半島の住人たちはかつて世界を支配していたのである。だから、「余裕」があるのだ。いちいち「イタリアはすごい」と言挙げしなくても、ローマ帝国が世界帝国であったことを否定する人はどこにもいない。
 英国でもスペインでも中国でもたぶん事情は似ているのではないかと思う。一度は世界帝国になるだけの力を持っていた国である。その国民であるということの自信が歴史修正主義的なふるまいを自制させるということがあるのではないか。
 自国の歴史を虚偽を以て装飾しようとするのは(ドイツ、フランス、日本が適例だが)、そう望んだけれどついに世界帝国になることができなかった国の通弊なのかも知れない。 

Sunday, 3 August 2025

干草、お祭り

前日、寝る時間はすでに日付が変わって8月2日になっていた。それでも6時半ごろ目が覚めたのは、朝型のためか、時差ぼけのためか。いずれにしても朝は気持ちがいい。世界中どこにいたって朝が好きだけど、ここの朝はとても気持ちがいい。家からはこの眺め。

イタリアに行く前、負荷試験に行くバスのなかで、子と話していた時のこと。
「ままは、イタリアに行ったら何がしたい?」
「うーん… モッツァレッラ食べたいな」
「…えっ、それだけ?」
「うーん…」
考えてみたもののこれといった答えが出てこない。のんびりしたい、と思うがそれがアクティブな「したいこと」なのか、というとちょっと違うだろう。観光大国イタリアで「したいことがない」というのも変な話だが正確にいうと「何もしたくない」が答えである。これといって買いたいものもないし行きたいところもない。いや、行ってみたいところはいくつかあるけどそれはイタリアに行ってから考えてじゅうぶんな気がする。
ヨーグルト、ナッツ、アプリコットにオリーブオイル。イタリアではこうする、というわけではなくて私がこれを好むというだけのこと。

子といえば、子にはきのう久しぶりに会った。というのも1週間以上先に父子で旅立っていたため。あたたかく出迎えてくれたが、1週間会えなくて寂しかったね〜、というようなことはあまりなく、まるでこの1週間がなかったかのようにいつもの調子で注意したり怒ったりしている。再会を喜ぶやいなや日常に戻る。そういうものだろう。1週間いなかったからといって急に聞き分けのいい子になるわけがない。そんな調子の良いことはドラマの中でしか起こらない。

子は、祖父母宅ではだいぶ可愛がられていて、親としてはありがたい限り。「親は教育しなきゃいけないけどね、祖父母っていうのは孫を甘やかしていいんだよ、そのためにいるんだよ」と笑いながら言うおじいちゃん。自分の祖父母もそうだった。絶対的に自分の味方をしてくれる、逃げ場だった。

自分の祖父母が海外にいるっていうのはどういう感じがするんだろうな、と、我が子ながら興味深く思う。
とりあえずアンティパストを、と、この皿が出てきた。日本では「チーズとハムとサラミ」でしかないものが、ここでは膨大な数の種類が存在する。
そしてラザーニャが出てきた。表面カリカリで美味しかった。おなかいっぱいになった。

食事が終わってもさっさと片付けたりしないのがイタリアの家庭。誰かがまだ食事をしているのに席を立ってテレビを見に行ったりするのは、タブーとまではいかないが、その場に合った行為ではないだろう。ケンカでもしない限り。

では何をするのか。「おかわりは?」「コーヒーいる?」「デザートあるよ?」「果物はどう?」
これらのやりとりが必ずあり、世間話や、なんてことない家族の会話が続く。ようやく席を立つのは2時半くらいになる。家庭にもよるだろうけど。

いきなりイタリアの家庭で過ごすことになった外国人がいたら、この、ゆっくり流れる時間には戸惑うかもしれない。

帰り道、スーパーに寄った。Bio製品が多い。知ってはいるけどあらためて思う。オーガニック、無農薬の国産品がこんなに多くて、安い。乳製品コーナーに行くと、Avena(麦)のミルク、アーモンドミルク、米のミルク、豆乳、これらがすべてオーガニックで1ユーロ代で買える。日本だと健康志向の高い人のためのオシャレ製品になってしまって500~600円する。そもそもこんなに種類ないけど。

途中で降りて写真を撮ることにした。fieno(フィエーノ)という、干草を丸くしたやつがあちこちにあって、そこで写真を撮るといいね、と前から言っていたのだった。
ひらけた景色

帰ってから庭のプールで遊び、夕飯を食べて、9時ごろから近くのお祭りに行った。

最初から行こうと思っていたわけではなく、帰り道に、上の写真のようななだらかな丘で、何か準備しているなと思っていたらどうやらそこでコンサートをやる、とのこと。じゃいってみるか、ということになった。ここではなにもかもが自然発生的、不随意的に起こる。spontaneousという英単語がぴったりの人たち。
バンドの演奏といくつかの屋台。日本の屋台のような、けばけばしい感じはない。数も少ない。来ている人たちは年齢層が高めだが、子供も、中高生も、子育て世代もいる。300人はいると見た。小さな村の、小さなお祭りに、こんなに人が。注意書きなどはほとんどなく、椅子とテーブルが並んでいるだけ。

クレープと、すぐこわれそうなおもちゃ屋さん。剣のおもちゃをねだる我が子にうんざりする。当然買わない。
後半になると前に出てきて踊る人たちが出てくる。スマホを見ている人がほとんどいない。
走り回る子どもたち。「子どもは寝る時間」というのは、存在しなそう。

だんだん寒く、眠くなってきて11時半ごろに帰った。「帰ろうか」と言い始めてから本当に帰るまでに1時間くらいかかる。知っている人みんなに挨拶をしてから帰るから。イタリアでは、こういう場で知人がしれっといなくなることはまずない。

倒れた椅子を起こそうとしていた子供たちがいたので手伝ってあげたら、女の子が
"Grazie. Come ti chiami?(ありがとう。名前は?)"と聞いてきた。教えてあげると"Io sono Alessandra." と教えてくれた。アレッサンドラ。写真左の子です。

そのあと前歯が抜けたらしく、これまた報告に来てくれた。コミュニケーションに壁がない。わたしを見て「アジアっぽいな、なんか違うな」と思わないのだろうか。日本でもそうだろうか、それともこの子がイタリア人だからか。

Saturday, 2 August 2025

イタリアに着いた

あっという間にイタリアに着いた。こんなに簡単に着いていいのかという気さえする。去年も思ったけど、
・成田ではなく羽田
・経由便ではなく直行便
ただこれだけの違いが、大きな違い。イタリアに行き始めて(?)20年くらい経つけど、当時のこと(つまり成田、経由便)を考えるとそれはもう楽になったと思う。

8:20に家を出て、電車とバスで10時前に空港着。12:45発で14〜15時間。

なんというか、「いよいよ近づいてきたな」という感じがしない。どこでもドアというと大袈裟かもしれないが、降りたらそこは目的地、という、あっけないような感じもする。
派手な色の機体

楽に感じた理由のひとつとして、今回は特に、席の指定をしたこともある。席が指定できるなんて当たり前じゃないかと思うだろうが、違うんですこれが。ITAエアウェイズだと席を指定するだけでお金がかかる。エコノミークラスでもそう。(ほかの航空会社ももしかしたらコロナ以降はそうなっているかもしれないけど。)指定しないとどうなるかというと、チェックインで自動的に割り当てられたところに座るしかない。

昨年、指定なんてするわけがないと思って当日まで放っておいたら案の定、両脇に人がいる席になってしまった。それはそれでなんとかなったけど、やっぱり立ちたい時に立てる席がいい。お金を払う価値はある、と思って往復ともに指定。あわせて9000円くらいかかった。

特に今年は、腰の問題があるので極力同じ姿勢を続けないように、しょっちゅう立った。水を飲みに行ったり、トイレに行ったり、歯磨きに行ったり、ただ立ったり、体操したり。これだけでだいぶ、膝や腰への負担は減ったと思う。これからも席は指定しよう。

着いたあと、夕焼けに照らされた機体を見ながら、当たり前だけど「そうかもう着いちゃったのか」と、あらためて気づく。これだから直行便はやめられないよな。2〜3万円の違いなら断然価値はある。他の会社に比べてITAのサービスに劣るところがあったとしても、直行便の魅力はほかの何にも代え難い。そしてもうすぐスターアライアンスに加盟するというから、ますます選ばない理由がない。

「日本国籍多めです」と、搭乗するときにスタッフがやり取りしているのが聞こえた。「多め」だけど、どちらが多いのだろう。日本からイタリアに帰るイタリア人が多いように感じるのは、とにかくしゃべるから。存在感が、すごい。

今さらいうことではないだろうけど、イタリア人はしゃべる。しゃべる、しゃべる、しゃべる。しゃべってなんぼの人たちである。搭乗して隣のイタリア人が自分と同じように日本への旅行を終えたばかりとわかると"Piacere(はじめまして)"と名乗りながら、この旅行で撮ってきた写真を見せ合う。

わかりやすいのがCAたちである。男女半々くらいのスタッフがいるが、後方にたまって立ったり座ったりしながら15時間しゃべりつづけている。話が聞こえないように声を小さくすることはない。これが誰かにとって迷惑かというと、そんなことはまったくない。そもそも乗客もしゃべるので、誰も気にしない。

残り3時間くらい、というところで少し眠った。寝れても1時間程度。映画を3つ(コンクラーベ、10 giorni con i suoi、Anora)見て、テトリスで遊んだ。字幕もなくてコンクラーベは全然意味がわからなかった。飛行機のなかで字幕なしで映画を見るというのは、最も高度な外国語の聞き取りのうちの一つだと思う。飛行機の音がすごいから。
到着時刻は8時半だったが、8時ごろには着いた。パスポートのチェックは、昨年と違って列に並ばなくてよかった。いままではEUとその他、だったけど、今年は日本とほかのいくつかの国は「その他」から除外されていて、早いレーンに行けた。機械の読み取りだけで外に出られた。荷物も問題なく、結構すぐに出てきた。

空港はだいぶ整備されていて、昔とは全然ちがう。良いこと。しかし昔が懐かしくもある。
ローマは、いつものあのぬるい空気がなくて、だいぶ涼しい。20度台だそうです。迎えにきてもらって、車でアブルッツォまで、2時間以上走る。11時くらいに着いて、空を見上げたら、落ちてきそうなくらいの星。どわっと、降り掛かってくるような勢い。

Wednesday, 23 July 2025

面談、負荷試験、サンドイッチ

宿泊を伴う仕事が2つと、イタリア行きとがこの夏休み中にはある。始まってからドタバタしたくないと思って、病院その他の予約、用事は計画的に済ませているはずなのだが、それでもこの2日間(22,23日)は忙しい。おまけにこんなに暑いので、外に出るのも勇気がいるし、体力を使う。

忘備録もかねて。
22日。
朝は我が子の個人面談。「僕も行きたい」とは言うが、これは大人の話だからね、と言って私だけが行く。朝1番にお願いしていたのだが、あとから担任の先生から電話がきて、もう少し早く来れますか、とのこと。当然、たった15分で終わるわけがないので、二つ返事で15分前に到着した。特別支援の先生もきて、3人で面談した。電話で聞いていたとおりではあるが、やはり学習面での困難が大きい、とのこと。4年生以降、もっと大変になっていくだろうから、今できることとしては、どこまでが身についているか、こちらが把握した状態で、本人に合ったものに取り組ませるほうがよい、とのこと。夏休みは良い機会なので、2年生の復習からはじめてちょうど良い。宿題も、とうてい無理だろうというものがあるので、それだったら、かわりに復習のものを取り組んだら、じゅうぶん、と言われた。ありがたい話だ。

私がみている分には「去年よりだいぶましだな、成長したな」と思うのだが、これがクラスという環境になると、そうも言ってられない。本人が自己肯定感を持つには、周りとの差が大きすぎる。やってもどうせできない→やりたくない、の流れができあがってしまうのも無理はない。

そこでわたしが躍起になりすぎたり、暗くならないことかなー、と思っている。あきらめるわけではなくて。あくまでもこの子をみながら取り組んでいくしかない。焦らないこと。

午後から、アレルギーの負荷試験。今回はクルミ。めずらしく午後の回だった。12時までに行けば良いということだったが、家にいても暑いだけだし、食事ができるのは11時までということになっていたので、早めに行って病院で何か食べようと10時半前に家を出た。暑い。逃げ込むように駅へ。車酔いやらトイレやら、たくさん心配しながら出かけなければいけなかったときと比べると本当に楽になった。自分の荷物は自分で持つ。助かる。

病院のコンビニで食べ物を買う。

お金を渡してコンビニで何か買う、ということを3月以降ときどきやってみている。弟の奥さんが春休みにやらせてくれて、そうかこういうのやってみないとダメだなと思ったのがきっかけ。やってみたら意外とできるしだんだん上手になってきた。

サンドイッチを2つ買ってきてくれた。2人分、とお願いしたので二つあるのだが、「どっちもぼくが食べたくなっちゃうんだよね〜」と言いながら買ってきた。それは困るので半分ずつ食べた。

負荷試験は順調に始まり、クルミ0.3gを食べても症状は出ず。陰性。よかった。ベッドの上でお絵描きやらマイクラやら宿題やらして過ごした。私は読書。「世界の教育はどこへ向かうか」。

2時半くらいに帰宅指示が出たので無事に帰った。やはりお腹が空いたというので、そりゃそうだろうなと思って350円渡したらまたしても「シャキシャキレタス」のサンドイッチを買ってきた。これは1人で食べるらしい。

家に帰って、なんだかぐったり疲れていて、何をしたかあまり覚えていない。6時ぐらいになって、こども用歯磨き粉がないことを思い出し、ドラッグストアへ行った。わたしのシャンプーもない。

2日後にせまった、父子のイタリア行きの準備に、わたしがそわそわしている。まだ何も準備されていないのだ。だいたい前日に始まる。それでもだいたいうまくいくし、心配してもどうにもならない。心配って、具体的になにを?と考えても、実は何もない。パスポートさえあればあとはだいたいのことはなんとかなるわけだから。こんなにそわそわするのは、
①我が子のことだから
②歳をとったから
③上記全て
さてどれでしょう。

Sunday, 20 July 2025

投票は気ままに

7時半ごろ、子といっしょに投票に行ってきた。てくてく歩いて、まあ暑いけど、耐えられる程度。500円渡して、コンビニで何買ってきても良いよというと、486円のフルーツサンドを買ってきた。高い。涼しいベンチで食べて帰ってきた。夏の朝の、ちょうど良い散歩。青空に、筆で書いたような、雲がしゅーっと流れていて、はあ7月だなという、暑いのになんだか嬉しいような気持ち。

投票について思うこと。

きょうの選挙はいつもより盛り上がっている…ような気がする。それでも投票率が高くはならないのかな。いや、高いというのは比べる対象によるのだろうけど。スウェーデンと比べたら、そりゃ低い、でも前回と比べたら高い、とか。

選挙に行くべき、というのは当たり前のことなのだが、あんまり大きな声で言えないけど選挙に行ってなかった時期が、長くある。まず、上京してから住民票を移していなかったため、投票の封筒が届くことがなかった。それが大したことだと思っていなかった。母親は、娘の住民票を移したくなかったと言っていた。

だからおそらく5〜10年くらい投票したことなかったのではないだろうか。今考えると信じられない。誰もそれに対して文句を言う人もいなかったし、友達と選挙の話題になることもなかった…と思う。たぶん。

そしてなによりも、政治に興味がなかった。これは、特に理由にもならないくらい。一般的に言われる「最近の若者は」に文句は言えない。そうです、そのまま。興味がなかった。いわゆる「行っても同じだろう」と思った。なにせ生まれたときから(与党は)自民党しか見たことがない。意見を出してひっくりかえるようなものだとは思っていない。そして選挙権があるのに手元に投票用紙がないという状態に慣れすぎていて行かなければいけないとは思えなかった。

どこかの時点で、住民票を移し、封筒が届くようになった。投票したという、記憶にあるのはこの10〜15年くらいだと思う。伊藤詩織さんの事件のあたりで「やばいことが起きている」と思うようになった。森友問題や、学術会議の任命拒否問題や、望月記者と菅さんがバチバチしているあたりで、あからさまなおかしさを感じるようになった。安倍さんのことは好きじゃなかったけど、「ぼーっとしてるとやばいな」と思わせてくれたのは安倍さんのおかげなのかもしれない。

子が生まれたこともあるかもしれない。人ごとだったいくつかの政策は、身近になった。

そのあたりでツイッターやらインスタやらが身近になってきて、コロナが起きて、ついにジャニーズも崩れて、今まで見てきたものは虚構の世界だったのか、というような、今。それは、ダメなことではなくて「世界は変わりうる」「常識も変わる」ということを、目の当たりにしているだけ。

投票というのは政治をよくわかった立派な大人がするものだと思っていた、というのもあるかもしれない。実際、よくわかってなくても投票していい。遠慮したり気を遣ったりする場所ではない。そういうことに気づいたのは、よくわからないながらも、最初の投票をしてみたから。何歳の時か覚えてないけど、とりあえず行ってみたから。今考えるとなんであんなのに票を入れたんだろう、とかある。たぶん。覚えてないけど。でもそれで良いのだと思う。またしばらくすれば、投票の機会は巡ってくる。間違いはないし、票を入れたことを誰かに責められることはまずない。

finalventさんのポリタスの記事を読むといいと思う。もっと「気まま」でいい、と。これでいいんだなと思える。やたらと「投票に行こう」と言われるとなんだか怒られているような気持ちになって萎縮してしまう(人は少なくないのではないかと思う。このあたり、日本人とくにそうかも。)けど、この記事を読むと少し楽になります。「票を入れたい人がいない」んだったら、消去法でいいと思う。投票においては、消去法=消極的ではない。時々思い出してこの記事を読む。

そんなに一生懸命考えなくても、直感でもいいと思う。そんな適当なことをやっていいのか、と思うかもしれないけど、参加する第1歩はそこから。あんまりにも考えすぎると投票できなくなってしまう。まじめな人ほど、結局投票しないということになりかねない。前回はA党に入れたけど今回はB党に入れる、という変更に、罪悪感も感じなくていい。なぜなら時代も考え方も人も変わるから。そもそも誰も見ない、責めない。    

さて、きょうの結果、どうなるでしょうね。

Thursday, 17 July 2025

モデルとしての上司

 自分よりだいぶ若い同僚が増えてきた。あまり今まで考える必要のなかったことを考えるようになったきた、と最近よく思う。仕事をはじめて18年間、自分が教わる側だと思っていたから。それが、ほとんど意識していないうちに、教える側に移行しつつある。年をとるというのはこういうことだ。

押し付けがましくもなりたくないし、おせっかいなのも嫌だ。かといって放っておくのも違うだろう。難しい。同僚が失敗したとしたら、それは同僚のせいではなく明確に指示をしなかった自分のせいかもしれない。

こういうときはやはり、自分がどうされて嬉しかったか、どうされたことが役立ち、今も生きているか、を思い出しながらやるしかない。

働き始めた1年目の上司が、とてもよかった、といまだに自分の運に感謝している。話もよく効いてくれたし、だいたい好きなようにやらせてくれて、さらに上の上司から怒られる前に、先回りしてカバーしてくれていた。仕事の速さと、ユーモアのセンスが抜群で、周りからの信頼もあつかった。あの「理想の上司」が未だに自分のなかには生きている。

「尊敬する人」というほどではなくても、いくつかのモデルを人生で持っておくと、迷ったときは歩きやすくなるかもしれない。

Wednesday, 16 July 2025

ビフィズス菌と朝食


写真1。

うちにある豆皿。いつもこれに、子が食べるためのナッツ類をのせる。おととい「あっ!」と言うので何かと思ったら

「ビフィズス菌」

と。ほんとだ!!このテトラポッドみたいなやつはよく似ている。なんで知ってるんだろうと思ったら先日学校の図書館から借りてきた本にあった。一緒に読んだんだった。そして私もここ数ヶ月、腸内細菌についてよく読むので、言われてすぐにピンときた。それにしてもこどもはよく覚えているなあ。あの時のあの場面がこんなに頭に残っているのか、と驚いた。



 写真2。

きのうの、子の朝ご飯。ふとならべてみたら顔みたいだったので写真をとった。あみえびとチーズのオムレツと、みそのおにぎり。このあとヨーグルトも食べた。ちなみにわたしはこんなにしっかりした朝ごはんは食べない。

朝、卵を食べるようになったのはこの1年くらいだと思う。その前は、朝ごはんを作る、というほどでもなく、パンとジャム、とか果物とか、そんな感じで終わっていた。それが、いつごろからか卵のリクエストがあるようになり、作ってみると、よく食べる。もしかしたら前からこういうしっかりしたご飯を食べたかったのかもしれないなと思うと少し申し訳なくも感じる。

そんな感じで毎日卵を焼いているとこちらもコツがだいぶわかってきた。スクランブルにならず、かといってとろとろでもなく、ちょうどよくまとめるためにはコツがある。しかし1個だけだし、深型フライパンをつかっているので、理想のオムレツとは程遠い。それでもちょっとずつ上手になってきた気はする。

さて、そろそろきょうのを作ろう。

Saturday, 12 July 2025

親は難しい、腸内細菌

 涼しい。おととい夜の大雨からいっきに涼しくなって、夜でさえエアコンが要らなくなった。この天気がもう少し続けばいいのにと思っている。昨年7月のブログを見てみたら同じように「涼しい」と書いているので、こういう時期はあるのかもしれない。

子にどう接したらいいかわからない時がある。かわいいけどかわいいとばかりも言ってられない年齢。難しい。この子を傷づけているのかもしれない、と思うときがよくある。疲れていることを言い訳にはできないだろうけど、意地悪なことを言っているなあ、自分、と思うことがある。もっと肯定してあげないといけないのかもしれない。いっぽうで、叱るのは自分しかいない。親にそうされたくなかった、と思うようなことをまさに自分が繰り返していて、嫌気がさす。自分の器の小ささにうんざりする。まっすぐに伸びるはずのものを、自分がねじ曲げてしまっているかもしれない。考えすぎだろうか。親というのはこんなに難しいものなのだろうか。悩みも心配も尽きない。しかし暗くなってはいけない。

ここ数ヶ月、腸内細菌についてよく読んでいる。こんなに面白いのに今までどうして無関心でいられたのだろう、と思う。いくつか本を読むとだいたい同じことが書いてあって、「あ、これはこの人が誇張して書いているわけではないんだ」とわかる。腸と脳にはつながりがあって、腸の調子が良いと脳も調子が良い。逆もまた然り。

というわけでこの数ヶ月は摂取するものにたいする見方がだいぶ変わったと思う。身体に良いものを優先的に食べる。腸内細菌はどういう状態にあるのかなとイメージしながら。

さてきょうは土曜だけど出勤。準備します。

Friday, 11 July 2025

大雨、朝稽古

 あと少しで夏休み。夏休みになったらスイっと動けるように片付けられるものは片付けておこう、と思う。病院とかクリーニングとかゴミとか、そういうものが頭にある。仕事も同じで。どこかでスタックしたくない。

きのうは朝から、子の学校に2回行った。午後は保護者会だったが、隣に座っている保護者が先生の話のあいだずっとスマホをいじっていて、何の悪気もなさそうだったので、これはもう珍しいことでもないのかもしれないなと思った。

きのうの朝は合気道に行った。めちゃくちゃ暑かったけど、エアコンが導入されたのでだいぶ楽だ。行くまでのほうが暑い。朝6時であってもずいぶん暑い。7時半ごろ、スッキリした気分であいさつをして帰る。6時半からこれだけ身体を動かすと、当然だけど、みなさん爽やかで満たされた表情をしていらっしゃる。こんなハッピーな人々、空間がこの世にあるのですよ。朝の7時半に、こんなに気持ちよく1日を始めている人たちが。朝稽古に参加しはじめて、本当に自分が変わったと思っている。朝稽古が終わると、もうその1日に悔いがないくらい満たされている。

夕方、予報通りにちょうど6時から雨が降った。大雨だった。雨の多い地域で育ったせいだろうけど、夏の雨は好きで、降る前はワクワクする。洪水とか地滑りとかはまた別の問題。

おかげできょうはずいぶん涼しい。エアコンいらない。さてきょうも仕事がんばろう。

Wednesday, 9 July 2025

スペリングビーとサンダル

ここ3年か4年くらいだろうか、wordleに加えてSpelling Beeをやっている。最初は無料で楽しめる分でよい、と思っていたがあまりにも楽しいのでお金を払ってやることにした。これは正解だった。

確実に語彙が増えたと思っている。最初は知らない語をノートに書き留めていたが、そこまで必要なくなってきた。面倒になったというのもある。毎日出題される。以前はその日しか解けなかったがいつ頃からか過去も遡って解けるようになったので、少しこちらも怠惰になってきた。次の週の月曜には問題が消えるのでその前までには全問正解目指そう、という感じ。

単語帳というものでいざ勉強しようとすると、単語テストでもやってくれる人がいない限りやる気にならない。そういう私にはゲーム形式がちょうどいい。毎日知らない語に出会う。「入試頻出語」とかそういうわけではないのでかなりマニアックなものが多い。きょう初めてお目にかかったのはhamartiaという単語。ハマーティア。意味は「悲劇の主人公の性格的欠点」だそうだ。ギリシャ語由来。日本語もしょっちゅうでてくる。tatami, hamachi, tamari, honchoなど。

話は変わって。

サンダルが戻ってきた。何があったかというと、日曜に家族でプールに行った時のこと。着替えて更衣室から出てきた我が子が「サンダルがない」と言う。いつもの注意不足だろうと思っていたら本当にないらしい。係の人も探してくれたけど、なかった。同じブランドのサンダルが置き忘れてあったので、きっと誰かが間違えて持っていったのだろう。名前と電話番号を書き残してその日は去った。月曜は連絡がなく、まあ諦めるしかないかなと思っていた。そして火曜の夕方、ふと携帯を見ると着信が。これはもしかしてと思ったら、案の定、「それらしきものが届きました」とのこと。ありがたい。早速取りに行ってみると、間違いない、黒いサンダルだった。お礼を言って去った。

あきらめてもいいくらいに使い古していたのだが、いざなくなると惜しくなる。春に一回なくなった私の自転車も同じ。とにかく、よかった。

Tuesday, 8 July 2025

朝顔と空気質

今年第1号の朝顔が咲いた。5時にはまだくたっとしていたのだが、見ているうちに花びらが開いてきた。朝顔は強いし、育てやすい。田舎に住んでいたらなあ、もっといろいろと、広々と、育てられるだろうになあ、と思うけど、仕方ない。
きのうもきょうも、とても暑いのだが空が曇っていて、とても変な感じがする。なんだろうと思って調べてみたら、空気質はあまり良くなさそうだ。もしかしたら光化学スモッグ気味なのかもしれない。光化学スモッグについてよく知らなかったけど、暑い日の都市部はそうなることがあるらしい。今まで気にしていなかっただけのようだ。田舎に住んでいたらこういうことにはならないだろうにな、とまた思わずにはいられない。気にしていたら生きていけないのだが、この空の白さと、霞んだような感じはどうも気になる。

Monday, 7 July 2025

ピーナッツ陰性、と自転車との別れ、oasis


この週末はいろんなことがあった。振り返ってみれば、である。特になにも問題はないのだが、考えてみたらあれもこれもいろんなことあったなあ、と思う。きょうはいつもとかわらない月曜日。

そういえば金曜に出勤しなかったのだ。だから週末が3日あったような気がしているのだろう。金曜は子のアレルギーの再診。といっても私しか行かない。5月の負荷試験でピーナッツ1粒を食べても陰性だったので、今後のことなどを話しに行った。これからは、ピーナッツ半粒ぐらい食べていけばいいだろう、とのこと。そしておそらく今後は反応が出ない。むやみに避けなくてよさそうだ。こんな日が来るとは。救急車で運ばれて死にかけたのが信じられない。アレルギー科に通い始めて4年近いが、思い切って通ってよかったと心底思っている。

 これから先はヘーゼルナッツとくるみが残っている。

帰宅したあとで、新しい自転車を受け取りに行った。そう、新しいのを買ったのだ。ということはつまりこれまで15年近く乗っていた相棒と別れることになる。これがもはや信じがたく、ここ数日は乗るたびに「もうお別れか」という思いが募った。仕方がないのだ。サドルもブレーキもタイヤもチェーンもハンドルも全部かえてきた。それもボロボロになっていて、ついには心臓部分がすり減り、切り替えがきかない時がでてきて、自転車屋に相談しても修理をすすめられなくなった。いよいよ限界か、と思ってついに購入に至ったのだった。

自転車屋にはピカピカの、新しい私の自転車が届いていた。店に入ったらすぐわかるくらい目立った。

カゴを注文していなかったので、どうしたらいいか話したら、今使っているものを移植できるらしい。時間に問題はなかったのでその場でお願いした。

移植も整備も点検も防犯登録も終わって、いよいよ別れるときになったらちょっと涙が出そうになった。「よくがんばったな」と言って、頭を撫でるように、ハンドルの部分をポンポンとした。「ちょっと写真とっていいですか」と言ったら自転車屋さんが外に出してくれた。ガラケーしか持っていないので、仕方なくそれで撮った。ほんとによくがんばった。毎日往復1時間近くの出勤に付き合ってくれた。雨の日も風の日も、なんなら雪の日も、去年事故にあってぶっとばされた時も、この自転車といっしょだった。週7日で乗らない日は、まずなかった。感傷的すぎるだろうか。「この前、盗まれたんですけど、戻ってきたんですよ」と自転車屋さんにいうと「そんなことがあったんですか〜」と。

実際、盗まれたことも買い替えのきっかけだったと思っている。葬るなら自分の手で、お礼を言って、葬りたいと思った。

自転車を買い替える人たちはこんな気持ちがするのだろうか。

自動車を買い替える人たちも似たようなものだろうか。

自転車屋さんはこういうシーンをこれまで何度かみてきたんだろうか。

新しい自転車は、それはもちろん乗り心地がいい。ちょっと前より重くなった気もする。タイヤが少し太い。その分安全な感じはする。まだ「乗り心地最高」とは言えない。まだ「私のもの」になっていないから。

同じ日、地球の向こう側ではoasisのコンサートが開かれている。歴史に残るレベルだと思っている。

朝、できるだけ新聞を読むようにしている。ニューヨーク・タイムズでは「oasisが今度こそアメリカでうまくいくか」を書いていて、
久しぶりに1ページまるごと読んだ。「欧米」とは言うものの「欧」と「米」はだいぶ異なる、といういい例だ。

土曜は合気道の朝稽古。気持ちよかった。エアコンがきいているのにすごい量の汗をかいた。

日曜はプールと、いつものレストランと、韓国ドラマと、バーガーキング。週末はこうあるべき。土日とも、バナナブレッドを焼いた。軽いのであっという間になくなる。砂糖は15gに減らしてみたけど、じゅうぶん甘い。もしかして砂糖はいらないのかもしれない。

Sunday, 6 July 2025

かき氷

この夏初めてのかき氷を食べた。途中から口の中も身体も冷えすぎてだんだん食べるのが辛くなる。2人がかりでも食べ終わるのが大変だ。屋台のかき氷程度がちょうどいいのかもしれない。
 

Friday, 4 July 2025

「酒の力を借り」ない人たち

先週、職場の飲み会があったが私はいかなかった。理由を考えてみると
・酒に興味がない
・夜は寝たい
・価値を見出していない
行ったら行ったで楽しいんだろうけど。枠を決められての集まりがとにかく苦手な私。数人で集まるのはいい。

週があけて、盛大に酔っ払った人たちがいたようでだいぶ話題になっていた。家でそのことを話していて、「自分を変えるために飲む人たちがいるからね」という話。日本人にはぴったり当てはまる。「酒の力を借りて」なんていうけど、飲み会に行くのは「普段言えないことも言える」という利点?期待?もあって参加する人も多いと思う。日本だけじゃないかな。酔っぱらい文化はヨーロッパにもある。

しかしながら、私の知る限り、イタリアでは酔っぱらいを見ない。自分が変わるほど酔っ払うことはかっこよくないとされる。いわゆる「千鳥足」だったり、お店の前で仲間に抱えられていたり、翌朝地面に寝ていたりする人はまず見たことがない。きっといるのかもしれないけど、かなり珍しいのではないか。酒ごときに変えられる人たちではない。言いたいことを言うにも、酒の力を借りる必要がない。

Thursday, 26 June 2025

セールの思い出

 激しく怒る夢を見た。理由も覚えていないけどその相手が母だったり子だったりした、気がする。夢で怒ったり、走ったりすると、「届かない」感じが苦しい。スローモーションで動くベルトコンベアの上を、自分も無理やり同じスピードで走らされているような感じがする。声も主張も、届いていないのに自分だけがエネルギーを著しく消費しているような、そんな感じがする。

さて6月が終わろうとしていて、世の中はセールの時期が近づく。仕事を始めて1年目、世の中に「セール」というものが存在することを知ったのはおそらくこの時だったと思う。それまでお金もなかったので服や靴を買うのとは無縁だった。そして働き始めた年は、定期券内に新宿があって、帰り道にあらゆる店に立ち寄ることが可能だった。あの夏にいろんなものを買ったのを覚えている。給料が出るのも初めてだったのでひたすら嬉しかった。「こんなに買っていいのかな」と思いながらおそるおそる1万円のポロシャツを買ったりした。

それから20年近くが経った今、当時に買った「いいもの」をまだ使っている。たとえばラコステの水着はいまだに状態もよく、夏の休暇先には必ず持って行く。リネンのワンピースも、なんだかんだでずっと使っている。あの選択は正しかったのだ。

欲しいなと思っていた綿のシャツがきのうの夜9時からセール、ということを、きのうの朝知った。9時というのは寝る時間なので、翌朝(つまりきょう)に見てみて、買おう、と思っていたのだが、今朝どう検索してもない。もしかしてと思ったら売り切れていた。考えが甘かった。諦めるしかない。

話変わって、昨日の朝の土砂降りにはやられた。あと5分で職場に着く、というときに降り始めた。途中でカッパを着込んで正解だった。

Wednesday, 25 June 2025

よく眠れた、と健康診断

 エアコンをつけっぱなしで寝た。とてもよく寝ることができた。5時に起きたときに重い感じもしないし、5時前に起きることもなかった。これが理想。これが毎日達成されるわけではない。暑い季節はなおさら難しい。だから1日の照準を「夜よく眠る」になるべく絞って過ごすようにしている。

最近新しくアイマスクを買った。高いものでもないので、試しにと思って買ったがこれが正解だった。真っ暗になるけど目への圧迫もない。

先日、職場の健康診断があった。これで病気が見つかるとは決して思っていないので、必要な検診は自分で受けている。職場のは、義務なのでやるだけ。職場に来ているクリニックの人たちもかなり「テキトー」にやっている。それで別に構わない。仕事と仕事の合間に済ませるので、「なるべく短時間で」済むことが大事だ。実際、15分くらいで終わった。

体重はずっと変わっていない。24歳くらいから、妊娠中をのぞいてずっと60kg代だ。少しの上がり下がりはある。ホルモンの影響で62kgくらいまで増え、浮腫むことはある。これが食生活や運動不足のせいではないとわかっている。自然と60kg代に戻る。それでも年間平均をとったら、きっとすこーしずつは増えているのかもしれない。体型は少しずつ変わってきている。

先日、同年代同僚と話していたら、こどもを産む前よりも14kgくらい太った、と言っていた。驚いたけど、これは結構普通のことなのかもしれない。

さ、きょうもがんばろう。

Tuesday, 24 June 2025

『問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ』


 土曜日は朝から仕事で、しかし時間があったのでずっと読書をした。春日武彦の『問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ』を読んでしまった。久しぶりに1冊いっきに読み終えた。同僚に精神的な不調に関する本を借りたことがあり、そのタイトルはなんだったか忘れたけど躁鬱病についての章をこの医師が書いていたのを覚えていた。先日図書館で見た時にこれは面白いかもと思って手に取った。

「うつ」のほうばかりが取り沙汰されるが、「躁」については問題とされることは少なく、傍目から見ても「元気があってよろしい」となってしまう場合が多い、というあたりからはじまる。具体的な対処法が書いてあるわけではないが、歴史において、おそらく躁の人が起こした事件や問題について具体的に取り上げられていた。内容も面白いが文の書き方が面白い。ユーモアがある。読んでいて引き込まれた。これは笑っていいのかどうか、と思う箇所がいくつもある。不謹慎だと思ったり深刻にとらえる人は多いだろうけどわたしは笑う。ユーモアだ。

こういうのを読んでいると「問題を抱えている人たちはたいへんだな」と思ってしまうが、自分もいつでもそうなりうるということを忘れてはいけない。昨年、村上春樹の『アンダーグラウンド』を読んで思った。その箇所を具体的には覚えていないが「自分はこっち側で、あの人たちはあっち側の人、と思ってしまうこと」について書かれていた。この事件の場合は、オウムであるわけだが、たいていの人は自分がそうなりえない前提でものごとや事件をみる。実際のところたいした壁はなくて、自分は「そうじゃない」と思っていても、そうなりうる。

さてきょうはちょっと涼しい。朝から忙しいが、きょう夜寝ることを楽しみにして1日を生きる。

Friday, 20 June 2025

息をするように行動する友人

きのう。珍しい友人からメッセージが届いた。facebookの投稿をみてメッセージをくれたのだった。30分くらい話そう、と。空いている時間を探してみたらちょうどきのうの午後はあいていて、それ以外だと夕方の、寝る前になる。あとは土日かな、と返事をしたら、その2時間後に話すことになった。つまりきのうの午後。

こういう、約束を取り付ける感覚というのは人と文化によって異なる。日本人の場合、たいていは「きょうはさすがに急だから」となる場合が多い気がする。この場合であれば「余裕のある土日に」となる。相手のことも気遣うゆえの選択。

しかしこの友人はなんともspontaneous(自然発生的、自発的)という特徴がある。その日に話すとなったときに「さすが」と思った。そして「やっぱり」と。

友人はアメリカに住んでいる。20年前、私が英国にいたころ、彼女はイタリアにいた。

「アメリカ的な考え方って日本にいても入ってくるものだけど、ヨーロッパはやっぱり全然ちがうから、やっぱりヨーロッパに住んだ経験があるのは、良かったと思う。あの時間の流れ方とか、生き方とか、何者も匹敵しない歴史の重みとかは、住んでみないとわからない。20代で経験できたのは良かったと思う。」

という話をきいた。「欧米」とまとめていうけど欧州と米国は全然違う。2週間前に会った、米国から帰国したばかりの友人も同じこと、つまり欧州と米国は違う、と言っていた。

あと、聞いた話:

・アジア系がリードしている。学校で言われたことをこなす、というそれだけでも立派なスキルがつくってすごいなって。米国でそれができるのはアジア系の人たちばかり。結果、会社のトップなんて見てみてもアジア系ばかり。

・食べ物はやばい。おいしいものはない。

あっという間に45分間がすぎ、あっさりと「じゃあね」と言って別れた。

20年前のローマ。小さなポーチを斜めがけにして、スカジャンとミニスカートでローマを闊歩する彼女の姿をわたしは未だに記憶している。これどうやって渡るんだ、という交通量の多い道路を、彼女は人差し指をピッとあげてさっさと渡っていった。徒歩であちこち連れて行ってくれて、おいしいジェラートも教えてくれた。当時のローマはもっと閉鎖的で、たとえば地下鉄にのってもアジア人はからかわれた。それを無視できる強さが、かっこよかった。もはやローマっ子だった。

たとえばこの友人のように、息をするように行動する友人が何人かいる。主体が常に自分にあり、誰にも似ることない。20年間会っていなかったとしても、おそらくそのスピリットは今も変わっていないことがだいたいの自信を持って言える。そしていろんな場面で「あの子だったらどうするだろう」と想像すると、自然と勇気がわく。前向きになる。今は40歳すぎていても、私のなかには永遠に「21歳のあの子たち」がいる。

Thursday, 19 June 2025

自転車、フムス

 暑い。言ってもどうしようもないけど暑い。暑いと眠りが浅くなり、日中も疲れてイライラするようになる。なんとかしないと。エアコンをつけて寝られるように、エアコンのフィルタを掃除しないといけない。

きのうの朝、4時50分ごろに子が「もうそろそろ起きる?」と言ってやってきた。なんと4時25分に起きたらしい。証拠写真まで撮っていた。つらいだろうに。明るくなるのが早いので、こういうこともある。昼寝もせずに1日を過ごし、きのうは9時にすぐ寝た。

火曜日の午後、猛烈に暑いなか、帰り道に自転車屋さんに寄ってきた。買うものはだいたい決めているのだが、やっぱり実物を見たいと思ったので。実際に乗れるかなと思ったけど、店員があまり元気なくて、しかも修理のほうで忙しそうだったので、まあいいや、と思って話だけ少し聞いてきた。

そしてきのう水曜日、ネットで注文した。2週間くらいで届くらしい。楽しみにしている。今の自転車はもう十分に元を取ったと思う。

最近フムスを週1回くらいのペースで作る。ブレンダーがあればできる。材料は、ひよこ豆、レモン汁、ねりごま、オリーブオイル、にんにく。にんにくがなかったのでこれはにんにく抜きで作ったけどじゅうぶんおいしかった。

からだにもいいし、冷蔵庫に入れておくとなにかと使える。

朝焼け、25m泳げた

23日、祝日。22日は、翌日が休みだとわかっていると「やれそう」な気がする。1日、やる気を保っていられるし生産性が上がる。「いつもこうだといいのに」「でも実際そうだと、どうなるだろうね」と子と話しながら考えた。逆にやる気が出ない、という人もいるのかもしれない。 祝日であれ5時ごろ...