Tuesday, 12 August 2025

肌について不思議に思うこと

肌の話。

昨夜、レストランでの夕食にはいわゆる子育て世代の人たちが集まっていて、私以外に女性が3人いた。その中の1人はスイス在住。夏休みでイタリアに帰ってきているらしい。その人に向かってほかの2人が"bella abbronzata”(よく日に焼けている)と言っていた。これは褒めているのだ。「焼けちゃったね」ではなく「焼けてきれい」なのだ。確かにきれいな小麦色。そう言っている2人も、小麦色。いや、小麦より濃いかもしれない。しかし茶色ではない。

この文化圏では、焼けているのが健康的で良いとされる。東アジアでは「陶器のような白い肌」が良しとされるので、ところ変われば美の基準は変わるというとてもわかりやすい例だと思う。

それにしても、だ。どうしてシミがないのだろう。40代どころか50代、60代の人たちも、シミがない。ほくろもない。これは体質、もっと言うと細胞?の違いなのだろうか。メラニン形成の仕方が違うとしか思えない。南ヨーロッパはアフリカ大陸に近く、黒人の肌みたいな、強さ?もあるのだろうか。ちょうどよく焼けるようになっているのだろうか。

ちなみに日焼け止めは、海に行く時くらいしか塗ってないように思う。それ以外で塗っていたとしても、日本ほど、日常で使うものとされていない。そもそもそんなに種類もない。日本(や、おそらく韓国)が、国をあげて日焼け対策に必死になっているいっぽうで、ほぼ対策をしていないこの人たちが、シミもなくきれに全体が焼けるというのは、どういうことだろうか。むしろ対策をしないほうがいいのだろうか、とさえ思ってしまう。

日焼け対策をしないからシミができないのか?

シミができない体質だから日焼け対策をしないのか?

もはや卵が先かニワトリが先かの議論。

ちなみにイタリア人にシワはある。そして紫外線の影響による肌のたるみも、ある。手元首元は、ある程度の年齢の人たちを見ると確かに傷んでいる。

しかしながら顔のシワはそもそもほとんど気にならないくらい。なぜか。

顔が小さいから。そしてほりが深いから。

骨格が根本的に違って、顔の面積が東洋人とは全然違う。そもそも彫りが深いと、もはやシワなのか何かわからない。

首元手元については、年をとったときのために肌を覆いながら過ごすほど若さを惜しみながら暮らしてはいない。大事なのは「今」が楽しいことで、将来のために我慢しない。

…というのはあくまでも、私が今まで出会った人たちを見て思うことです。もちろんある程度の貯蓄などはするだろうけど、肌に関していえば、焼けないための努力などあまり存在しなさそうだなと思う。繰り返すけど、海に行くときだけは別。海だけは、しっかり日焼け止めを塗ります。

Monday, 11 August 2025

終わりがなかなかこない夜の外出

Fが昔の友達と食事に行くことになり、私と子も一緒に行った。日曜夜、開始は8時半。イタリアの夏は9時ごろようやく日没なので8時ごろはまだ「夕方」な感じがする。すぐ近くのレストランに歩いて行く。地元の人たちがちらほらとやってくる。我々の場合は「友人とその家族」が集合して結局15名だった。小さな子どもがたくさんいた。
イタリアの食事は、アンティパスト、プリモ・ピアット、セコンド・ピアット、ドルチェ、と続く。全部頼まなくてもいい、ということはもしイタリアのレストランに行く予定の人がいたら覚えておくといいかもしれない。

しかしきのうの場合は全部頼んでいた。分けあって食べられるように大きな皿で運ばれてきた。きのうは店の人がなんと1人しかいなかったらしく、ウエイターとシェフ役を1人でやっている女性は本当に大変そうだった。

そのせいで料理が出てくるのはとても遅くて、ようやく肉が出てきたときには食欲より眠気が勝っていた。時計は見ていないけどおそらく11時ごろだったと思う。

そこからさらにデザートを頼み始め、エスプレッソも出てきて、ついに12時をまわったころには私はイライラし始めた。子供たちはレストラン中を駆け回り、鬼ごっこをしている。いつものように「もう帰ろう」と言い始めてから少なくとも1時間はかかる。いい加減にしてくれと思う。

わたしのように朝型で、睡眠時間を何よりも優先させて日々を過ごしている人間には苦痛以外のなんでもない。20代のころは、日付が変わるような遅さに付き合えていたのだがだんだん無理になってきて、40過ぎた今となってはこの通りである。ただひたすらにつらい。「異文化体験だ」と言い聞かせて耐えている。

寝たのは1時を過ぎていた。ワインを飲んだのもあって、おかげできょうは頭が重く、朝から何をする気にもならない。夜ダラダラして、翌日、特に午前中をつぶすというのは愚かなことだと思う。昨夜の人たちが自分の友人だったら違ったのかもしれないが…。

イタリアの人たちにとっては、夜出かけて遅くまでいるのは当たり前のことで、楽しい時間はあっという間に過ぎるものだという共通認識(イタリア人に限らずそんなことは知っているけど、イタリアではもっとそんな感じがする)があり、日付が変わっても「楽しいならいいじゃん」「休暇だし」と、誰もが言う。いつも朝6時より前に起きている、なんて知ると「何か理由があるのか」とたいへん驚かれる。説明するのが面倒なので特に言わない。私のように朝型で、人と出かけるよりも早く寝たい人もいるのかもしれないけどきっと変わり者の部類に入るだろう。

Saturday, 9 August 2025

9日目の雑感

イタリアにきてあっという間に1週間が過ぎた。そう言っている間に10日、つまり休暇の半分が過ぎ、最後の1週間がやってくる。休暇が始まるやいなや「あとxx日か」と考えはじめる。まあそういうものだろう。

旅立つ前には「あれも要る、これも要る」と準備するものの実際に滞在してみるとさほど必要ではない。経験からじゅうぶんわかっているはずだが、渡航前はやはりいろいろな心配が出てくるものだ。服も、ほんのいくつかで十分足りる。

ヨーロッパではYahooが使えないので、日本でなんとなく見ていたYahooニュースに費やす時間が減った。これはよかったと思っている。あれは無駄な時間だった。ほとんど無意識に、ダラダラと閲覧することが多かった。しかもほぼ毎日。Yahooニュースには必要なニュースも含まれているけどたいていが無駄で、出どころのよくわからない記事の寄せ集めだ。それがわかっているのに見てしまう。日本でもいっそのこと見れなくなるといい。自分が見なければいいだけなのだが。その勇気があるだろうか。

日本のことを考える。自転車に乗って、平和に生活できるあの日常がいかにありがたいものか、を考える。必要なものがきゅっとまとまって、清潔で、安全で、いろんなものがよく機能する日本。極端に働き者で、人の話を聞き、周りのことを考えて動く日本人。もう少し楽に生きていいのに。

Tuesday, 5 August 2025

イタリアに縁を持つようになるまでの人生

 日本は相当暑いようで、ここにいてよかったと本当に思う。ここは涼しい。今も長袖を着ている。昨日なんかはもう寒いくらいだった。雨が降ったり止んだりしていた。ここにきてまだ汗をかいていない。このあと、たとえ気温があがったとしても湿気がないので汗だくになることはないだろう。イタリアの夏はこう。

当然のようにこうやってイタリアに来ている今。夏が近づくとイタリア行きの航空券を買うわけだがほかの行き先を考えることもない。自分がどうしてこれほどにイタリアと「縁」を持つことになったのか、と人生をふりかえってみることがここ数日あった。

イタリアに初めて行ったのは2005年のことで、英国に留学中だった。3月にイタリアに行ったらおもしろかったので6月にも行くことになった。そして7月をまるごと過ごした。英国で生活していた身としてはイタリアはたいそう魅力的だった。天気、食べ物、人。すべてが魅力的だった。イタリアに限らず他の国もたくさん訪れたのだが、そうさせたのは英国の「冴えない感じ」だったのかもしれないと思う。

メイフラワー号がアメリカ大陸に渡ったのも、英国が雨と曇りばっかりだったからじゃないのかと思う。ビートルズやoasisの音楽はイギリスからしか生まれないと思う。わたしがイタリアに行くきっかけを得たのは滞在先が英国だったから。すべては、食べ物も天気もパッとしない環境だからこその、産物。英国を否定するわけではないです。

さかのぼって、なぜ英国に留学したかというと、朝鮮語専攻だったから。当時、朝鮮語には、私を惹きつけるほどの魅力がなかった。言語の壁を突破したいと思うほどの強い「おもい」が自分にはなかった。朝鮮語に責任はない。どこまでいっても「西洋かぶれ」で、まだ見ぬ欧州への強い憧れがあった。実際、選考試験で選ばれたときに「あなたは語科間のバランスをとるために選ばれた」と教授に明かされたくらいで、私以外の2人は英語専攻の学生だった。つまりもし私が英語専攻だったら留学の試験には選ばれなかった。

さらにさかのぼって、なぜ朝鮮語専攻にしたかというと、センター試験でB判定の専攻語を選んだから。C判定の中国語を選ぶ勇気はなかった。「中国がダメなら朝鮮にしろ」という、父親の、一見適当極まりない一言が人生を決定づけることになった。これは私の人生の歴史に残る。This  goes down the history. 朝鮮語になんのこだわりもなかった。

人生は不思議で、おもしろい。2005年以降に起きた数々の出来事はさらにイタリアとの縁を強めることになるがそれはまた別の話。
人生が、こうやって振り返ることができるほどの長さになってきた。精一杯生きてきたなと思う。まだ人生終わってないけど。興味のあることに突き進めるのは、打たれ強さ、柔軟性、明るさが育つ家庭環境だったから。なにかと運が良いわたしの人生。

歴史を語る人たち

 きのうの午後、ふらっと親戚が来た。50代か60代?の女性。15分くらい話して帰る。「もうすぐ広島の日ですよね」と言われて、「そうです」と答えた。「もう一つは、長崎でしたっけ」「はい」

原子爆弾のことはイタリア語でbomba atomicaという。ボンバ・アトミカ。正直なところ、日本にいるよりもイタリアにいたほうが、広島と長崎の話を聞くことが多い気がする。世界でほかにない悲惨な歴史を抱えた国として、日本のことを認識していて、イタリアにいるとよく話題に出てくる。日本人より詳しいのではないかと思うことさえある。「原爆の後どうやって立ち直ったのか」「原爆を落としたアメリカとなんで仲がいいのか」など、興味津々で聞かれたことが、数えきれないほどある。

彼女はテレビで見たドキュメンタリーについて話していた。

こういうところが、イタリア人を良いと思う理由のひとつかもしれない。がっしりとした歴史に支えられていること。歴史を語ることが当たり前であること。歴史といっても紀元前から続くとてつもなく大きな流れをとらえていて、世界全体をながめる余裕があること。イタリア人の、ゆったりと、堂々とした生き方のベースはおそらく歴史にある。

この国では学校教育で徹底的に歴史を学ぶ。歴史を語ることは、一部の知識人の作業ではない。これはもしかしたらイタリアに限らずヨーロッパ各国は似たような傾向があるのかもしれない。

今朝、内田樹氏のブログを読んだらまさにイタリアの話題が出ていて面白かった。歴史修正主義は英語でrevisionismというらしいです。知らなかった。

以下引用。

イタリア人はとても親切である。まして同じ武道を修行する道友であるから、遠くから笑顔で手を振ってくれる。以前、神戸の私の道場に遊びに来てイタリア人の合気道家たちとおしゃべりをしていた時に、近代史の話になった。第二次世界大戦が始まった直後、ドイツがフランスを電撃的に攻略した時に、イタリアもフランス領土の一部を占領したことがある。45年の7月には三国同盟を反故にして日本に対して宣戦布告をしている。そのような自国の歴史の「あまり自慢にならない話」をあっさりと話してくれた。少し驚いて、「どうして、自国の歴史の暗部についてそんなに率直に話せるの?」と言ったら、しばらく考えて「昔、一度世界を支配したことがあるからじゃないかな」と答えてくれた。
 なるほどと思った。イタリア半島の住人たちはかつて世界を支配していたのである。だから、「余裕」があるのだ。いちいち「イタリアはすごい」と言挙げしなくても、ローマ帝国が世界帝国であったことを否定する人はどこにもいない。
 英国でもスペインでも中国でもたぶん事情は似ているのではないかと思う。一度は世界帝国になるだけの力を持っていた国である。その国民であるということの自信が歴史修正主義的なふるまいを自制させるということがあるのではないか。
 自国の歴史を虚偽を以て装飾しようとするのは(ドイツ、フランス、日本が適例だが)、そう望んだけれどついに世界帝国になることができなかった国の通弊なのかも知れない。 

Sunday, 3 August 2025

干草、お祭り

前日、寝る時間はすでに日付が変わって8月2日になっていた。それでも6時半ごろ目が覚めたのは、朝型のためか、時差ぼけのためか。いずれにしても朝は気持ちがいい。世界中どこにいたって朝が好きだけど、ここの朝はとても気持ちがいい。家からはこの眺め。

イタリアに行く前、負荷試験に行くバスのなかで、子と話していた時のこと。
「ままは、イタリアに行ったら何がしたい?」
「うーん… モッツァレッラ食べたいな」
「…えっ、それだけ?」
「うーん…」
考えてみたもののこれといった答えが出てこない。のんびりしたい、と思うがそれがアクティブな「したいこと」なのか、というとちょっと違うだろう。観光大国イタリアで「したいことがない」というのも変な話だが正確にいうと「何もしたくない」が答えである。これといって買いたいものもないし行きたいところもない。いや、行ってみたいところはいくつかあるけどそれはイタリアに行ってから考えてじゅうぶんな気がする。
ヨーグルト、ナッツ、アプリコットにオリーブオイル。イタリアではこうする、というわけではなくて私がこれを好むというだけのこと。

子といえば、子にはきのう久しぶりに会った。というのも1週間以上先に父子で旅立っていたため。あたたかく出迎えてくれたが、1週間会えなくて寂しかったね〜、というようなことはあまりなく、まるでこの1週間がなかったかのようにいつもの調子で注意したり怒ったりしている。再会を喜ぶやいなや日常に戻る。そういうものだろう。1週間いなかったからといって急に聞き分けのいい子になるわけがない。そんな調子の良いことはドラマの中でしか起こらない。

子は、祖父母宅ではだいぶ可愛がられていて、親としてはありがたい限り。「親は教育しなきゃいけないけどね、祖父母っていうのは孫を甘やかしていいんだよ、そのためにいるんだよ」と笑いながら言うおじいちゃん。自分の祖父母もそうだった。絶対的に自分の味方をしてくれる、逃げ場だった。

自分の祖父母が海外にいるっていうのはどういう感じがするんだろうな、と、我が子ながら興味深く思う。
とりあえずアンティパストを、と、この皿が出てきた。日本では「チーズとハムとサラミ」でしかないものが、ここでは膨大な数の種類が存在する。
そしてラザーニャが出てきた。表面カリカリで美味しかった。おなかいっぱいになった。

食事が終わってもさっさと片付けたりしないのがイタリアの家庭。誰かがまだ食事をしているのに席を立ってテレビを見に行ったりするのは、タブーとまではいかないが、その場に合った行為ではないだろう。ケンカでもしない限り。

では何をするのか。「おかわりは?」「コーヒーいる?」「デザートあるよ?」「果物はどう?」
これらのやりとりが必ずあり、世間話や、なんてことない家族の会話が続く。ようやく席を立つのは2時半くらいになる。家庭にもよるだろうけど。

いきなりイタリアの家庭で過ごすことになった外国人がいたら、この、ゆっくり流れる時間には戸惑うかもしれない。

帰り道、スーパーに寄った。Bio製品が多い。知ってはいるけどあらためて思う。オーガニック、無農薬の国産品がこんなに多くて、安い。乳製品コーナーに行くと、Avena(麦)のミルク、アーモンドミルク、米のミルク、豆乳、これらがすべてオーガニックで1ユーロ代で買える。日本だと健康志向の高い人のためのオシャレ製品になってしまって500~600円する。そもそもこんなに種類ないけど。

途中で降りて写真を撮ることにした。fieno(フィエーノ)という、干草を丸くしたやつがあちこちにあって、そこで写真を撮るといいね、と前から言っていたのだった。
ひらけた景色

帰ってから庭のプールで遊び、夕飯を食べて、9時ごろから近くのお祭りに行った。

最初から行こうと思っていたわけではなく、帰り道に、上の写真のようななだらかな丘で、何か準備しているなと思っていたらどうやらそこでコンサートをやる、とのこと。じゃいってみるか、ということになった。ここではなにもかもが自然発生的、不随意的に起こる。spontaneousという英単語がぴったりの人たち。
バンドの演奏といくつかの屋台。日本の屋台のような、けばけばしい感じはない。数も少ない。来ている人たちは年齢層が高めだが、子供も、中高生も、子育て世代もいる。300人はいると見た。小さな村の、小さなお祭りに、こんなに人が。注意書きなどはほとんどなく、椅子とテーブルが並んでいるだけ。

クレープと、すぐこわれそうなおもちゃ屋さん。剣のおもちゃをねだる我が子にうんざりする。当然買わない。
後半になると前に出てきて踊る人たちが出てくる。スマホを見ている人がほとんどいない。
走り回る子どもたち。「子どもは寝る時間」というのは、存在しなそう。

だんだん寒く、眠くなってきて11時半ごろに帰った。「帰ろうか」と言い始めてから本当に帰るまでに1時間くらいかかる。知っている人みんなに挨拶をしてから帰るから。イタリアでは、こういう場で知人がしれっといなくなることはまずない。

倒れた椅子を起こそうとしていた子供たちがいたので手伝ってあげたら、女の子が
"Grazie. Come ti chiami?(ありがとう。名前は?)"と聞いてきた。教えてあげると"Io sono Alessandra." と教えてくれた。アレッサンドラ。写真左の子です。

そのあと前歯が抜けたらしく、これまた報告に来てくれた。コミュニケーションに壁がない。わたしを見て「アジアっぽいな、なんか違うな」と思わないのだろうか。日本でもそうだろうか、それともこの子がイタリア人だからか。

Saturday, 2 August 2025

イタリアに着いた

あっという間にイタリアに着いた。こんなに簡単に着いていいのかという気さえする。去年も思ったけど、
・成田ではなく羽田
・経由便ではなく直行便
ただこれだけの違いが、大きな違い。イタリアに行き始めて(?)20年くらい経つけど、当時のこと(つまり成田、経由便)を考えるとそれはもう楽になったと思う。

8:20に家を出て、電車とバスで10時前に空港着。12:45発で14〜15時間。

なんというか、「いよいよ近づいてきたな」という感じがしない。どこでもドアというと大袈裟かもしれないが、降りたらそこは目的地、という、あっけないような感じもする。
派手な色の機体

楽に感じた理由のひとつとして、今回は特に、席の指定をしたこともある。席が指定できるなんて当たり前じゃないかと思うだろうが、違うんですこれが。ITAエアウェイズだと席を指定するだけでお金がかかる。エコノミークラスでもそう。(ほかの航空会社ももしかしたらコロナ以降はそうなっているかもしれないけど。)指定しないとどうなるかというと、チェックインで自動的に割り当てられたところに座るしかない。

昨年、指定なんてするわけがないと思って当日まで放っておいたら案の定、両脇に人がいる席になってしまった。それはそれでなんとかなったけど、やっぱり立ちたい時に立てる席がいい。お金を払う価値はある、と思って往復ともに指定。あわせて9000円くらいかかった。

特に今年は、腰の問題があるので極力同じ姿勢を続けないように、しょっちゅう立った。水を飲みに行ったり、トイレに行ったり、歯磨きに行ったり、ただ立ったり、体操したり。これだけでだいぶ、膝や腰への負担は減ったと思う。これからも席は指定しよう。

着いたあと、夕焼けに照らされた機体を見ながら、当たり前だけど「そうかもう着いちゃったのか」と、あらためて気づく。これだから直行便はやめられないよな。2〜3万円の違いなら断然価値はある。他の会社に比べてITAのサービスに劣るところがあったとしても、直行便の魅力はほかの何にも代え難い。そしてもうすぐスターアライアンスに加盟するというから、ますます選ばない理由がない。

「日本国籍多めです」と、搭乗するときにスタッフがやり取りしているのが聞こえた。「多め」だけど、どちらが多いのだろう。日本からイタリアに帰るイタリア人が多いように感じるのは、とにかくしゃべるから。存在感が、すごい。

今さらいうことではないだろうけど、イタリア人はしゃべる。しゃべる、しゃべる、しゃべる。しゃべってなんぼの人たちである。搭乗して隣のイタリア人が自分と同じように日本への旅行を終えたばかりとわかると"Piacere(はじめまして)"と名乗りながら、この旅行で撮ってきた写真を見せ合う。

わかりやすいのがCAたちである。男女半々くらいのスタッフがいるが、後方にたまって立ったり座ったりしながら15時間しゃべりつづけている。話が聞こえないように声を小さくすることはない。これが誰かにとって迷惑かというと、そんなことはまったくない。そもそも乗客もしゃべるので、誰も気にしない。

残り3時間くらい、というところで少し眠った。寝れても1時間程度。映画を3つ(コンクラーベ、10 giorni con i suoi、Anora)見て、テトリスで遊んだ。字幕もなくてコンクラーベは全然意味がわからなかった。飛行機のなかで字幕なしで映画を見るというのは、最も高度な外国語の聞き取りのうちの一つだと思う。飛行機の音がすごいから。
到着時刻は8時半だったが、8時ごろには着いた。パスポートのチェックは、昨年と違って列に並ばなくてよかった。いままではEUとその他、だったけど、今年は日本とほかのいくつかの国は「その他」から除外されていて、早いレーンに行けた。機械の読み取りだけで外に出られた。荷物も問題なく、結構すぐに出てきた。

空港はだいぶ整備されていて、昔とは全然ちがう。良いこと。しかし昔が懐かしくもある。
ローマは、いつものあのぬるい空気がなくて、だいぶ涼しい。20度台だそうです。迎えにきてもらって、車でアブルッツォまで、2時間以上走る。11時くらいに着いて、空を見上げたら、落ちてきそうなくらいの星。どわっと、降り掛かってくるような勢い。

Wednesday, 23 July 2025

面談、負荷試験、サンドイッチ

宿泊を伴う仕事が2つと、イタリア行きとがこの夏休み中にはある。始まってからドタバタしたくないと思って、病院その他の予約、用事は計画的に済ませているはずなのだが、それでもこの2日間(22,23日)は忙しい。おまけにこんなに暑いので、外に出るのも勇気がいるし、体力を使う。

忘備録もかねて。
22日。
朝は我が子の個人面談。「僕も行きたい」とは言うが、これは大人の話だからね、と言って私だけが行く。朝1番にお願いしていたのだが、あとから担任の先生から電話がきて、もう少し早く来れますか、とのこと。当然、たった15分で終わるわけがないので、二つ返事で15分前に到着した。特別支援の先生もきて、3人で面談した。電話で聞いていたとおりではあるが、やはり学習面での困難が大きい、とのこと。4年生以降、もっと大変になっていくだろうから、今できることとしては、どこまでが身についているか、こちらが把握した状態で、本人に合ったものに取り組ませるほうがよい、とのこと。夏休みは良い機会なので、2年生の復習からはじめてちょうど良い。宿題も、とうてい無理だろうというものがあるので、それだったら、かわりに復習のものを取り組んだら、じゅうぶん、と言われた。ありがたい話だ。

私がみている分には「去年よりだいぶましだな、成長したな」と思うのだが、これがクラスという環境になると、そうも言ってられない。本人が自己肯定感を持つには、周りとの差が大きすぎる。やってもどうせできない→やりたくない、の流れができあがってしまうのも無理はない。

そこでわたしが躍起になりすぎたり、暗くならないことかなー、と思っている。あきらめるわけではなくて。あくまでもこの子をみながら取り組んでいくしかない。焦らないこと。

午後から、アレルギーの負荷試験。今回はクルミ。めずらしく午後の回だった。12時までに行けば良いということだったが、家にいても暑いだけだし、食事ができるのは11時までということになっていたので、早めに行って病院で何か食べようと10時半前に家を出た。暑い。逃げ込むように駅へ。車酔いやらトイレやら、たくさん心配しながら出かけなければいけなかったときと比べると本当に楽になった。自分の荷物は自分で持つ。助かる。

病院のコンビニで食べ物を買う。

お金を渡してコンビニで何か買う、ということを3月以降ときどきやってみている。弟の奥さんが春休みにやらせてくれて、そうかこういうのやってみないとダメだなと思ったのがきっかけ。やってみたら意外とできるしだんだん上手になってきた。

サンドイッチを2つ買ってきてくれた。2人分、とお願いしたので二つあるのだが、「どっちもぼくが食べたくなっちゃうんだよね〜」と言いながら買ってきた。それは困るので半分ずつ食べた。

負荷試験は順調に始まり、クルミ0.3gを食べても症状は出ず。陰性。よかった。ベッドの上でお絵描きやらマイクラやら宿題やらして過ごした。私は読書。「世界の教育はどこへ向かうか」。

2時半くらいに帰宅指示が出たので無事に帰った。やはりお腹が空いたというので、そりゃそうだろうなと思って350円渡したらまたしても「シャキシャキレタス」のサンドイッチを買ってきた。これは1人で食べるらしい。

家に帰って、なんだかぐったり疲れていて、何をしたかあまり覚えていない。6時ぐらいになって、こども用歯磨き粉がないことを思い出し、ドラッグストアへ行った。わたしのシャンプーもない。

2日後にせまった、父子のイタリア行きの準備に、わたしがそわそわしている。まだ何も準備されていないのだ。だいたい前日に始まる。それでもだいたいうまくいくし、心配してもどうにもならない。心配って、具体的になにを?と考えても、実は何もない。パスポートさえあればあとはだいたいのことはなんとかなるわけだから。こんなにそわそわするのは、
①我が子のことだから
②歳をとったから
③上記全て
さてどれでしょう。

Sunday, 20 July 2025

投票は気ままに

7時半ごろ、子といっしょに投票に行ってきた。てくてく歩いて、まあ暑いけど、耐えられる程度。500円渡して、コンビニで何買ってきても良いよというと、486円のフルーツサンドを買ってきた。高い。涼しいベンチで食べて帰ってきた。夏の朝の、ちょうど良い散歩。青空に、筆で書いたような、雲がしゅーっと流れていて、はあ7月だなという、暑いのになんだか嬉しいような気持ち。

投票について思うこと。

きょうの選挙はいつもより盛り上がっている…ような気がする。それでも投票率が高くはならないのかな。いや、高いというのは比べる対象によるのだろうけど。スウェーデンと比べたら、そりゃ低い、でも前回と比べたら高い、とか。

選挙に行くべき、というのは当たり前のことなのだが、あんまり大きな声で言えないけど選挙に行ってなかった時期が、長くある。まず、上京してから住民票を移していなかったため、投票の封筒が届くことがなかった。それが大したことだと思っていなかった。母親は、娘の住民票を移したくなかったと言っていた。

だからおそらく5〜10年くらい投票したことなかったのではないだろうか。今考えると信じられない。誰もそれに対して文句を言う人もいなかったし、友達と選挙の話題になることもなかった…と思う。たぶん。

そしてなによりも、政治に興味がなかった。これは、特に理由にもならないくらい。一般的に言われる「最近の若者は」に文句は言えない。そうです、そのまま。興味がなかった。いわゆる「行っても同じだろう」と思った。なにせ生まれたときから(与党は)自民党しか見たことがない。意見を出してひっくりかえるようなものだとは思っていない。そして選挙権があるのに手元に投票用紙がないという状態に慣れすぎていて行かなければいけないとは思えなかった。

どこかの時点で、住民票を移し、封筒が届くようになった。投票したという、記憶にあるのはこの10〜15年くらいだと思う。伊藤詩織さんの事件のあたりで「やばいことが起きている」と思うようになった。森友問題や、学術会議の任命拒否問題や、望月記者と菅さんがバチバチしているあたりで、あからさまなおかしさを感じるようになった。安倍さんのことは好きじゃなかったけど、「ぼーっとしてるとやばいな」と思わせてくれたのは安倍さんのおかげなのかもしれない。

子が生まれたこともあるかもしれない。人ごとだったいくつかの政策は、身近になった。

そのあたりでツイッターやらインスタやらが身近になってきて、コロナが起きて、ついにジャニーズも崩れて、今まで見てきたものは虚構の世界だったのか、というような、今。それは、ダメなことではなくて「世界は変わりうる」「常識も変わる」ということを、目の当たりにしているだけ。

投票というのは政治をよくわかった立派な大人がするものだと思っていた、というのもあるかもしれない。実際、よくわかってなくても投票していい。遠慮したり気を遣ったりする場所ではない。そういうことに気づいたのは、よくわからないながらも、最初の投票をしてみたから。何歳の時か覚えてないけど、とりあえず行ってみたから。今考えるとなんであんなのに票を入れたんだろう、とかある。たぶん。覚えてないけど。でもそれで良いのだと思う。またしばらくすれば、投票の機会は巡ってくる。間違いはないし、票を入れたことを誰かに責められることはまずない。

finalventさんのポリタスの記事を読むといいと思う。もっと「気まま」でいい、と。これでいいんだなと思える。やたらと「投票に行こう」と言われるとなんだか怒られているような気持ちになって萎縮してしまう(人は少なくないのではないかと思う。このあたり、日本人とくにそうかも。)けど、この記事を読むと少し楽になります。「票を入れたい人がいない」んだったら、消去法でいいと思う。投票においては、消去法=消極的ではない。時々思い出してこの記事を読む。

そんなに一生懸命考えなくても、直感でもいいと思う。そんな適当なことをやっていいのか、と思うかもしれないけど、参加する第1歩はそこから。あんまりにも考えすぎると投票できなくなってしまう。まじめな人ほど、結局投票しないということになりかねない。前回はA党に入れたけど今回はB党に入れる、という変更に、罪悪感も感じなくていい。なぜなら時代も考え方も人も変わるから。そもそも誰も見ない、責めない。    

さて、きょうの結果、どうなるでしょうね。

Thursday, 17 July 2025

モデルとしての上司

 自分よりだいぶ若い同僚が増えてきた。あまり今まで考える必要のなかったことを考えるようになったきた、と最近よく思う。仕事をはじめて18年間、自分が教わる側だと思っていたから。それが、ほとんど意識していないうちに、教える側に移行しつつある。年をとるというのはこういうことだ。

押し付けがましくもなりたくないし、おせっかいなのも嫌だ。かといって放っておくのも違うだろう。難しい。同僚が失敗したとしたら、それは同僚のせいではなく明確に指示をしなかった自分のせいかもしれない。

こういうときはやはり、自分がどうされて嬉しかったか、どうされたことが役立ち、今も生きているか、を思い出しながらやるしかない。

働き始めた1年目の上司が、とてもよかった、といまだに自分の運に感謝している。話もよく効いてくれたし、だいたい好きなようにやらせてくれて、さらに上の上司から怒られる前に、先回りしてカバーしてくれていた。仕事の速さと、ユーモアのセンスが抜群で、周りからの信頼もあつかった。あの「理想の上司」が未だに自分のなかには生きている。

「尊敬する人」というほどではなくても、いくつかのモデルを人生で持っておくと、迷ったときは歩きやすくなるかもしれない。

Wednesday, 16 July 2025

ビフィズス菌と朝食


写真1。

うちにある豆皿。いつもこれに、子が食べるためのナッツ類をのせる。おととい「あっ!」と言うので何かと思ったら

「ビフィズス菌」

と。ほんとだ!!このテトラポッドみたいなやつはよく似ている。なんで知ってるんだろうと思ったら先日学校の図書館から借りてきた本にあった。一緒に読んだんだった。そして私もここ数ヶ月、腸内細菌についてよく読むので、言われてすぐにピンときた。それにしてもこどもはよく覚えているなあ。あの時のあの場面がこんなに頭に残っているのか、と驚いた。



 写真2。

きのうの、子の朝ご飯。ふとならべてみたら顔みたいだったので写真をとった。あみえびとチーズのオムレツと、みそのおにぎり。このあとヨーグルトも食べた。ちなみにわたしはこんなにしっかりした朝ごはんは食べない。

朝、卵を食べるようになったのはこの1年くらいだと思う。その前は、朝ごはんを作る、というほどでもなく、パンとジャム、とか果物とか、そんな感じで終わっていた。それが、いつごろからか卵のリクエストがあるようになり、作ってみると、よく食べる。もしかしたら前からこういうしっかりしたご飯を食べたかったのかもしれないなと思うと少し申し訳なくも感じる。

そんな感じで毎日卵を焼いているとこちらもコツがだいぶわかってきた。スクランブルにならず、かといってとろとろでもなく、ちょうどよくまとめるためにはコツがある。しかし1個だけだし、深型フライパンをつかっているので、理想のオムレツとは程遠い。それでもちょっとずつ上手になってきた気はする。

さて、そろそろきょうのを作ろう。

Saturday, 12 July 2025

親は難しい、腸内細菌

 涼しい。おととい夜の大雨からいっきに涼しくなって、夜でさえエアコンが要らなくなった。この天気がもう少し続けばいいのにと思っている。昨年7月のブログを見てみたら同じように「涼しい」と書いているので、こういう時期はあるのかもしれない。

子にどう接したらいいかわからない時がある。かわいいけどかわいいとばかりも言ってられない年齢。難しい。この子を傷づけているのかもしれない、と思うときがよくある。疲れていることを言い訳にはできないだろうけど、意地悪なことを言っているなあ、自分、と思うことがある。もっと肯定してあげないといけないのかもしれない。いっぽうで、叱るのは自分しかいない。親にそうされたくなかった、と思うようなことをまさに自分が繰り返していて、嫌気がさす。自分の器の小ささにうんざりする。まっすぐに伸びるはずのものを、自分がねじ曲げてしまっているかもしれない。考えすぎだろうか。親というのはこんなに難しいものなのだろうか。悩みも心配も尽きない。しかし暗くなってはいけない。

ここ数ヶ月、腸内細菌についてよく読んでいる。こんなに面白いのに今までどうして無関心でいられたのだろう、と思う。いくつか本を読むとだいたい同じことが書いてあって、「あ、これはこの人が誇張して書いているわけではないんだ」とわかる。腸と脳にはつながりがあって、腸の調子が良いと脳も調子が良い。逆もまた然り。

というわけでこの数ヶ月は摂取するものにたいする見方がだいぶ変わったと思う。身体に良いものを優先的に食べる。腸内細菌はどういう状態にあるのかなとイメージしながら。

さてきょうは土曜だけど出勤。準備します。

Friday, 11 July 2025

大雨、朝稽古

 あと少しで夏休み。夏休みになったらスイっと動けるように片付けられるものは片付けておこう、と思う。病院とかクリーニングとかゴミとか、そういうものが頭にある。仕事も同じで。どこかでスタックしたくない。

きのうは朝から、子の学校に2回行った。午後は保護者会だったが、隣に座っている保護者が先生の話のあいだずっとスマホをいじっていて、何の悪気もなさそうだったので、これはもう珍しいことでもないのかもしれないなと思った。

きのうの朝は合気道に行った。めちゃくちゃ暑かったけど、エアコンが導入されたのでだいぶ楽だ。行くまでのほうが暑い。朝6時であってもずいぶん暑い。7時半ごろ、スッキリした気分であいさつをして帰る。6時半からこれだけ身体を動かすと、当然だけど、みなさん爽やかで満たされた表情をしていらっしゃる。こんなハッピーな人々、空間がこの世にあるのですよ。朝の7時半に、こんなに気持ちよく1日を始めている人たちが。朝稽古に参加しはじめて、本当に自分が変わったと思っている。朝稽古が終わると、もうその1日に悔いがないくらい満たされている。

夕方、予報通りにちょうど6時から雨が降った。大雨だった。雨の多い地域で育ったせいだろうけど、夏の雨は好きで、降る前はワクワクする。洪水とか地滑りとかはまた別の問題。

おかげできょうはずいぶん涼しい。エアコンいらない。さてきょうも仕事がんばろう。

Wednesday, 9 July 2025

スペリングビーとサンダル

ここ3年か4年くらいだろうか、wordleに加えてSpelling Beeをやっている。最初は無料で楽しめる分でよい、と思っていたがあまりにも楽しいのでお金を払ってやることにした。これは正解だった。

確実に語彙が増えたと思っている。最初は知らない語をノートに書き留めていたが、そこまで必要なくなってきた。面倒になったというのもある。毎日出題される。以前はその日しか解けなかったがいつ頃からか過去も遡って解けるようになったので、少しこちらも怠惰になってきた。次の週の月曜には問題が消えるのでその前までには全問正解目指そう、という感じ。

単語帳というものでいざ勉強しようとすると、単語テストでもやってくれる人がいない限りやる気にならない。そういう私にはゲーム形式がちょうどいい。毎日知らない語に出会う。「入試頻出語」とかそういうわけではないのでかなりマニアックなものが多い。きょう初めてお目にかかったのはhamartiaという単語。ハマーティア。意味は「悲劇の主人公の性格的欠点」だそうだ。ギリシャ語由来。日本語もしょっちゅうでてくる。tatami, hamachi, tamari, honchoなど。

話は変わって。

サンダルが戻ってきた。何があったかというと、日曜に家族でプールに行った時のこと。着替えて更衣室から出てきた我が子が「サンダルがない」と言う。いつもの注意不足だろうと思っていたら本当にないらしい。係の人も探してくれたけど、なかった。同じブランドのサンダルが置き忘れてあったので、きっと誰かが間違えて持っていったのだろう。名前と電話番号を書き残してその日は去った。月曜は連絡がなく、まあ諦めるしかないかなと思っていた。そして火曜の夕方、ふと携帯を見ると着信が。これはもしかしてと思ったら、案の定、「それらしきものが届きました」とのこと。ありがたい。早速取りに行ってみると、間違いない、黒いサンダルだった。お礼を言って去った。

あきらめてもいいくらいに使い古していたのだが、いざなくなると惜しくなる。春に一回なくなった私の自転車も同じ。とにかく、よかった。

Tuesday, 8 July 2025

朝顔と空気質

今年第1号の朝顔が咲いた。5時にはまだくたっとしていたのだが、見ているうちに花びらが開いてきた。朝顔は強いし、育てやすい。田舎に住んでいたらなあ、もっといろいろと、広々と、育てられるだろうになあ、と思うけど、仕方ない。
きのうもきょうも、とても暑いのだが空が曇っていて、とても変な感じがする。なんだろうと思って調べてみたら、空気質はあまり良くなさそうだ。もしかしたら光化学スモッグ気味なのかもしれない。光化学スモッグについてよく知らなかったけど、暑い日の都市部はそうなることがあるらしい。今まで気にしていなかっただけのようだ。田舎に住んでいたらこういうことにはならないだろうにな、とまた思わずにはいられない。気にしていたら生きていけないのだが、この空の白さと、霞んだような感じはどうも気になる。

Monday, 7 July 2025

ピーナッツ陰性、と自転車との別れ、oasis


この週末はいろんなことがあった。振り返ってみれば、である。特になにも問題はないのだが、考えてみたらあれもこれもいろんなことあったなあ、と思う。きょうはいつもとかわらない月曜日。

そういえば金曜に出勤しなかったのだ。だから週末が3日あったような気がしているのだろう。金曜は子のアレルギーの再診。といっても私しか行かない。5月の負荷試験でピーナッツ1粒を食べても陰性だったので、今後のことなどを話しに行った。これからは、ピーナッツ半粒ぐらい食べていけばいいだろう、とのこと。そしておそらく今後は反応が出ない。むやみに避けなくてよさそうだ。こんな日が来るとは。救急車で運ばれて死にかけたのが信じられない。アレルギー科に通い始めて4年近いが、思い切って通ってよかったと心底思っている。

 これから先はヘーゼルナッツとくるみが残っている。

帰宅したあとで、新しい自転車を受け取りに行った。そう、新しいのを買ったのだ。ということはつまりこれまで15年近く乗っていた相棒と別れることになる。これがもはや信じがたく、ここ数日は乗るたびに「もうお別れか」という思いが募った。仕方がないのだ。サドルもブレーキもタイヤもチェーンもハンドルも全部かえてきた。それもボロボロになっていて、ついには心臓部分がすり減り、切り替えがきかない時がでてきて、自転車屋に相談しても修理をすすめられなくなった。いよいよ限界か、と思ってついに購入に至ったのだった。

自転車屋にはピカピカの、新しい私の自転車が届いていた。店に入ったらすぐわかるくらい目立った。

カゴを注文していなかったので、どうしたらいいか話したら、今使っているものを移植できるらしい。時間に問題はなかったのでその場でお願いした。

移植も整備も点検も防犯登録も終わって、いよいよ別れるときになったらちょっと涙が出そうになった。「よくがんばったな」と言って、頭を撫でるように、ハンドルの部分をポンポンとした。「ちょっと写真とっていいですか」と言ったら自転車屋さんが外に出してくれた。ガラケーしか持っていないので、仕方なくそれで撮った。ほんとによくがんばった。毎日往復1時間近くの出勤に付き合ってくれた。雨の日も風の日も、なんなら雪の日も、去年事故にあってぶっとばされた時も、この自転車といっしょだった。週7日で乗らない日は、まずなかった。感傷的すぎるだろうか。「この前、盗まれたんですけど、戻ってきたんですよ」と自転車屋さんにいうと「そんなことがあったんですか〜」と。

実際、盗まれたことも買い替えのきっかけだったと思っている。葬るなら自分の手で、お礼を言って、葬りたいと思った。

自転車を買い替える人たちはこんな気持ちがするのだろうか。

自動車を買い替える人たちも似たようなものだろうか。

自転車屋さんはこういうシーンをこれまで何度かみてきたんだろうか。

新しい自転車は、それはもちろん乗り心地がいい。ちょっと前より重くなった気もする。タイヤが少し太い。その分安全な感じはする。まだ「乗り心地最高」とは言えない。まだ「私のもの」になっていないから。

同じ日、地球の向こう側ではoasisのコンサートが開かれている。歴史に残るレベルだと思っている。

朝、できるだけ新聞を読むようにしている。ニューヨーク・タイムズでは「oasisが今度こそアメリカでうまくいくか」を書いていて、
久しぶりに1ページまるごと読んだ。「欧米」とは言うものの「欧」と「米」はだいぶ異なる、といういい例だ。

土曜は合気道の朝稽古。気持ちよかった。エアコンがきいているのにすごい量の汗をかいた。

日曜はプールと、いつものレストランと、韓国ドラマと、バーガーキング。週末はこうあるべき。土日とも、バナナブレッドを焼いた。軽いのであっという間になくなる。砂糖は15gに減らしてみたけど、じゅうぶん甘い。もしかして砂糖はいらないのかもしれない。

Sunday, 6 July 2025

かき氷

この夏初めてのかき氷を食べた。途中から口の中も身体も冷えすぎてだんだん食べるのが辛くなる。2人がかりでも食べ終わるのが大変だ。屋台のかき氷程度がちょうどいいのかもしれない。
 

Friday, 4 July 2025

「酒の力を借り」ない人たち

先週、職場の飲み会があったが私はいかなかった。理由を考えてみると
・酒に興味がない
・夜は寝たい
・価値を見出していない
行ったら行ったで楽しいんだろうけど。枠を決められての集まりがとにかく苦手な私。数人で集まるのはいい。

週があけて、盛大に酔っ払った人たちがいたようでだいぶ話題になっていた。家でそのことを話していて、「自分を変えるために飲む人たちがいるからね」という話。日本人にはぴったり当てはまる。「酒の力を借りて」なんていうけど、飲み会に行くのは「普段言えないことも言える」という利点?期待?もあって参加する人も多いと思う。日本だけじゃないかな。酔っぱらい文化はヨーロッパにもある。

しかしながら、私の知る限り、イタリアでは酔っぱらいを見ない。自分が変わるほど酔っ払うことはかっこよくないとされる。いわゆる「千鳥足」だったり、お店の前で仲間に抱えられていたり、翌朝地面に寝ていたりする人はまず見たことがない。きっといるのかもしれないけど、かなり珍しいのではないか。酒ごときに変えられる人たちではない。言いたいことを言うにも、酒の力を借りる必要がない。

Thursday, 26 June 2025

セールの思い出

 激しく怒る夢を見た。理由も覚えていないけどその相手が母だったり子だったりした、気がする。夢で怒ったり、走ったりすると、「届かない」感じが苦しい。スローモーションで動くベルトコンベアの上を、自分も無理やり同じスピードで走らされているような感じがする。声も主張も、届いていないのに自分だけがエネルギーを著しく消費しているような、そんな感じがする。

さて6月が終わろうとしていて、世の中はセールの時期が近づく。仕事を始めて1年目、世の中に「セール」というものが存在することを知ったのはおそらくこの時だったと思う。それまでお金もなかったので服や靴を買うのとは無縁だった。そして働き始めた年は、定期券内に新宿があって、帰り道にあらゆる店に立ち寄ることが可能だった。あの夏にいろんなものを買ったのを覚えている。給料が出るのも初めてだったのでひたすら嬉しかった。「こんなに買っていいのかな」と思いながらおそるおそる1万円のポロシャツを買ったりした。

それから20年近くが経った今、当時に買った「いいもの」をまだ使っている。たとえばラコステの水着はいまだに状態もよく、夏の休暇先には必ず持って行く。リネンのワンピースも、なんだかんだでずっと使っている。あの選択は正しかったのだ。

欲しいなと思っていた綿のシャツがきのうの夜9時からセール、ということを、きのうの朝知った。9時というのは寝る時間なので、翌朝(つまりきょう)に見てみて、買おう、と思っていたのだが、今朝どう検索してもない。もしかしてと思ったら売り切れていた。考えが甘かった。諦めるしかない。

話変わって、昨日の朝の土砂降りにはやられた。あと5分で職場に着く、というときに降り始めた。途中でカッパを着込んで正解だった。

Wednesday, 25 June 2025

よく眠れた、と健康診断

 エアコンをつけっぱなしで寝た。とてもよく寝ることができた。5時に起きたときに重い感じもしないし、5時前に起きることもなかった。これが理想。これが毎日達成されるわけではない。暑い季節はなおさら難しい。だから1日の照準を「夜よく眠る」になるべく絞って過ごすようにしている。

最近新しくアイマスクを買った。高いものでもないので、試しにと思って買ったがこれが正解だった。真っ暗になるけど目への圧迫もない。

先日、職場の健康診断があった。これで病気が見つかるとは決して思っていないので、必要な検診は自分で受けている。職場のは、義務なのでやるだけ。職場に来ているクリニックの人たちもかなり「テキトー」にやっている。それで別に構わない。仕事と仕事の合間に済ませるので、「なるべく短時間で」済むことが大事だ。実際、15分くらいで終わった。

体重はずっと変わっていない。24歳くらいから、妊娠中をのぞいてずっと60kg代だ。少しの上がり下がりはある。ホルモンの影響で62kgくらいまで増え、浮腫むことはある。これが食生活や運動不足のせいではないとわかっている。自然と60kg代に戻る。それでも年間平均をとったら、きっとすこーしずつは増えているのかもしれない。体型は少しずつ変わってきている。

先日、同年代同僚と話していたら、こどもを産む前よりも14kgくらい太った、と言っていた。驚いたけど、これは結構普通のことなのかもしれない。

さ、きょうもがんばろう。

Tuesday, 24 June 2025

『問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ』


 土曜日は朝から仕事で、しかし時間があったのでずっと読書をした。春日武彦の『問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ』を読んでしまった。久しぶりに1冊いっきに読み終えた。同僚に精神的な不調に関する本を借りたことがあり、そのタイトルはなんだったか忘れたけど躁鬱病についての章をこの医師が書いていたのを覚えていた。先日図書館で見た時にこれは面白いかもと思って手に取った。

「うつ」のほうばかりが取り沙汰されるが、「躁」については問題とされることは少なく、傍目から見ても「元気があってよろしい」となってしまう場合が多い、というあたりからはじまる。具体的な対処法が書いてあるわけではないが、歴史において、おそらく躁の人が起こした事件や問題について具体的に取り上げられていた。内容も面白いが文の書き方が面白い。ユーモアがある。読んでいて引き込まれた。これは笑っていいのかどうか、と思う箇所がいくつもある。不謹慎だと思ったり深刻にとらえる人は多いだろうけどわたしは笑う。ユーモアだ。

こういうのを読んでいると「問題を抱えている人たちはたいへんだな」と思ってしまうが、自分もいつでもそうなりうるということを忘れてはいけない。昨年、村上春樹の『アンダーグラウンド』を読んで思った。その箇所を具体的には覚えていないが「自分はこっち側で、あの人たちはあっち側の人、と思ってしまうこと」について書かれていた。この事件の場合は、オウムであるわけだが、たいていの人は自分がそうなりえない前提でものごとや事件をみる。実際のところたいした壁はなくて、自分は「そうじゃない」と思っていても、そうなりうる。

さてきょうはちょっと涼しい。朝から忙しいが、きょう夜寝ることを楽しみにして1日を生きる。

Friday, 20 June 2025

息をするように行動する友人

きのう。珍しい友人からメッセージが届いた。facebookの投稿をみてメッセージをくれたのだった。30分くらい話そう、と。空いている時間を探してみたらちょうどきのうの午後はあいていて、それ以外だと夕方の、寝る前になる。あとは土日かな、と返事をしたら、その2時間後に話すことになった。つまりきのうの午後。

こういう、約束を取り付ける感覚というのは人と文化によって異なる。日本人の場合、たいていは「きょうはさすがに急だから」となる場合が多い気がする。この場合であれば「余裕のある土日に」となる。相手のことも気遣うゆえの選択。

しかしこの友人はなんともspontaneous(自然発生的、自発的)という特徴がある。その日に話すとなったときに「さすが」と思った。そして「やっぱり」と。

友人はアメリカに住んでいる。20年前、私が英国にいたころ、彼女はイタリアにいた。

「アメリカ的な考え方って日本にいても入ってくるものだけど、ヨーロッパはやっぱり全然ちがうから、やっぱりヨーロッパに住んだ経験があるのは、良かったと思う。あの時間の流れ方とか、生き方とか、何者も匹敵しない歴史の重みとかは、住んでみないとわからない。20代で経験できたのは良かったと思う。」

という話をきいた。「欧米」とまとめていうけど欧州と米国は全然違う。2週間前に会った、米国から帰国したばかりの友人も同じこと、つまり欧州と米国は違う、と言っていた。

あと、聞いた話:

・アジア系がリードしている。学校で言われたことをこなす、というそれだけでも立派なスキルがつくってすごいなって。米国でそれができるのはアジア系の人たちばかり。結果、会社のトップなんて見てみてもアジア系ばかり。

・食べ物はやばい。おいしいものはない。

あっという間に45分間がすぎ、あっさりと「じゃあね」と言って別れた。

20年前のローマ。小さなポーチを斜めがけにして、スカジャンとミニスカートでローマを闊歩する彼女の姿をわたしは未だに記憶している。これどうやって渡るんだ、という交通量の多い道路を、彼女は人差し指をピッとあげてさっさと渡っていった。徒歩であちこち連れて行ってくれて、おいしいジェラートも教えてくれた。当時のローマはもっと閉鎖的で、たとえば地下鉄にのってもアジア人はからかわれた。それを無視できる強さが、かっこよかった。もはやローマっ子だった。

たとえばこの友人のように、息をするように行動する友人が何人かいる。主体が常に自分にあり、誰にも似ることない。20年間会っていなかったとしても、おそらくそのスピリットは今も変わっていないことがだいたいの自信を持って言える。そしていろんな場面で「あの子だったらどうするだろう」と想像すると、自然と勇気がわく。前向きになる。今は40歳すぎていても、私のなかには永遠に「21歳のあの子たち」がいる。

Thursday, 19 June 2025

自転車、フムス

 暑い。言ってもどうしようもないけど暑い。暑いと眠りが浅くなり、日中も疲れてイライラするようになる。なんとかしないと。エアコンをつけて寝られるように、エアコンのフィルタを掃除しないといけない。

きのうの朝、4時50分ごろに子が「もうそろそろ起きる?」と言ってやってきた。なんと4時25分に起きたらしい。証拠写真まで撮っていた。つらいだろうに。明るくなるのが早いので、こういうこともある。昼寝もせずに1日を過ごし、きのうは9時にすぐ寝た。

火曜日の午後、猛烈に暑いなか、帰り道に自転車屋さんに寄ってきた。買うものはだいたい決めているのだが、やっぱり実物を見たいと思ったので。実際に乗れるかなと思ったけど、店員があまり元気なくて、しかも修理のほうで忙しそうだったので、まあいいや、と思って話だけ少し聞いてきた。

そしてきのう水曜日、ネットで注文した。2週間くらいで届くらしい。楽しみにしている。今の自転車はもう十分に元を取ったと思う。

最近フムスを週1回くらいのペースで作る。ブレンダーがあればできる。材料は、ひよこ豆、レモン汁、ねりごま、オリーブオイル、にんにく。にんにくがなかったのでこれはにんにく抜きで作ったけどじゅうぶんおいしかった。

からだにもいいし、冷蔵庫に入れておくとなにかと使える。

Wednesday, 18 June 2025

冷やし甘酒、つめたい飲み物

訳あってこの2ヶ月間、微生物についての本をよく読んでいる。読むといっても熟読ではない。わからないこともたくさんある。それでもこれだけたくさんの情報を手に入れていると、今まで知らなかったことを知るようになった。だいぶ勉強したな、と思う。

おかげでいろんなことが気になるようになった。なかでも自分の身体については意識することが増えた。腸内細菌は特に面白い。ものすごい数の菌がすんでいるらしい。腸の状態を日々改善しようと思えばできる。そして腸の状態が良いと、脳にも良いらしい。逆を考えればわかりやすいが、ストレスを過剰に感じてはおなかがゆるくなったり便秘になったりする人の例はよくある。つながっているのだ。腸は第2の脳とも呼ばれるらしいがもしかしたらこっちが先に脳だったのかもしれない、というくらい重要な器官。

というわけで、発酵食品をよく摂取している。なかでも甘酒は最近のヒット。ほんの少し飲むだけで満足度は高い。パック入りがおすすめ。100mlくらいだがものすごく甘いのでこれでじゅうぶん。夜にアイスクリームでも食べたいなと思ったときはかわりに甘酒を飲む。添加物はゼロ。おなかにいいことをしてあげている気がする。

アルコールを買う代わりにいくらでも選択肢はあるので、水じゃ物足りないけど何か飲みたいときのための選択肢をいくつか持っておくといいかも知れないと思っている。いまのところヤクルトと甘酒は常備している。そしてきのうはリンゴ酢を買ってみた。これは発酵食品というわけではないけど、ジュースよりましだろう、と。薄いジュースに酢が入ったようなものだろうか。アルコールよりは絶対にまし。

去年は炭酸水を箱で買ってみたのだが、当然ながらペットボトルが大量に出るので廃棄が面倒。そしてペットボトル飲料を日常的に飲むことによるマイクロプラスティック摂取も少し気になりはする。少し、ね。

なんとかその代替手段をこの夏は持っておきたいと思う。甘酒はぐびぐび飲むわけにはいかない。

…やっぱり麦茶かなあ。

Tuesday, 17 June 2025

夏が来た

気持ちが良いと感じられる初夏は、どうやらもう終わったようだ。サワサワと降る雨はほんの数日で終わった。日曜午前の雨を境に夏になった。お昼過ぎに図書館から出たときの「むわっ」とした感じで悟った。ああ、もう逃げられない。

去年、めまいがして立てなくなったのは6月18日だった、ということをよく覚えているので今年は細心の注意をはらっている。体調をくずすパターンがある。

それにしても、我が子を含め、周りを見ても、もう限界です、みたいな気持ちが伝わってくる今週。4月から走り抜けてきて、疲れが出てくるころ。夏休みも目前に見えているのに、気温と湿度が上がってきて、エアコンの風にとどめをさされて風邪をひく。

これは先週末、いつも行くレストランで日曜の昼ごはん。いつもより美味しかった。パスタは乳化がポイントだな、と。

子も、メニューにないものを考えて注文することが増えてきた。大人しくしておいてほしい、と思う私はやはり日本人。ツナと、コーン。美味しく無いわけがない。

Friday, 13 June 2025

会議、月曜の外出、プールカード

 木曜の夕方は会議だった。普段は途中離席するのだが今回は最後まで残ってみた。結果、特にいいことはなかった。得るものはない。資料に買いてあることを読めばたいていの人が困らない。これをわざわざ発言して全体の時間を奪う人たちの気が知れない。

長時間座っていると腰に良く無いのを知っているので途中で立ち上がってリセットする必要がある。1時間でもこれなんだから、夏に行くイタリア行きの飛行機のなかでは一体どうなってしまうんだろうと思う。15時間、耐えられるのか。

月曜に友人と会った。海外から戻った友人で、久しぶりに会うので優先順位がぐっと上がる。たとえそれが月曜であれ。その後のことはなんとかなる!と思って会った。しかしこれがあとを引く。火曜は寝不足状態。水曜は午後から頭が痛い。木曜は戻ってきた感じもするけど寝起きはスッキリしないしまだ顔が浮腫んだ状態。これが(歳をとって)月曜に外出するってことか…。

だからと言って外出したことを後悔していない。やっぱり楽しいし新しいインスピレーションがもらえる。直接会わないと得られない。たいていのことがそうであるはずなのに、最近ではすべてを非対面で済ませようとする傾向がある。あ、ただし会議だけは非対面でもいいな…。

こどもの話。

水泳の授業が始まっている。きのうの朝、5時代にふと「プールカードがない」という衝撃の事実に気づいた。体温と、保護者のサインを書くもので、これが無いと泳がせてもらえない。プールの授業見学だけはなんとしても避けたい。ランドセルのなかをガサガサ探しても見当たらない。「しまった…」

最終手段として、画用紙を探してきて似たようなものを作った。これでなんとか許してもらえないだろうか。万全の手を尽くそうと思い、さらに連絡帳にも書いておいた。「どうしようもない親子で申し訳ありません」。

もっと最終手段を思いついた。学校に置いているのであれば朝、サインをしに行けばいい。わたしは仕事がある。そもそも学校にあるのだろうか。朝7時半ごろ、子を起こして聞いてみると

「ああ、学校にあったねえ」

「あったねえ、じゃないよ!!!持ってこなきゃだめでしょー!!」

というわけでパパの出番。事情を説明して、行ってもらうことにした。結果的に、無事に水泳はできたらしい。よかった。水泳自体よりも、こういう「提出」関連にとにかく気を揉む。

Thursday, 12 June 2025

自転車どこで買いますか

いよいよ自転車の買い替えが近づいている。期限があるわけではない。それでも、もうさすがに、と思うくらいに不具合が出てきている。チェーンをまいている、核となるところ(ブレーキ?)がすり減っていて、上り坂でこぐと、ガシャン、とはずれることがある。それを直すと何万円かかかり、だったら新しいものにお金をまわしたほうがいいだろうと自転車屋から言われた。いや、実際に言われたのはもうだいぶ前で、そのまま乗っていたけどここ最近ブレーキシューのすり減りがひどく、これを替えるならいよいよ買い替えかなと思ってまた相談に行ったら、別の人からも同じことを言われたのだった。

というわけで最近、自転車のウェブサイトを見て、特徴を理解しようとしているところ。いろんな自転車が気になるようになった。

自転車を愛好している同僚がいる。彼はどんなに遠くでもスイスイと自転車で行ってしまう。世間話として自転車の話題をふった。どこでどうやって買うんですか、と。「中高生のころから同じ自転車屋に行っていて、かならずそこで買う」という答え。ほー。曰く、ネットで選んだりは決してしない、と。信頼できる「自転車屋のおっちゃん」がいるのだ。いい話だなと思った。

そして最近15万もする新しい自転車を買ったらしい。雨が降っていたのできのうは乗ってきてなかった。こんど見せてください、と行って退勤した。

なんてことない話なのだが、職場に行く意味というのはこういう世間話にあるのかもしれないなと思った。仕事に必要なこと以外はしゃべらない、というのもひとつのあり方だろうけど、生身の人間どうしなので、知り合って情報を交換したり、他愛無いことで笑ったりするのは自然なことだ。あまり意識しないかもしれないけどこういうのがなくなると日々につっかかりを感じるのかもしれない。

さて、自転車どうしようかな。

Wednesday, 11 June 2025

"I don’t just sit there and worry about it."

 先日見たトム・クルーズのインタビュー。言っていることがあまりにも響いたのでメモをしておいた。

You just have to write down your dream and the write down a list of how do you accomplish that.

 What I need to learn to be able to accomplish those goals?

And that’s what I do.

I don’t just sit there and worry about it.

I just start doing it.

And don’t be so worried if you’re afraid.

It’s like ‘okay I feel it’.

‘That’s fine’.

Just keep working through it.

Really the fear you feel is the unknown.

It’s what you don’t know and just kind of recognise that.

It’s okay not to know and work towards a knowingness of things.

And the only way to do it is not to be in your head on it but just start looking go out and start doing it one step at a time.

When I’m training people or I’m training myself, I’m always thinking I’m gonna learn how to crawl before I walk, walk before I jog, jog before I run, run before I sprint and then I sprint out of a plane or off a cliff, before I do that.


自分の夢を書き出して、それをどうやって実現するかのリストを作るだけでいいんだ。

「その目標を達成するには何を学ぶ必要があるのか?」

それを考える。そして、それを実行する。

ただ座って心配しているだけじゃなくて、

とにかく始めてみるんだ。

怖くても、あまり心配しすぎないで。

「怖いな」と感じたら、「ああ、そうだね、それでいいんだ」と受け止めて、

それでも前に進み続ける。

本当に感じている恐れって、「知らないこと」に対するものなんだ。

自分が知らないことへの不安。まずはそれを自覚すること。

知らなくても大丈夫。大切なのは、少しずつ「知ること」に向かって努力すること。

そのためには、頭の中で考えすぎないで、

とにかく一歩一歩、外に出てやってみること。

誰かをトレーニングしているときも、自分自身を鍛えているときも、

いつもこう考えている。

歩く前に這うことを学ぶ。ジョギングする前に歩くことを。走る前にジョギングすることを。全力疾走する前に走ることを。そして、飛行機から飛び降りたり、崖から飛ぶ前に全力で走れるようになる。

Friday, 6 June 2025

航空券を買うのは神経使う

 ようやく夏っぽくなってきた。暑くなるのか〜と先が思いやられる感じもするけどこの季節を楽しむことにする。初夏のこの感じがなぜいいかというと夏休みが見えてくるからだろう。

そう、ひとつ大きなことがあった。

それは、航空券を買ったこと。火曜日に買った。行き先はやはりイタリアです。家族は先に行き、私は仕事を終えて行き、仕事のために早く帰ってくることになっている。1人で行きたいところに行く旅行ではないし、行った先のこともいつもどおりでぜんぶわかっているのでそれほどワクワクドキドキというわけではない。それでも、だ。やはり国外に旅立つ日が先に待っているというのは、普段の過ごし方に影響する。

それにしても、航空券を買うのにこんなに神経を使うのはなぜだろうか。昨年、チケットを買うだけすごく緊張して、ぐったり疲れてしまった。コロナあけて5年ぶりの海外だったからだと思う。今年は去年ほどでもなかった気がする。それでもやっぱり疲れた。

20代のころ、何も考えずに年間に2回も3回もポンポン買って、飛んでいたのがしんじられない。こどもが生まれて以降の変化だろうか。それとも20代のころだって緊張して購入していたのだろうか。歳をとって、考え方をはじめ自分のなかでいろいろなことが変わり、判断の軸ができてきた。そのため全体的には生きやすくなっているはずなのだが、たとえば航空券の購入とか、思い切ってえいやっと動かなければいけないことにたいしてはどんどん腰が重くなっている気がする。

Tuesday, 3 June 2025

Mission: Impossible - The Final Reckoning

 みてきました。雨だし、平日休みだし、いましかない!と思った。やっと行けた。子の友達がこのまえ見に行ってて、遊びにきたときに感想をどんどんしゃべろうとするので、それを聞くより先に見に行ったほうがいいなと思った。

正直なところ前作のほうが「すげー」だった。が、今回の目標は今までの話をまとめていくということがあるだろうから、そう考えると自然。スタントやアクションは前回のほうが多かった気がする。いやこれは期待はずれというわけではなくてミッション・インポッシブルは標準が高すぎるのでじゅうぶんすごいです。

30年前の第1作に登場した人が今回出てきた。これはうれしかった。相変わらずヒヤヒヤするし、いちいち心臓がバクバクするし、手の汗はすごいし、首と肩まわりの筋肉が緊張し続けていて3時間おわるとげっそり疲れる。見ている間の自分の表情なんてほんとすごいだろうなと思う。でも映画ってこういうものだろう。

飛行機のシーンはすでに有名になっていたので「これか」と思ったけど、これがCGじゃないというのはいったいどういうことだろう。ミッション・インポッシブルを見るたびに思うけど、きっとどこかはCGで、どこかはスタントマンで、どこかは本物なんだろうけど、それぞれのシーンがどうなっているのか。どう組み合わさっているのか。インタビューを見る限りトムは本当にヘリコプターに捕まっている。「目もよくみえないし息ができなかった」と言っているので。一体どうなっているんだ。

しかし飛行機にぶらさがる系のことはミッション・インポッシブルではもはや当然というかおなじみくらいになっていて、見ているこちらの感覚も正直いっておかしくなっているといえる。「ああ、あれね」くらいに思っているけど、「普通の」人間はあんなことできないししようと思わないのだ。

先日、the New Yorkerのニュースレターでこんなのがあった。"Why Tom Cruise Will Never Die"(トムクルーズはなぜ死なないか)。こんな画像もついていた↓

映画を見るまで読まないようにしていたが、いまはやっと読める。

メイキングをさっき見ていたら、共演者が「トムは新しい賞をつくるべき」と言っていた。アカデミー賞とか、そういうこと。撮影の現場はいつも前向きでポジティブな雰囲気だったそうだ。共演者も監督も「トムが」「トムが」と言う。人生が映画なのだ。

今回見た作品のなかに「未知の人たちのために」という台詞が何度か出てくるけど、まさにトムは、全世界にむけてこの作品を作っていて、それは映画を見るすべての人のために、それ以外の何でもないと思う。インタビューを聞いてると何度もaudience(観客)という言葉が出てくる。

小学生のころに第1作を見てから、今に至るまで、ミッション・インポッシブルのある時代?に生まれてよかったと思うしトムの活躍を見てきていて、本当に運が良いと思う。トムいわく、今回の作品は30年の集大成というよりculmination of 45 yearsと言っていた。つまり自分が映画に関わりはじめてからの、45年間の集大成。プロという言葉では表現できない。単純だけど、トムががんばっているという事実は、私を含めた多くの人にpositivityとoptimismと生きる希望を与えてくれている。

Monday, 2 June 2025

89歳Yさんのことば

6月になった。涼しい。寒いときもある。こんな6月はあまりない気がする。しかしこのくらいでちょうどいい。汗もかかず、夜もよく眠れる。 

オーブンもフル稼働でよく色々なものを焼いている。最近はこのバナナブレッドをよく焼く。若山曜子さんのレシピで、本当は長方形の型で焼くはずだが、マフィン型で焼いている。このほうが食べやすくて美味しい。

とにかく簡単なのでしょっちゅう焼く。ただ混ぜれば良い。コツも道具もほとんどいらない。スプーンでできる。

先日、合気道でいっしょのYさんが89歳の誕生日を迎えた。89歳である。ここでは何度も書いたけど、腰は少しも曲がっておらず、動きは早く柔軟で、当然だが受け身がとれる。毎日徒歩で稽古にいらっしゃっていて、少しも偉そうでなく、私にさえ敬語を使ってくださる。

こんな人をわたしはほかに知らない。この方に会えたことは私の人生に訪れた幸運のうちのひとつだと思っている。そして家族でもない人の誕生日がこんなに嬉しいなんて。

誕生日おめでとうございます、と言ったら、「ありがとうございます、こうやってみなさんが相手にしてくださってね、本当にありがたい」と言っていた。会話のひとつひとつを私は、からだに刻み込むように、かけがえのないもののように思っている。

故郷に帰りたいと思うことはないか、と尋ねてみたら「帰っても、友人ももうほとんどいないしね」と。「山や海はあるけどね、人がいないとね」。「帰ってもいいんだけど、ひとりで思い出に浸ってもどうしようもないもんね」

なるほど、と思っていたら「今はまだお知り合いとか、友達とかいらっしゃるでしょうからね、大事にしたほうがいいですよ。じゃ。」と言って颯爽と帰っていかれた。

小雨の降る土曜日の朝、7時半。すごく深い言葉をいただいて、この上なく満たされた気持ちで家に帰った。これはどこかに書いておかなければ、と思ったので、忘れないうちにここにかく。わたしはどう生きるのだろうか。

Friday, 30 May 2025

初夏の東京を歩き迷子になる

きのう。初夏の東京を歩いた。と言っても仕事で。散歩の規模ではなく、たいへんな距離を歩く。今までに3回参加したことがあり、諦めることなくほぼすべてのコースを達成していた。しかし昨日は半分行くかどうかというところで腰が痛くなってきた。歩きっぱなしも座りっぱなしも腰によくない、という医師のことばを思い出した。それで、座れるところでは1分でも良いから座ることにした。

こともあろうか途中で道に迷った。これがとどめだった。座っているどころではない。どうにかして自分の現在地を突き止めないと。いろんな人に道を尋ねた。難しかった。これが誰かと一緒だったらどんなによかっただろう、と思った。1人で迷子になるという経験を久しぶりにした。心細いことこの上なく、だんだん泣きそうになった。

天気はちょうどよく、暑くも寒くもない。曇り空だけどさわやか。

桜田門。大手門のほうに近づくともう日本語は聞こえてこない。詰所?にいる警官がひとりで観光客に対応している。対応マニュアルはたくさんの言語で書かれていた。

東京駅前を歩いてみたら、写真をとってくださいと頼まれた。60代くらいの集団。どちらからですか、と尋ねると「いろんなところから。名古屋、茨城…」と。浮かれ気分のおじちゃんたち。
 

お昼ごろに御茶ノ水に到達する予定だったので、お昼を食べる場所は決めていた。というのも御茶ノ水は、長年、定期的に通院で来ているので、知っている店もいくつかある。オフィス・ワーカーに混じって冷やし坦々麺を食べた。疲れているせいか、いつもより特別に美味しく感じられた。本来ならこのあと、歩いて最初の集合場所まで戻る予定だったが、諦めて電車に乗った。歳とったなあと感じた。


Wednesday, 21 May 2025

誰だって「ほんとに限界」になりうる

 久しぶりに平日やすみ。朝から読書をして、歯医者へ。マウスピースに穴があいてきたのでもう限界だろうと思って持って行った。型をとって、来週また受け取りに行く。そして6月はいつものクリーニング。歯医者とは仲良くなっておいたほうがいい。わたしとこどもは3ヶ月に一回通っているが、いわゆる「顔パス」である。名乗らなくても把握されている。

お昼を食べに行った。ようやくひとりでゆっくり食べにいけた。隣に座った人たちの会話が聞こえる。30代か40代の2人。「死ぬかと思った。ほんとに限界だった。」片方の人が言う。どうやら精神的に落ち込んでいたらしい。夫がどういうことばをかけてくれた、とか、職場の人たちがどうだった、とか。同僚どうしなのだろうか。

「病院に行ってもさ、診断名ってないわけよ。病気じゃないのね。それでももう限界で」

もう1人の人はずっと聴いていた。相槌がいくらかあった。「やめちゃうと思った」とか。

話は続く。

「でもさ、無理ですって言えるわけはなくてね、職場に」

これをきいたとき、もはやわたしも無意識に頷いていたかもしれない。昨年の今ごろから6月にかけて、わたしは抱え過ぎて神経が衰弱していた。大きな音がしただけで涙が出てくる。パンク寸前なのにどこから、なにから取り掛かっていいかわからない。ある朝起き上がるとめまいで吐き気がとまらない。だけど「無理です」なんて言えないのだ。とうてい。到底無理。カウンセリングも、行こうと思えば行ける。頼りになる上司は、いる。なのに、「ちょっと話を聞いてほしい」という一言がどうしても出てこない。

毎年、初夏はもっともワクワクする季節だ。いや、「だった」。しかし昨年こういうことが自分の身に起きて以来(つまり今年は)じゅうぶんに用心している。断れる仕事は断って、寝られるだけ寝て、全力で自分を守ろうとしている。なるべく自分を客観視するようにこころがけていて、もし落ち込んでも「これがずっと続くわけじゃないから」と言い聞かせようと思っている。

そのおかげあってか、今年は一応大丈夫だ。軽い不調はあるけど、「波」のひとつで、だんだん戻ってくる。

きょう隣に座っていたこの人の話を聴きながら、あらためて「誰もが具合悪くなりうる」と思った。精神の不調は珍しいことではない。迷惑かけないように生きていくのではなくて、迷惑かけるのが前提で、生きる。

Monday, 19 May 2025

理想的な土日

ふつうの土日だった。その前の土曜は仕事だし、今週の土曜も仕事なので、待ちに待った、かつ、ふつうの土曜日だった。しかし朝から雨。合気道の朝稽古に行くつもりで前日から道着の準備までしていたというのにこんなに残念なことはないなと思った。雨のときはいかなくてよいと最初から決めていたので迷うはずはなかったのだが、迷いが消えない。6時が近づくと雨が少し弱まったように感じた。ちょうどインターネットで、ミッション・インポッシブルの公開のニュースを見ていた。トム・クルーズがインタビューに答えている。どんだけすごいんだこの人は、と思いながら見ていて、ふと雨ごときで稽古をあきらめようとしている自分を考えたら「いやこんなことしてる場合じゃないな」と思ってわずか5分のあいだに準備をして家を飛び出した。間に合わないかもしれない、というくらいのギリギリである。

行ってみたら結構人がいて、そうか、雨なんて関係ないんだな、と思った。そしてやっぱり行ってよかった。稽古で汗をかいたら実際のところ雨なんて関係ない。そして、いつも思うけど、家のなかから見る雨と、実際に外に出てみて感じる雨は結構違うことが多い。

土曜はその後も雨で、夕方になってようやくあがった。家族でプールに行った。こどもがプールの半分を泳げるようになっている。驚きだ。フォームはできていなくてまさに「自由」形なのだが、それでも、おぼれることなくゆっくり前に進んでいる。「ぼくね、言われないほうができるんだよ」。そうだよな、なんでもそうだよな。きびしく言わないほうがすすんでやるのかもしれない。

日曜は朝から美容院。昼は家族でいつものように食べて、わたしは図書館へ。これがいちばん落ち着く。図書館に行かないと私は飢えてしまう。図書館でおそらく文春が手に入らないことが見込まれていたので、だいたいの記事は美容院で読んでおいた。そしてやっぱり図書館では誰かに読まれていて手元にまわってくることはなかった。

それで、借りてきた学研まんが『世界の歴史 4』を夜にパラパラと読んでみた。「カノッサの屈辱」は、名前は知っていたけどなるほどそういうことだったのかとまんがではじめて知った。やっぱり歴史はまんがが面白い。

さて、月曜日。仕事がんばろう。雨が降りそう。

Friday, 16 May 2025

稽古にいって栓がとれる

4月後半から5月前半にかけてあまり調子がよくなかった。といっても表に現れて分かる兆候はなにもなかったし、日々は問題なくこなせた。涙が出たり頭が痛くなったりすることもなかった。なんだ普通じゃないかと思うかもしれないけど自分だけがわかる「なんだか不調」な状態だった。なんでだろうなと考えてみるに、やっぱり4月始まってからの疲れと、ようやく慣れてきて気持ちがゆるみはじめたのがあると思う。仕事では腹の立つことが1、2件あったし。

この1週間、また元気になってきたと自分で感じるのは、合気道にいったおかげだ。ゴールデンウィーク中は道場がしまっていたので2週間稽古から遠ざかった。連休は身体を休めようと思ってあまり活動しなかったのだがそれが逆に調子を悪くさせていた気がする。身体が重かった。先週日曜日、やっとのことで2週間ぶりの合気道に行ったら、詰まっていた栓?がスポッととれたかのようにすっきりした。いっきに気持ちが前向きになった。やっぱり身体を動かすのは気持ちがいい。その調子で火曜日の朝も行ってみた。仕事の前に行くのは難しいと思っていたけど少しずつ達成しつつある。

朝稽古の爽快さを知っている人生と、そうじゃない人生はだいぶ違う、と行くたびに思う。すごいボーナスなのだ。

きょうまで働けばあしたは休み。明日の朝稽古にあわせて、きょうも早く寝る。

Thursday, 24 April 2025

3年生になって、相談室メモ

 3年生になった我が子。新年度に切り替わったとたん、とても調子がいい。授業中も、座っているらしい。これは驚くべきこと。悪ノリする仲間たちとはクラス替えで別のクラスになり、とても良いスタートがきれている。

2年の後半、授業中に使ってよかったタブレットも、使わなくなったどころか、今となっては持っていくことすらない。持って行きたいと言うことさえない。環境が変わっただけでこんなに変わるのだ。

2年のときに使うことがなかった連絡帳と算数ノートのページが進んでいることに驚いた。算数なんて、ノートどころか教科書を開くことさえなかっただろうに、今は毎回の授業でなにか書いている。驚いた。

エピペンを持っている子は、毎年はじめに面談があるので先日行ってきた。養護教諭、担任、校長、栄養士。4月にこれがあると担任の先生と話す機会があって良い。「とても良い感じですよ」と言っていた。ありがたい。

そのあと、もともと予約をとっていたスクールカウンセラーとの面談。こちらもやはり「最近調子良いですね」と。「調子が良い今が、習い事などを始めるチャンスかなと思いましたけどそこにはのってこないのでまあいっかと思ってます」と話すと、「やることを増やさないほうがいいです」と言われた。そうだった、相談室に行くとこの点についてあらためてハッとするのだった。

・習い事のしすぎで、学校では無気力という生徒は少なくない

・スキル、技術を身につけるのは中学校に入ってからでも

・小学生は「毎日わくわくしていること」が大事

・生きてるのが楽しいと思えること、希望を感じられることが大事

・習い事より友達と遊んで学ぶことが大事

・待ち合わせをしてたのにうまくいかなくてすれちがったり、ボールで遊んでてとなりの家にボールが入ってしまって困ったり、そういう問題解決を人としていく経験など

・本人がやる気で言い出さない限り無理にやらせなくていい

・こどもはのんびりする時間がないと

相談員の先生はいつもこのことを言うのに、しばらく面談をしないと「習い事でもしたほうがいいんじゃないか」という欲求?が戻ってくる。大事だと思ったのでこうやって書いておく。

Thursday, 17 April 2025

無理がきかない歳

 今週月曜の夜に、職場の外で、大事な会議があった。6時から8時まで。この時間というのは、普通は家にいる。こどもとの宿題が終わって、お風呂に入って、ごはんを食べて、歯を磨いて、寝る準備をする、というのが毎日の流れ。会議に参加するということは、ルーティーンを壊すことになるので、たいへん抵抗があったがこれはどうしても欠かせなかった。オンラインで参加することもできたが、対面で参加したいと思った。なんとかなるだろう、と思って参加した。

帰り道、8時過ぎ、脚が痛い。痛めたわけではなくて、むくんだ感じ。一刻も早く家に帰って靴を脱いでリラックスしたいと思った。電車に乗っている人たちを見ながらいろいろな想像をする。こんな時間に帰宅している人たちにも、脚のむくみを感じる人がいるのだろうか。この人たちは今から何を食べるのだろうか。見るからに皆が疲れている。

家に帰ってすぐにシャワーを浴び、歯磨きをして、結局、寝る時間はそれほど変えなくても済んだ。こどもが「本読もうよ〜」と言うのに読めなくて申し訳なかった。8時台に家にいないということは本が読めないということになる。

さて、月曜の夜、外にいたことがそのあとだいぶ身体に響いている。火、水と、夜の疲れが半端ない。夕方以降、頭も身体も重い。朝すっきり起きられない。便秘ぎみ。熱もないし元気だけど自分だけがわかる、いつもと違う感じ。

すべては月曜の夜のせいである。やっぱりこういうことになる。もっと休まないといけない。

この不調に気づけるのは、いつも規則正しく生きているおかげにほかならない。少しの違いでも気づくことができる。

体力があるかどうか、とは別なのだ。もっとも、そういう歳になってきたというのもある。無理はきかないのだ。

Monday, 14 April 2025

まちどおしかった週末

「ままー、3年生になってから、なんかおやすみまで長いね」

やっぱりそう思うか。同意しかない。

そう。長かった。 新年度始まって1週間は、毎年のことだがものすごく長く感じる。始業式が2週間くらい前のよう。この1週間は本当に長かった。

誰に頼まれてもいないのにふと気づくと気が張っている。いつもより長く仕事に残ろうとしている。火曜日ごろに気づいた。そして新しいスケジュールに慣れていないので、無駄な動きが多い。空いている時間に効率よく仕事を済まさず、あっちこっち、かじるように仕事をして結局それほど片付いていない。これは頭というより身体の問題なので、慣れるまでは仕方ない。

週末は本気の休息をとらないと、次の週からやっていけない。最初だからといって張り切ると身体がもたない。

というわけで土日は、休みらしい休みにした。土曜は天気もよく、合気道の朝稽古も気持ちよかった。家族でお昼を食べて、図書館で雑誌を読みたいだけ読んで、夕方からは家族でプールに行った。パンも焼いた。アーモンドボールも焼いた。

日曜は9時ごろから雨が降ったので、合気道に行くのは潔くあきらめた。私にしてはめずらしく一歩も外に出なかった。大平一枝さんの「こんなふうに、人と暮らしを書いてきた」を読んだ。それから学研の歴史まんがを読んだ。きのうから読みかけていた、16〜17世紀の世界史。さほど期待していなかったがこれが面白かった。ほかにも借りようと思った。

抹茶のショートブレッドと、パンも焼いた。いつものように、これからの1週間に必要なゆで卵とにんじんサラダも作った。

それから見たかった韓国ドラマを見た。大したことないシーンがまた泣けるのなんのって…

夕飯はバーガーキング。

今朝体重を測ったら0.5kgも増えていて、超えてはいけないラインを久々に超えてしまった。これはよくない。またすぐ戻るだろうけど。さすがにぐうたらすぎた。雨のせいだ。

きょうはめちゃくちゃ忙しい日。大丈夫だろうか、と何日も前から思っているんだけど、まあ時間が解決する。なんとかなる。そう自分に言い聞かせている。

Tuesday, 8 April 2025

新年度が始まってしまった

 新年度が始まった。始まってしまった。あまり実感がないのだが周りは少し興奮状態というか張り切っている。当然だろう。桜と一緒にすべてがスタートする。誰もが新しい出会いにドキドキしている。この1週間が、とにかく疲れるのだ。みんな一斉に始めなければいいのに、と思う。全体的にもっと遅く、ゆっくり始めればいいのに、前の年度がおわってたったの1週間のうちに次の準備ができてしまっている。どれだけ自分を追い込んでがんばるのだろう、日本人は。それが美しいとも言えるのだが、あまりに一斉すぎる。そして短期間すぎる。4月7日に「すみませんまだ準備できてません」という人がいてもいいだろうに。この国の空気はそれを決して許さない。誰がそうしているわけでもないし、誰のせいでもないけど春のこの時期はみんながんばってしまう。そういうふうにできているのだ。あえて言うなら桜のせいかもしれない。

満開の桜の下を自転車で通りながら、入学の時期を9月にする話があったなあと思い出した。実現していないが。もし桜が9月に咲くなら可能かもしれない。

Sunday, 6 April 2025

『映画ドラえもん のび太の絵世界物語』

 ドラえもんの映画を見に行った。

金曜の夜、ふと「連れて行くか」と思い立った。しかも自分が。普段だったらこんなことはしない。そもそも電車に乗ってどこかに出かけること自体が億劫だし、お金もかかる。最近は映画も高い。そこで自分が連れて行くとなるとやりたいこともできなくなるしスケジュールが狂う。

なのに、「連れて行くか」と思ったのだ。

実家にいる間、Mちゃん(弟の妻)の子育て(というか甥っ子であるうちの子をひっくるめた子ども全般の扱い方)っぷりを見ながら感心させられることが多かった。たったの数日で、我が子はMちゃんのおかげで8年間で一度もやったことのない経験をたくさんして成長の機会を与えられた。なんでもやらせてみないとダメだなと思った。我が子をみて臆病者だなあと思っているけど臆病者にさせているのはほかでもない親なのかもしれない、と思った。

だからといって、映画に連れて行く程度でそんな大袈裟なと思うかもしれないけど、連れていこうという気持ちになれたのは紛れもなくMちゃんのおかげなのだった。

あまり迷うことなく、近郊の映画館を探して席を予約した。

土曜朝、早くに合気道に行くので7時半ごろにはすでにフリーである。合気道は2週間ぶりで、だいぶ疲れた。2週間空いただけでこんなに疲れる。でも気持ちよかった。

映画館へは9時ごろに出かけた。

劇場は子どもたちでいっぱいだった。小学生以下から中学生までいる。こんなにこどもに囲まれて映画を見るのは初めてだった。

見たのは『のび太の絵世界物語』。これが期待以上に面白かった。大人だってじゅうぶん楽しめる。最初は「とくにドラえもんに興味はないんだけどな〜、これに1900円も払うのか〜」と思っていたが、とんでもない。十分以上の価値があった。後半あたりはもはや誰が何をしても泣けるようになってしまって、のび太の下手な絵やしずかちゃんが飛んできたシーンだけで涙が出てきた。そうかこどもたちはこんなにいい作品を楽しんでいたのか。

久しぶりに全編とおして見てみて、ドラえもんの道具が出てくるときのワクワクする感じ、想像力が掻き立てられる感じが、小さい頃見たときの気持ちを思い出させた。この先に、常に希望がある、なんとかなる、という気持ちにさせる。

いつだったかドラえもんは刷新されて、自分が幼少期に見たドラえもんからはだいぶ変わっている、ということは知っていた。声優も違うしドラえもんのしゃべり方も性格もちょっと違う。圧倒的しっかり者のドラえもんとおっちょこちょいのび太だったはずが、ドラえもんもすこしおっちょこちょい度が増している。だんだんとこっちに慣れてきているのも事実。

そして気づくのはしずかちゃんの変化だ。それは自分がこの年になって女性の権利などが気になりアニメでの女性の絵が描かれ方などが以前より目に留まるようになったせいなのかもしれないけど、以前より勇敢になったような気がする。果たして30年以上前のしずかちゃんはこんな感じだっただろうか。今回はほうきにまたがり空を飛び、大活躍で、ドラえもんとはまた別枠の確固たるヒーロー像を構築していた。本当にかっこよかった。危機の寸前でみなを救う。

さて我が子は、2時間近くの間、席に座って集中して映画を見ていた。終わってから、言葉にならないようだったけど興奮していて、「おもしろかったねー」と言ったら「うん」と言った。感じるものがたくさんあったようだった。来年の春も見にいこう、と約束した。

それにしても子どもたちに囲まれて見る映画はいい。笑い声がある。同じところでみんなが笑うのだが、大人が面白いと思うタイミングとちょっと違う。これがまた新鮮。ジャイアンの行動が面白くても、そっちで笑うのか、というときに笑う。ふきだすのではなくアハハと笑う。まあ5歳の子供が笑いを抑えるわけはない。海外の映画館では、笑い声があったり同情の声があがったりするのが珍しくないけど、日本の映画館では静寂だ。だから昨日のように子どもたちとみる、映画館はにぎやかでいいなと思った。

ところで映画の中に出てくる「アートリア公国」、調べてみたらイタリアがモデルらしい。中世ヨーロッパの衣装や建造物を振り返ってみたくなった。

Friday, 4 April 2025

東京に戻った

東京に戻った。行きの便での揺れとは大違いで、ちっとも揺れなかったし、定刻より15分か20分早く着いた。通路側の席だったが、窓際の席の人が最初からブラインドを閉めていて外の様子はまったくわからなかった。降下が開始されてしばらくしたころにゴゴーっと音がしたので何事かと思ったらなんともう着陸していた。おもわず「えっ」と声を上げてしまう早さだった。

東京は小雨で、空は灰色。寒い。ちっとも春な感じがしない。電車はそこそこ混んでいた。ゆっくり帰っても1時過ぎには帰宅できたので、家にあったうどんの乾麺をゆでて、わかめをもどしてのせて食べた。なんの変哲もない、家。しかしこの家を呼ぶのに「我が家」という言葉がスッと出てくることはなかなかない。

揺れが少なくて楽だったはずなのにどっと疲れていて、なんだか頭に何かつまったような感じがする。天気、気圧のせいもあるのかもしれない。たまった仕事のメールを返したりして午後はぼうっとして過ごした。姪っ子たちの写真を見て、すでに懐かしがっている。

今朝は5時に起きている。今日こそ天気が良さそうだ。1週間、ろくに運動もせず、食べたいものを食べて過ごしたので身体がふわふわしていて、弱くなっているのがわかる。今朝体重計に乗ったら体重だけではなく体脂肪も増えていた。太る人というのはこの状況に歯止めがかからなくなるんだろうな。まあいい。休暇で痩せても困る。ゆるめた証拠。だんだんと元に戻していこう。

Wednesday, 2 April 2025

春休み7泊8日

実家に帰っている。周りに迷惑をかけるのを承知での7泊8日。仕事では各方面に頭を下げ、戻ってからは誠心誠意働きます、ということになっている。こういうのはあとでいくらでも取り戻せる。休みに入る前も、休みがあるほうが集中して仕事を終わらせることができる。メールをチェックするかどうか迷ったが今回は少しずつ、1日1回は確認することにした。

姪が1歳と2歳で、家のなかはだいぶ賑やかである。姪っ子たちのひとつひとつの行動がコミカルで、目が離せない。面白い。3月に1歳になったばかりの姪はすでにとことこ歩いていて、放っておくと梯子でも登り始める。あちこちで転んだり、落ちているものを口に入れたりしている。泣きはするけどそれほど泣かない。おおらかな環境で育っている。

ここにいる間ずっと寒かった。日中は真冬の服装をしているし、夜も真冬のパジャマをきている。東京はもっとずっと寒かったようで、こちらはまだマシだったようだ。きょう、ようやく晴れて気温が上がったので、自転車でスーパーまで行ってみた。菜の花と桜があちこちで咲き誇っていて、春のにおいがした。気持ちがよかった。気づけばもう4月なのだ。それにしても寒い3月だった。

明日、東京に帰る。帰ったら何事もなかったかのように日々が始まるのだろう。わたしの日常は東京にある。ときどき日常から離れて、故郷で頭も体もスイッチオフする。故郷があるのは幸せなことだ。

Thursday, 27 March 2025

アルバムを見て

先日は雪が降っていて、やっと暖かくなったと思ったら30度近くまで上がった。なんなのだろう。春はどこへいったのか。

先日、こどもに「誕生日はいつ」とか「きょうは何曜日」とかきいてみた。時々答えられないときがあるので思い出したように聞く。ひとつレベルをあげて、「ではあなたは何年生まれか」という質問をしてみた。これはわからない。じゃあ今は何年か、ときいたらすぐに2025年と答える。これは意外だった。じゃあいまの年齢がわかれば、もうわかるでしょう、と言ってもこれがなかなかわからない。時間がかかる。一年ずつ数えてようやくわかった。

1年ごとにアルバムが一冊あるので、じぶんが生まれた年の写真を探したら、そこに書いてある年が自分の生まれた年だから、と言ったら探し出してきてページをめくりはじめた。今までだって何度も見たことがあるはずだが、えー、とか、わー、とか言いながら食い入るように見ていた。生後1ヶ月ではじめて飛行機にのったとき、スタッフから手紙をもらったのだが、それもはさんであった。泣き叫ぶ赤ちゃんをあやす祖父母や、おさんぽ中のようすや、まあとにかくいろんな人に抱っこされている写真がたくさんある。

しばらくしてふと気づくと、子、写真を見ながらうるうるしている。涙はこぼれていないけどすこし口がへの字になっていた。「どうした?感動しちゃった?」と聞いたら「みんなありがとう、と思って」と言う。優しい子だなと思った。大事にされて育ってきた、ということを知ってはいても生後すぐを覚えているわけではないので、こうやって見て知る。

成長過程によって感じ方や見方が変わるのでアルバムはおもしろい。

Thursday, 13 March 2025

読み聞かせと授業参観

 今年度最後の読み聞かせ当番だったので朝8時半から小学校へ行ってきた。読み聞かせの本を選ぶにあたり、どの本にしようか、と相談すると子も楽しそうで、選んで、2人で練習をする。読み聞かせに行くと子どもたちの反応が楽しいので私にとってまったく苦ではなく、今年度は2回担当した。3月12日はおそらく今年度最後。とりまとめをしてくださっている保護者がいて、これもありがたい。

終わってからそのまま帰らず、算数と外国語の授業を参観していった。実は2月の授業参観以来、見かねたFが週に2回、3回と授業に行っている。保護者が授業に行く小学校なんて聞いたこともないのでこれは行き過ぎなのではないか、せめて週1にしたほうが良いのではないかと思っていた。

しかし、特段問題がないどころか効果が出ている。まず、担任は「いつでもどうぞお願いします」と言う。おかげで授業中に大きな問題は起きず、担任からの電話は2月の間、こなかった。私は授業の様子を聞き、情報を共有できている。そして子は、きのう見てみたら、とりあえず座って周りと同じことをやろうとしている。結果的に、よかった。

イタリア人だからできたことだろう。つまり、親が学校に行って様子を見る、などという思い切ったことは、私だったらできない。どうみられるかわからないし、先生に迷惑がかかると思ってしまうし、何よりもほかにそういう人はいないから。しかし日本の学校を知らず、いわゆる「常識」にとらわれない彼にとっては、「子がいうことをきかなくて先生がお手上げ状態なら親がなんとかするしかない」というシンプルな考えから授業参観に行き着いたわけだ。

話は昨日に戻る。2月のはじめに私が授業参観に行った時、あらゆる指示に対して「いやだ」と反抗しまくっていた我が子は、座って算数の問題に取り組んだ。「ママがいるとやる気がでるなあ」と言いながら次々に解いていった。1ヶ月前とは全然違う。これはもちろん親がいないとこうはいかないのかもしれない。でも2月は親がいても反抗していたくらいなのだから、大きな進歩ではないか。

最初からまったく席につかない子が数人いる。お手伝いの大人がずっと付きっきりでいる。ある子は読み聞かせの間ずっと廊下に座ってi padをいじっていた。またある子は私のいた3時間の間結局一度も座らず、空席のままだった。(そもそも遅刻してきた。)急に「校庭に出てサッカーする」と言い出し、どこかに行った。座っている子もいるけどずっとi padで遊んでいる。うちの子もこうだったのだ。

別の話題になるがi padの使用は本当に困ったものである。もはやi pad無法地帯となっている。課題プリントが終わった人は何をやってもいいことになっている。お絵描きや読書などいろいろな選択肢はあるが、子どもたちは当然i padに手を出す。これについて私は先日担任に「制限してほしい」と訴えたが「特にi padをやりなさいと指示しているわけではありません。どうすればよいか一緒に考えてください。i padじゃないことをやっている生徒もいる」とのこと。しかしきのう見に行った限りではほとんどの子がi padを開いている。課題プリントが10分くらいで終われば残りの35分はゲームし放題なのだ。小学2年生にこれはないと思う。

幸か不幸かi pad故障中の我が子は粘土で遊ぶことにした。わたしも一緒に作ってこれは楽しかったが、これって授業なのか。小学校のことはわからないけど、授業の大半が「好きなこと」というのは、学年末だからこうなっているのか。日々の様子を子から聞く限り、どうもそうではないと思う。

さまざまなことが、来年度から切り替えられることを願う。

いったん帰って、昼を食べにいった。行った先で「麻婆春雨」があったのだがこれが美味しかった。チャンプルーとは違う。自分でも作ってみようと思った。「ほめる」を早速実践しようと思ってスタッフの人に「麻婆春雨がとても美味しかったです」と伝えた。嬉しそうだった。やっぱり、心掛けないと、褒める言葉は出てこない。

Wednesday, 12 March 2025

人間関係、ほめること

 同じ職場に長年いるとうんざりすることも増えてくる。同僚どうし、お互いの性格や特徴を知っているので動きやすいがその反面、その性格や特徴にうんざりすることもある。さらにその性格や特徴によって仕事の量や質が変わってきてフェアじゃないなと感じることも多くなる。昨年あたり、タイミングよくここらでいったん外に出てみるかと思ったことがある。思っただけで実行はしなかった。ちょうど腰のMRIを撮ったりしていたし子どもも手がかかるし、なんだかんだ迷いがあった。年をとって腰が重くなっているのかもしれない。というわけで、出なかった。環境が嫌になって自分が出たら負けだ。負けと言ってもとくに戦ってはいないけど相手に主導権を握らせたことになってしまう。イタリア人がよくいう。「相手にpotenza(権力、主導権)を握らせるな」と。自分の人生だから自分が進むのみ。

きのう。ある同僚曰く「アドラーによるとね、人間の悩みはすべて、人間関係によるものだって」。なるほど、そう言われればそうかもしれない。相続、ご近所、いじめ、家族、友人、仕事、国際問題まで、すべては人間関係。世の中問題だらけなんだけど、いっぽうで人間関係で問題が起きないタイプの人間、というのがいて、どこでも好きな場所で生きられる。何人かそういう人を知っているけど、とにかくしがらみがない、そして当たり前だけど人当たりが良い。

先日、「ほめことばの見つけ方」という講座に行ってきた。無料だったので申し込んでみたわけだ。これが、とてもよかった。講座の前後で人生が変わった感じがする。大袈裟かもしれないが、そのくらい自分にとっては影響が大きかった。参加者のほとんどは高齢の女性だった。みんな一生懸命メモをとっていた。男性ももちろんいたけど圧倒的に女性が多かった印象。

前提として、人は、ネガティブなことばが無意識に出てくるようになっている。その逆のポジティブな言葉というのは相当意識しないとなかなか出てこない、ということ。たしかに。ほめるというのは、人、もの、イベントに対して価値を見出すこと。ダメ出しをやめた途端に営業成績があがる職場の例などがあった。面白かったので講師の本を読んでみようと思う。この、人生が変わるような、前向きな気持ちはいったいいつまで続くだろう。ずっと続けたいと思った。その日だけじゃなくて、意識してほめるようにしたい。

Thursday, 6 March 2025

日本の教育は困ったことになっている

 5日。毎年三月恒例の婦人科検診。かれこれ20年前、治験で関わったのがきっかけで知った病院だがとても良いので結局20年間通い続けている。家の近くではないけどなにかと自分にとって都合が良く慣れた、なによりも信頼できる病院。

特に決められたわけではないが3月になると検診を受けている。ここ数年はマンモグラフィもこの病院で受けていたのだが、区の助成を受けたことがなかったのでマンモグラフィだけは4日に、区の施設で受けた。あっという間に終わった。値段も安いしこれでよいのかもしれない。

5日に戻る。9時半受付だと知ってはいたが、9時ごろに着いた。天気も悪いし交通機関の乱れもあるだろうし、なによりも朝8時ごろに家を出るのに慣れている。あえて遅くする必要もない。で、こんなに早く着いたのにもう受付できて、ほかに人もおらず、9時半には終わってしまった。早すぎる。びっくりした。検診以外にも診察で時々通っていたが、もう検診だけでいいでしょう、ということになった。つまり次に来るのは1年後か。

とにかく寒い1日。小雨が降り続いている。11時ごろには家に着いて、早めにお昼ご飯を食べた。1人しかいないのでチャンスだと思ってNetflixを見た。ひとりで座って映画やドラマをみる時間なんてほとんどない。というか、時間があっても家にいるとパンを焼いたり掃除したり、ほかのことに手を出してしまうのだ。

午後、ふと気づいたらきょうは息子の保護者会だった。行かねば。どうしようかなと思ったけど、行かねば。準備する学校側の気持ちがわかるだけに、行くことにした。来年度の連絡があるだろう。でも、崩壊ぎみの学級懇談になって、いったいみんなどういう話をするのだろう。気まずくないのだろうか、と思った。

思いながら、クラスに行くと、誰もいない。同じように迷っている人がいたので「すみません、保護者会どこでしょうかね」ときくと「やっぱりここじゃないんですね」と言って調べてくれた。体育館らしい。知らないお母さんだったけど2人で歩きながら話した。スマホを見ながら「あれ、、でもおかしいですね、ほかの学年はぜんぶクラスでやるのにこの学年だけ体育館だって。」という。なるほど、おそらくうまくいっていないから、クラスになっても気まずいのかもしれない。先生に文句が出たり保護者どうしが不機嫌になったら、クラス懇談はうまくいくわけがないのだ。正解はないけど、わたしはそう見た。

来年度の説明などが、30分くらいで終わってしまい、お開きになったが、最後に担任が挨拶をするということで、クラスごとに、席はなく、体育館で立ったまま、担任を囲むことになった。パイプ椅子を保護者が片づける。ある組だけは、体育館ではなく教室に移動になった。

なんだか変な感じがした。

それで、子のクラスのところにいくと、保護者の人数はまあまあいる。先生を囲んで立った。担任から「ご協力ありがとうございました」と言い始めたとたん、なんと泣き出してしまった。「自分の指導力が足りなくて、2学期くらいから、うまくまとめられなくてすみませんでした」と言いながらボロボロ泣いている。なぐさめようにも大人どうしで、なんだかどうしたらいいかわからず周りの保護者もオロオロしている。「できる限りの形で、あと少しがんばります」と言って、終わった。

帰り道から夜までなんだかいろいろ考えてしまった。先生はこんなに追い詰められて、どんなにつらいだろう。そして先生の家族のことも考えてしまう。2学期に1週間くらい先生が休んだことがあったけど、あれはほんとうに限界だったのだろうと思う。

子どもたちがさわぐ→先生が注意する→保護者に報告する→保護者は子の味方になる→先生が生徒を注意できない→生徒はもっとさわぐ→崩壊→先生寝込む、ときに辞める

この悪循環をたちきれない。子のクラスメートからの話を、子づたいに時々聞くが、保護者は先生のことをさんざん言っているらしい。学校から電話が来たときの親の様子を、子供たちはよく見ている。「先生は先生辞めるべき」とか、電話が来たら話をきいてるふりをして寝たりとか、しているらしい。

先生は泣きながら「教室のほうも、素敵な絵が飾ってあるのでぜひ見て行ってください」と言った。最初から教室でやればよかっただろうに、たぶん先生が場をもたせることができなかったんだろう。なんだか悲しい気持ちになりながら子供たちの絵を見に行ってきた。この絵を壁に貼ったのは先生だろうか。誰かと話しながら楽しくやったのだろうか、それとも業務に追われながら、疲れてやったのだろうか。そのとき、さっき体育館ではなくクラスにいった1クラスが見えた。校長と副校長が話をしている。あとで子にきいたら、どうやらこのクラスは先生がいなくなったらしい。

日本の教育は困ったことになっている、というのは、ニュースなどではきくけど実際にこういうことか、と小学校を見てはじめて実感している。

イタリアだったらどうだろう、と家で話した。「先生は泣かない。」確かに。「生徒が勝手に何かしたら怒る。」

言われてみれば当たり前なのだがこれができない状況にあるのだ。親に責められ先生たちは病む、そして辞める。なり手がいない。学校が機能しないと、行き着く先は塾である。

Wednesday, 26 February 2025

休日は仕事メールを見ない

家で仕事のメールを見ないことにして、1年以上経つ。在宅勤務や、やむを得ないときを除く。思わずチェックしてしまうことがあるので、これは「がんばって」見ないようにしないといけない。チェックするのはとても簡単なことなのだ。それにくらべて、チェックしないようにするためにはだいぶ意識していないといけない。パソコンをはじめ、我々の生活に「画面」が出現して以来、いろいろなことをほぼ無意識にやるようになっているからだ。

この3連休も、少しもメールを見ずに過ごした。きのう三日ぶりに出勤してみると40〜50通くらいが行き交っていた。ざっと見てみて、自分に関連あるものはほとんどない。私の名前が出てきて「これ、よろしく」と言われている仕事は1件だった。しかも「週明けで問題ない」とある。それ以外に「時間のある時によろしければお読みください」とある、誰かの語りみたいな、数人に宛てたメールがあった。不快以外のなんでもない。つまり読む必要がない。読むわけがない。そんな暇ではない。やっぱり週末にメール見なくてよかった、と思った。不快なまま過ごしたくない。不快になるなら、日中で、職場で見たほうがいい。自分の精神衛生は自分で守らなければいけない。メールやSNSは自分の生活にすでに深く侵入してきている。

Tuesday, 25 February 2025

連休の記録

 3連休が終わった。

22日(土)。合気道の朝稽古へ。7月に昇段したのだがまだもらっていなかった賞状を受け取る。みなさんにおめでとうと言ってもらえてとても嬉しかった。励みになる。土曜朝の稽古は定着してきた。

この日に返すべき本があって、あと少し読んでしまいたかったので保健センターのカフェで読む。四方田犬彦の『サレ・エ・ぺぺ』。めちゃくちゃおもしろかった。食に関する本です。前半の理屈っぽいほうが好きだった。

日中は結構寒い。お昼は家族でいつものレストランに行ったがこれがだいぶ待った。1時間近かったかもしれない?外で待つのが寒すぎるが順番が「次」なので辛抱した。

2時から息子の友達が遊びにくる。わたしはその間、図書館で週刊文春を読む。

休日はこの流れが最高だと思っている。合気道→昼→図書館。昼が終わるともはや1日終わったような気持ちになる。あとはもう寝るだけ、みたいな感じ。

23日。

友人の家に行く。子を連れて行った。移動に時間がかかり、電車を乗りついだ。これは結構疲れた。往復で2時間かかるので10時に家を出て帰りは5時になる。子は辛抱してついてきたので、大きくなったなあと思った。ご馳走になったグリーク・サラダがとても美味しくて、自分もフェタ・チーズを買って食べようと思った。いつもいくスーパーにはない。カルディにあった気がするので近々行ってみよう。

24日。

やはり寒いが、天気は良い。3日間ずっと天気はいいのだ。今日こそプールに行くことにしていたので、私以外はあまり気が進まなそうだったが、10時に行くと決めて3人で行ってきた。気持ちよかった。水に浮かぶだけで気持ちいい。

昼、レストランに行ったらだいぶ待つことになりそうだったので、結局やめて家に帰ってパスタを食べた。とても美味しかった。

1時過ぎから、子の友達が舞台でバレエをするというので見に行った。チャリティ・イベントなので途中から出たり入ったりできる。みんなとてもかわいかった。

2時半ごろからその子がまたうちに来て、いっしょにマイクラをして遊んだ。

夕方、麻婆豆腐を作った。

この3日間で焼いたもの:食パン、バゲット、チーズケーキ、アーモンドボール、バナナブレッド、全粒粉ショートブレッド。ほかにもあったかもしれない。焼き過ぎじゃないのか、と思うだろうけど、順調にすべて消費されている。もはやほとんど残っていない。

Friday, 21 February 2025

ずっと寒い。

今年の冬は寒い。少し暖かくなったかと思ったら極寒が戻ってきた。東京は雪が全然降らないけど雪が降って困っている地域がたくさんあるようで、こんなので寒いなんて言ったら怒られそうだけど。

1月ごろは、冬はうちでぬくぬくできていいなと思っていたけどさすがに2月後半になってまだこんなに寒いと、ちょっと疲れてきた。寒さに疲れている。もういいよ、という感じ。頭が、かきごおり食べた時みたいにキンとしてつめたい。きのうはちょっと痛かった。あと何日くらい辛抱すればいいんだろう。

去年は「今年は全然寒くないな」と言っていた。10年以上使っている最強のフリースがほぼ活躍することなく終わった。それが今年は、ずっとそのフリースを来ている。寒さから解放されたい。

毎日8時間は寝ているんだけど最近パッと起きれなくて、たぶんこれは睡眠が足りていないと言うことだと思う。先日、何かの雑誌で読んだけど、自分に適正な睡眠時間を知るために、4日間、就寝時間を30分ずつ早め、起床時間を変えずに過ごすとよいらしい。最終日の睡眠が、ほんとうに必要な睡眠時間らしい。おそらく、いったんリセットするための3日間なのだろう。

さて、朝の準備をしよう。

Monday, 17 February 2025

6人の女にはさまれて昼食

 きょうは代休。お昼を食べにでかけたら記録に値する興味深い出来事があった。赤ちゃん連れの多いオーガニックカフェ。昼はビュッフェ形式。私が案内されたのは一番奥の席。両隣にはすでに客がいて食事をしていた。二組とも、女の赤ちゃんを連れた母娘ペア。つまり、女3世代ということ。平日の客のなかにはこのパターンは多い。(実際、私も母と息子と来たことがある。)見たところ

赤ちゃん…1歳前後

その母…30歳前半

さらにその母…60前後

2組とも同じような世代の人たちだった。

席につくとやたらと視線を感じるのでどうしたのかと思った。もしかしたら片方が芸能人とかそういうことか?不思議に思いながら聞こえてくる会話に耳を傾けると私の左から

「おばあちゃんてこと?」「たぶんそうよね」「親が変だとさ、子どもも変に育つよね」「まあそうね」「あの子もそうなっちゃうのかな、かわいそうに」「ねー。」

と聞こえてくる。

「だってさ、サラダの…」「ドレッシングを…」「写真撮って…」

などなど、このへんは断片的にしか聞こえてこない。これだけ聞いて、私がくる前に、この二組には何らかの問題があったらしいということを察した。

「しんじられない」「家がおかしいとこどももそれがおかしいって気づかずに育つからさ、そうなっちゃうんだよ」「ほんとひどい」「ねー」

左の母娘の会話は続く。内容がこんなにしっかり聞こえるということは、まさか。そう、そのまさか、隣(右)の母娘に聞こえるような声でわざと言っている。相当不快な思いをしたのだろう。それにしても、あまりにもあからさまで、こちらも耳を疑うほどだ。

しばらくして右の反撃が始まった。

「相手にするだけ無駄だからさ」「そうね」「バカの相手なんて」「ほんとほんと」

これまた左に聞こえるようにはっきりとした声で言っている。近くにいた男性が振り返ったのは、何気なくではなくおそらくこの内容が気になったからではないか。

しかしまあ、間にはさまれた私は居心地悪いのなんの。逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。食べ物が目の前にあるので去るわけにはいかない。気持ちだけ外に走り出している。移動できるか聞こうかと思ったけど混み始めていて空いている席はなさそうだ。なによりも、ここで私があからさまな移動でもしたらこの母娘x2に何か言われるかもしれない。

しゃべりながらもこの4人(いや、6人?)の女、視線が行き交う。お互いをチラチラ、ときには刺すように見る。侮蔑するようなまなざし。

(怖い…)

いたたまれなかったので持ってきた本を開いた。「私は無関係です」ということを全身で示そうとした。

そのすぐあと、私からみて右斜め前に、別のお客さんがきた。3人家族。父、母、子。ベビーカーなので、ベビーカーごと席にくっつけて食べることにしたらしい。

それを見て右の娘「ベビーカーだったら入らないよね。ベビーカー置いてきてよかった〜」

左を見ると、左の赤ちゃんはベビーカーで来店している。

2分とたたずに左の娘「今のひどいよね、ベビーカーで来てる人みて、ベビーカーだったら入らないよね、とか。性格悪すぎだよね」と左母に同意を求め「ほんとびっくり、性格悪いね」と、これまた相手にしっかり聞こえるように言う。

この人たち、このまま直接言い合いを始めたらどうしようか、とふと思った。韓国だったらケンカしているだろうか。しまいには髪の引っ張り合いになるだろうか。

イタリアだったらおそらく問題が起きたその場で二者ともガーーッと意見を怒鳴って主張して、所要時間が3〜5分くらいで終わるだろう。十中八九、食事が始まるころには無かったことになっている。(そのくらいじゃないとあの国では生きていけない。)

いろいろ考えながら、両者の身なりを観察してみた。右のほうが母娘とも化粧が濃く、着ているものも派手だ。右娘の靴が見えたのでよく見てみたらLとVのロゴ。ルイ・ヴィトンか。手元にはモンクレールのダウンジャケット。どちらも10万では買えない。右母は白と黒のワンピース。タイトで動きにくそうだった。いっぽう左の母娘はごくふつうの身なりだったので特に記憶に残るものもない。そのくらい普通。

左右とも娘のほうが私の向かい側なので顔がよく見える。ふと2人が小学生〜高校生だったころを想像し、いわゆる「女子」のイメージが被り、まあこういうことは簡単にありうるなと思った。

しかしなあ、女ってものは。この両者のなかではきっとどっちの赤ちゃんがかわいいか、も競っていたに違いない。この両者の赤ちゃんの顔を見ることができなかった。顔を動かすと娘たちと目が合いそうで怖かったので。幸せに育ってほしい。

その後どうなったかはわからない。よからぬことが起きる前に店をあとにした。やれやれ。

Sunday, 16 February 2025

綱渡りの1週間

 建国記念日が終わってからずっと勤務している。といっても5日連続の労働なのでいつもと同じはずなのだが、なんだか長く感じるのは業務内容によるのと、土日がかかわっているせいだろう。簡単に休むことはできないのだがこういうときに限ってFもいくつも用件があって、子を家に一人きりにさせざるをえない状況が何度か生じている。仕方ないとは思うがこの綱渡り状態は本当に神経をすり減らす。

13日は、朝から2人ともいない状況になり、子が自分ひとりで鍵をしめて出て行くことになった。毎朝うちの前を通る、子の友人とそのお母さんに「ピンポンしてください」というお願いをして、さらにfacetimeでうちの実家とつないでおいて、一人にさせた。結果的にうまく行ったのでよかった。

14日は1人で鍵をあけて家に入っておく、ということになった。わたしが間に合うはずだったが想定外のことが起きて間に合わなかった。家に帰ると泣きながら子が出てきた。待っていたのは20分くらいのはずで、きっとYoutube見放題のお菓子食べ放題でエンジョイしているところだろうと思っていたら、全然違った。「まだ帰ってこないのかなと思って」という。ごめんねごめんねと言うと、そんなにあやまらなくてもいいよ、と。やっぱりまだ小さいしかわいい。きょうはバレンタインだったねそういえば、と言うと「バレンタインにこんなことが起きるなんてねえ」と。

15日は問題なし。Fがいたから。土曜出勤の前に合気道に行ってきた。土曜の朝稽古に出るようになってから1年が経つ。気持ちよかったし楽しかった。土曜の朝でまだ人の少ないなか、まっすぐ職場へ。

そしてきょう16日はまた問題で、私の仕事がいつ終わるかわからないけどなんとしてでも午前中で出てくる、ということになっている。12時前にFはいなくなるので、交代なのだが、交代のあいだに時間が空きそうだ。というわけでその間、こどもは家に1人でいることになっている。放っておくとお昼になってしまうので、これは割り切って早く帰らなければいけない。こういうとき、ストレスを感じる。えいやっとやるしかない。どっちかをとらないといけない。どっちも、は無理。

こういうときに合気道が役立っているような気もする。私のように未熟なものが言うことではないかもしれないけど。主体性を持って動くこと。しかし礼儀は忘れず。そして道場には見習いたい大人が何人もいらっしゃって、ふとしたときに「あの人ならどうするだろう」と思うことがある。

Wednesday, 12 February 2025

いろいろあった数日の記録

6日木曜日。我が子の学校公開日。朝から「来てください」と担任から指定があったので行ってきた。ちょっと学級崩壊気味だと思った。行ってようやくわかった。いうことを聞かないのは私の子だけではない。ほかにももっと困った人たちがいる。勝手に歩き回る生徒が何人かいる。6月に見た姿とはだいぶ異なっていると思った。我が子をふくめ、移動教室に移動しない生徒がいて、これを移動させるのが一苦労だった。1時間目から校長先生が後ろにいる。授業の途中で担任が電話をかけて副校長がやってくる。この調子なのだ。行ってわかった。

だいぶ疲れて不機嫌になったわたし。それでも午後からは子をつれて面談と検査へ。ちょっと離れたところにある。自転車で行って、近くのファミレスでお子様ランチを食べた。喜んではいたが私の機嫌が悪すぎてだいぶ気を遣わせてしまった。今となっては反省している。

8日と9日、土日とも合気道へ行った。気が向いたので。だいぶ疲れたけど楽しかった。2日連続行くというのは珍しいことだ、と思っていたけど最近そうでもなくなってきた。行けた日はカレンダーに「よくできたね」とか「がんばったね」のシールを貼っている。

10日、月曜日。この日も休みをとっている。朝から成育医療センターへ。アレルギーの面談。今回は子なしでわたしだけ。毎日食べさせている、ナッツ入りの蒸しパンについて、何g入れているかを問われてパッと答えられず適当に答えたら、なぜ前回の倍の量になるのかと責められる。確かに。これは完全に私が悪い。でも、覚えてられないんですよ、しばらく前に作って冷凍してるんで、もう覚えてないです。そして毎日忙しくてそれどころじゃないです、先生。具合が悪くならなそうな量を入れてますから、それ私なんとなくわかりますから、親なんで。

…とは言えなかったけどそう思った。

4月と5月に予約をとる。負荷試験の予約をとるための予約、である。先のことはわからないのに予定がどんどん入ってきて自分ががんじがらめになるような感じがして気が滅入る。ときどきこのアレルギーについては「もういいです、やめます」と言いたくなる。

それでも、だ。12月の血液検査の結果が今回わかったのだが、該当食物の数値がいっきに下がっている。この2年間、やってきてよかったというわけだ。毎日面倒ながらも食べさせ続けた甲斐があった。なにも食べなくても数値は下がったのだろうか?わからない。だけどこの2年間通ったのは無駄ではなかった。

いろいろうんざりしてきて、だいぶ不機嫌になって帰った。

子は1時ごろに帰宅することになっていて、家で「おかえりー」と迎えた。それから多すぎて困る私の髪を切りに、というより減らしに美容院に行った。3時すぎ?に家に帰り、宿題は済んだかと聞いていたらなんと発熱している。なんてこった。きょうは通院で、本来午前中しか必要ないけどいちおうまる1日看護休暇をとっていた。が、午後まで本当に看護休暇が必要になるとは。正解だった、というべきか、そのせいで熱が出たのか。こうやって熱が出ると原因を究明したくなるけどいまさらいろいろ考えてもしかたない。

アレルギーの血液検査で花粉やダニも数値として出ていた。やっぱり花粉症だ。発熱と花粉症でいっぺんに小児科に連れて行った。インフルの検査などもせず、薬を処方してもらって帰った。小児科に行くと「アンパンマンペロペロチョコ」を買うのが恒例になっている。買っていい?と言われたから、あんた熱あってたいへんなんじゃないの、と聞くと、だいじょうぶと答える。仕方なくコンビニに行くとアンパンマンペロペロチョコがとんでもない値上がり。当時は80円くらいだったのが、100円になり、この時はすでに120円。たったこれだけのチョコレートの塊に!!板チョコの何分の一だよ、という小ささなのに!!「高っ!ちょっとこれ高いよ、こっちがいいんじゃないの」と言ってキャラパキチョコを指すと「たしかに」と言ってそれにした。20円しか違わないけど。

ものすごくいろんなことがあった10日。仕事するよりだいぶ疲れた。

11日、祝日。一日中家のなかで過ごした。子の熱はだいぶ下がった。きっともう大丈夫だろう。それにしても一日中家のなかにいるというのはだいぶイライラする。家にいるせいなのか、それともほかに原因があるのか、わからない。ホルモンバランスだろうか。どうもいろいろよくない、最近。なぜだろうと考えてみるけどわからない。仕事が忙しくなくなったので、いろんなことを考える暇ができてしまったのかもしれない。小人閑居して不善をなす?

Tuesday, 4 February 2025

最近の我が子

 先週火曜日の夕方、小学校から電話がかかってきてついに校長面談になった。きっと先生がお手上げ状態なのだろうと思った。水曜ちょうど時間があったので4時半から、ということになった。こういうのはさっさと済ませたほうがいい。後回ししてもろくなことはない。しかし「ついに校長面談か」と思うとなんだか気持ちがふさぐ。子に「どうしてあなたはこうなの」と言ってもまったく解決にはつながらないことは今まででよくわかっているので、気持ちがふさいでも1人でふさぐだけにしようと思った。だけど子はそういう私の様子や変化を敏感に感じ取っていて「大丈夫だよ、校長先生はやさしいから」という。

水曜は休みだったけど、結局忙しかった。朝から自分の歯医者に行き、お昼を食べに行ったあとで家に帰ると子が帰宅し、2時から子の歯医者。いずれも虫歯はなくて定期的なメンテナンス。家に帰ってしばらくするとあっという間に面談の時間になった。緊張したし、恐縮したけど、結果的には良い時間だった。とても理解のある校長先生で、別に怒られることなどなにもなかった。家での様子や今までの様子をたくさん話した。「たいへんな目にあわせようとか、苦しめるためにお話をしたわけではない、ということを伝えておいてください」と言われた。学校は、ひたすら「ただ力になりたい、なんとかしてあげたい」という方向でいる。本当にありがたいと思った。この子にも居場所があるんだと思えるだけでホッとする。

その他の様子:

・九九なんて絶対無理だろうと思っていたけど、だんだんできるようになってきた。ほかの2年生のようにはいかないだろうけど。7の段と8の段が最後の仕上げで、まだ間違うけど以前の完全にダメだった状態からはだいぶ良くなってきた。

・髪を切らない。前髪だけなら私に切らせてくれる。しかし後ろを切ろうとしない。プロに切ってもらえばいいのにと毎日のように千円カットをすすめるが、嫌がる。しかし小さい子の髪の毛というのはなんて綺麗なのだろうなと撫でながら感心する。

・マイクラにはまりすぎている。何をやっても異常なほどにハマる傾向があり、それは2歳ぐらいからずっとそうなのでそういうもんだとは思っている。その対象が、今はマイクラ、ということだ。寝ても冷めてもマイクラのことばかり考えている。以前ほどレゴをやらなくなったのが少し寂しい。

Friday, 24 January 2025

3年ぶりにゆるみ、気合は入らない

月曜に、締めの仕事が終わり、ゆるゆるの状態である。3年間ずっと目の前にあった存在がなくなり、急にゆるんだ。この3年分の緊張がゆるむまではもう少し時間がかかると思う。ホッとして、すごく気持ちが楽になっているのと同時に、やる気もない。バリバリ頑張るぞという気持ちには到底なれない。当然の反応だと思う。それでもやることは細々とあるので仕事はもちろん続くし働き続ける。ただし頭はスイッチ・オフの状態で。「なるようになれ」と思う。やるべきことをたんたんとこなすだけ。火曜からは急に時間ができてしまって、持て余している。職場にいるのにこんなに時間に余裕があるのなんていったいいつぶりだろうか。今までやりたくてもできなかった片付けをしている。

12月に、のどが痛くなった。乾燥する季節は毎年のことだ。熱は出ない。咳と鼻水に移行する。このパターンもわかっている。12月が終わってようやく鼻水がひいたが、咳がとれない。正月ごろ、咳き込んで眠れなかったことがあったが、それよりマシになっているもののまだ咳をする。誰かとしゃべっていると軽く咳が出るので、笑っているように勘違いされることが最近多い。なぜそれがわかるかというと、相手も私に合わせて笑ってくれるのだがこれが妙なタイミングなので、ああこれはさっきの私の咳が、笑いと思われているなと理解する。こういうことが最近何度もあった。

なかなか休みがなかったのだがおととい水曜は休みだったので朝から病院に行ってきた。咳になるとたいてい同じ病院に行って薬を処方してもらう。背中に聴診器を当てたり、血中の酸素をはかったり、一応、してもらった。あの、指にはめるやつ。99あって問題なかったが、指にはめてすぐに医師が「脈…遅いね。よく言われない?」と言った。初めて言われたので驚いた。見ると、40いくつ。何か運動をしているかと聞かれたので合気道と答えた。「じゃあ運動してるときは脈が上がっているんでしょうね」と。話しているあいだに「あ、今50になった」と。どういうことなのか聞いてみたら、悪いことではないから心配はいらないらしい。脈が早いよりマシか。

吸入と薬と、3種類処方してもらって帰った。待ち時間はほとんどなかったけど、待合室は具合の悪そうな人がいっぱいいた。待合室ではアドラーの「子どもの教育」を読んだ。おもしろい。

隙だらけの身体なので労わりながら過ごそうと思う。

Monday, 20 January 2025

寒稽古、土日の過ごし方

合気道の寒稽古に参加した。今年はなんと七日間のうち三日も参加することができた。これは大きな進歩だと思っている。11日(土)は結局行かず(言い訳をするとすれば、子が登校日だったので。私が朝いないとずっと寝ている可能性がある。)、12日に行ったら先生に「明日は?」と聞かれ、13日から開始の寒稽古初日に行かないわけにも行かず、参加した。それから平日は行かず、土日が巡ってきて土曜も日曜も行った。二日連続で朝稽古に参加するというのは今までやったことがなかったので、これは自分にとって「突破」だと思っている。皆勤の人たちからすると何をそんなに甘いことを、と言われるだろうけど、これが私にとってのスピード。焦らない。

去年ははじめて寒稽古に参加できた。そもそも朝稽古に行くのが初めてのことだったので、1日行っただけでも大きなことだった。それがきっかけとなって、通常の朝稽古に行けるようになってきた。自然と、週1日稽古できるようになった。あれから1年。今年は寒稽古に2日行ければ良いと思っていたけど3日も参加できた。続けていれば、こういう時がやってくる。無理していかなくていい。楽しいと思って行けるようになった最近。これは無理していないからだと思っている。

7時15分に稽古が終わって、家に戻る。この時間から活動を始めている、またはまだ始めていない人たちが世の中にはたくさんいる。眠そうな目で通学する高校生とすれ違うと、ちょっとした優越感がある。こっちは汗かくほど運動して一仕事終わっているから。

こどものごはんを作って、掃除、洗濯。その後からの時間は最高だ。近くの施設にあるカフェに行って、読みたい本や新聞を持っていく。あったかいところで、ぼーっとする時間。寒くてキーンとするけど、朝の暗いうちから運動をして一仕事終えた私は、たとえぼーっとしても身体がしっかり目覚めている。家族と待ち合わせて、いつもの場所で昼ごはんを食べて、そのあとさらに図書館でひたすら雑誌を読む。2時間くらいかかる。図書館で雑誌を読むことが、私にとっては必須で、それはまるで植物が養分(水、というより養分という感じがする)を必要とする感じに似ている。1週間も経つと枯渇してくるので自然と図書館に足が向く。

朝早くに運動をしているため、午後には身体が収束に向かっていて、4〜5時には「あったかくして寝たい」気持ちになっている。そうすると、たいして食べたいとも思わないので夕食はあたためた豆腐とか納豆とか、そのくらいで十分。こうすると翌朝が気持ち良く起きられる。腹一杯で寝る気持ち悪さといったらない。

というわけで今週もやすみやすみ行こう。

肌について不思議に思うこと

肌の話。 昨夜、レストランでの夕食にはいわゆる子育て世代の人たちが集まっていて、私以外に女性が3人いた。その中の1人はスイス在住。夏休みでイタリアに帰ってきているらしい。その人に向かってほかの2人が"bella abbronzata”(よく日に焼けている)と言っていた。...