Thursday, 15 August 2024

イタリアで5歳の女の子に会う

5歳の女の子に会う機会があった。自分に子供がいると、ほかの国での子どもの様子はとても気になる。どのようなしつけをうけているか。どんなものを、何時ごろに食べているか。何をつかってどんな遊びをするのか。

ままごとセットがあったので、拝見させてもらう。だいたいどこの国でも似たようなつくりをしているなと思った。しかしながら驚いたことがある。


なんと、パスタがあった。あたり前といえばそれまでなのだがこれには妙に感心してしまった。なるほど、ところ変われば、というやつだ。私がやたら感心しているとその女の子が「冷蔵庫にsugoもあるよ」という。sugoというのはトマトソースのこと。写真の、奥の缶がそれ。


スパゲッティもあるけど、オレッキェッテもある。とてもよくできている。オレッキェッテというのは耳みたいなパスタのこと。(orecchioは耳のこと。)
日本では一般的ではないのでこれを見たらたぶんポテトチップスに思うかもしれない。
起き上がると目が開く、あのおなじみの人形もあった。名前は「エミリー」らしい。
外にエミリーを連れて出るときはベビーカーつき。もっと横にしてあげなくていいのか、と言われると「横になると寝ちゃうから、起きておくにはこっちがいい」そうだ。

壁には、保育園で作ってきたであろうザリガニ?が貼ってあった。

エミリーの髪をといてあげたり、プラスチックのコップでみんなに飲み物を準備してくれたり(もちろんなにも入っていない)、5歳の女の子がやることをやって遊んでいた。

ものすごくかわいい女の子で、これはイタリア人だからそう思うのか、これが普通なのかわからない。ピアスをしていて、白いワンピースを着ている。

ちなみに、外国語でこどもに話しかけるのはとても難しい。あちらにフィルターがないので双方に「言ってることがわからない」状況が生じる。こういうことを言っているのだろう、と予測したりする力が大人よりも低い。こちらが発する語はそのまんま受け取られるので、すこしでも発音が間違っていたりすると「?」となる。

母語であっても、子どもに話しかけるのはそもそも難しいし苦手な人はたくさんいるはず。母語が違っても5歳は5歳なので、きわめてやさしい話し方で接する必要がある。これが自然と外国語で出てくるためにはその外国語で子育てをした経験でもないとなかなか難しい。少なくとも私の場合は大きな戸惑いがある。

自分の発話はさておき、こどもが話す外国語をきくのはとても興味深い。たまらなくかわいい。つたなさが、なんともいえない。日本語だってそうだけど、外国語だとよけいに。


みんなでカルボナーラを食べました。自家製グアンチャーレ(肉)と卵が使ってあった。
     

5歳の子は、食べることに集中せず、おばあちゃんに「あーん」としてもらってようやく食べていた。どの国も、似たようなものだ。


Wednesday, 14 August 2024

資料集の写真の人だったかもしれない

お、イタリアに来てからどうやらきょうで10日。折り返し地点にある。日本に帰りたいかといえば、帰りたくはない。迷いはない。うん、帰りたくはない。食べたくて仕方ない日本の食べ物などは特にない。イタリアの食べ物があれば一生問題ないと思う。気になるのは、体重が増えている気がする、ということだけ。まあ戻ってからどうにかなるかな。

ラザーニャ。日本のそれが同じ名を名乗るのが憚られるべきではないかと思うほど「軽い」。するすると身体に入っていく。

ただ、イタリアで生活ができるかと言うと答えはNO。10年前だったら迷いがあった、あるいはイタリアがいいと言っただろうけど。いろいろなことが機能しなさすぎる。それを待つだけの忍耐力、許容力と、まあいっかと思える楽観さが現時点の私にはじゅうぶんにない。ここはあくまでも休暇などを目的とした一時的な滞在場所として、最高である。

イタリアのおじいちゃんとおばあちゃんがいて、毎日いろんな話をする。知り合って早15年も経つ。紆余曲折を経ての今があるので、我々はおたがいにいろんなことがわかっていて、話をするにも遠慮はない。そうはありながらも適切な距離がある。適切な距離とリスペクトのもとにかかわっている。

以前よりイタリア語の会話に苦労しなくなってきた気がする。世代の異なる人の使うイタリア語なので、普段は聞くことのない難しい単語が出てくることがある。今もあるが、昔にくらべてその割合が減った気がするのだ。普段からイタリア語を使っている恩恵はもちろんあるが、自分が歳をとったというのもあるはず。

話すテーマは多岐にわたるが、たとえばこんな感じ:イタリアの教育事情、ヨーロッパの歴史、ローマ帝国の偉大さ、子育て、イタリアの食の基準の厳しさ、バカンスの意義、フランス批判、など。

おじいちゃんは1946年生まれで、4歳のときに英国からイタリアにやってきた。激動の時代に生まれて、波のたくさんある人生を送っている。そういう人の話を聞ける機会はなかなかないので私にとってはとにかく興味深い。

世界史の資料集に載っている白黒の写真をイメージしてほしい。20世紀ヨーロッパのページ。知り合っていなかったら私にとっては写真のなかの人だったかもしれない。つまり、「遠い国のどこかの誰か」でしかなかっただろう、と。うーん、もちろん資料集に載ってるとは思わないし、どう表現していいかわからないけど。

もちろん全面的に受け入れるわけではなく、偏りはある前提で(人間そもそも偏っているので、どこの地域のどんな人と話すときもそれは当然)あくまでも「おもしろい」と思って話をきく。視点はあくまでもヨーロッパにあり、欧州は世界の起源であり、日本などは極東の未開の地である、ということが話を聞いていてよくわかる。一部は納得するし、一部は納得できない。

きのうは、ニューヨークにいったときにチャイナタウンの市場に足を踏み入れられなかった、という話をきいた。アジア特有のごちゃごちゃした市場の空気にエキゾチックさや高揚を感じられないというのはもったいないことだなと思った。しかしそれを私が修正しようとか言い聞かせようとすることは決してない。それはそれ、だから。

ブドウ畑。車内から。

孫をかわいがる姿などを見ていると、国は違っても同じだなと思うことがたくさんある。「これは同じだな」「これは違うな」という気づきを重ねながら過ごす。安心したり、動揺したりする。それが日本の外に出る意味でもある。これを続けていくことで人生が楽になっていく。「人生の深みが出る」と言ってもいいかもしれないがそんなにまじめな話でもない。自分のなかに基準がいくつもできるおかげで、ものごとの判断が楽になる。

日本国内にいてももちろん、いろんな人に会って、自分の範囲を広げることはできるが、その土地の文化や慣習や言語といったものはやはりその場に身を置かない限りわからない。そして自分がいちどマイノリティ(少数派)になってみることである。周りの人たちが言っていることがわからない、自分だけその文化を知らない、馴染めない、どうしたらいいかわからない、孤独を感じる、という状況に身を置くべき。それは早ければ早いほどいい。国内の均一化された環境では、そういう意味でのマイノリティになることは不可能に近い。

Monday, 12 August 2024

市場(メルカート)に行った

きのう。日曜ということで市場へ行った。メルカート、と呼ぶ。つまりマーケットのこと。メルカートに行くのは日常的なことで、たとえば「メルカートってどんなかんじ」とどのイタリア人にきいても同じような光景が彼らの頭のなかには浮かぶはず。小さなまちでも、大きな都市でも、行ける範囲のところにメルカートがある。

わたしたちが行ったのは、チェパガッティというまちの市場。小さいまちだ。人口は1万人くらい。いつも通過しているだけだが、降りてみると壁にたくさんの絵がかいてあって面白かった。
イタリアでも行った場所は限られていて行き尽くしたわけではないが、こういう、中世からまるごとそのまま残ってるようなまちにすぐに出あえる。そしてそこに人が生活している。日本だったらちょっとさびれた感じになるだろうと思うが、そんな感じはまったくない。
観光で栄えているというわけでもない。でも必要なものはたいていそろっている。細かく見たらそれでももちろん、職がないとか、問題はあるんだろうけど、いわゆる「さびれた」感がないのである。それはもともと建物が古いからなのかもしれないけど。


塔の外壁がとても可愛かった。カラフルな、お皿みたいなのが埋め込まれていた。

肝心の、市場について。規模は思っていたより大きかった。一つの通りで終わりかと思ったらもう2本くらいの通りを使っていた。5年前にも行ったはずだけどあまり覚えていなかった。私たちが行ったのは10時近かったのでもはや終わりかけていた。だいたい8時ごろから開いていて、お客さんもそのくらいには結構いるらしい。

衣料品の店が多い。靴下や下着なんかをここで買う人たちは多い。3つで500円とか、そのくらいの安さ。台所関連のものも必ずある。見ていて飽きない。
感心するのは、こういうトラックでやってきている店の出す服であっても、デザインと発色がとにかく優れている。ハッと目を止めるものが多い。品質やブランドを気にしなければ破格の値段で買える。イタリアのおばあちゃんたちが、普段家で来ている服があんなにおしゃれなのはなんでか、というのが市場に行くとわかる気がする。
こういうのが1000円以下で売っている。服のタグをみるとイタリア製。こんな派手なのきれない、と思うかもしれないけどイタリア人は上手に着こなすんですねこれが。
なにを買う気もなかったけど、ふと見つけた半袖のシャツが、私の好みにビンゴだったので買った。14ユーロだったはずだけど、値切ってもいないのに10ユーロにしてくれた。1000円…じゃないですね、1600円ですね。どうせメイドインチャイナかな〜と思っていたら、タグにはイタリア製と書いてあった。もう一枚買えばよかったかな。どこのメーカー、とかブランド、とかがわからないのでその場で出会えた運がすべて、というところも市場ショッピングの特徴かもしれない。
帰りに、教会の前に人が集まっていて、えらい人のお話に耳を傾けていた。それから宗教的な歌を歌い出した。お金を集めてまわる人がいた。遠くから見ながら「これ、絶対みんなが聞かなきゃいけないの?」と不思議がる我が子。「いやそういうわけじゃないと思うよ」と言いながら横を歩いていった。

Sunday, 11 August 2024

イタリア、スーパーマーケット考

無類のスーパーマーケット好きである。用がないと行かない、というのが望ましいのだろうが用がなくても行ってしまう。日本に住んでいて、ほぼ毎日行く場所だと思う。もっとも落ち着く場所、と言える。

そんな私が海外に行って、スーパーを避けて通れるわけがない。いつまでもいられると思うくらい、興味深い。どの国に行っても必ず訪れる場所。(ただし、屋台文化が活発?な台湾やタイでは行かなかった。見かけなかったと言ったほうがいいかもしれない。)洋服に流行り廃りはあったとしても食べ物は、永遠に、輝ける魅力を燦々とふりまいている。

先日、郊外にあるCOOPに行った。日本の生活協同組合と同じなんだろうけど印象がちょっと違う。日本でCOOPの店舗をこうやって見ることは珍しい。イタリアには結構ある。大型スーパーで、品揃えがすごい。というか凄まじい。メモ程度に写真を撮ってきたのでいくらか書き留めておく。

オリーブオイル。

棚、一列分がずらーっとオリーブオイル。日本ではこの1年で値段が倍ぐらいに跳ね上がった。イタリアではどうなのかなと思い、見てみるとこんな感じ:

€10。今の日本円で換算してざっと1600円。やっぱり高い。日本とあまり変わらない。日本の醤油や味噌以上に、オリーブオイルを多用するイタリア人にとってこれは痛手だろうなと思う。

が、しかし。この一週間で訪ねた、いくつかの家庭で「はいどうぞオイルね」と食卓に置かれるものはすべて自家製あるいは生産者から直接買ったのものだ。ボトルをスーパーから買うのではなく、家のどこかに大量のオイルがあって、それが(しょうゆ差しならぬ)オイル差し?に入っている状態。ラベルの貼ってあるボトルではない。つまりどのメーカー、というわけではない。

だとしたら一体誰がスーパーでオリーブオイルを買うのだろう。疑問に思ってイタリア人に聞いてみたところ「このあたりの田舎で買う人なんていないよ」とのこと。生産者から直接買うか、自家製で、大量に家にある。買うのはきっと都市に暮らしている人たちだろう、と。なるほど。

私の実家における米あるいは味噌と同じだ。実家の近所の人たちで、スーパーで米を買っている人たちは、おそらくいない。上京してからスーパーで米を買っている人たちを見て、珍しく感じたのを覚えている。味噌も、その米を持って、作ってくれるこうじ屋に依頼している。

日本人にとっての米と同じようにイタリア人にとってのオリーブオイルは「あって当然のもの」だ。各家庭でのストック量も、500mlの瓶を1本、くらいでは全然たりない。

つづいてヨーグルト。


これはイタリアに来たことのある人しかわからないと思うけどものすごい種類がある。大型スーパーでなくても、その種類の多さはわかると思う。上の写真は、この列すべてがヨーグルト。何メートルも続く。健康志向系から子供向けの甘いものまでずら〜〜っと並んでいる。日本にない種類のものといえばこれなど↓

アヴェーナ(オートミールに使われる麦の一種)とクルミのヨーグルト。
ほかにも、ピスタチオなどは一般的。日本でよくある、カップで4つくっついているヨーグルトよりは量が多い。(まあこの量がむしろ当たり前だろうと思う。)

野菜は測り売りが通常。
スイカ。めちゃくちゃでかい。1kgで49セント、ということは普通の量を買うとだいたいいくらなんだろう。しかし日本のように1000円超えるなんていうことはない。でもより甘いのは日本のスイカだと思う。

デザート。こういうのをパスティッチ、と呼ぶ。日本にもあるけどもっと手軽で一般的で、おいしい。日本よりいいなと思うのは、プラスチックで包装されていなくて、指さしてこれが欲しいといえば紙で包んでくれるところ。お菓子屋さんでなくても、こういうのはある。朝ごはんだったり食後のデザートだったりする。そんなに凝ってなくて、シンプルなのがイタリア菓子の特徴。(たとえばフランスはもっと繊細。)
ピッツァの生地が売られていた。これはちょっとおもしろかった。あの、焼き上げる前の、やわらかい状態の、パン生地みたいなやつ。需要があるんだなあ、と感心した。不思議なのは、このまま置いておいたら発酵が進むのではないか、と思うけどそんなことはないらしい。なぜだろう。イーストが入っていないということ?謎だ。

そして当然ながら、パスタ。いうまでもなく、ものすごい種類がある。イタリアに行くようになって結構な年月が経つが「それ初めて聞いた」みたいな種類が、まだある。おそらく、イタリア人でさえ「へえそんなのあるんだ」と言うパスタがあるのではないか。何種類あると問われてもイタリア人でも答えられないだろう。日本人が「漢字って何個あるの」と問われて「無限?」としか答えられないのと同じように。
 
会計でいわゆる「セルフレジ」をやったら3アイテムごとに機械が停止し、再開させるには店員のカードを通すが必要で、同じことがすべての機械で起きているために店員が来るまでに待ち続け、結局、会計に40分かかった、というのがこの日のオチである。イタリアへようこそ。

Saturday, 10 August 2024

イタリア「海」考

 イタリアに着いて一週間。書きたいことが毎日あふれているのに結局書かないままその日が過ぎる。順番でなくても、整理しなくてもいいから思いついたことを書き留めておく。

一昨日だったか、海に行った。私はあまり乗り気ではなかったが、まあいいかと思い、行くことにした。乗り気ではない理由は何かというと車での移動が面倒なことと、日に焼けるのが嫌だということ。こういうのが、イタリア人は全然気にならない。(そもそもイタリアにいて日に焼ける心配をする人がいったいどれくらいいるのだろう。)

今さら説明の必要なことではないがイタリア人は海が好きだ。好きなどというレベルではなくDNAに組み込まれているというか、海があればそちらに向かうようにそもそも性質としてできているように見える。海水で生きているんじゃないかというくらいだ。日焼け、水着、持ち物、距離、食べ物、距離、砂、車、お金…などという、たとえば日本人だったら気にする事項がこの人たちには一ミリも引っかからない。海に行ってからも楽しみ方がうまい。読書、昼寝、カードゲームなどで好きなように過ごしている。ビーチパラソルの下に入る人もいるけど、あえて日の当たる場所で、日光にたいして90度の角度?で寝そべっている人たちが多い。同じ人間なのに太陽との相性がどうしてこんなにいいんだろう、と思わずにはいられない。肌が焼けて痛いとかそういう悩みとは無縁だろう。いやもちろん日本人にだってそういう人もいるだろうけど。

ちなみに我々が行った海はペスカーラで、そこにいる人たちの9割以上はイタリア人だと思う。日本人どころかアジア系の人はまず見かけることがない。聞こえてくる会話はイタリア語。1家族だけ、英語が聞こえた。観光地という感じではない。日本の、関東近辺だったらこれが激混みだろうなと想像がつくが、そこらじゅうにビーチがあって当然のイタリアでは全然混まない。そして何より、海に行くことが特別ではない。日常として、ここにいる。

そう、日常なので、水着を着ることも特別ではない。日本で水着を着るとなると相当な覚悟が必要な気がする。(わかりますよね。)なによりも、周りの目を気にする。しかしここにいる人たちはまるで普段着のように水着を着ている。じろじろ見たり見られたりすることがない。お腹は出ていて当然。人間だから。そんな感じ。

子どもたちも多い。3歳くらいの女の子たちが言い争っている様子が面白かった。いや本人たちにとっては面白いどころじゃないだろうけど。3歳ですでにジェスチャーがイタリア人のそれで、かわいいことこの上ない。公園で遊ぶかのように海で遊んでいる。

中学生くらいになると、大人なしでたむろしている。こんがり焼けた肌。海水でからまった髪。手にはスマホ。男女ともにいる。これをみるとイタリアだなあと思う。受験勉強どころか宿題もないんだろうな。夏休みなのだ。長い長い夏休み。

海はまあきれいだけど、海水浴の経験が日常的ではない私にとってはこの海がどういう海なのかという判断はつかない。魚がたくさん泳いでいて、浅くて、水はぬるい。なんの問題もない。ただ、日本の、南の島のほうがもっときれいだというのは言える。たとえば宮古島に行ったことがあるが、あの白い砂と透き通った水にはかなわない。

日焼けについては、日焼け止めを塗っていれば大丈夫かというとそうでもないのだが、海にいくといろんなことが「まあいっか」となる。暑いと感じれば海に入ればいい。水に近づくと、風がつめたくなる。これ以上ない開放感。海にでも行かない限り日常でこの開放感はなかなかないだろう。

少しして、パラソル下に戻って横になり、本を読み始めたらうとうとしてきた。

帰る時間になって海水を落とすためにシャワーをあびる。シャワー一回につき20セント。30円くらい。個室ではない。水着を着たまま、浴びる。昔、家族で行った海で、シャワーが1人200円だったのを覚えている。小学生ながらに、水が200円もするのかとなんだか親に申し訳なく感じたのを覚えている。家族であびたら1000円。今の日本で海水浴をしたら一体どれくらいするんでしょうか。30円で浴びられる場所があるのだろうか。

家に戻って、パスタを作ってもらった。モッツァレッラと、トマト。フジッリの大きいやつで、フジッローニという。日本で売っているのはまず見ない。気づいたら9時すぎていた。8時まで太陽が沈まないので、いつもこんな感じになる。疲れ切って、寝た。

Sunday, 4 August 2024

イタリアに出発する

 きょうからイタリアに行く。遠足前の小学生(いや、それ以上)のように、落ち着かない。家のなかをうろうろしている。きょうになってはじまったことではなく、ここ数日そうだ。きのうは特にそうで、準備はもう前日に終わっているのにまだやることがあるような感じがして、落ち着かなかった。もはや家にいると余計なことをし始めそうだったので近くの、冷房のきいた施設に朝9時から11時半まで行き、仕事をした。だいぶはかどった。昼食を食べに家に戻ったが、それでもやはりここにいるとそわそわし続けるので、午前中の場所に戻って仕事の続きをした。3時ごろどうしようもなかったので家に帰った。どこをどうみてもこれ以上準備することはない。詰めた服をあけてみてもう一度ながめたが、まあ、問題はない。そりゃそうなのだ。パスポートとクレジットカードがあれば大きな問題はないのだ。

なにせ5年ぶりの海外なのである。最後に行ったのがコロナ前の2019年。そのあいだに人生はどんどん先へ進んでいた。「コロナがあけたら」「円安が終わったら」「飛行機がロシアの上を飛べるようになったら」などと言っているうちに自分は40歳になった。コロナはあけたが円安と戦争は終わらない。そしてわたしの30代後半はもう戻ってこないのである。その間に経験できたことがほかにもあったかもしれない。いや、何の後悔もないけど、時間はこうやってどんどん過ぎていくのだ。

練習がてら韓国や台湾にでも行っていればここまでそわそわすることはなかったかもしれない。でも、それでさえも億劫だったのだ。

おととい。荷づくりをしながら村上春樹の「村上radio」を聴いていた。聴き逃し配信である。便利な世の中になったものだ。そこでささったことばをひとつ:

人生にはだいたい必ず「どつぼ」のようなきつい時期があります。
僕にもちゃんとありました。20歳の頃だったかなあ。何をしてもうまくいかず、まわりから人が離れていって、長いあいだひとりぼっちでした。「今後も同じようなことが待っているのではないかと考えると、絶望しかありませんでした」ということですが、その気持ち、僕にもよくわかります。不安で、切ないですよね。

でも今にして思うと、そういう時期って、人生にとって必要なものだったんですね。そういう時期をくぐり抜け、その経験を滋養にして人は成長します。孤独の中で心は広がりを獲得します。「イケイケどんどん」だけでは人生がやがて痩せこけてしまいます。そう思ってがんばってください。そのうちに必ずいいことがあります。

小説やエッセイのなかで同じことは何度も語られているけど、あらためて、うなずいた。イケイケどんどんだけでは人生が痩せこける。うむ。

さて、ぼちぼち出発にむけて動くとしよう。

Thursday, 1 August 2024

7月後半のきろく

 きょうから8月。信じられない早さで7月も終わった。7月は、カレンダーを見ると肩に力が入ってしまうようなスケジュールだった。「これを乗り切れるのだろうか」と。暑さに負けないように、具合が悪くならないように、ということだけひたすら心がけて過ごした。倒れることなくなんとか乗り切ったのである。順を追って7月後半の振り返り:

1. 面談(22~25日)

いろいろな工夫を試みたおかげで、だいぶ楽に済んだ気がする。4日間で終了。昨年は話しすぎて喉がカラカラになり、エアコンの風にあたって風邪をひいた。その後、8月になるまでずっと鼻水がとまらなかった。昨年までの反省を生かし、エアコンは27度くらいにしておいて、話は聞く方にとどめた。結果、よかった。

2. 外部説明会(26日)

どうなるんだろうかと心配だったがなんとか終了。こういう種類の仕事もある。いろいろと勉強になった。頼りになる同僚を連れて行って正解だった。

3. 家族がイタリアに発つ(28日)

ついにこの日が来てしまった。私より一週間早く、2人はイタリアに行くことになっていた。いつも一緒に過ごしている家族がいなくなるのは、想像をするのも難しく、「わたしは一体どうやって過ごそう」と思うくらいだった。出発前に少し涙が出た。「ママがいなくて自由〜🎵」などと言っていた子も、いざ当日の朝になると「ママは行かないんだよね?」「ぼくも残りたい」と言い出した。

羽田からの便なので、余裕を持って出かけることができた。出発ゲートで見送ったあと、「ああ行ってしまったな」と思いながら1人で空港をぶらぶらした。そのまま帰るのがどうも惜しいような感じがして、飛行機が飛び立つのを見送ることにした。展望台のほうまで行く。ゲートでお別れをしたのが11時半ぐらいで、出発は12時半。いまごろ空港のどこで何をしているか、を想像しながら過ごした。ちゃんと出国手続きができたのだろうか。パスポートを見て止められたりしなかったか。わたしに電話がかかってきたりするかもしれない、と思って普段滅多に見ない携帯をちらちら見ながら過ごした。お昼の時間なので何か食べようかと思ったけどどれもこれも割高な上に列ができているのでやめた。少し緊張しながら展望デッキと出発便案内のモニターを見比べる。

12:25になり「搭乗終了」の文字が出る。そこから一体どこに飛行機がいるのかを探したがなかなか出てこない。そして展望デッキは暑い。焦げそうなくらい暑い。1時過ぎ、もうあきらめようかというときに、建物の向こう側に飛行機の尾翼が見えた。イタリア国旗の色。「あっ」と思って目で追った。あのなかにいるのか、2人は、と思った。緊張しているのかな、機内はどんな様子なのかな、席は狭いのかなやっぱり、などいろいろ考えた。ゆっくり滑走路に向かって行き、ついに飛び立った。飛行機が点になって、見えなくなるまで見送った。「お願いします、無事についてください」と祈った。ついにその点が見えなくなったときに涙がぶわっとあふれた。悲しくも嬉しくもない。なんの涙だろう。自分のなかにこういう感情があるんだなと思った。言葉にならない。家族を大事におもう気持ち、なのだろうか。

それにしても、周りが旅立ちムードでうきうきしている空港ロビーから、自分だけ日常生活に戻るというのはなんとも味気ないものである。もはやどこでもいいから私も旅立ちたいなと思った。

家についてからフライトレーダーを見てみたら、まだ中国上空にいた。北を飛ばず、中央アジアを飛行する。地球のおなかあたりをゆくのですごく時間がかかる。来週の自分のためには良い予習になった。

家にいても、子がいないとまったく時間を気にしない。ふと気づくと7時ごろになっていた。適当に、冷蔵庫にあるものを食べる。そして1人で寝た。無事に着きますようにと祈りながら。

翌朝、メッセージを見たら無事到着した連絡があって、心の底からホッとした。

4. 林間学校(29~31日)

家族のいない寂しい時間を過ごすには、泊まりがけの仕事が入るのはちょうどよかった。2泊3日、疲れたけど楽しく過ごすことができた。これだけ長い時間を同僚と寝泊まりするのはなかなかないことなので色々な話をすることができた。この職場で良い人間関係を築くことができていると思う。知的な同僚が多く、さまざまな分野にわたる話が通じるため話をしていて飽きることがない。帰り道、いつもはサービスエリアで何を買おうかと悩むが今回は家に誰もいないのと自分も旅立つのがわかっているため何も買わなかった。解散した池袋で、ケーニヒスクローネの「ベーネン」を買った。これは自分へのご褒美。そして帰り道にアイスクリームを買った。MOWのバニラにしたあとで「あっ」と思い直し、グレードアップしたMOW プライムを買ってみた。これも自分へのご褒美。帰ってしばらくしたらお腹が空いてきたので冷蔵庫にあったレタスを使って、ナッツとツナを入れてサラダを作った。こういうのが食べたかった。雨が降りそうだなと思って少し鉢植えを外に出して、雨が浴びれるようにしていたら、子の友人とその母がうちの前を通った。「わたしだけまだいるんですよ」「そうだったんですね〜気をつけていってらしてください」と短い会話をする。それからすごい夕立がはじまった。こうして、7月が終わっていく。

涼しいままで終わると良い

快適な涼しさが続いている。日中には気温が上がるが、それでも、逃げなければいけないほどの暑さではない。8月のはじめに40度くらいあったが、あれがピークで、そのあとは夜もエアコンなしで寝られる。このまま夏が終わればいいと思う。きょうは少し曇っている。雨が降るらしい。 カズオ・イシグロ...