5歳の女の子に会う機会があった。自分に子供がいると、ほかの国での子どもの様子はとても気になる。どのようなしつけをうけているか。どんなものを、何時ごろに食べているか。何をつかってどんな遊びをするのか。
ままごとセットがあったので、拝見させてもらう。だいたいどこの国でも似たようなつくりをしているなと思った。しかしながら驚いたことがある。
5歳の子は、食べることに集中せず、おばあちゃんに「あーん」としてもらってようやく食べていた。どの国も、似たようなものだ。
5歳の女の子に会う機会があった。自分に子供がいると、ほかの国での子どもの様子はとても気になる。どのようなしつけをうけているか。どんなものを、何時ごろに食べているか。何をつかってどんな遊びをするのか。
ままごとセットがあったので、拝見させてもらう。だいたいどこの国でも似たようなつくりをしているなと思った。しかしながら驚いたことがある。
5歳の子は、食べることに集中せず、おばあちゃんに「あーん」としてもらってようやく食べていた。どの国も、似たようなものだ。
棚、一列分がずらーっとオリーブオイル。日本ではこの1年で値段が倍ぐらいに跳ね上がった。イタリアではどうなのかなと思い、見てみるとこんな感じ:
€10。今の日本円で換算してざっと1600円。やっぱり高い。日本とあまり変わらない。日本の醤油や味噌以上に、オリーブオイルを多用するイタリア人にとってこれは痛手だろうなと思う。が、しかし。この一週間で訪ねた、いくつかの家庭で「はいどうぞオイルね」と食卓に置かれるものはすべて自家製あるいは生産者から直接買ったのものだ。ボトルをスーパーから買うのではなく、家のどこかに大量のオイルがあって、それが(しょうゆ差しならぬ)オイル差し?に入っている状態。ラベルの貼ってあるボトルではない。つまりどのメーカー、というわけではない。
だとしたら一体誰がスーパーでオリーブオイルを買うのだろう。疑問に思ってイタリア人に聞いてみたところ「このあたりの田舎で買う人なんていないよ」とのこと。生産者から直接買うか、自家製で、大量に家にある。買うのはきっと都市に暮らしている人たちだろう、と。なるほど。
私の実家における米あるいは味噌と同じだ。実家の近所の人たちで、スーパーで米を買っている人たちは、おそらくいない。上京してからスーパーで米を買っている人たちを見て、珍しく感じたのを覚えている。味噌も、その米を持って、作ってくれるこうじ屋に依頼している。
日本人にとっての米と同じようにイタリア人にとってのオリーブオイルは「あって当然のもの」だ。各家庭でのストック量も、500mlの瓶を1本、くらいでは全然たりない。
つづいてヨーグルト。
イタリアに着いて一週間。書きたいことが毎日あふれているのに結局書かないままその日が過ぎる。順番でなくても、整理しなくてもいいから思いついたことを書き留めておく。
一昨日だったか、海に行った。私はあまり乗り気ではなかったが、まあいいかと思い、行くことにした。乗り気ではない理由は何かというと車での移動が面倒なことと、日に焼けるのが嫌だということ。こういうのが、イタリア人は全然気にならない。(そもそもイタリアにいて日に焼ける心配をする人がいったいどれくらいいるのだろう。)今さら説明の必要なことではないがイタリア人は海が好きだ。好きなどというレベルではなくDNAに組み込まれているというか、海があればそちらに向かうようにそもそも性質としてできているように見える。海水で生きているんじゃないかというくらいだ。日焼け、水着、持ち物、距離、食べ物、距離、砂、車、お金…などという、たとえば日本人だったら気にする事項がこの人たちには一ミリも引っかからない。海に行ってからも楽しみ方がうまい。読書、昼寝、カードゲームなどで好きなように過ごしている。ビーチパラソルの下に入る人もいるけど、あえて日の当たる場所で、日光にたいして90度の角度?で寝そべっている人たちが多い。同じ人間なのに太陽との相性がどうしてこんなにいいんだろう、と思わずにはいられない。肌が焼けて痛いとかそういう悩みとは無縁だろう。いやもちろん日本人にだってそういう人もいるだろうけど。
ちなみに我々が行った海はペスカーラで、そこにいる人たちの9割以上はイタリア人だと思う。日本人どころかアジア系の人はまず見かけることがない。聞こえてくる会話はイタリア語。1家族だけ、英語が聞こえた。観光地という感じではない。日本の、関東近辺だったらこれが激混みだろうなと想像がつくが、そこらじゅうにビーチがあって当然のイタリアでは全然混まない。そして何より、海に行くことが特別ではない。日常として、ここにいる。そう、日常なので、水着を着ることも特別ではない。日本で水着を着るとなると相当な覚悟が必要な気がする。(わかりますよね。)なによりも、周りの目を気にする。しかしここにいる人たちはまるで普段着のように水着を着ている。じろじろ見たり見られたりすることがない。お腹は出ていて当然。人間だから。そんな感じ。
子どもたちも多い。3歳くらいの女の子たちが言い争っている様子が面白かった。いや本人たちにとっては面白いどころじゃないだろうけど。3歳ですでにジェスチャーがイタリア人のそれで、かわいいことこの上ない。公園で遊ぶかのように海で遊んでいる。
中学生くらいになると、大人なしでたむろしている。こんがり焼けた肌。海水でからまった髪。手にはスマホ。男女ともにいる。これをみるとイタリアだなあと思う。受験勉強どころか宿題もないんだろうな。夏休みなのだ。長い長い夏休み。海はまあきれいだけど、海水浴の経験が日常的ではない私にとってはこの海がどういう海なのかという判断はつかない。魚がたくさん泳いでいて、浅くて、水はぬるい。なんの問題もない。ただ、日本の、南の島のほうがもっときれいだというのは言える。たとえば宮古島に行ったことがあるが、あの白い砂と透き通った水にはかなわない。
日焼けについては、日焼け止めを塗っていれば大丈夫かというとそうでもないのだが、海にいくといろんなことが「まあいっか」となる。暑いと感じれば海に入ればいい。水に近づくと、風がつめたくなる。これ以上ない開放感。海にでも行かない限り日常でこの開放感はなかなかないだろう。
少しして、パラソル下に戻って横になり、本を読み始めたらうとうとしてきた。
帰る時間になって海水を落とすためにシャワーをあびる。シャワー一回につき20セント。30円くらい。個室ではない。水着を着たまま、浴びる。昔、家族で行った海で、シャワーが1人200円だったのを覚えている。小学生ながらに、水が200円もするのかとなんだか親に申し訳なく感じたのを覚えている。家族であびたら1000円。今の日本で海水浴をしたら一体どれくらいするんでしょうか。30円で浴びられる場所があるのだろうか。
家に戻って、パスタを作ってもらった。モッツァレッラと、トマト。フジッリの大きいやつで、フジッローニという。日本で売っているのはまず見ない。気づいたら9時すぎていた。8時まで太陽が沈まないので、いつもこんな感じになる。疲れ切って、寝た。きょうからイタリアに行く。遠足前の小学生(いや、それ以上)のように、落ち着かない。家のなかをうろうろしている。きょうになってはじまったことではなく、ここ数日そうだ。きのうは特にそうで、準備はもう前日に終わっているのにまだやることがあるような感じがして、落ち着かなかった。もはや家にいると余計なことをし始めそうだったので近くの、冷房のきいた施設に朝9時から11時半まで行き、仕事をした。だいぶはかどった。昼食を食べに家に戻ったが、それでもやはりここにいるとそわそわし続けるので、午前中の場所に戻って仕事の続きをした。3時ごろどうしようもなかったので家に帰った。どこをどうみてもこれ以上準備することはない。詰めた服をあけてみてもう一度ながめたが、まあ、問題はない。そりゃそうなのだ。パスポートとクレジットカードがあれば大きな問題はないのだ。
なにせ5年ぶりの海外なのである。最後に行ったのがコロナ前の2019年。そのあいだに人生はどんどん先へ進んでいた。「コロナがあけたら」「円安が終わったら」「飛行機がロシアの上を飛べるようになったら」などと言っているうちに自分は40歳になった。コロナはあけたが円安と戦争は終わらない。そしてわたしの30代後半はもう戻ってこないのである。その間に経験できたことがほかにもあったかもしれない。いや、何の後悔もないけど、時間はこうやってどんどん過ぎていくのだ。
練習がてら韓国や台湾にでも行っていればここまでそわそわすることはなかったかもしれない。でも、それでさえも億劫だったのだ。
おととい。荷づくりをしながら村上春樹の「村上radio」を聴いていた。聴き逃し配信である。便利な世の中になったものだ。そこでささったことばをひとつ:
人生にはだいたい必ず「どつぼ」のようなきつい時期があります。
僕にもちゃんとありました。20歳の頃だったかなあ。何をしてもうまくいかず、まわりから人が離れていって、長いあいだひとりぼっちでした。「今後も同じようなことが待っているのではないかと考えると、絶望しかありませんでした」ということですが、その気持ち、僕にもよくわかります。不安で、切ないですよね。
でも今にして思うと、そういう時期って、人生にとって必要なものだったんですね。そういう時期をくぐり抜け、その経験を滋養にして人は成長します。孤独の中で心は広がりを獲得します。「イケイケどんどん」だけでは人生がやがて痩せこけてしまいます。そう思ってがんばってください。そのうちに必ずいいことがあります。
小説やエッセイのなかで同じことは何度も語られているけど、あらためて、うなずいた。イケイケどんどんだけでは人生が痩せこける。うむ。
さて、ぼちぼち出発にむけて動くとしよう。
きょうから8月。信じられない早さで7月も終わった。7月は、カレンダーを見ると肩に力が入ってしまうようなスケジュールだった。「これを乗り切れるのだろうか」と。暑さに負けないように、具合が悪くならないように、ということだけひたすら心がけて過ごした。倒れることなくなんとか乗り切ったのである。順を追って7月後半の振り返り:
1. 面談(22~25日)
いろいろな工夫を試みたおかげで、だいぶ楽に済んだ気がする。4日間で終了。昨年は話しすぎて喉がカラカラになり、エアコンの風にあたって風邪をひいた。その後、8月になるまでずっと鼻水がとまらなかった。昨年までの反省を生かし、エアコンは27度くらいにしておいて、話は聞く方にとどめた。結果、よかった。
2. 外部説明会(26日)
どうなるんだろうかと心配だったがなんとか終了。こういう種類の仕事もある。いろいろと勉強になった。頼りになる同僚を連れて行って正解だった。
3. 家族がイタリアに発つ(28日)
ついにこの日が来てしまった。私より一週間早く、2人はイタリアに行くことになっていた。いつも一緒に過ごしている家族がいなくなるのは、想像をするのも難しく、「わたしは一体どうやって過ごそう」と思うくらいだった。出発前に少し涙が出た。「ママがいなくて自由〜🎵」などと言っていた子も、いざ当日の朝になると「ママは行かないんだよね?」「ぼくも残りたい」と言い出した。
羽田からの便なので、余裕を持って出かけることができた。出発ゲートで見送ったあと、「ああ行ってしまったな」と思いながら1人で空港をぶらぶらした。そのまま帰るのがどうも惜しいような感じがして、飛行機が飛び立つのを見送ることにした。展望台のほうまで行く。ゲートでお別れをしたのが11時半ぐらいで、出発は12時半。いまごろ空港のどこで何をしているか、を想像しながら過ごした。ちゃんと出国手続きができたのだろうか。パスポートを見て止められたりしなかったか。わたしに電話がかかってきたりするかもしれない、と思って普段滅多に見ない携帯をちらちら見ながら過ごした。お昼の時間なので何か食べようかと思ったけどどれもこれも割高な上に列ができているのでやめた。少し緊張しながら展望デッキと出発便案内のモニターを見比べる。
12:25になり「搭乗終了」の文字が出る。そこから一体どこに飛行機がいるのかを探したがなかなか出てこない。そして展望デッキは暑い。焦げそうなくらい暑い。1時過ぎ、もうあきらめようかというときに、建物の向こう側に飛行機の尾翼が見えた。イタリア国旗の色。「あっ」と思って目で追った。あのなかにいるのか、2人は、と思った。緊張しているのかな、機内はどんな様子なのかな、席は狭いのかなやっぱり、などいろいろ考えた。ゆっくり滑走路に向かって行き、ついに飛び立った。飛行機が点になって、見えなくなるまで見送った。「お願いします、無事についてください」と祈った。ついにその点が見えなくなったときに涙がぶわっとあふれた。悲しくも嬉しくもない。なんの涙だろう。自分のなかにこういう感情があるんだなと思った。言葉にならない。家族を大事におもう気持ち、なのだろうか。
それにしても、周りが旅立ちムードでうきうきしている空港ロビーから、自分だけ日常生活に戻るというのはなんとも味気ないものである。もはやどこでもいいから私も旅立ちたいなと思った。
家についてからフライトレーダーを見てみたら、まだ中国上空にいた。北を飛ばず、中央アジアを飛行する。地球のおなかあたりをゆくのですごく時間がかかる。来週の自分のためには良い予習になった。
家にいても、子がいないとまったく時間を気にしない。ふと気づくと7時ごろになっていた。適当に、冷蔵庫にあるものを食べる。そして1人で寝た。無事に着きますようにと祈りながら。
翌朝、メッセージを見たら無事到着した連絡があって、心の底からホッとした。
4. 林間学校(29~31日)
家族のいない寂しい時間を過ごすには、泊まりがけの仕事が入るのはちょうどよかった。2泊3日、疲れたけど楽しく過ごすことができた。これだけ長い時間を同僚と寝泊まりするのはなかなかないことなので色々な話をすることができた。この職場で良い人間関係を築くことができていると思う。知的な同僚が多く、さまざまな分野にわたる話が通じるため話をしていて飽きることがない。帰り道、いつもはサービスエリアで何を買おうかと悩むが今回は家に誰もいないのと自分も旅立つのがわかっているため何も買わなかった。解散した池袋で、ケーニヒスクローネの「ベーネン」を買った。これは自分へのご褒美。そして帰り道にアイスクリームを買った。MOWのバニラにしたあとで「あっ」と思い直し、グレードアップしたMOW プライムを買ってみた。これも自分へのご褒美。帰ってしばらくしたらお腹が空いてきたので冷蔵庫にあったレタスを使って、ナッツとツナを入れてサラダを作った。こういうのが食べたかった。雨が降りそうだなと思って少し鉢植えを外に出して、雨が浴びれるようにしていたら、子の友人とその母がうちの前を通った。「わたしだけまだいるんですよ」「そうだったんですね〜気をつけていってらしてください」と短い会話をする。それからすごい夕立がはじまった。こうして、7月が終わっていく。
快適な涼しさが続いている。日中には気温が上がるが、それでも、逃げなければいけないほどの暑さではない。8月のはじめに40度くらいあったが、あれがピークで、そのあとは夜もエアコンなしで寝られる。このまま夏が終わればいいと思う。きょうは少し曇っている。雨が降るらしい。 カズオ・イシグロ...