きょうからイタリアに行く。遠足前の小学生(いや、それ以上)のように、落ち着かない。家のなかをうろうろしている。きょうになってはじまったことではなく、ここ数日そうだ。きのうは特にそうで、準備はもう前日に終わっているのにまだやることがあるような感じがして、落ち着かなかった。もはや家にいると余計なことをし始めそうだったので近くの、冷房のきいた施設に朝9時から11時半まで行き、仕事をした。だいぶはかどった。昼食を食べに家に戻ったが、それでもやはりここにいるとそわそわし続けるので、午前中の場所に戻って仕事の続きをした。3時ごろどうしようもなかったので家に帰った。どこをどうみてもこれ以上準備することはない。詰めた服をあけてみてもう一度ながめたが、まあ、問題はない。そりゃそうなのだ。パスポートとクレジットカードがあれば大きな問題はないのだ。
なにせ5年ぶりの海外なのである。最後に行ったのがコロナ前の2019年。そのあいだに人生はどんどん先へ進んでいた。「コロナがあけたら」「円安が終わったら」「飛行機がロシアの上を飛べるようになったら」などと言っているうちに自分は40歳になった。コロナはあけたが円安と戦争は終わらない。そしてわたしの30代後半はもう戻ってこないのである。その間に経験できたことがほかにもあったかもしれない。いや、何の後悔もないけど、時間はこうやってどんどん過ぎていくのだ。
練習がてら韓国や台湾にでも行っていればここまでそわそわすることはなかったかもしれない。でも、それでさえも億劫だったのだ。
おととい。荷づくりをしながら村上春樹の「村上radio」を聴いていた。聴き逃し配信である。便利な世の中になったものだ。そこでささったことばをひとつ:
人生にはだいたい必ず「どつぼ」のようなきつい時期があります。
僕にもちゃんとありました。20歳の頃だったかなあ。何をしてもうまくいかず、まわりから人が離れていって、長いあいだひとりぼっちでした。「今後も同じようなことが待っているのではないかと考えると、絶望しかありませんでした」ということですが、その気持ち、僕にもよくわかります。不安で、切ないですよね。
でも今にして思うと、そういう時期って、人生にとって必要なものだったんですね。そういう時期をくぐり抜け、その経験を滋養にして人は成長します。孤独の中で心は広がりを獲得します。「イケイケどんどん」だけでは人生がやがて痩せこけてしまいます。そう思ってがんばってください。そのうちに必ずいいことがあります。
小説やエッセイのなかで同じことは何度も語られているけど、あらためて、うなずいた。イケイケどんどんだけでは人生が痩せこける。うむ。
さて、ぼちぼち出発にむけて動くとしよう。