きょうから8月。信じられない早さで7月も終わった。7月は、カレンダーを見ると肩に力が入ってしまうようなスケジュールだった。「これを乗り切れるのだろうか」と。暑さに負けないように、具合が悪くならないように、ということだけひたすら心がけて過ごした。倒れることなくなんとか乗り切ったのである。順を追って7月後半の振り返り:
1. 面談(22~25日)
いろいろな工夫を試みたおかげで、だいぶ楽に済んだ気がする。4日間で終了。昨年は話しすぎて喉がカラカラになり、エアコンの風にあたって風邪をひいた。その後、8月になるまでずっと鼻水がとまらなかった。昨年までの反省を生かし、エアコンは27度くらいにしておいて、話は聞く方にとどめた。結果、よかった。
2. 外部説明会(26日)
どうなるんだろうかと心配だったがなんとか終了。こういう種類の仕事もある。いろいろと勉強になった。頼りになる同僚を連れて行って正解だった。
3. 家族がイタリアに発つ(28日)
ついにこの日が来てしまった。私より一週間早く、2人はイタリアに行くことになっていた。いつも一緒に過ごしている家族がいなくなるのは、想像をするのも難しく、「わたしは一体どうやって過ごそう」と思うくらいだった。出発前に少し涙が出た。「ママがいなくて自由〜🎵」などと言っていた子も、いざ当日の朝になると「ママは行かないんだよね?」「ぼくも残りたい」と言い出した。
羽田からの便なので、余裕を持って出かけることができた。出発ゲートで見送ったあと、「ああ行ってしまったな」と思いながら1人で空港をぶらぶらした。そのまま帰るのがどうも惜しいような感じがして、飛行機が飛び立つのを見送ることにした。展望台のほうまで行く。ゲートでお別れをしたのが11時半ぐらいで、出発は12時半。いまごろ空港のどこで何をしているか、を想像しながら過ごした。ちゃんと出国手続きができたのだろうか。パスポートを見て止められたりしなかったか。わたしに電話がかかってきたりするかもしれない、と思って普段滅多に見ない携帯をちらちら見ながら過ごした。お昼の時間なので何か食べようかと思ったけどどれもこれも割高な上に列ができているのでやめた。少し緊張しながら展望デッキと出発便案内のモニターを見比べる。
12:25になり「搭乗終了」の文字が出る。そこから一体どこに飛行機がいるのかを探したがなかなか出てこない。そして展望デッキは暑い。焦げそうなくらい暑い。1時過ぎ、もうあきらめようかというときに、建物の向こう側に飛行機の尾翼が見えた。イタリア国旗の色。「あっ」と思って目で追った。あのなかにいるのか、2人は、と思った。緊張しているのかな、機内はどんな様子なのかな、席は狭いのかなやっぱり、などいろいろ考えた。ゆっくり滑走路に向かって行き、ついに飛び立った。飛行機が点になって、見えなくなるまで見送った。「お願いします、無事についてください」と祈った。ついにその点が見えなくなったときに涙がぶわっとあふれた。悲しくも嬉しくもない。なんの涙だろう。自分のなかにこういう感情があるんだなと思った。言葉にならない。家族を大事におもう気持ち、なのだろうか。
それにしても、周りが旅立ちムードでうきうきしている空港ロビーから、自分だけ日常生活に戻るというのはなんとも味気ないものである。もはやどこでもいいから私も旅立ちたいなと思った。
家についてからフライトレーダーを見てみたら、まだ中国上空にいた。北を飛ばず、中央アジアを飛行する。地球のおなかあたりをゆくのですごく時間がかかる。来週の自分のためには良い予習になった。
家にいても、子がいないとまったく時間を気にしない。ふと気づくと7時ごろになっていた。適当に、冷蔵庫にあるものを食べる。そして1人で寝た。無事に着きますようにと祈りながら。
翌朝、メッセージを見たら無事到着した連絡があって、心の底からホッとした。
4. 林間学校(29~31日)
家族のいない寂しい時間を過ごすには、泊まりがけの仕事が入るのはちょうどよかった。2泊3日、疲れたけど楽しく過ごすことができた。これだけ長い時間を同僚と寝泊まりするのはなかなかないことなので色々な話をすることができた。この職場で良い人間関係を築くことができていると思う。知的な同僚が多く、さまざまな分野にわたる話が通じるため話をしていて飽きることがない。帰り道、いつもはサービスエリアで何を買おうかと悩むが今回は家に誰もいないのと自分も旅立つのがわかっているため何も買わなかった。解散した池袋で、ケーニヒスクローネの「ベーネン」を買った。これは自分へのご褒美。そして帰り道にアイスクリームを買った。MOWのバニラにしたあとで「あっ」と思い直し、グレードアップしたMOW プライムを買ってみた。これも自分へのご褒美。帰ってしばらくしたらお腹が空いてきたので冷蔵庫にあったレタスを使って、ナッツとツナを入れてサラダを作った。こういうのが食べたかった。雨が降りそうだなと思って少し鉢植えを外に出して、雨が浴びれるようにしていたら、子の友人とその母がうちの前を通った。「わたしだけまだいるんですよ」「そうだったんですね〜気をつけていってらしてください」と短い会話をする。それからすごい夕立がはじまった。こうして、7月が終わっていく。