Saturday 17 August 2024

ちいさな町のお祭り

ちいさなまちにいる。人口は1000人ちょっと。「町」というか「村」というか、小さな自治体だ。そのお祭りがあるというので出かけてみた。最初は、ほんとにお祭りやってるのかなと言いながら歩いて行った。
中心のpiazza(広場)が見えて、ようやく会場っぽいところに着いた。といっても家を出て5分くらい。9時前ごろはまだ人が少なくて、そんなに盛り上がっていない。
広場といっても本当に小さい。公園にもならないくらいの、教会の前の広場。四方を建物に囲まれた、四角い場所。イタリアのまちにはたいていこの「ピアッツァ」と呼ばれる広場がある。人が集まれる場所。
お祭りといっても出店や屋台があるわけではない。飲み物をつくる場所が一つと、食べ物を売る場所がひとつ。バーテンダー役は、町長の息子とその仲間。食べ物といってもごく簡単なもので、ドーナツなど。写真だと、手前のテーブルがそれにあたる。
10時過ぎぐらいから人がどんどん集まってきた。赤ちゃんから老人まで、いろんな人たちがいる。小さな自治体なので、そこらじゅうに知り合いがいて、誰もが誰かとしゃべっている。

中学生くらいの女の子たち。誘いあって来るのだろう。

5年前にも、別の地域のお祭りに行ったことがあるが、雰囲気としては同じで、こちらのほうがだいぶ小さいと思う。

ベビーカーがそこらじゅうにある。

10時過ぎに子どもがそんなところにいていいのか、と思うだろうけど、そこはたいした問題ではない。お祭りはみんなが楽しむためのものであり、こどもを連れていく場所である。子どもはこの雰囲気を楽しんで育っていく。成長してもここに戻って来る。

お祭りといっても、たとえばビンゴ大会とかそういうものがあるかというと、ない。その場で演奏される音楽と歌があって、あとは、先述の、簡単な飲み物と食べ物。その他はほんとになにもない。人がいる、というただそれだけ。なのにこんなに楽しくて、素敵な雰囲気と時間がある。

1時間くらい経ってふと気づいた:誰もスマホを手にしていない。もちろんそんなルールがあるわけではないだろうけど、本当に誰もスマホを持っていないのだ。人と話すためにその場にいるので、そこでスマホ画面をみる必要性はない。こうやって書いてみると当たり前のことなのだが、誰に言われるわけでもなく、自然とこうなるというのは、うーむ、さすが「しゃべる」人たちだな、と感心してしまう。いつも思うけど、人間間の、コミュニケーションのレベルが段違いに高い。初対面の人たちはそこでお互いを紹介し、知り合いどうしは頬にキスをして挨拶をする。いつものように。

知り合いがいなくて孤独な人ももしかしたらいるかもしれないけど、それなら好きな時間に来て早く帰れば良いだけ。雰囲気を楽しみに出てくる、友達と待ち合わせている、家族で楽しむ、など人それぞれ。ここでもやはり周りを気にしてどうのこうの、という感じは皆無。思うに、孤独というのは比較の問題なのだろうな。

電子機器の光が目に入ってこないので、始終、会場はこの色だった。
私は子を連れて11時ごろに帰宅した。すごいよね、イタリア人はね、と言いながら寝た。会場はきっと日付が変わるまで盛り上がっていたのだろう。
帰り道、中学生どうしが集まって何やら話している。一つは少し年上のグループで、もう一つは年下のグループ。サッカーグラウンドの使用について話していたらしい。ゴミを片付けろ、とかなんとか。これはイタリア人的には口論のうちに入るのだろうか。これが夜11時ぐらい。大人はいない。

いつまで読んでくれるかな

 「まま!!がんばって!」 ハッと目を開ける。これを繰り返す。 何のことかというと、寝る前に子に本を読むときのことだ。毎日こうではないが、昨日はうとうとがすごくて最後のほうはずっとこんな感じだった。 文字もなにもわからない頃から、寝る前に本を読むというのが親子の習慣である。無理矢...