Friday, 16 August 2024

イタリアで12歳の男の子と話す

イタリアといっても観光地ではない場所にいるので、出会う人たちもごく普通のイタリア人である。ごく普通の、というのは、例えばフィレンツェを歩いていて声をかけてくる市場の人たちのような、世界中から期待されている「やたらに明るく陽気なイタリア人」というイメージを体現しているような、そういう人たちではない、ということ。どちらかというとそれぞれの生活を、静かに送っていてそれなりの問題を抱えている人たち。(それでもやはり、話好きで、言いたいことはスパッと言うし、カラッとした性格の人たちが多いと思う。比較の問題ではあるけど。)

きのうはフェッラゴストという祝日。午前中、お墓にお参りに行った。これは本当に日本と違うので、おもしろい。

書き始めるとキリがないのでとりあえず写真だけ。

そのあとはFの親戚から、すぐ近くのピネータでバーベキューをするからおいでと言われていたので行ってみた。といっても親族が集まるわけではなくて、子どもたちとその友達の家族が集まる。すごい数だった。合計三十人近かったのではないかと思う。


ピネータ、でやると言われていたのでそういう地名があるのかと思ったら、松林のことだった。pino(複数形でpini)→pinetaと頭のなかで結びついたときに「ああなるほど!」と思った。



モーレ(ブラックベリー)がそこらじゅうになっていた。

パスタ作ってきたよ〜という、誰かのお母さん。どこの国にもこういう気の利くおかあさんがいる。ズッキーニとにんじんとサルシッチャのフジッリ。

昼にやるというので、松林で、こんなに暑い時間帯にやって大丈夫なのかなと思ったけど、日陰にいると、これがまた涼しい。曰く、ほかの植物と違って、松葉が落ちている場所は熱がこもりにくいので比較的暑さが和らぐらしい。丘の上にあるので風もふいて暑いどころか気持ちよかった。公園でもなんでもない松林。BBQの許可などはとらなくてよいのかと聞いたら、町長もみんなと知り合いであるこの場所でそんなのは必要ない、らしい。

アロスティッチーニ、というアブルッツォ名物。羊肉の、串焼き。日本の焼きとりをイメージするとちょっと違ってあまり肉肉しくない。そして細長くて一つの肉の塊が小さい。何本でも食べられる。

12歳(11歳だったかも)の男の子と話した。5年前に会った時はあんなに小さかったのに。手脚がスラーっと伸びている。日本の漫画が大好きで、私より断然詳しい。ドラゴンボールや呪術廻戦といった言葉がどんどん出てくる。ちなみに呪術廻戦のことはそのまま「じゅじゅつかいせん」と言っていた。日本にとても興味があって、行きたいと言っていた。12歳という可能性にあふれた年齢の人が「行きたい」と言っている場合は本当に来る可能性が高い。これが62歳だとそうはいかないけど。

イタリア人の10代は、これも偏見かもしれないけど、生き生きとしている。とにかく美しい。十代のbellezza(美)というのが、彼らを見るとわかる。それは私が日本人だから西洋人にたいして感じるものなのかもしれないけど。すくなくとも満員電車で通学して塾に通っていて疲弊している気配はいっさい無い。

風が吹いて眺めも良かった

そしてこんなことを言うと日本では怒られそうだけど、そして割合の問題だとは思うけど、日本ではこういう、自然に美しい12歳はなかなか見かけない。見かけだけの話ではなく、全体からあふれる、あくまでも自然な、キラキラした感じ。たとえば私のような、ちゃんとイタリア語が通じるかわからない人にでも、まず、握手をし、挨拶をして、しっかりと目を見て話す。30歳年上の私にも、上手に話す。

このへんのプロトコル?マナー?がイタリアはしっかりしている。話しかけられるまで待っているわけでもなく、ちょうど良い間のとりかたと、スピードで、冗談も交えながら、話ができる。相手への敬意が、私にとって外国語ではあっても、わかる。コミュニケーションのレベルが日本とは格段に異なると思う。日本の30歳くらいの人たちの話題が、イタリアだと10代が日常ででてくる。日本人と話して幼稚だと感じるヨーロッパの人々のことはよく聞くけど、実際ヨーロッパの10代と話してみるとそれがよくわかる。繰り返すけど、もちろんそうでないイタリア人もいるはずだし、大人と話せる日本人の中学生もいると思う。あくまでも割合のはなし。

彼が通っていた公立中学は問題だらけらしくて、私立に転校したと言っていた。「トイレでタバコ吸ってるんだよ。ぼくも彼女と別れたときに、ちょっとつらかったから、吸ってみようかと思ったんだけどすごくまずかったからこんなのは吸わないと思った」。授業も成り立たないくらいにみんないうことを聞かないらしく、まじめな生徒は困っているようだ。「先生はどうしてるの」ときくと「わかってるけどなにも言わない」らしい。

日本で教育に関わっているとたいてい「日本はダメだ」という前提に話が進むけどこうやってリアルに転校せざるを得ない中学生の現状を聞くと、いや日本はマシなのかな、と思える。トイレでタバコ、というのは30年前はよく聞く話だったと思うけど、最近の日本ではどうなのだろう。

教育問題といえば先日、ペスカーラの学校で、先生にBB弾を発射した生徒がいたと聞いた。これが小学校だったか中学校だったか覚えていない。しつけがなっていないとかイタリアで先生をするのは大変な仕事だとか、それを教えてくれた人は嘆いていた。

ちなみに、イタリアで「転校」といってもあまり悲しいとか気の毒とか思う必要はない。深刻とは程遠い。

結構あっさりしていて、イタリアに住んでいない私でさえよく聞く話でもある。そのへんはやはり周りを気にしない性格の影響だろう。転校理由としては「先生がいじわるで嫌いだったから」も十分にあり、とのこと。そして学校側にも、そのまま伝える。つまり「先生が嫌いだから」と。ぼやかしたりしない。現状に泣いたり我慢したりしても、先には進めないし誰も助けない。自分で選んで、変える。その後の人生は続くから。

BBQがいったん落ち着いたら子どもたちだけで近くにサッカーをしに駆け出して行った。

いつまで読んでくれるかな

 「まま!!がんばって!」 ハッと目を開ける。これを繰り返す。 何のことかというと、寝る前に子に本を読むときのことだ。毎日こうではないが、昨日はうとうとがすごくて最後のほうはずっとこんな感じだった。 文字もなにもわからない頃から、寝る前に本を読むというのが親子の習慣である。無理矢...