ラザーニャ。日本のそれが同じ名を名乗るのが憚られるべきではないかと思うほど「軽い」。するすると身体に入っていく。
ただ、イタリアで生活ができるかと言うと答えはNO。10年前だったら迷いがあった、あるいはイタリアがいいと言っただろうけど。いろいろなことが機能しなさすぎる。それを待つだけの忍耐力、許容力と、まあいっかと思える楽観さが現時点の私にはじゅうぶんにない。ここはあくまでも休暇などを目的とした一時的な滞在場所として、最高である。
話すテーマは多岐にわたるが、たとえばこんな感じ:イタリアの教育事情、ヨーロッパの歴史、ローマ帝国の偉大さ、子育て、イタリアの食の基準の厳しさ、バカンスの意義、フランス批判、など。
孫をかわいがる姿などを見ていると、国は違っても同じだなと思うことがたくさんある。「これは同じだな」「これは違うな」という気づきを重ねながら過ごす。安心したり、動揺したりする。それが日本の外に出る意味でもある。これを続けていくことで人生が楽になっていく。「人生の深みが出る」と言ってもいいかもしれないがそんなにまじめな話でもない。自分のなかに基準がいくつもできるおかげで、ものごとの判断が楽になる。
イタリアのおじいちゃんとおばあちゃんがいて、毎日いろんな話をする。知り合って早15年も経つ。紆余曲折を経ての今があるので、我々はおたがいにいろんなことがわかっていて、話をするにも遠慮はない。そうはありながらも適切な距離がある。適切な距離とリスペクトのもとにかかわっている。
以前よりイタリア語の会話に苦労しなくなってきた気がする。世代の異なる人の使うイタリア語なので、普段は聞くことのない難しい単語が出てくることがある。今もあるが、昔にくらべてその割合が減った気がするのだ。普段からイタリア語を使っている恩恵はもちろんあるが、自分が歳をとったというのもあるはず。
おじいちゃんは1946年生まれで、4歳のときに英国からイタリアにやってきた。激動の時代に生まれて、波のたくさんある人生を送っている。そういう人の話を聞ける機会はなかなかないので私にとってはとにかく興味深い。
世界史の資料集に載っている白黒の写真をイメージしてほしい。20世紀ヨーロッパのページ。知り合っていなかったら私にとっては写真のなかの人だったかもしれない。つまり、「遠い国のどこかの誰か」でしかなかっただろう、と。うーん、もちろん資料集に載ってるとは思わないし、どう表現していいかわからないけど。
もちろん全面的に受け入れるわけではなく、偏りはある前提で(人間そもそも偏っているので、どこの地域のどんな人と話すときもそれは当然)あくまでも「おもしろい」と思って話をきく。視点はあくまでもヨーロッパにあり、欧州は世界の起源であり、日本などは極東の未開の地である、ということが話を聞いていてよくわかる。一部は納得するし、一部は納得できない。
きのうは、ニューヨークにいったときにチャイナタウンの市場に足を踏み入れられなかった、という話をきいた。アジア特有のごちゃごちゃした市場の空気にエキゾチックさや高揚を感じられないというのはもったいないことだなと思った。しかしそれを私が修正しようとか言い聞かせようとすることは決してない。それはそれ、だから。
ブドウ畑。車内から。
日本国内にいてももちろん、いろんな人に会って、自分の範囲を広げることはできるが、その土地の文化や慣習や言語といったものはやはりその場に身を置かない限りわからない。そして自分がいちどマイノリティ(少数派)になってみることである。周りの人たちが言っていることがわからない、自分だけその文化を知らない、馴染めない、どうしたらいいかわからない、孤独を感じる、という状況に身を置くべき。それは早ければ早いほどいい。国内の均一化された環境では、そういう意味でのマイノリティになることは不可能に近い。