Monday, 3 January 2022

会話が単語で成り立つことについて

親と一緒に過ごしていてあることに気付いた。会話が「単語」になる。親が何の単語を言っていたか具体的に覚えていない。単語になるというのは例えば「靴下そこに置いとくよ」が「靴下」になったり、「電気消して」が「電気」になったり、ということだ。同じ人と長く暮らしていると自然なことかもしれない。そして私もそういうことあるなあきっと、と少し振り返った。

こんなことが気になるようになったきっかけがある。先日読んだ育児関連の本に「子どもへの指示を単語で終わらせない」というのがあった。たとえば「足!」「靴!」ではなく「足を机から降ろして」「靴をそろえて」と言わなければいけない。そうでないとこどもには伝わりませんよ、という話。なるほどと反省して早速日常生活に取り入れている。

その本は、育児本だったので子どもを相手にしたときのことしか書いてなかったが、大人についても同じことが言えるかもしれないと思う。つまり「お茶」ではなくて「お茶下さい」と言ったほうが良い。

考えてみれば(そしてそういえば)大人は子どもにそう教えるではないか。書きながら気づいた。「水」と子どもが言うと「水がどうしたの」と大人は答える「水ください」と子どもは言いなおす。そこでやっと「はいどうぞ」と水がもらえる。このやりとり、わが子も何度も続けている。これはイタリア語でも同じだ。こどもたちは最後に"per favore"(英語で言うplease)をつけなさい、と教えられる。

長く一緒に住んでいる相方には、ぞんざいな言い方に聞こえているかもしれないなあと書きながら思う。相手の年齢に限らず、気を付けてみようと思う。もしかしたらこれが今年の抱負になるのかもしれない。

溶ける平日やすみ

きのう、水曜は出勤しない日だった。これでもかというほどの素敵な天気で、なにをしようかとワクワクする。空気は澄んで、空には雲一つない。8時に子を送り出す。掃除と洗濯をして、そのまま家にいることもできるけどやはり朝はいったん外に出たいタイプの人間なので、仕事道具を持って近くの保健セン...