年末にご近所から餅をもらった。餅大好き、というわけでもないので冷蔵庫にそのまま置いておいた。そしてこのまま冷凍庫に至ると結局夏まで食べないままになることはわかっていた。
そんなとき、ふと食べようと思い立ったのだ。きっかけは先日読んだ「白ごはん.com」のブログ。「家族で餅つきをしました。つきたてのもちをきな粉にぽんぽん入れていきました。」のようなことを書いてあった。その写真をみて「ああきな粉もち…」とむしょうにきなこが食べたくなったのだ。
3日前だったか、去年から余っているきな粉と賞味期限の永久に来ない黒砂糖を引っ張り出してきた。餅を濡らし、レンジで1〜2分加熱して、きなこに放り込む。美味しすぎて餅を3つも食べた。夕飯はほかのものを食べようと思っていたのにこれで結局満足したのだった。
そして、今朝は残りのもちを全部きなこにまぶして食べた。ペロリ、である。これでもちの冷凍庫行きは回避された。
きなこといえば黒砂糖だ。かならず思い出すのはおばあちゃん。おばあちゃんはよく黒砂糖を使っていた。面倒でも、包丁で削ってきな粉に入れる。おばあちゃんはきなこをよくご飯にかけていたなあ。
どうも最近おばあちゃんを思い出すことが多く、手元にある写真をよく見る。だいぶ前に亡くなった。おばあちゃんだったらどうしただろうなとよく考える。それは特に困ったことに直面した時などに限らず、ごく日常の思考のなかで「おばあちゃんだったら」と想像をする。あこがれの人物、などは私の場合とくにいないが、あえて「どういう人間になりたいか」と問われると「おばあちゃんみたいな」と答えるだろう。そもそも人間まるごとを模倣することはあり得ないので部分的に、になるけど。